生徒会室にて
パイ投げを受けたおれの顔はけっこう酷い有り様であったが、幸いなことに制服にシュービングクリームはこびりついていなかった。紙皿に盛られていた量が少なかったからだ。奥道さん曰わく、もう二人の被害者が食らったクリームも少なかったらしい。犯人なりの気遣い――ならパイ投げなんてするなと言いたいが――といったところか。残されていた一万円も、もし服が汚れていたらクリーニング代に使えということなのだろう。なんでも、パイ投げをする際に現金を入れた封筒を用意しておくのはよくあることらしい。まあパイ投げ自体あまりないことなのだが。
奥道さん案内され、おれと白本さんは生徒会室の前までやってきていた。入学して三ヶ月以上経つが生徒会室に入るのは初めてだ。
奥道さんが引き戸を開ける。どんな部屋なんだろうと思い、室内を見回すけれど、別段変わったところはなかった。面積は通常の教室の三分の一ほどで、中央に書類の束が積み重なった大きな長机といくつかの椅子がある程度だ。他にあるのは本棚やホワイトボード、『会長用』と書かれた木片が置かれたデスクくらいか。……いや、男子生徒が一人いるのだが。
その短髪長身でいかつい顔つきの男子生徒が、部屋に入ったおれたちを見て椅子から立ち上がった。
「お勤めご苦労様です、姐さん!」
「その呼び方はやめましょう、森谷さん。同い年なんですし」
すかさず奥道さんがつっこんだ。
森谷と呼ばれた男子生徒は首を振り、
「いえ、そういうわけにはいきません。俺にとって姐さんは、姐さん以外の何者でもないので。年齢なんて関係ないです」
「はぁ……。それならせめて副会長と呼んでください」
「そういうわけにもいきませんよ。……それより姐さん、そこのお二人は?」
森谷さんがようやくおれたちに注目した。
奥道さんはおれたちに視線を移し、
「例の『連続パイ投げ事件』の被害者の生野さんと目撃者の白本さんです」
「なんと! また起こったというわけですか……!」
森谷さんは悔しそうに拳を固く握りしめた。
「そうなりますね。松木さんと小林さんはまだパトロールを?」
「はい。呼び戻しましょうか?」
「いえ、まだ事件が起きる可能性がありますから、被害者が出たという情報だけ伝えてパトロールを続行させておいてください」
「了解です」
森谷さんはスマホを操作し始めた。
白本さんが遠慮がちに口を開く。
「あの、奥道先輩。パトロール、って?」
「『連続パイ投げ事件』の犯行を食い止め、また犯人を捕まえるために行っているんですよ。前二件の犯行は人通りの少ない場所や人が少なくなった時間帯に行われていたので」
白本さんが探偵だとしたら、生徒会は警察みたいだな。
「生徒会の役員って、大変なんですね」
おれが口にすると、奥道さんは首を左右に振るった。
「いえ、私以外の三人……そこの森谷さんと松木さん、小林さんは生徒会ではありません」
「え、そうだったんですか?」
白本さんが驚く。
「はい。他の役員は部活が忙しいので時間が空いたときや会議のときにしかきません」
「じゃあ森谷さんたちはどういう方たちなんですか?」
「俺たちは元ヤンだ」
スマホでメッセージを発信し終えたらしい森谷さんが言った。
「元ヤン……ですか」
確かに――失礼ではあるが――森谷さんのいかつい顔つきで恫喝されたら怖いかもしれない。
「俺たちは人に迷惑しかかけないどうしようもないクズだったんだが、会長と奥道さんが救ってくれたんだ。だからこうして生徒会に尽くしてるってわけさ」
なんというか、ドラマチックな話である。
「会長さんもですけど、奥道さん凄いんですね」
白本さんが微笑みながら言った。しかし奥道さんは首を振り、
「いいえ。凄いのは会長だけです。何を隠そう、私も元ヤンですので」
