謎の漫画
全員が座れるほどの椅子はなかったので、おれと剣也とカミハラが立ったまま話を進めることになった。白本さん含む漫研部員(日高さんも)はみんな椅子に座って謎の漫画の件に興味を持っているようであった。それだけ根深く謎の漫画はこの部活に刷り込まれているということなのだろう。……いや、一人だけ、小野坂君だけは相変わらずの集中力を発揮して美少女の下半身を描いていた。本当に自重しないんだな。
「さて、じゃあまず三週間前……一番最初に送られてきた漫画を見せよう」
カミハラはそう言って、先ほど机の中から取り出していた三枚の茶色い封筒から、半分に折られた一枚の紙を出した。それを広げて、白本さんの手前に置いた。
おれと剣也はそれを覗き込む。どこかの室内にて、この学校のブレザーを着た少女が椅子に座り、赤ん坊を優しく抱く絵が柔らかなタッチで描かれていた。開いた窓から吹き込む風がカーテンをはためかせ、室内の紙を巻き上がらせているという背景も相まってどこかノスタルジックな空気を放っている。……良い絵だと思った。母性、というものを強く感じる。絵自体もすごく上手いと思う。
しかし、この描かれている少女……。ポニーテールがよく似合う美少女なのだが、どこかで見たことがある気がするのだ。それからこの背景の部屋も。
頭を悩ませていると、隣の剣也が呻くように呟いた。
「これ、三科さんか?」
「あっ、そうだ三科さんだ! この背景は日史研の部室だよ!」
ピンときた。このポニーテールの少女はかの密室イチャイチャ事件の重要参考人。そしてこの紙の巻き上がる部屋は日本歴史研究会の部室なのだ。いま現在の部室は掃除がなされたためそこそこ綺麗になっているが、これが描かれた時点ではまだ資料が絨毯のように床を覆っていたのだろう。
「へぇ。三科を知ってるんだな」
杉田さんが言った。
「はい。部活が同じなんっすよ。杉田さんも知り合いですか?」
「ああ。同じA組だからな」
「可愛いよねぇ、好子ちゃん。人当たりもいいし」
絵を見ながら沢城さんがしげしげと頷いた。
「先月の学内新聞にも取り上げられてましたもんね。学園の美少女として」
日高さんも同調する。
確かに見た目はいいけれど、その実、事務員の人と……まあこれはいまはどうでもいいか。
いきなり知っている人が出てきてびっくりしてしまった。かなりの不意打ちだ。
「ねえ、各務原くん」
白本さんがカミハラに尋ねる。
「送られてきた漫画って、もしかしてこの学校の人が描かれてるの?」
「おお、流石生野と浅倉が太鼓判を押すだけのことはある。鋭いね、その通りだよ。漫画にはこの学校の関係者が描かれてるんだ」
ふぅむ。確かにそれは意味ありげだな。暗号と考えてしまっても不思議はないかも。
続いてカミハラが二週間前に送られてきた漫画を白本さんの前に置いた。再びそれを舐めるように見つめる。
一コマ目。満月をバックにする学校の屋外時計。
二コマ目。一匹のネズミがアップで走り回っている。
三コマ目。そのネズミに上から槍が突き刺さる。
四コマ目。甲冑を着込んだ一人の男が昇降口を守るかのように立ちはだかる姿が大ゴマで描かれていた。
何だこれは……。それがこの漫画を見て覚えた第一印象だ。先ほどの一枚絵と画風は同じで、柔らかなタッチが特徴的なのだが、しかし抱いた感想はまったくの別物だった。
先ほどの絵からは母性や慈愛のようなものを読みとれたのだが、こちらからは何一つ読みとれない。まさしく意味不明である。
「ええと……これは学校の前をうろついていたネズミが、学校を守っていた兵に殺されてしまった、ってことなのかな?」
確かに絵をそのまま飲み込むとそんなストーリーが浮かび上がるけれど、そのストーリー自体のわけがわからない。白本さんでもこの絵の意味をまだ完全に把握できていないようだ。
「本当に謎よねぇ……この絵」
「学校を守っている理由がまるでわからないですもんね」
中原さんの呟きに杉田さんが応じた。
首を捻りながら絵を注視していた白本さんが漫研部員に目を向けた。
「あの、この男性は誰なんですか? 学校で見たことない人なんですけど……」
