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白雪姫は事件の夢を見る  作者: 赤羽 翼
狙われた傘
31/85

雨の日



 雨はあんまり好きではない。どんよりと鉛色に曇った分厚い雲を見るだけでテンションが三割りほど下がってしまうし、必然的に傘という荷物が増えるのも面倒だ。しかも傘をさしてもズボンの裾は濡れるから不快な気分になって、ただでさえ低くなっているテンションが更に下降する。うざったいものである。というか雨ってなんだよ。何で空からこんなに水滴が落ちてくんだよ。冷静に考えてみれば相当おかしいだろ。


 ねちねちと心中で雨に対する愚痴を吐き出すも、梅雨前線に支配された空にこの思いが届くことはない。梅雨とはそういうものである。雪じゃないだけましだと思うことにしよう。


 今日は七時少し過ぎから雨が降っている。昨日下校するときは雨がやんでいたから、もしかしたらと淡い期待をしていたのだが、結局は天気予報は見事に的中したというわけだ。くそっ! 未来は変わらなくたっていいから、明日の天気くらい変わってほしかったぜ。


 おれは大きなため息を吐き、谷津川高校へ続く坂を上っていく。早く雨から逃れたいので、周囲にいる生徒たちを追い越していく。


 昇降口の前で傘を閉じる。周りに人がいないのを確認した後、手首を高速に捻って傘を水滴を飛ばしてバンドで束ねた。そしてポケットから、雨天の日などでスーパーに置かれる傘を入れるビニール袋を取り出した。丸めてしまっていたのである。そのビニール袋に傘を入れた。前に傘を傘立てに差しておいたら盗まれたことがあるので、こうして教室に持っていくようにしているのだ。このおれが始めた方法はクラスで人気のようで、剣也も同じことをしているし、確か白本さんや伶門さんもやっていたはずだ。


 薄暗い昇降口に入ると、突然横から声をかけられた。


「おはよう、生野君」


 振り向くと、真っ黒な傘を傘立てに差し込む男子生徒がいた。同じクラスの安住あずみ士郎しろう君だった。


「ああ、うん。おはよう」


 曖昧な感じになってしまった。同じ中学出身だが彼とはそんなに親しいわけではないからびっくりしてしまったのだ。

 気まずい空気が流れるかと思ったが、安住君は素早く自分の下駄箱の前に移動し、靴を履き替えると廊下へと消えていった。


 何か釈然としない感があるが、まあいいか。

 


 ◇◆◇



 教室の前でクラスメイトの麗川うるわかわ秀一しゅういち君とすれ違った。安住君と違って、彼とはよく話す。いや、正確には麗川君が一方的に喋ってくると言った方が正しいのだけど。一度口を開くととまらない、マシンガンマウスを持っているのでけっこう面倒な人だ。朝のこのタイミングで捕まりたくないなあ、と思っていると、何事もなく素通りしてくれた。どこかブルーな表情を浮かべているようだったが……。


 彼の後ろ姿を確認して気がついた。髪の毛や制服がやけに濡れているのだ。推測するに雨に打たれたのだろう。そのせいでテンションががた落ちしてしまった、と。


 よく話しかけてくる人から話しかけられず、普段全然話しかけてこない人から話しかけられるとは、今日は変な日になる予感がした。


 教室に入って傘をロッカーにしまい、自分の席についた。バッグから出した教科書やらノートやらを物置スペースに放っていると、剣也が近づいてきた。


「よお亨」

「おう剣也」


 剣也はすぐさま声を潜め、


「聞いたかよ今日抜き打ち持ち物検査があるらしいぞ」

「いま学校にきたばっかなんだから聞いたわけないだろ。ってか何で抜き打ちでやることを知ってんだよ」

「暇だから職員室に聞き耳を立ててたんだ」

「何やってんだお前……」


 呆れ声が漏れ出てしまった。廊下をゆく人からしたら奇人以外の何者でもないぞ。


「にしても、何で急に持ち物検査なんて……」

「ほら、この間、隠れてトイレで煙草吸ってスプリンクラーを作動させた馬鹿な生徒がいただろ? そのせいじゃねえかな」

「なるほどな」

「大丈夫か、亨? やばいもんとか持ってないだろうな?」

「ご安心を。おれは煙草も酒も薬物も吸ってないし飲んでないしやってない。そもそもそれらをやってたとしても学校にまで持ってこねえし」

「流石は無欲の男だな」

「真っ当と言え」


 おれと剣也がそのままだらだらと話していると、教室の片隅から女子たちの笑い声が響いてきた。昨日のテレビ番組の内容で盛り上がっているようだが、そのうちの一際大きな声におれは眉をひそめた。


