プロローグ
人に誇れるところはどこかと訊かれたら、おれには答えようがない。成績がいいならそう言えばいいが、あいにくとおれの成績は平均的。スポーツや習い事などを昔から続けている人なら、それを答えればいい。結果が出なくとも、何かを継続するということそのものに意味がある。しかしながら、おれ……生野亨は、何を始めても長続きしなかった。いやそもそも、何かをしてみたい、という情熱が湧いたことすらなかった。
こう言うと、もの凄く怠け者のように聞こえるだろうが、別段そういうわけでもない。生野亨という人間に自己評価を下すならば「テンションが低いわけでも、ノリが悪いわけでも、空気が読めないわけでもないが、物事に対する熱意に欠ける」といった感じだろう。
周りの人たちが真剣に何かに打ち込んでいるのに、なぜおれは何もしていないのか。そう思ったことは何度かあったが、言うても両手で数えられる回数程度だ。基本的には、おれはそういう人間なんだからしょうがないじゃん、という気持ちが心の大半を占めている。残りの心で、「どこかに、おれの魂を興奮させるような、攻撃的で情熱的な何かはねーものか」、といった頭の悪いロッカーみたいなことを考えている。
おれは自分のことを別に悪いとは思わない。ただし、つくづくつまらない人間だとは、思う。せっかく今年高校に入学したというのに、そしてもうすぐ一ヶ月が経とうとしているのに、まだ何もしていなかった。けれどどうしようもない。熱意が起こらないのだから。一度だけどこかの運動部に入ろうとしたが、興味もないのにだらだらと続けるのは他の部員たちに失礼だと思って、その考えを捨ててしまったのだ。この、いちいち人に気を使ってしまうところも、おれの性格の構築に一役買っているだろう。
長々とおれのつまらない精神性を説明してきたが、ある日を境に、おれの生活に変化が訪れることになる。それは劇的な変化とはとても言えないし、人によってはだから何だよとなること請け合いである。しかし日々を平然とした心で何となく生きていたおれにとっては、この経験と、それを通じて出会った人々のことは、とても大切な時間なのだ。
なぜあの日から変わったのだろう? 二度あることは三度あるという、先人たちの教えが正しかったのか? はたまたこれは、一匹いたら三十匹はいるという、G的なものなのか……。ともかく、すべてはあの『侵入者』から始まった。