言われてみればそうだ。さっきカミハラは学校関係者が描かれていると言っていたが、この兵隊の格好をした男性には見覚えがない。無骨な顔立ちで口元に黒子があり眉が濃い。見た目は若いのだが生徒という感じはしない。誰なのだろう。
「そ、その人は……幾村さん、です……」
坂本さんがもじもじしながら教えてくれた。おそらく彼女は人見知りなのだろう。目が泳いでいる。
「誰すか? 幾村さんって」
「二週間くらい前、三日間だけ教育実習生として二年生のクラスをあちこち回ってた人。本当はもっと長くいる予定だったみたいだけど、大学側とトラブルがあったみたいだよ」
剣也の疑問に杉田さんが答えた。
「名前が面白くてさ、下の名前が何学っていうんだ。苗字と合わせて幾何学という渾名らしい。親が狙ってつけたらしいけど」
「プンすかもんだよね。可哀想だよ!」
沢城さんが元気よく同情した。
カミハラが三枚目の紙を白本さんの前に提出した。その絵を見た瞬間、おれと剣也は反射的に吹き出した。
描かれていたのは我が校の熱血体育教師、松原天津先生だった。松原先生が体育館の脇にある体育倉庫の前で仁王立ちしている……という絵なのだが、なぜか……、
「何だこれ、頭がでけえ」
剣也が笑いを堪えるように言った。
そうなのだ。この松原先生、なぜか異常なまでに頭部が大きく描かれているのである。にも関わらず顔の各種パーツはそのままのサイズなので非常にアンバランスだ。これまでの絵の中でも絶大なインパクトを誇っている。
……ん? 絵のインパクトに隠れていて気がつかなかった、これまでの紙と違う箇所を見つけた。
「なあカミハラ、これはなんだ?」
紙の正面から見て右上の角を指さした。そこにはパンチで空けられたかのような穴が二つ、斜めに並んでいたのだ。
「ああ、それか。初めてから空いていたんだ」
「初めからってことは、『作者』が空けたってこと?」
うつらうつらしながら白本さんが眠たそうに尋ねた。
「たぶんそうじゃないかな。何のために空けたのかはわからないが。じゃあ最後、今日の朝下駄箱に入っていたのを見せよう」
カミハラはバッグから封筒を出した。中から出てくる紙に手をとめた小野坂君も含めて全員が注目した。
描かれていた人物は眼鏡をかけた中年男性だった。室内に佇んで、左手で右手首を握るという謎のポーズを取っている。相変わらず意味不明であるが、それよりも……。
「あら、この背景、もしかして部室?」
「もしかしなくてもここですよ」
そう言ってカミハラは東側の壁にある本棚に目を向けた。その本棚が男性の左側の背景に写っているのだ。並んでいる漫画の背表紙を照らし合わせるとすべて一致していた。他にも机や椅子の位置なども同様だ。
「『作者』はこの部屋に侵入したってことですかね」
おれは誰にともなく言った。
「この部屋には窓がないので外から室内を覗いて描くことはできません。それなのに室内の様相をここまで詳細に描かれているということは、『作者』は部屋に侵入したということです。この部室には常に鍵を掛けていますよね? 漫画や漫画を描く道具を置いてあるので盗まれたら大変ですから。つまり『作者』は鍵を借りたはずですから、最近の鍵の貸し出し名簿をみれば何者なのか特定ができるんじゃないですか?」
割と的を射た推理だと自分で思っていた。日史研の部室は常に開けっ放しになっているので誰でも出入りは可能。他の二枚の舞台は屋外なので簡単にモデルにできる。しかしこの部室には出入りすると痕跡が残るはずなのだ。『作者』よ、しくじったな。
だが、予想に反して中原さんは首を振った。
「鍵は常にわたしが持っているの」
「え、そうなんですか?」
「職員室に置いておくと、偽名を使って鍵を借りて、漫画を盗む不届き者がいますからね。……くっ、ジョジョの五部全巻盗んだ奴は本当に許せません。大塚さん以上の……いえチョコラータ以上のクソ野郎です。ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムで永遠に死に続けてほしいです」
日高さんが悔しそうに物騒なことを呻いた。というか大塚さんを引き合いに出さないで上げましょうよ。もう十分でしょう。
それにしても、自由に侵入することができないなら、『作者』はどうやってこの部屋を描いたんだろう。もしかして漫研に『作者』がいるのでは?