「なんか最近、安藤あんどうさん明るくなったよな」


 その声の主――安藤椎名(しいな)さんを見ながら呟いた。


「彼氏ができたらしいからな、上級生の。今日も一緒に登校してきたってよ」

「何で知ってるんだ?」

「だから、聞き耳立ててたんだよ。暇だったから」

「お前、ほんと何やってんだ?」


 友人の行動が少し心配になった。



 ◇◆◇



 剣也が盗み聞いた通り、ホームルームに持ち物検査があった。我がクラスでは白本さんが大量のレッドブルを所持していたり、伶門さんがノートを忘れていたことが発覚したが、特にやばいものを持ち込んでいた生徒はいなかった。


 別段おかしなことが起こることなく放課後になった。おれは剣也に日本歴史研究会の部室の掃除を手伝わされ、気がついたら五時二十分を回っていた。


 白い電灯に照らされた昇降口は寂しさを醸し出していた。


「悪いな亨。遅くまで付き合わせちまって」


 靴を履き替えながら剣也が言ってきた。


「別にいいよ。あの汚さは、流石のおれも気になってたからな」


 日本歴史研究会は部室は床が殆ど見えないくらいに書類が散らばっていて、家事好きの妹が見たら発狂しそうな部屋だった。そんな部屋によく集まれるなと思っていたら、案の定部員全員嫌だったようで、一週間持ち回りで少しずつ掃除することになったのだった。特に三科さんとかは張り切っているんじゃなかろうか。小室さんといちゃいちゃしなきゃいけないから。


 剣也と並んで昇降口を出る直前、何となく傘立てに目をやると濃緑で赤いバンドをした傘と黒色で白い柄の傘が一本ずつ隣り合わせで残っているだけであった。この雨だし、外を拠点としている運動部員たちは帰っているだろう。


 昇降口前の屋根の下でビニール傘を持ってスマホをいじっている男子生徒を尻目に傘をさし、剣也と共に雫が降り注ぐ外へと繰り出した。その十秒後、


「やべっ、スマホ部室に忘れたかも」


 ポケットを叩きながら剣也が呟いた。腕をそのままバッグの中へ伸ばし、ごそごそとあさる。


「うん、ねえわ。先帰っててくれ」


 剣也は踵を返し、昇降口へ戻っていった。

 やれやれ、とため息を吐きつつおれは校門へ向かおうと足を出した。そのとき、バッグから聞き覚えのある曲が流れてきた。『ELEMENTS(エレメンツ)』である。おかしいぞ。これは剣也のスマホのメール着信音のはずだ。取り出してみると、それは剣也のものだった。


「おれのは、どこだ?」


 バッグの中を探すけれどどこにもない。どうやら剣也の部室で入れ替わってしまったようだ。つまり剣也はおれのスマホをわざわざ取りにいったことになる。何かパシリに使ってるみたいで申し訳ない。ま、剣也だからいいか。


