パイ投げの真実【解決編】
翌朝。再び荒巻会長の下駄箱に犯行予告が届いた。今度は二年D組の生徒を狙うとのことだった。
調べたところ、二年D組に――上杉当麻故に――『ま』が頭文字なのは前田和子という生徒一人しかいなかった。
昨日の時点でおれの記憶から犯人は割り出せたのだが、証拠がないため現行犯で捕まえようという話になった。
おそらく犯行がなされるのは今回も放課後だろうと予想がついたので、そのときまで待つことになったのである。
そして、既にそのときになっていた。ホームルームが終わった直後に眠っていた白本さんを起こし、合流した荒巻会長と共に犯人を見張っているのだ。奥道さんと森谷さんは前田さんに張り付いている。
前田さんは陸上部で練習のない日も学校の敷地内でランニングをするほど努力家の人らしい。今日は練習が休みの日なので、犯人はランニング中の彼女を狙うつもりなのだろう。
人気のない昇降口の脇に生える木に犯人が身を隠すのを、昇降口の中から確認する。ここから犯人の姿は丸見えだ。犯人はバッグの中に入っていたキャップを被り、サングラスをかけ、マスクをつけた。更に紙皿とシュービングクリームが入っていると思しきチューブを取り出すと、パイ投げのパイを作成した。
おれたちは目を合わせて頷き合った。ここまで揃えば、もう十分だろう。
すぐさま昇降口から出るとそっと、背を向けている犯人に気づかれないよう近づいた。
「パイ投げはそこまでだぜ」
荒巻会長が犯人の肩を叩いた。
びくりと犯人の身体が震え、徹底的に隠した顔をおれたちに振り向けた。
「二年A組の戸部みなみ……だろ?」
しばらくの間彼女はだんまりを決め込んでいたが、前田さんと思われるジャージ姿の女子生徒が近くを走り去っていくと、ゆっくりと顔を隠していたパーツを取り外した。
彼女の顔立ちを間近に見て、いまさらながら間違っていなかったと安心した。変装するところを思い切り目撃していたというのに……。
荒巻会長が頭を掻きながら、やれやれ、とため息を吐いた。親指でおれを指し示し、
「お前がこいつの名前を間違えるからややこしくなったぞ」
「……え?」
戸部さんは小さな声を漏らした。
「おれの苗字、生野じゃなくて《うぶや》って読みます。……あのときはハンカチを拾ってもらって、改めてありがとうございます」
戸部みなみさんとおれはどういう関係なのかというと、ぶっちゃけ知り合いですらない。彼女と会った日に破れたラブレター事件が起こっていなかったら、おそらく彼女のことは記憶の片隅にも残っていなかっただろう。
彼女は、あの日おれが登校したとき、昇降口の前で落としたハンカチを拾ってくれた陸上部の人だ。
ハンカチにはおれの漢字のフルネームが書かれているから、生野を『いくの』と思ってしまうのも無理からぬこと。下の名前を『とおる』ではなく『りょう』と読めていたのは、彼女の目の前で剣也がおれの名を呼んだから。
「会長ー!」
ここで、前田さんを見張っていた奥道さんと森谷さんの二人がやってきた。二人ともかなり息を切らしている。
「何でそんな疲れてんだお前ら……」
荒巻会長がジト目で尋ねた。
「いや……はぁ、あの前田っての、ぜぇ、足早いんすよ……」
「流石……はぁ、陸上部です……ふぅ……」
お疲れ様です。
荒巻会長は再び戸部さんと向き合い、
「戸部よ。生徒にパイを投げつけるのは百歩譲って許せるけどな、流石に――」
荒巻会長はポケットから千円札を一枚取り出した。残された茶封筒に入っていたうちの一枚である。
「偽造千円札を配るなんて、関心できねえぜ」
「…………」
戸部さんがさっと目を伏せ口をつむいだ。
