白雪姫の友人
藤堂がカウンターへ行くのと同時に剣也がバッグからノートと筆記用具を取り出した。
「何に使うんだ?」
「あのかくれんぼの当時、藤堂んちにあった家具とか、隠れられそうな場所を書き記すんだよ」
「なるほど」
と頷いて関心しつつも、ノートと筆記用具を出すなら参考書も出してテスト勉強しろよ、とも言いたくなった。思いっきりブーメランになるから言わないが。
「あいつんち、何があったっけか?」
「藤堂が戻ってきてからでいいんじゃないか?」
カウンターを見る。まだメニューとにらめっこをしていた。おれも腹が減ってきた。藤堂から一啜りとか、二啜りとか、三啜りとか貰おうかな。こんなことを考えていると腹が大きな唸り声を上げた。
「もうラーメン頼めよ」
「嫌だ。おれは響のカレーを食べるんだ」
「シスコン」
呆れた目つきでつっこまれた。おれは腹の中で暴れ回る空腹という名の魔獣を抑えるべく、お腹をさするけれど、そんなものに意味はなく獣は遠吠えを放ってくる。
クソッ! 小さく悪態をつく。ため息を吐きながら視線を腹から上げると、我が谷津川高校の制服を着た女子二人組がフードコートに入ってきた。背が低い子と背が高い子である。前者の子には見覚えがあった。向こうもおれに気づいたようで目が合う。
「あっ、生野くんと浅倉くん」
突然ふわふわした声で名前を呼ばれてびっくりしたらしい剣也が素早く振り向いた。
「おおっ、白本ちゃん」
なぜだか、剣也はニヤリと笑っているようだ。声にも「ここで会ったが百年目」という感じのにニュアンスが込められていた。何を考えてるんだか。
白本さんがとことことこちらに駆けてくると、彼女の連れの背の高い女子もゆっくりとついてきた。
白本さんはテーブルに広がっているノートと剣也が持つシャーペンを認めると、申し訳なさそうな顔になった。
「もしかしてテスト勉強中だった?」
そうだったら、よかったんだけどね。おれは苦笑いを浮かべ、
「いや、勉強じゃなくて、もっとしょうもないことをしようとしてたんだ。気にしなくていいよ」
「そ、そうなんだ。確かに勉強だとしたら、教科書も参考書もないのはおかしいもんね」
まあこのくらいは流石と言ったところか。
関心していると、背の高い女子が白本さんの肩を人差し指で突っついた。
「由姫、彼らは?」
「あっ、ごめん、なっちゃん。紹介してなかったね。こちら、クラスメイトの生野亨くんと浅倉剣也くん」
おれたちの名前を聞いた彼女は「ああ」と納得したかのような声をもらした。
「あなたたちが由姫にへんてこな相談事も持ってくるクラスメイト?」
へんてこな相談事……うん、間違いなくおれたちだ。肯定しておく。責められるのだろうかと思ったが、ただの確認だったようで、彼女は「ふぅん」と頷いただけであった。
果たして、そういう彼女は何者であるのか。白本さんは彼女を手で示した。
「この子は友達の萩原夏美ちゃん。一年D組だよ」
「よろしく」
「こちらこそ」
「ああ」
おれは萩原さんの姿をさり気なく観察してみた。目つきに研ぎ澄まされた刃を思わせる鋭さがあるが、顔立ち自体はかなり整っている。髪型はポニーテールで全体的にクールな雰囲気を纏っており、背丈は剣也(百七十二センチ)と同じくらいだろうか。脚が長く、スタイルもいいため、ファッションモデルと言われてもグラビアモデルと言われても余裕で信じられる。一言で言うならば、「凄い美人」だ。学校でも目立ちそうだし、たぶん剣也は知ってたな。
「白本さんたちはどうしてここに?」
「弟が部活の最中に骨折して、お母さんが病院に行っちゃったんだ。お父さんはまだ帰ってこないから、外食することにしたの。わたし、料理できなくって」
「弟さん、大丈夫なの?」
「うん。左腕だったから。利き腕じゃなくてよかったよ」
ならばよかった。
「萩原さんはなんでここに?」
剣也が尋ねた。萩原さんはちらりと白本さんに視線を送り、