おれが疑問に感じていることを表情から読みとったのか、カミハラが口を開いた。
「俺も最初は疑問に思ったんだけど、よくよく考えてみれば不自然でもなかったんだ。先月の中頃くらいか、新聞部が学内新聞でしている部活紹介に漫研が取り上げられた際、部室の写真を何枚か取っていったんだよ。その写真は一日に配られた学内新聞に載せられていたから、それを見れば誰でも部室を描くことができる」
一日というと、先週の金曜日か。なるほど、土日月と三日あれば十分に描けるだろう。
「まあ、背景の話はそれでいいとして……」
絵をかじりつくように見ていた小野坂君が呟いた。彼の言を坂本さんが継ぐ。
「この、男の人は誰なんですか……? 年齢的に教員、ですよね? 見覚えがないんですけど……」
もう一度描かれている男性を見る。あんまり特徴のなお顔立ちなので、あまり記憶に残らない人なのかもしれない。……なんてことはないだろう。入学して随分と経つし、おれよりも長く学校にいる先輩たちが知らないというのはおかしい。
「この人は五年前の漫研の顧問らしい」
カミハラがみんなの抱いていた疑問に答えた。
「名前は寸田吾郎。いまは別の学校に勤めているらしい」
「どうして知っているの?」
中原さんが訊いた。
「緑川に訊きました。あっ、緑川っていうのはいまの漫研の顧問な」
カミハラは律儀におれたちに説明してくれた。
杉田さんが肩をすくめる。
「ま、顧問といっても部室には一切顔を出さないんだけどな」
大体の文化部の顧問はそうなのではないか、と思ったが言わなかった。いまはどうでもいいことだ。
「でも、五年前の先生をどうして『作者』は知ってたんだ?」
「その答えは簡単だよ浅倉。図書室で卒業アルバムを見たんだろう。休み時間に調べてみたらちゃんと載っていたよ、寸田さん」
どうやらカミハラの奴、白本さんに頼りきりというわけではなく、自分でできうる範囲のことはしていたようだ。まあ、カミハラはたまに暴走したり、わけわかんないことを口走ったりすることはあれど、基本的に真面目な奴だ。何でも「マナーの悪いオタクはオタク全般のイメージを貶めることになるからあってはならない」とのこと。それ故に先ほどの白本さんとのファーストコンタクトでやらかしたときに何回も謝ったのである。
「さて、これで全部の漫画を見てもらったわけだけど、わかりそうかい?」
カミハラはうつらうつらしている白本さんに問うた。
「ごめん……寝てみないことには、なんとも……」
「そうか……眠りの小五郎だもんな」
「え、眠りの小五郎ってどういうこと!?」
まさかの単語に沢城さんが反応した。おれはみんなに白本さんの推理方向の説明する。
「へぇ、面白いわね。眠り小五郎とは少し違うみたいだけど」
興味深そうに言う中原さん。そりゃまあ白本さんは眠らされているわけではないから。
はてさて。白本さんが眠るまでまだ少しだけ時間がかかるみたいだし、漫画についておれもちょっとばかし考えてみよう。
まず一枚目の絵について。優しさが全面にあふれ出ていて良い絵だと思う。以上。
二枚目の漫画について。意味がわからない。以上。
三枚目の絵について。インパクト絶大。そしてやっぱり意味がわからない。以上。
そして四枚目の絵について。例によって意味がわからない。以上。