彼女の目的は生徒たちにパイをぶつけて回ることではなく、偽造千円札を配って回ることだったのだ。昨日、おれの落とした封筒の口からはみ出ていた千円札を見た白本さんが、お札が贋札だということに気づいたのだ。若干色が薄かったらしく、本物と見比べてみたら確かにその通りだった。光に透かしてみても本来のお札になされている加工がされていないのもわかった。
「割と精巧に造られてるけど、どうやって造ったんだ? ってかお前が造ったのか?」
荒巻会長は咎めるような口調ではなく、普段通りの軽めの口調で尋ねた。
戸部さんは目を伏せたまま答える。
「私の……父が」
「親父さんが? 普通に犯罪だよな」
「はい……だから、警察に捕まりました」
「……そうか。そういやこの前、隣の市で出回ってた贋札を造ってた奴が逮捕されたってニュースを見たな。まさかそれが?」
戸部さんは力なく頷いた。
おれのそのニュースは見た気がする。姉ちゃんが頻繁に帰ってきた辺りのできごとだったはずだ。
「その千円札は……私の父が試しに造って、家に隠していたものです」
「なるほどな。……それで、何が目的だったんだ? 何だって偽造千円札なんて配ってたんだ?」
「母に……命令されて……」
戸部さんは絞り出すように言った。
おれたちは顔を見合わせる。
「どうしてお母さんがそんな命令をするんですか?」
白本さんが訊いた。
「父が捕まってから……母は酒に溺れて……。そんなとき、父が隠してた偽造千円札を見つけてしまったんです。他の人たちがのうのうと過ごしているのが気にいらなかったみたいで、私に同じ学校の生徒に贋札を使わせて未来を奪ってこいと言ったんです。千円札の贋札なら高校生の悪ふざけと思われて、警察も碌に捜査しないだろうからって」
「パイを投げてから贋札を配ったのはそういう理由なんですね」
「え、どういうこと?」
納得する白本さんについつっこんでしまった。
「贋札を使ったらまず確実に警察の事情聴取を受けるよね? どこで手に入れたかを訊かれたとき、生野くんならどう答える?」
「ええっと……不審者にパイを投げつけられて……って信じてくれるわけないよね」
「そういうこと。本当に高校生の悪ふざけと思われるかもしれないんだよ。……でも実際、警察がそんなに甘いとは考えられないけどね」
荒巻会長の大きなため息が聞こえてきた。
「事情はわかったけどよ、そんな母親の言うことなんざ無視すりゃよかったろ? もし本当に警察沙汰になってみろ。お前らが捕まってた可能性の方が高けえぞ?」
「贋札を持っていた学生と同じ学校の学生に、最近捕まった贋札の製造者の娘がいるわけですからね。関係を疑わない方が異常です」
奥道さんが同意する。おれもそう思う。高校生の悪ふざけと処理されるより、そちらの方がずっと可能性が高いだろう。こんな短スパンでこの田舎に贋札が出回るわけがないのだ。
戸部さんはギュッと拳を固く握りしめ、
「私もストレスが溜まってたんです。パイを投げつけるのも楽しかったし、贋札を置いていくのもスリルがあって興奮した。捕まるなら捕まるでそれでもよかった。きっと母だって同じ気持ちなんです……!」
「でも、誰かにとめてほしい、助けてほしいという思いもあったんですよね」
泣き叫ぶように思いを吐露していた戸部さんに白本さんが被せ気味に言った。
「そうじゃなきゃおかしいですよね。わざわざしりとりという簡単な法則性を用いたり、犯行予告をしたり、生徒会を巻き込んだり……。それに、本気で贋札を使わせるつもりなら相手の服にパイを当てて、残したお金をクリーニングに使わせればよかったんです。だけど実際は盛られていたクリームは少量でしっかりと顔に当たっていましたし、そもそも生徒会を巻き込んだ時点で、残したお金を生徒会が預かることも予想がついたはずです」
戸部さんは白本さんの推理に押し黙ってしまう。
「戸部先輩の目的はパイを誰かにぶつけることでも、贋札を配ることでもなくて、生徒会にいまの境遇を救ってもらうことだったんですよね?」
「それは――」
