伶門さんの悩み
蓮雄さんから愚痴をこぼされた日の放課後。おれも剣也も何もすることがなかったので、お互いにさっさと帰ることにした。
わいわいと授業後の開放感に賑わう廊下を剣也と並んで歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ねえ、生野、浅倉」
剣也と共に振り返ると、天然の茶髪が特徴的な女子――伶門さんが立っていた。近くに他の知り合いの姿はないので、彼女一人のようだ。
珍しい。伶門さんと話すときは基本的に委員長とセットなのだ。
「どうしたの、伶門さん?」
尋ねると、彼女はやや頬を赤らめてもじもじし始めた。
「えっとさ、生野と浅倉に……紹介してほしい人がいて……」
剣也と顔を見合わせる。
「俺らの知り合いに用があるのか?」
剣也の問いに伶門さんはこくりと頷いた。
「うん……。二人の友達に恋愛相談室? とかいうところの部員がいるんだよね?」
「丈二のことか。ああ、友達だな」
「あいつを紹介してほしいの? 何のために?」
愚問だった。そんなこと彼女の仕草を見てればわかることである。
案の定、伶門さんは恥ずかしそうに両の人差し指を合わせた。
「そ、そりゃ、恋愛相談よ……」
あれまあ。伶門さんからそんな色気のある話が出るとは思わなかった。
剣也の顔が新種のおもちゃを発見した子供のように喜色に染まった。
「ほおほおほおほお。伶門さん、あんた恋してんのかい?」
「い、いや、恋っていうのとはちょっと違うかもだけど、その、男子のことで相談したいことがあるっていうか……。こういうの初めてだから誰に相談したらいいかわからなくて……」
頬を染めながら目を泳がせる伶門さんは可愛らしかった。これが恋する乙女というやつか。
しかしわからないことが一つ。
「紹介するのは全然構わないんだけど、どうしてわざわざおれたちを経由するの? 普通に相談室にいけばいいじゃん。匿名でも相談できるよ?」
「それは、そうなんだけどさ……。流石に知らない人と一対一で話すのは、緊張するっていうか」
「はるほど。つまりは、俺たちにも立ち会ってほしいってことか」
剣也の言葉に伶門さんが首肯した。
「うん。ちょっと恥ずかしいけど、生野と浅倉になら聞かれてもいいかなって。二人だったら誰かに言いふらしたりしないだろうし……」
どうやら彼女の中では、おれたちはかなり信頼できる立ち位置にいる人間として存在しているらしい。まあ委員長の友達だから、というのも大きいのかもしれないが。何にせよ、その信頼を裏切るわけにはいかないだろう。
◇◆◇
「彼と出会ったのは二ヶ月前の日曜日だったわ。中学のときの同級生に合コンに誘われたんだ。その同級生、私のこの髪のことをよく弄ってきたからあんまり好きじゃなくて、本当はいきたくなかったんだけど、どうしても人が足りないからって頼まれたら断れなくて……。それで仕方なく参加することにしたのよ。最初は最悪だったわ。男子サイドの連中から遊んでるって思われるし、女子サイドの連中からも遊んでることにされるし、何回心の中で委員長や部長に助けを求めたかわからないわ。帰りたいって思ってたとき、私と同じようにつまらなそうな表情をしている男子がいたことに気づいたの」
「それが、君の言う『彼』かい?」
伶門さんの向かいのソファに座る丈二が相変わらずの渋い声で尋ねた。伶門さんは頷き、
「私たち、変な話で盛り上がってる周りに付いていけなくて、それがお互いにわかったから二人でこの合コンについての愚痴を言い合ったの。彼の方も合コンにきたのは本意じゃなくて数合わせに呼ばれただけだったんだって。家の都合をさぼるためにきたみたいなもん、って言ってたかな。普段はけっこう忙しいみたい」
伶門さんの頬が恥ずかしそうに染まる。
「彼、私の話もちゃんと聞いてくれたの。私が『これ天然の茶髪なんだ』言ったら『へぇ、そうなのか。凄いな』って関心してくれて……えへへ。それ以来、頻度や回数は少ないんだけど、休日とかに会うようになったんだ。割りかし良好な関係を築けてたんだけど……」
そこから声のトーンが暗くなった。
「だけど?」
剣也が訊いた。伶門さんは深いため息を吐き、
「一週間前、私が彼を怒らせちゃったの。悪気はなかったんだけど……。そのことがずっと頭から離れなくて……。謝りたいんだけど、どうすればいいのかわからないんだ。もし許してくれなかったらって考えちゃうと怖いの……」
伶門さんはしゅんと肩を落とす。それを見ていた丈二はぱちんと指を鳴らし、
「ふむ。つまりはその彼と仲直りがしたいということだね?」
その言葉に伶門さんはぶんぶんと頷いた。
何か意外だ。まさかまあ伶門さんがそんな甘酸っぱい高校生活を送っていたとは。いや、じゃあお前は伶門さんにどういうイメージを持ってたんだって言われたら困るが。
たぶん、これが伶門さんじゃなくても驚いたと思う。身近な人がそんな青春を送っていたと知ったら。おれとは無縁すぎる。
たまに心に発現する虚しさを抑えつつ、伶門さんの語る悩みについて考える。二ヶ月前に知り合った男子を一週間前に怒らせてしまったので謝りたいと、彼女は言っているわけだ。……うん。なるほどね。
伶門さんの座るソファの後ろで立って話を聞いていたおれと剣也は、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。
隣の剣也に囁く。
「なあ剣也」
「なんだい亨さん?」
「いまの話と似たような話をついさっき聞いたばかりなんだが」
「奇遇だな。俺もだよ。……けどまあ、たまたまだろ」
「だよな……」
そう納得しておくことにする。そうさ。そんな偶然あるはずないではないか。
丈二は腕を組み何事が思案すると、
「伶門さん。とりあえず訊いておきたいことがある」
「なに?」
「君は一体、彼に何をしたんだい? なぜ彼は怒ったんだい?」
そういえばそうだ。そこは気になるところである。
伶門さんは目を伏せた。
「そ、それは……ごめん、言いたくない。くだらないって笑われるだろうから。……けど、悪いのは私なんだ。それは確かよ」
「いや、言えないつっても、そこがわからなかったら丈二もアドバイスのしようがないだろ」
剣也が呆れたように剣也が口を挟んだ。丈二も渋面を作って腕を組む。
「そうだな。依頼人の要望にはこちらとしてもできる限り応えたいところだが、問題解決の最重要な部分が不明瞭なのは困る。正確なアドバイスを送れないからね」
丈二が至極当然のことを言う。伶門さんもそのことは理解しているようで、申し訳なさそうに肩を落としている。そこまで言いにくいことなのか……。
どうしたものか、とおれが打開策を考え出したときだった。
「どうやら、まだまだ甘いみたいね、貴久」
部室内に凛とした女性の声が響き渡った。




