二転三転
委員長の傘を盗んだ不届き者を探すべく推理を巡らせていたおれたちだったが、早速躓いてしまったようだ。
委員長が腕を組んで思案した末に言う。
「ここは麗川くん犯人説を捨ててみない?」
「確かになあ。安藤さんが帰る手段がないわけだから、前提が間違ってるってことなんだろうな。けど麗川が犯人じゃないとなると、あいつ雨の中をびしょ濡れになりながら帰ったことになるけど」
麗川君はおそらく傘を持っていないから、剣也の言う通りになってしまう。しかし麗川君のバッグはエナメルバッグだからそういう無茶もできるだろう。それに……、
「まあ、麗川君のマイペースっぷりなら雨の中でも平気な顔して帰りそうだけどね」
「それは一理あるな……。それに親に車で迎えにきてもらうという手もある」
「いや、それはない。麗川君は電車通学なんだ。駅まで全力ダッシュで帰った方が早い」
「そうなのか。……じゃあとりあえず、麗川が犯人じゃないとすると、どんな推理ができるか」
委員長が指を一本立てた。
「こういうのはどう? 三人のうち安住君が最初にきたわけだから、まず彼が自分の黒い傘を使って帰った。その後麗川くんが雨の中何もささずに帰る。そして最後にきた安藤さんが残っていた私の傘を使って帰ったの」
「その場合、安藤さん自身の傘は誰かに盗まれてしまったということでいいの?」
「そうなるね」
強いて反論は浮かばなかった。それは剣也も同じだったようで何度か頷いている。じゃあ彼女が犯人で決まりかというと、そういうわけでもない。
「安住君が犯人とも考えられる。安住君が最初にやってきて、自分の黒い傘が盗まれてしまっていたのに気がついた。だから委員長の傘を盗んだ。それから麗川君が無手で帰り、安藤さんが自分の黒い傘で帰った、っていう感じだね」
「どっちも反論の材料がねえな」
「そうなんだよねえ……」
またもや手詰まりか? 今朝の記憶に何かヒントがないものか、と思い起こしてみるものの特にそれらしいものはなかった。推理大会はここで終了か……。そのときだった。
昇降口の扉が開き、茶髪の少女が息を切らしながら駆け込んできた。しかし傘を閉じるのを忘れていたらしく、扉の両端に傘が引っかかった。
「小波ちゃん?」
委員長が困惑したような声を出した。伶門さんかおれたちの方に首を回してきた。恥ずかしいところを見られたからか頬を赤く染める。
「あ、みんなまだいたんだ……」
「うん。……どうしたの?」
「いや、部室に財布忘れちゃったみたいで……」
本当に相変わらずだなこの子は。
伶門さんは一旦外に出ると傘を閉じた。
「犯人わかった?」
醜態をとりなすように尋ねてきた。剣也は肩をすくめる。
「それが行き詰まっちまってよ。とりあえず安住か安藤さんのどっちかが犯人だと思うんだけどな」
「へぇ、麗川は犯人じゃないんだ」
「たぶん」
「ふぅん……。麗川ならさっき見たんだけどな。犯人じゃないなら目撃情報とかどうでもいいよね? むしろ――」
いや、どうでもよくないぞ。何かを言いかけた伶門さんに構わず、おれはすかさず口を開いた。
「どこで見たの?」
「え? ……アチパだけど?」
アチパとは近くにある大型スーパーだ(藤堂と再会した場所)。おれたちの推理では麗川君は傘をささずに雨の中を帰ったはずだ。おれが彼の立場ならば寄り道せずに駅に直行するが……まさか。
「伶門さん。麗川君の身体って、水に濡れてたり湿ってたりした?」
伶門さんはきょとんと首を傾げた。
「濡れてなかったわよ。普通だった」
「服とかも制服だった? 着替えた感じとかはした?」
「制服だったわよ」
おれたち三人は顔を見合わせた。これで先の推理二つが否定されてしまったわけだ。身体が濡れていないという事実は、麗川君が傘を使って帰ったことを意味している。
剣也が面倒くさそうに頭を掻く。
「ってことは、とりあえず麗川が傘を使ったことは確定したわけだな。この新たな事実から展開できる事実はなにかね……」
委員長は人差し指を顎に添え、
「ええと……まず安住くんがやってきて黒い傘を使うでしょ。それから麗川くんが私の傘を使って、安藤さんが何もささずに帰るっていう最初の推理が可能性として残ってるよね」
「それから安住君が自分の傘が盗まれていたという理由で委員長の傘を使って、麗川君が黒い傘を使ったということもありえる」
