丈二の推理
「おいおい、そいつは本当なのかよ丈二」
「ああ。間違いないよ。結構な至近距離で見たからな」
丈二はそう断言した。だとするとかなり不可解な状況に陥ってしまう。
「生野くんが見たとき傘は二本だけだったんだよね。それなのに三人が三人雨に濡れてなかった……どういうこと? 傘の数と人数が合ってないんだけど……」
「誰か一人が謎の方法で帰ったってことだね」
委員長の疑問にまったく答えになってない答えをしておく。
とりあえずはその謎の方法を考えねばあるまい。
「ううん……。やっぱ誰か折りたたみ傘を使ったんじゃないか?」
未練がましく先に否定された案を持ち出す剣也。と思ったが、考えあってのことだった。
「誰か知り合いから借りたんだよ。折りたたみ傘を常備している人って少なからずいるだろうし、そういう人はもしものときのために持ってるだけだから、折りたたみとは別に普通の傘を持ち込んでてもおかしくない。その人は三人のうちの誰か――傘を持ってない麗川だろうな――に折りたたみを貸し、自分は普通の傘で帰ったんだよ」
ふむ、確かにそれくらいしか考えられない。しかし、
「けど、麗川くんに折りたたみ傘を貸してくれる知り合いがいるのかな。昨日、彼に友達がいないって嘆かれたばかりなんだけど……」
まあ、実際はそんな悲しそうな感じで言っていたのではなく、何事もなかったかのように、さも他人事とばかりに語っていたのだが。マイペースな彼らしいと言えるが。
「友達じゃなくて部活の先輩とかに借りた可能性もあるだろう。その麗川って奴は何部なんだ?」
どうやら一緒に考えくれるらしい丈二が言った。この質問にはクラスの事情に詳しい委員長が答える。
「確か科学部だったはずだよ。部員全員幽霊部員の」
何だそれは。アナログゲーム部より酷いじゃないか。
「それじゃあ部活関係者から折りたたみ傘を貸してもらうのは無理だな」
安住君や安藤さんは傘を持ってきているはずなので、誰かから折りたたみ傘を借りることはないのだ。自分の傘が盗まれることを予期していたのなら別だが。
「……とすると折りたたみ傘の線はなさそうだ」
丈二は一息間を置くと、
「安住と麗川、安藤さんとやらの情報を教えてくれないか? 推理に使える材料があるかもしれん」
「えっと、安住くんは中学から変わらず卓球部で、自宅は市役所の近くだから徒歩圏内だけど遠いね。親共働きだから麗川くんや安藤さんと同様に迎えにきてもらうのは難しい。安藤さんは料理研究会に所属してて……家は坂下にあったはず」
坂下とは地名である。県の端っこにあるこの市の更に端っこにある場所だ。坂下のどこかにもよるが結構遠いだろう。
「麗川くんについては……よく知らない。生野くんの言う通り電車通学ってことくらいかな」
彼はどうでもいいことばかりをひたすら語るので、プライベートがあんまり見えてこないのだ。
委員長の説明を受けた丈二は手を顎に添えた。
「料理研究会の一年生、か……」
意味深なことを呟いているがどういうことなのだろう。
「つっても、恋愛絡みのことじゃねえから丈二の専門外なんじゃね?」
剣也が茶化すように言った。言われてみればそんな気がしないでもない。あのラブレター事件は恋愛要素を孕んだ出来事だったのでバットに当たったという可能性もある。
しかしおれと剣也の心配などどこ吹く風といった具合に丈二はにやりと笑った。
「いや、どうやらこの件、まるっきり恋愛が絡んでいないわけじゃなさそうだぞ」
「どういうことだよ丈二?」
剣也が尋ねた。おれと委員長も互いに顔を見合わせて首を傾げる。
丈二はそんなおれたちを一瞥すると、ふっと鼻で笑ってきた。
「これだから恋愛経験のない奴らは……」
「それはお前もだろ」
「う、うるさい!」
三人に同時につっこまれた丈二は面白いくらいに狼狽えたがいまはそんなことはどうでもいい。