四枚中三枚が意味不明とは。謎が謎を呼ぶのはこのことだな。……しかし、この意味不明っぷりが逆にこの漫画の暗号っぽさを際立たせていると言えるかもしれない。一枚目と四枚目はともかくとして二枚目、三枚目は何らかの筋書きやモチーフのようなものがないと思いつかないのではないか。謎を解く上でのとっかかりは二枚目と三枚目にあるとおれは呼んでいる。パンチで意味ありげに穴を空けられていた三枚目は特に怪しい。
色々考えては見たもののおれには何にもわからない。同じく考えていた様子だった剣也も諦めたのか、東側にある本棚から漫画を一冊取り出すと、漫研のみなさんがいる方に掲げた。
「すんません、これ読んでもいいですか?」
「ああ、構わないよ」
杉田さんが了承する。
「それにしても、お目が高いね浅倉君。『地上最強の男 竜』を読もうとするなんてね。もしかして知っているのかな?」
「いえ、一番端っこにあったんで取っただけっす。……ちょっと黄ばんでますね。古い作品なんすか?」
「一九七七年に連載されていた漫画だからね。先週の木曜日に学校休んで親と一緒に愛知に古本屋巡りへいったときに見つけたんだ。びっくりしたよ。絶版になってるからネットで買うと千円以上するっていうのに一、二巻共五十円で売られていたんだから。持ってたけどつい買っちゃったよ」
学校休むなよ。
「どんな漫画なんすか?」
「端的に言うとクソ漫画だよ」
「端的すぎません!? どうしてそんな漫画買うんですか?」
カミハラがため息を吐いた。
「杉田さんは言葉を選んで言うと変わった漫画、アニメ好き。言葉を選ばず言うとクソ漫画、アニメ愛好家なんだ。新聞部へ漫画レビューを提供しているのは、何を隠そう杉田さんだ」
通りで、打ち切り漫画やマイナーな漫画の紹介が多いはずだ。
剣也は件の漫画をペラペラ捲りながら、
「はあ。杉田さんって『カブトボーグ』とか『彼岸島』とか好きそうっすね」
「鋭い! 両方共大好きだよ。『カブトボーグ』の凄いのはあの笑いを狙って作っているというところにある。要は人に笑われているんじゃなくて、人を笑わせているんだな。それから世に言うカオスアニメは下ネタやパロディ、ハイテンションを混ぜ込んだ作品が殆どだが、『カブトボーグ』はそれらを使わずに話の展開だけでカオスっぷりを発揮しているんだ! あれは凄い。神アニメだよ。まあクソアニメと言われたら反論できないんだけどね。しかしそれこそが『人造昆虫カブトボーグV×V』!」
オタクの特徴として好きな話になると饒舌になるのだが、杉田さんの場合はそれがより顕著なようだ。
「それから『彼岸島』。これは『カブトボーグ』と打って変わって人に笑われている作品だね。ネット上ではシリアスな笑いとか言われているけど、俺は違うと思っている。じゃあ何だって言われたら困るんだけど、あの笑いはシリアスな笑いとは一線を画している。言うなれば彼岸島節といったところかな。敵を倒すためにその場にあるものを無理矢理武器にしたりするの、これぞ『彼岸島』って感じだよ!」
杉田さんが『斬』やら『旋風の橘』、『チャージマン研!』の話をまくし立てている傍らで、白本さんが呟いた。
「生野くん……十分経ったら起こして……」
「あ、うん。わかったよ」
こうして白本さんは眠りについた。