「あっ、そうだったの?」
荒巻会長の素っ頓狂な声が戸部さんの悲痛な呻き声をかき消した。
「俺はてっきり、贋札をばらまきたいけど誰かにとめてほしいという複雑な二重感情を抱いているものだと思ったんだけど」
荒巻会長は頭を掻きながら言った。
戸部さんはおれたちから目を逸らし、小さな声で呟く。
「そういう感情もありはしましたけど……。目的は、彼女の言う通りです。私は誰かに助けてほしくて……でも助けを求めたところで誰も関わり合いになりたくないだろうから、誰にも頼めなかったんです。でも、もしかしたら生徒会なら助けてくれるかもって思って、森谷君を最初の被害者にすることで生徒会を事件に巻き込んだんです」
「何で普通に頼まねえんだよ」
「そ、それは、贋札の現物とか見せた方が必死さが伝わるかと思って……。ごめんなさい」
「謝罪なら生野とか、パイをぶつけた奴にするこったな」
戸部さんがおれの方を向いて謝ってきたので、いえいえ、と言っておく。
「他の人にも謝ってきますね……」
踵を返し、ふらふらとした足取りで去ろうとする戸部さんを荒巻会長が呼びとめる。
「ちょい待てよ。頼まねえのか、助けてほしいって」
「い、いいんですか? 私……皆さんに迷惑をかけたのに……」
「いいに決まってんだろ。俺はこの学校を愛する男・荒巻政宗なんだぜ? その愛する学校に通う生徒が困っていたら助けるさ。贋札なんて全部燃やし尽くして、お前の母親もぶん殴って目覚めさせてやる」
「会長、殴るのはよくないです」
奥道さんが冷静なつっこみを入れる。
「うるせえな美善。そのくらいの気概があるっていうことだよ」
「いま、お前のお袋さんは家にいるのか?」
「え、う、うん……」
森谷さんの質問に戸部さんは戸惑いながら頷く。
森谷さんは、しめた、とばかりに手を打ち、
「よっしゃ! なら、善は急げだ。会長、いますぐカチコミかけましょうぜ!」
「おう!」
「い、いますぐ来るんですか!?」
「たりめえよ。……都合悪いのか?」
「いえ! ありがとう、ございます」
戸部さんが心の底から声を発したのがわかった。先ほどまで曇っていた表情や声音もしっきりとしたものになっている。
荒巻会長はおれと白本さんに目を向け、
「サンキューな白本と生野。お前たちがいなかったら、もっと長引いてもっと面倒なことになってたぜ。探偵の出番はもう終わったろう。後は俺たちに任せとけ」
おれたち顔を見合わせ、
「そうですね……。わかりました。後のことはお願いします」
白本さんが頭を下げた。
ここから先はおれたちは何の役にも立ちそうもない。この問題は彼らの領域なのである。
◇◆◇
本日もおれは白本さんを家に送り届ける使命を萩原さんより仰せつかっている。
夕焼けに染まった空の下、おれは疲労感から深い息を吐いた。
「それにしても、結構な大事になったね。まさか『連続パイ投げ事件』にこんな裏がとは……」
白本さんも苦笑した。
「そうだね。わたしもびっくりしてる。最初に封筒の中身を見せてもらってればもっと早く解決できたのになぁ」
白本さんが空に向かってため息を漏らした。
いつものように一眠りで解決できなかったことが彼女なりに悔しかったのだろう。
何となく意外に思ったのだが、あれだけ事件を解決していたら探偵の矜持的なものも宿るか。そうだとしたら完全おれのせいである。
申し訳なさを覚えるが、しかし謝るのは何か違うというか、謝るほどのことでもないと思うので……、
「白本さん」
「なに?」
「ありがとう。白本さんがこの事件に協力したのって、おれのため、だよね、たぶん……」
「え、ええっと……」
白本さんは恥ずかしそうに顔をおれから逸らしたが、すぐに笑顔を向けてきた。
「うん。どういたしまして」
こうして、おれがいままで体験した事件の中で最も奇妙だった事件は終わった。




