傘泥棒は誰だ
異変を感じ取ったおれと剣也は委員長たちの後を追った。
「どうかしたの?」
傘立ての前にいた委員長と伶門さんに尋ねた。二人は心なしか暗い表情で振り返った。伶門さんが憎々しげに言う。
「委員長の傘が盗まれたみたいなのよ!」
伶門さんはおれや剣也と同じく細長いビニール袋で包まれた傘を天井に向けて振り上げた。ご立腹なご様子だ。
剣也が険しい顔で腕を組んだ。
「この雨の中、委員長の家まで傘なしはきついな……。家族に迎えにきてもらうのは無理?」
「うん。親共働きだし……」
申し訳なさげに肩をすくめる委員長。
「だよな。……俺の親父は仕事、母親はペーパードライバーだから送らせるのは不安だ」
「おれの母親も東京にいるから無理だね……」
そもそも東京に単身赴任していなくても働いているから無理なのだが。当然、電車通学をしている伶門さんの家族に頼むことはできない。
ううむ、どうしたものか。響に連絡して傘を一本持ってきてもらうように言うか? いや、今日は家庭科の先生に料理の修行をつけてもらう日だと言っていたからまだ帰ってきてないか。……これは、この手しかないか。
「送ってくよ委員長。傘は一本あれば二人で使えるし……」
恥ずかしい。けっこうな照れを感じつつ提案すると、委員長も少し恥ずかしげに頷き、
「あ、ありがとう、生野くん……」
伶門さんは頬を赤くしながら口をぽかんと開け、剣也は「ヒューヒュー」とはやし立ててきた。小学生か。というかこれはこの状況では最善手だろ。
委員長は傘立てに目をやると、残念そうにため息を吐いた。
「お父さんの傘だったから、何か悪いなあ」
「え? いつもの紅色の傘じゃないの?」
「うん。あの傘壊れちゃったからお父さんのを借りたんだ。お父さんは朝早く雨が降る前に仕事にいったから、傘持っていってなかったの」
脳内に、まさか、という一つの考えがよぎった。
「その傘ってどんなの?」
「濃い緑色のだよ? 紳士用で割と古いやつ」
まさか、が現実になったかもしれない。
「その傘を盗んだ犯人、かなり絞り込めるかもしれないけど、訊く?」
三人の目が見開かれた。
「え!? この昇降口を使ってる生徒だけで百人を超えるわよ? 本当に犯人がわかったの?」
「いいや。犯人はわかってない。ただ容疑者を三人ほどにまで絞れただけだよ」
伶門さんに答えた。剣也が肩をすくめる。
「おいおい亨。お前、いつ白本ちゃんになったんだよ」
「運がよかったんだよ。さっき……十分くらい前に剣也と外に出る直前、何となく傘立てに目をやったんだけど、黒い傘と濃緑の傘の二本だけが残ってたんだ」
「なるほど、その濃緑の傘が委員長の傘だと考えたわけだな?」
「ああ。まあ、別の傘の可能性も十分にあるけどね」
おれが言うと委員長は思いついたように、
「その傘のネームバンドの色はどんなだったか憶えてる?」
「ネームバンドってなに?」
「傘を束ねるやつ」
あれネームバンドって名前なのね。一つ賢くなった。
おれは先ほどの記憶を掘り起こす。
「確か赤だったかな。配色が変だな、って深層心理の方で思った気がする。それから柄の色は黒だった」
「だとしたら、やっぱり生野くんが見た傘は私が持ってきたものだよ。私の傘――お父さんのだけど――のネームバンドも赤いし、柄も黒いから。名古屋いったときに買った割と高いブランドの傘だし、他の高校生が使ってるとは思えないわ」
「高価な傘なのか……許せねえな。ただでさえ人の、それも委員長の傘を盗んだだけでも最低だというのに」
剣也が怒りを露わにする。伶門さんがやや身を乗り出し、
「それで、どうやって犯人を絞り込んだのよ?」
「簡単なことだよ。おれたちは外に出てすぐに諸事情があって校内に後戻りしたんだ。それからずっとここにいたんだけど、おれが傘を見てからさっき盗難が発覚するまでに、三人の生徒しか下駄箱を使っていないんだ」
「ああ、あいつらか」
得心いったのか剣也が頷いた。
「誰なのよ、あいつらって」
伶門さんが訊いてくる。
「安住君、麗川君、安藤さん……全員クラスメイトだよ」
委員長と伶門さんが目を見開いた。対して剣也は不敵な笑みを浮かべ、
「つまり、その中の誰かが犯人ってこったな。全員知ってる奴でよかったぜ。傘を取り返せる可能性がぐっと上がるんだからよ。……よっしゃ! んじゃま、誰が委員長の傘を盗んだのか、そいつを推理しようじゃないの!」
おれは首を捻る。もしかしたら、そんな大仰なことしなくていいかもしれない。おれは無言で昇降口を出て、すぐ右を振り返った。が、そこには誰もいない。ついため息が漏れた。そう上手くはいかないというわけだ。
「どうしたの? 生野くん」
委員長が訝しげに尋ねてきた。