「それで、どう恋愛が関わってるんだ?」
「あ、ああ。けど、その前に生野と浅倉。お前ら昇降口で男子生徒を見なかったか?」
素直に驚いた。
「どうしてわかったんだ?」
「簡単な話だよ。その男はおそらく安藤さんとやらの彼氏だ。大方、一緒に下校するために待ち合わせしていたんだろう」
今朝の記憶が蘇ってきた。そういえば剣也が言っていた。最近安藤さんに彼氏ができたと。
「これではっきりしただろ? 傘は何も、一人で一本を使わなくたっていいんだ。二人で一本を使うのも自由さ」
相合い傘か。どうしてこんな簡単なことに思い当たらなかったのだろう。何ならこの推理会が始まる前は委員長とそうして帰ろうとしていたではないか。
「つまり安住と麗川が傘立てにあった二本の傘を使い、安藤さんは彼氏と相合い傘をして帰ったんだ」
「なるほど……。でもどうして丈二くんは安藤さんに彼氏がいるってわかったの?」
「まあ何のことはない理由なんだ。彼女、つい最近恋愛相談室にやってきたんだよ。部活の先輩と付き合いたい云々ってな。そのとき部活と学年を聞いていたんだ。部長が料理研究会には新入部員が一人しか入らなかったって言ってたから、相談しにきたのが安藤さんだとわかったんだ」
「そういうことか……。これで数の問題は解決したわけだが、安住と麗川、結局どっちが犯人なんだ?」
剣也が問う。
「麗川だと思う。黒い傘は安住のものなんだろう? 先に安住がやってきて自分の傘で帰り、続いてやってきた麗川が委員長の傘で帰り、そして安藤さんは彼氏と相合い傘をして帰ったんだ」
「でもよ、黒い傘は安住のものじゃなくて別の人のだったのかもしれないじゃねえか。本物のあいつの傘は盗まれてしまっていたから、委員長の傘を盗んだとも考えられるぞ」
「じゃあ残っていた黒い傘は誰のものなんだよ」
「まだ下校してない誰か、とか」
剣也の言葉におれたちは思わず下駄箱を見てしまった。……調べるか。
ということで片っ端から下駄箱を開けて人の有無を確認していった。大変な作業ではあるかま、ここは一年生しか使っていない場所であることと、四人がかりであったことが幸いして五分もかからなかった。
いま現在、下校していない一年生はおれたちの他に二人しかいなかった。そのうちの一人は我らが白本さんであることがわかっている。してもう一人は……。
「萩原さんだな。この下駄箱使ってるの見たことあるし」
「萩原さんって、白本さんの友達の凄い美人の子だよね? 浅倉くん知り合いなんだ」
「亨もだけどな。この間知り合ったばかりだよ。委員長は?」
「私もこの前白本さんに紹介してもらったの」
委員長も萩原さんの知り合いのようだ。
「浅倉の案……安住犯人説での黒い傘の持ち主は二通りいるわけだな。一人は最後にやってきた安藤さん。麗川は傘を持ってきていないみたいだから彼は除外する。それから、その萩原さんとやら……」
そう言って丈二は腕を組む。
「何か推理に使えそうなカードはないか?」
「推理というか、本人に訊けば早くないか?」
おれは考え得る限りの最善策を上げた。
「本人?」
「萩原さんのことだ。携帯の番号知ってるから」
「あっ、そういやこの間交換したもんな」
というわけで萩原さんに連絡を取ってみることにした。彼女とはこの間の出来事以来会ってないし、もちろん電話をかけるのも初めてなので異常に緊張する。
数コールの後、萩原さんが電話に出た。
『もしもし』
相変わらずのクールな声音であった。
「えっと、萩原さん? 生野だけど、おれのこと憶えてる?」
『携帯番号を登録してある人間の顔を忘れるほど、私の記憶力は低くないわ』
「そりゃそうだよね、ごめん。いまどこにいる?」
『学校の保健室だけど。由姫の付き添いでね。さっきまで由姫の寝顔を動画で撮影していたところよ』
そこんところも相変わらずのようだ。
『それで、何の用なの?』