 剣也のスマホをポケットに突っ込んで踵を返した。昇降口に駆け込んで傘を閉じた。こうなってしまって仕方がない。剣也を待とう。


 しばらくすると剣也のスマホから電話の着信音――『Alive(アライブ) A() life(ライフ)』が流れてきた。表示されている名前は『生野亨』だ。


「もしもし、どうした亨?」

『ああ。剣也? 俺のスマホそこにある?』

「おれのスマホっていうのは、亨のスマホのことか?」

『いや剣也のスマホだ』


 何かややこしいな。


「剣也のスマホはあるねぇ。いま昇降口にいる。おれのスマホ持ってきてくれ」

『了解』


 靴を上履きに履き替えて廊下で待つ。数分後、戻ってきた剣也とお互いのスマホを交換する。


「メールが着てたぞ」


 おれの言葉を受けた剣也は素早くスマホを起動させ、メールの内容をチェックした。読むなり剣也は顔をしかめた。それだけで、誰から着たメールかわかった。


「妹さんか?」

「ああ。槍香そうかからだった。友達きてるからしばらく帰ってくんなとさ」


 槍香ちゃんとは、浅倉家の次女である。小学六年生で三姉妹の中では一番活発な子だ。しかし、長男は相変わらず嫌われているようだ。


「どうするんだ?」


 少し呆れながら尋ねると、剣也はにやりと悪い笑みを浮かべた。


「そりゃあ、帰るに決まってんだろ。あいつはいま、俺に帰ってきてほしくないんだぜ? それなら帰らないわけにはいかねえだろ? 嫌がらせだぜ、嫌がらせ! 最っ高!」


 そういうことばっかりやってるからわかり合えないのだろうに。

 おれはため息を吐き、


「そんなことすると、後から面倒くさいんじゃないか?」

「そりゃそうだけどよ……。俺は今を生きているんだ。先のことなんか知るか」

「何だ、その変に前向きな台詞……」

「けど、亨の言うこともまた事実。ここはおとなしく帰宅時間を遅らせることにするぜ」


 結局びびってんじゃねえかよ。


「あっ、お前いまびびってるじゃねえか、とか思っただろ!? ちげえからな。俺は亨の言うことに従うのであって、槍香の言葉に従うのでは断じてないぞ!」

「わかったよ」


 おれと剣也は二人して壁にもたれかかり、いつも通り雑談をすることにした。近くの大型スーパー(藤堂と再会したところ)にいこうとも考えたのだが、剣也の家とは反対方向になるのでやめた。


 剣也にせがまれて姉ちゃんの面白可愛いエピソードを話していると、黒いリュックを背負った安住君がおれたちの前を一瞥もせずに通りすぎ、下駄箱の方へ向かっていった。


 それから少しして、エナメルバッグを下げた麗川君がやってきた。下校するつもりの彼だったのだろうが、おれたちの姿を見るなり柔和な笑みを浮かべて近づいてきた。元の優男顔が更に優男になった。


「やあ生野くん。やあやあ浅倉くん。やあやあやあ二人とも」

「チャゲアスかよ」


 剣也がつっこむ。おれも同じつっこみをしようとしていたので手間がはぶけた。


「こんなところでこんな時間に二人で一体全体何をしているんだい?」


 麗川君はつっこみを無視してマイペースに訊いてきた。彼には基本的につっこみは無意味だ。

 剣也は肩をすくめた。


「妹に帰ってくんなって言われたから亨と雑談して時間を潰してるんだ」

「へぇそうなんだ。じゃあね!」

「お、おう……」


 麗川君は颯爽と下駄箱に向かっていった。


「何で話しかけてきたんだ、あいつ……」

「さあ……?」


 剣也の疑問は尤もだったが、おれも彼のことははかりかねているので何とも言えない。

 数十秒後、今度は安藤さんがやってきた。黄色いトートバッグを下げて、どこか上機嫌そうである。彼女は安住君と同様におれたちに特に反応せず下駄箱へと向かっていった。


 それ以降も剣也との雑談は続いた。そして始めてから十分くらいが経過したときだったろうか。委員長と伶門さんがやってきたのは。


「あれ? 生野と浅倉、まだ帰ってなかったのね」

「何かあったの?」


 二人が首を傾げながら尋ねてきた。おれは剣也の妹のことを話した。

 委員長は苦笑いを浮かべ、


「あはは……。浅倉くん、妹さんとは相変わらずなんだね」

「相変わらずどころか、最近より当たりが強くなってきた気がするぜ」


 苦々しく吐き捨てる剣也。 

 伶門さんが恐ろしげに肩を震わせる。


「一人っ子だからよくわからないけど、兄弟ってそんな残酷な関係性なのね……」

「いや浅倉くんのは見本にしちゃいけないと思うよ? だって生野くんは兄弟仲いいし」


 委員長の訂正に伶門さんは思い出したようにぽんと手を叩いた。


「そういえば生野のお弁当は妹さんが作ってるんだったね」


 剣也が頷き、羨ましそうな顔でおれを見る。


「姉さんが風邪をひいたら名古屋まで看病しにいくからな、こいつ」

「えー、何それ。お姉さん何歳いくつ? 大学生よね?」

「二十歳なんだぜ? 二十歳の姉を、看病だぜ? お、俺も看病してえええ。姉がほしい。というか杏さんがほしい。結婚してえ」

「お前が義兄になるのは絶対嫌だな」


 このやり取りに――というか剣也に――委員長はくすくす笑い、伶門さんはどん引きしていた。


「じゃあ、私たちもういくね。小波ちゃん、電車帰りだし、お母さんからお遣い頼まれてるみたいだし」

「あっ、そうだった! 私、電車通学だった。急がないと!」


 お遣いではなく自分の通学手段を忘れるとは。笑えるというより心配になってくるんだけど。


 二人は別れの挨拶を告げ、下駄箱へと向かっていく。その数秒後であった。委員長と伶門さんの困惑するような声が聞こえてきたのは。

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