「おれと剣也が外に出たとき、ここに男子生徒がいたんだ。あの人が何か見てないかと思ったんだけど……」
「もう帰っちまったみてえだな」
剣也が言った。
「それじゃあ、今度こそ委員長の傘を盗んだ奴を推理しようじゃねえか」
そういうことになった。
◇◆◇
そういうことにはなったが、お遣い&電車がある伶門さんは非常に申し訳なさそうに帰っていった。まあ、しょうがないことである。おれと剣也、それから委員長で犯人を推理する。妙な話だ。傘が盗まれたら「仕方ない」と諦めるのが常だというのに、犯人をとっ捕まえようとしているのだ。これは間違いなく、高校生になって体験した様々な厄介事が関係しているだろう。
「さて、推理しようにも、どうすればいいのかね」
腕を組んだ剣也が言った。おれは呆れてため息を吐いた。
「大見得切っといてなんだよそれは……」
「あはは……」
委員長が苦笑した。
しかし剣也の言い分もまた事実ではある。三人のうちから犯人を見つけるにしても、手がかりと言えるような材料が乏しすぎて推理のしようがない。早くも諦めかけたそのとき、唐突に今朝の記憶が掘り起こされた。……そうだ。
「推理に使えそうな情報を思い出した」
二人の視線がおれに向いた。
「実は今朝、ここで安住君と鉢合わせをしたんだ。まあ挨拶しただけなんだけどさ。で、そのとき彼は黒い傘を傘立てに差していたんだ」
「黒い傘ってことは、残っていたもう一つの傘は……」
「安住君の傘の可能性が高い。それからもう一つ。同じく今朝、廊下で麗川君を見たとき身体が濡れていたんだ」
委員長がぽんと手を打ち、
「あ、そういえばそうだったね。髪の毛とか湿ってたし、シャツも少し透けてたね」
「女子だったら最高だな」
くだらないことを言う剣也をおれは無視する。
「麗川君は傘を持ってきてなかったんだ。これはつまり、彼が犯人だという説が濃厚であることを意味している」
おれの推理ではこうだ。まず安住君が自分の黒い傘を使って帰る。続いてやってきた麗川君が委員長の傘を使ったのだ。これが一番理にかなっている。しかし剣也は首を傾げた。
「お前のその推理が正しかったとしたら、安藤さん自身の傘はどこにいったんだよ。お前は委員長の傘と黒い傘の二本しか見てないんだろ?」
「盗まれてしまっていたとか……」
「だったら安藤さんはどうやって帰ったんだ? 傘がなくなって立ち往生してるはずだ」
「そ、それは……」
おれは辺りを見回す。当然安藤さんはいない。
「身一つで帰ったんじゃないか?」
これには委員長が反論してきた。
「安藤さんのバッグはトートバッグだよ。流石にそこまではしないんじゃない? ノートとか教科書が大変なことになりそうだし」
「それも……そうか……」
つい腕を組んでしまう。違ったか。けどやっぱり犯人は麗川君だと思うんだよなあ。しかし彼が犯人だとすると、安藤さんの帰宅手段がなくなってしまう。困ったぞ。
不意に剣也が指ぱっちんをした(鳴らなかったが)。
「こういうのはどうだ? 安住と麗川は亨の言う通りの方法帰ったんだ。つまりは犯人は麗川だな。そして肝心の安藤さんが帰った方法だが……何のことはない。親に連絡して校門まで車で迎えにきてもらうんだよ。それならトートバッグでも多少濡れる程度だから問題はない」
ああなるほど。どうしてそんな簡単極まりないことに気がつかなかったのか。いや、むしろ簡単だから思いつかなかったのか。しかしすぐに委員長がその推理を否定した。
「それはないよ。確か安藤さんのご両親は和菓子屋を経営してるから、この時間帯に呼ぶのは難しいんじゃないかな」
「休業日とかじゃないのか?」
「それは木曜日だったはずだよ」
今日は火曜日だ。どうやらこの推理は違うようだ。
けれど、やはり麗川君が犯人だというのは揺るがない気がする。
「じゃあこうだ」
剣也がまた新しい案を出してきた。
「さっきの推理と同じく犯人は麗川だ。そして問題の安藤さんの帰宅方法……これも、何のことはない。ずばりだ! 安藤さんは折りたたみ傘を持っていたんだ。それで帰ったってわけだな」
そういえば、そういう道具もあったな。めったに使わないからすっかり忘れてしまっていた。小学生以来見ていない気がする。だがこれにも委員長が反論した。
「それもないよ」
「どうして?」
おれが訊いた。人が折りたたみ傘を使ったか否かが、果たしてわかるのだろうか?
「ほら、朝のホームルームで抜き打ち持ち物検査をやったでしょ? あのとき、折りたたみ傘を持ってた人はいなかったんだよね」
よく見てるな……流石はクラス委員長だ。ということは安藤さんだけではなく、同じクラスの安住君と麗川君も折りたたみ傘は持っていないということか。
ううむ。どうやらこれは、一筋縄ではいかなそうだぞ。