「……凄く変なことを訊くけどいい?」
『セクハラじみたことじゃなければ』
「萩原さんの傘って何色?」
『透明なビニール傘よ』
「いまどこに置いてある?」
『すぐ脇だけど。……ひょっとして、へんてこなことに巻き込まれてるの?』
「うん、まあ、そんなところ。でも白本さんの手を煩わせるまでもなく解決できそうだから」
『ふぅん……』
挨拶の後、電話を切った。
「萩原さんの可能性は消えた」
「つまり浅倉くんの案での黒い傘の持ち主は安藤さんってことになるわけだね」
おれは委員長の言葉を飲み込んだ。いや、飲み込む前にちゃんと咀嚼せねばなるまい。じっくりと考えてみると、安住犯人説がそもそも仮定から外していいように思えてきた。その理由も喉元まで出掛かっているのだが……何だろうか。
整理してみよう。まず安住が昇降口にやってくる。自分の黒い傘を使って帰ろうとするが、既に誰かに盗まれてしまっており、委員長の傘と別人の黒い傘しか残っていなかった。それで仕方なく委員長の傘を盗んだ。
次に麗川くんがやってくる。彼はもともと傘を持ってきていなかったので、残っていた黒い傘を盗んで帰った。
最後に安藤さんがやってきて傘立てを見るけれど、そこに自分の傘はなかった。しかし昇降口の前には傘を持った彼氏がいたから、傘泥棒に感謝をしつつ相合い傘をして帰った。
こういうことになるわけだが、どこかおかしいところはないか。傘泥棒に感謝したかどうかは微妙だな。……ん? 見つけたぞ。おかしなところ。
「安住犯人説は捨てていいと思う」
突然のおれの言葉に三人の視線が集まった。
「どういうこったよ亨?」
「黒い傘が安藤さんのものだとすると、今朝もそれをさして登校してきたってことだよな?」
「そりゃそうだろうな」
「剣也言ってただろ。今朝、安藤さんは彼氏さんと一緒に登校してきたって。ということは、彼氏さんは安藤さんの傘を見てることになるんだ。安住君を犯人とすると、昇降口の前にいた彼氏さんは自分の彼女の傘をさして出ていく麗川君を無視したことになる。……おかしくないか?」
「うーん……そう言われりゃ確かにな」
「それに、だ」
丈二がおれに加勢してくれる。
「そもそも、安住は黒い傘を持っていたんだろ? それなら盗む傘も黒いものを選ぶと思うんだ。別色の傘を持って家に帰ったら家族に盗みましたって言ってるようなものだろう。それに自分の傘の色を知る人間に見られるのもまずい。同色なら誤魔化しようがあるがな」
「壊れたから新しいのを買った、って言えばいいんじゃねえの?」
「それは無理だと思うよ、浅倉くん。お父さんの傘、割と古いから所々痛んでるのよね」
「そっか……。じゃあ安住犯人説は消えたのか」
委員長にも反論されたからか、剣也はあっさりと案を放棄した。もともと仮説の一つに過ぎないという思いもあったのだろうが。
これで犯人が確定した。その男の名は麗川秀一。まず安住君が自分の黒い傘を使って帰宅する。次に麗川君が委員長の傘を盗んで帰った。最後に安藤さんがやってきて、登下校を共にする約束でもしていたのか、昇降口前で待っていた彼氏と相合い傘をして帰ったこれが真相だろう。けれど、おそらくこの中の誰も麗川君の携帯番号を知らないから問いつめることができない。そもそも証拠がない。
みんながそのことに悩んでいると、不意に委員長がぽんと手を打った。
「そうだ。安藤さんの彼氏さんに、安藤さん経由で訊いてみればいいんじゃない? 濃緑の傘をさして帰ったのはどんな人でしたか、って。まあ、さっき生野くんがやろうとしてたことなんだけど」
「その手があったね。誰か安藤さんの連絡先知ってる?」
誰も知らなかった。こうなってしまってはどうしようもないので、諦めて明日問いつめることにしようという話になった。今日のところは解散だ。……しかし直後に事態はもう一転することになる。