「え!?」
おれと白本さんの声が重なった。奥道さんが、元ヤン? 彼女の無表情っぷりのせいか、全然想像ができない。
「一年前の私は授業はサボるわ夜遊びはするわの非行少女だったんです。しかし会長が生徒会に誘ってくれて更正することができたんです。だから本当に凄いのは会長なんです」
へえ、そんなカリスマ性のある人なのか。けど全校集会とかで見た感じだと、そんな風には見えなかった。かなりノリの軽いチャラそうな人だったように見受けられたのだが。まあいいか。
「ところで、その会長さんはどこに?」
白本さんがきょろきょろと室内を見回しながら尋ねた。
「吹奏楽部内で巻き起こっている、部のエース・蓬田蓮雄を巡る三角関係の改善に尽力しているところです」
奥道さんが答えた。
おれの知らないところで蓮雄さんがなんか美味しいような面倒なような立ち位置に収まっているのはなぜなのか。というかそんなことまで生徒会が解決するのか……。どうやら本当にこの生徒会は信頼されているようだ。
「さて、それでは『連続パイ投げ事件』の詳細についてお話しましょう」
◇◆◇
「始まりは二日前でした。そこの森谷さんが放課後、五時頃に顔を隠してジャージを着た不審者にシュービングクリームの乗った紙皿……いわゆるパイを顔面に受けました。場所は生野さんと同じ校門のすぐ手前です」
奥道さんがホワイトボードに『五時 校門前 森谷船市』と書いた。
おれと白本さんは反射的に森谷さんを見やる。
「森谷さんもパイ投げを食らったんですか?」
「ああ。マジびびったな。食らった直後は何が起こったのかまったくわかんなかった」
「わかります、それ」
森谷さんに共感していると、奥道さんは構わず話を進めた。
「二人目の被害者は三年生の千代田芽衣さん。放課後の四時十分ごろ、彼女はパルクール同好会の活動で中庭で華麗なアクションをしていました。そのとき例の不審者が現れ、思わず動きをとめたところ、パイを投げつけられたみたいです。それが見事に顔にヒットし、彼女は怒り心頭で生徒会に犯人を捕まえてほしいと頼みにきました」
「つまり、その千代田さんの依頼で生徒会は動いているということですか?」
白本さんの問いに奥道さんは頷いた。女性なら、突然パイを投げつけられて怒るのは無理もないか。いや、男でも怒って然るべきなのだろうが。
奥道さんはホワイトボードに『四時十分 中庭 千代田芽衣』と書き込む。その後、『会長用』デスクの引き出しから茶封筒を二枚取り出した。おれのもとに残されていた茶封筒と同じものだ。
「森谷さんの近くにも千代田さんの近くにも、この茶封筒が残されていました。中身はどれも千円札十枚と例の紙きれです」
「それ、預かってるんですね」
「はい。犯人の真意が読めないうちはお金は使わない方がいいと、会長が判断しました。幸い森谷さんも千代田さんも服は汚れませんでしたから」
確かに、突然パイを投げてくる不審者が残したお金を使わないのは賢明だろう。
「それでも、生徒会と関係が深い森谷先輩はともかく、千代田先輩がよく渡してくれましたね。高校生にとって一万円は結構な額ですけど」
白本さんが尋ねた。
「普通に渡してくれましたよ。持ってても気味が悪くて使わないから、と」
確かに、突然パイを投げてくる不審者の残したお金なんてあんまり使いたくはない。
奥道さんは茶封筒を引き出しに戻す。
「以上が『連続パイ投げ事件』のあらましですね。他に聞きたいことなどありますか?」
「えっと――」
白本さんが何事が喋ろうとしたときだった。
「ちょっと待ったあ! その話、俺も混ぜてもらおうか!」
生徒会室に男子生徒の声が響き渡った。
「この声は会長ですね。一体どこに……」
「ここだ!」
その男は普通に戸から入ってきた。




