面倒な先輩
「人間って、一体全体何のために生まれて、何のために死んでいくんだろうね。ここ最近、そんなことばかり考えてるんだ。朝起きて飯食って学校いって勉強させられて部活させられて家に帰って楽器の練習させられて……そんなことの繰り返し。無限ループってやつさ。僕の高校生活はこうして、何一つ生み出すことなく、決められた道を歩んで終わっていくんだ。あ、ループなのに終わりがあるのはおかしいか。じゃあ言い方を変えよう。僕の人生はいわば『作られたレール』ってやつだ。うん。こっちの方が断然しっくりくるな。何せ、高校生活だけじゃないからね、決められているのは。進学先の大学や将来就く職業まで伸びているんだよ、そのレールは。困ったもんだよ。嫌になっちゃうよ。僕が何をしたっていうんだよ! 人権を寄越せ! 何が基本的人権の尊重だ。ふざけるな。親がいる限り、子供に真の人権などないではないか!」
不平不満を吐き出していた蓬田蓮雄さんは、苛立ちを抑えきれなくなったのか焼きそばパン片手に声高に叫んだ。学食を利用している他の生徒たちが驚いたようで、一斉にこちらを見てきた。
「蓮雄さん、他の人に迷惑ですよ」
「そりゃ申し訳ごぜーませんなあ! ったく、さっきまで心からの愚痴を聞いていた人間の反応とは思えないくらいクールだな、生野。お前はいつからそんなに冷たい奴になってしまったんだ?」
「たぶん、いまの部活に入部してからですね。部活の先輩が会う度に愚痴を言ってくるんで、耐性が付いちゃったみたいです」
「付けるなよ耐性! 中学時代のお前なら『はい。そうですね』くらいは言ってくれたぞ! それはそれで十分冷たいけども!」
「はあ」
蓮雄さんは中学からの先輩だ。長身でがたいがよく、体育会系のような逞しい出で立ちをしているが、実際は曾祖父の代から続く音楽一家の生まれだ。母親が音楽講師、父親はプロのサックスプレイヤーで日本やら世界やらを飛び回っているらしい。彼自身も――不本意ながら――トランペットをやっている。
「はははっ。相変わらずの乱心っぷりっすね、蓮雄さん」
おれの隣に座る剣也が弁当のおにぎりを食べながら他人事のように笑った。
蓮雄さんの死んだ魚のような目が剣也に向く。
「お前も相変わらずのへらへらっぷりだな浅倉。こっちは本気で嘆いているというのに」
「何をっすか?」
「話を聞いてなかったのかお前は!」
「はい、あんま聞いてなかったっす。哲学っぽく始まったのに最終的には何か社会派の話になってましたね」
「話すのが下手ですいませんねえ! こちとら話の構成はノープランでして! こんな後輩がいのない奴らを持って僕は何て不幸せなんだ! せめて人間関係は幸せでありたかった。こんなことばっかりだなあ僕は」
本気で泣き出しそうな蓮雄さんに剣也が面倒くさそうなため息を吐いた。
「冗談すよ。ちゃんと聞いてましたから。ただちょっと、蓮雄さんの出す負のオーラがあんまりにも鬱陶しかったんで弄りたくなっちゃって」
「弄るなよ! 励ませよ! 『大丈夫だぜ』と笑ってくれよ!」
「やっぱ面倒くせえなこの人」
「ああ」
剣也から――おそらく意図せず――漏れた言葉に反射的に同意してしまった。これを聞かれていたら更に面倒なことになっていたが、幸いなことに自らの現状を憂うのに必死な蓮雄さんの耳には届いていなかった。
剣也に続きおれもため息を吐く。
「それにしても蓮雄さん、ほんとどうしたんですか? いつにもまして面倒……じゃなくて悲哀を感じますけど。いま話したことの他にも何かあったんじゃないですか?」
「聞いてくれるのか生野……」
「はい、まあ一応。あんまり聞きたくないですけど」
「生野は何やかんや言いつつも聞いてくれるからいいよなあ」
遠い目をしながらしみじみと呟く蓮雄さん。そういうのどうでもいいから早く話してほしい。
「さっきもちょっと話したけどさ、人間関係でちょっとね……」
「悪かったですって。冗談って言ったでしょう」