「んでもって、安住が自分の傘が盗まれていたから傘を使わずに帰り、麗川が黒or委員長の傘を使って帰り、残りを安藤さんが持っていったっつう推理もできるな」
「委員長と生野の推理は違うと思うわ。安藤さんは濡れてなかったもん」
「え?」
思わず伶門さんの方を見てしまった。委員長が驚いたように言う。
「小波ちゃんって安藤さんも見たの?」
「うん。アチパのトイレでばったりと。さっき言おうと思ったんだけど生野に妨げられちゃって」
それはごめんなさい。
しかしこれで二本の傘の行方がはっきりした。麗川君と安藤さんの身体が濡れていなかったということは、傘は二人に割り振られたと考えられる。つまりこのどちらかが犯人だ。安住君はおそらく、自分の傘を盗まれてしまったのでそのまま帰ったのだろう。
「麗川と安藤、どっちが犯人なんだろう」
剣也が思案する表情で呟く。絞り込むにはやっぱり情報が少ない。
「どっちなのかしらねぇ……」
伶門さんも唸り声を上げる。そんな彼女を見て、一つの疑問が湧く。
「ねぇ、伶門さん」
「ん?」
「お遣いとか、電車の時間とか大丈夫なの?」
「あ……。やばっ!」
思い出したかのように昇降口の扉を開けた。それを委員長が引き止める。
「財布忘れたんじゃなかったの!?」
「そうだった!」
伶門さんは委員長に傘を預けると廊下に消えていった。
◇◆◇
情報を提供してくれたお騒がせガールが帰っていくのを見送った後、再び推理会に戻った。まあ、推理といっても情報がないから憶測にしかならないのだが。
「やっぱ怪しいのは麗川だよな。傘を持ってきてないはずなんだから」
「委員長の傘を盗んだかどうかはわからないけど、とりあえず誰かの傘を盗んだのは間違いないな」
麗川君が犯人だとすると、黒い傘は安藤さんのものだということになる。安藤さんが犯人だとすると、黒い傘は彼女のもので麗川君がそれを盗んだことになるのだ。さて、どっちだ? 記憶を掘り起こせ。推理に使えそうな情報を探せ。記憶の海を漂っていると昇降口の扉が開き、男子生徒が入ってきた。手に青い傘を下げている。そいつを見た剣也が少し目を見開いた。
「丈二じゃねえか」
「む? 浅倉、生野に委員長」
濃い顔の友人――丈二貴久は相変わらず渋くダンディな声で返答してきた。
「三人でこんなところで何をやってるんだ?」
「そういうお前は何してるんだ?」
おれは尋ねた。丈二はやや肩をすくめる。どうでもいいが、顔が日本人離れしている丈二にはこういう仕草が異様なほどきまっている。
「何てことはない。部室に鍵をかけたかどうか忘れてしまってな」
「年寄りかよ……」
呆れ気味に言う剣也。丈二は特に気にした様子もなく、
「お前たちは?」
「俺らは委員長の傘を盗んだ輩を推理してるんだ」
「なんだそれは……」
委員長が苦笑いを浮かべ、
「ええと、詳しく話すと――」
委員長が事細かに現在の状況を説明した。丈二は腕を組み、興味深げに頷きながら真剣に話を聞いてくれた。おれは密かに丈二に期待の眼差しを向けていた。こいつはこの間のラブレター事件のとき、何気に高い推理力を発揮していた。結局は特大ファールとなった打球だったが、客席に届いていることには違いなかった。今回もしっかりとバットの芯に球を当ててくれるかもしれない。
「なるほどな……」
話を聞き終えた丈二は組んでいた腕を解いた。そしてなぜか厳しそうな唸り声を上げた。なにかを言おうか言うまいか迷っているようである。
「丈二くん、どうかしたの?」
委員長が首を傾げて訊いた。
丈二は神妙な面持ちで口を開いた。
「どうやらこの問題は『ただ傘が盗まれただけ』では終わりそうになさそうだぞ」
「どういうことだ?」
なんとなく嫌な予感を覚えつつ尋ねる。
「想像以上にややこしい様相を呈している。……俺はさっきまでアチパにいたんだが、そこで安住を見かけたんだ。結論から言うと、安住は濡れていなかった。あいつは傘を使って帰ったんだろう」
剣也の顔が苦虫を噛み潰したかのように歪んだ。委員長も困惑の表情となる。
明らかにおかしな事態が起こっている。おれが見たとき傘は二本しかなかったはずだ。それに対し帰っていった人間は三人。いずれも折りたたみ傘などは持っていない。にも関わらず、そのうちの誰も雨に濡れていないという。誰か一人は濡れていてしかるべきなのに。
……これは一体どういうことなんだ?