剣也が謝罪する。
「それはたったいまのできごとだろ? 僕が言ってるのは一週間前のことなんだ」
「ん? ここ最近俺ら会ってなかったすよね?」
「いや、僕の言う人間関係はお前たちのことじゃない」
「え、蓮雄さんって俺ら以外の人間関係があったんですか?」
「お前は僕を何だと思ってたんだ!?」
蓮雄さんが天井を仰いで絶叫した。それからぜぇぜぇと息を切らし、
「まあいいや。……とりあえず話を続けるぞ」
続けるのか……。
「実はだな、二ヶ月前に親しくなった人と一週間前に喧嘩をしてしまったんだ。いや、喧嘩とは違うな。僕が勝手にキレただけ。十対〇で僕が悪い。あの人は何も悪くないってのに……」
「どうしてまたキレちゃったんですか?」
おれが尋ねた。蓮雄さんは自嘲気味に笑い、
「つまらない理由だよ。言うのも恥ずかしいくらいにね」
「じゃあ謝りましょうよ」
「そうしたいさ。だけどそれ以来、その人とは連絡がつかなくなってしまったんだ。本当に、バカな男だよ僕は」
肯定してほしいのか慰めてほしいのかわからないので、とりあえずノーコメントで。剣也も同じ判断のようでだんまりを決め込んでいる。
蓮雄さんは大きくため息を吐くと、ちらちらとおれたちに視線を送ってきた。どうしろというのだ。
「そういや蓮雄さん、時間はいいんすか? 部活の昼練」
剣也が機転を利かせた。
蓮雄さんは腕時計を見ると残念そうに肩をすくめた。
「どうやら時間みたいだ。やれやれ、後輩たちと談笑もできないとはね」
談笑なんてしてたか?
「家でも学校でも時間がなさすぎる。僕にはプライベートはないのか……」
「部活やめればいいじゃないっすか」
剣也が言った。蓮雄さんは二年生なので、部活に入部する義務はないのだ。
「そんなことしても無意味さ。確かに昼の時間は確保できるとしても、家でのレッスンが増えるだけ。むしろ母親的には万々歳だろうな。吹奏楽部やめさせたがってるし。僕にトランペットをさぼらせないように吹奏楽部に入れたわけだからね。退部できるならしろとさ」
「プロの音楽家になるには別に吹奏楽は必要ないんでしたっけ?」
「ああ。時間の無駄だね。けど僕はプロの音楽家になるつもりは毛頭ない。そんな才能もないし、そもそもやる気がないんだ。それなのにあの女は僕を音大に入れるつもりでいやがる。そんなことをしても音楽教師の道まっしぐらだというのに」
自分の母親をあの女呼ばわりとは……。相当に鬱憤がたまっているようだ。
蓮雄さんは立ち上がった。
「とはいえ、だ。吹奏楽部は嫌いではないんだ。曲がりなりにも幼いころから英才教育を受けてきたから、僕は部活で一番演奏が上手いし音楽に詳しい。つまりはヒーローさ。あそこにいるときだけ、僕は浮かれることができるんだ」
あはは、と空虚な笑みを浮かべながら去っていった。
それを見送った後、剣也と顔を見合わせた。剣也が苦々しい表情で切り出す。
「ありゃ相当重症みたいだな」
「ああ。いつもなら愚痴を吐くだけ吐くと一時的にはすっきりしてたもんな」
まあその後またすぐに愚痴りにくるんだが。
「余程悔いてるんだろうな、その人にキレたこと」
「流石にちょっと心配だな。どうする? 委員長にカウンセリングしてもらうか?」
剣也の提案の是非を思案する。確かに委員長は話した人を明るい気持ちにさせる陽性のオーラを持っている。蓮雄さんの負のエネルギーを払拭できる可能性はある。しかし、
「やめとこう。あんな面倒な人と委員長を関わらせたくない」
「それもそうか。委員長に迷惑はかけたくないもんな。じゃあどうする?」
「逆転の発想で的場さんに会わせるというのはどうだ? あの負のエネルギーに同等かそれ以上の負のエネルギーをぶつけてみるんだ」
「何だその『貞子VS伽椰子』みてえな構図は。科学反応が起こってとんでもないことになるんじゃねえか、それ」
結局、蓮雄さんを励ます案は出なかった。