「由姫の付き添いよ」
とクールな声音で言った。それからおれたちにやや好奇な視線を向けてくる。
「あなたたち二人は何をしてるの? ノート広げて。勉強ではないのよね?」
おれたちは苦笑する。
「いや、話すと長くなるんだけど……。まず、ゆえあって剣也が外食することになって、おれは普通に家に帰ったんだけど鍵がなくて入れなかったから暇つぶしにここにきたんだ」
「で、ちょうどそこに小二のときに引っ越した旧友と再会して話し込んでたってわけだ」
剣也がカウンターに視線をやると、二人も釣られてそちらを向いた。大男はいまだにお品書きを睨んでいる。そんなに悩むほど充実したメニューじゃないだろうに。
「それで、ノートは何に使うの?」
首を傾げながら訊いてくる白本さん。
おれは過去に藤堂と行ったかくれんぼのことを話した。萩原さんはノートをじっと見下ろすと、どこか呆れた感じのため息を吐いた。
「隠れていた可能性のある場所を書き記す、ね……。初対面で失礼なのを承知で言うけど、そんなことやるくらいならテスト勉強しなさいよ」
「ごもっともです」
頷かざるを得ない。おそらく全国の高校生を捜しても、テスト間近にこんな馬鹿げたことをやっている者はいないだろう。
「けど、白本ちゃんがきたおかげで、ゲームが面白くなってきたな」
「え? どうして?」
剣也の発言に白本さんは頭に疑問符を浮かべる。
「そりゃ、強力なライバルがいなきゃ楽しくないからさ」
「おい、白本さんをこんなことに巻き込むなよ」
思わずつっこんでしまった。いくら何でもこんなふざけた遊びに白本さんを参加させるのは忍びない。そもそも、白本さんは藤堂と何の関係もないというのに。
「ううん。ちょっと面白そうだから、わたしも参加したいよ。もちろん、その藤堂くん? が了承してくれたらでいいけど」
「え!?」
「由姫が参加するなら私も……」
白本さんだけでなく、萩原さんまでそんなことを言う始末。勉強しろよみんな! おれもだけど。
カウンターを見ると、怪訝な顔をした藤堂が戻ってくる最中であった。片手にベル(この店では、注文すると薄い直方体の装置が渡され、料理ができるとそれが鳴るのだ)を持っていることから注文したことがわかる。
「なんか、人が増えてるな。どちらさんだ? 二人の彼女か?」
「い、いや、違う」
おれは慌てて否定し、白本さんを紹介する。
「こちら、クラスメイトの白本由姫さん。さっき話した、謎を解決してくれる人だ」
「よろしくね」
ぺこりと頭を下げる白本さん。藤堂は自分の顎を撫で、愉快そうに笑った。
「ほお! 噂をすればってやつか! こちらこそ、宜しく。藤堂海翔です」
「で、お隣は白本さんの友人の萩原夏美さん。おれらもいま初めて知り合った」
「よろしく」
萩原さんはクールな声音で言った。しかし対照的に、藤堂は目を丸くしてたいそう驚いている様子である。なぜだろう。一目惚れしてしまったのだろうか?
「どうかしたのか?」
おれと同じ雰囲気を感じ取ったらしい剣也が口を開いた。
「ああ……。萩原さんって、中学のときバレー部だった?」
萩原さんは眉をひそめた。
「ええ。中学もだし、いまもバレー部よ。どうして知ってるの? 会ったことあったかしら?」
彼女的には普通に問うているのだろうが、声と雰囲気が冷たいからか責めているように聞こえる。藤堂は首を左右に振った。
「いや、俺が一方的に知ってるだけだよ。去年、一昨年と君を見てるんだ」
「ああ、そういうこと」
萩原さんは納得したようだ。白本さんも思い当たることがあるようで、何も言わない。おれと剣也だけ除け者である。
藤堂はおれたちに向き直り、
「俺は中学ではバレー部だったって、さっき話したよな?」
「割と強いとこだったんだろ?」
剣也が答える。
「ああ。男子も女子も東海大会まではいけた。その東海大会で女子の応援をしていたんだが、二大会連続でうちの女子チームは同じ学校に……いや、同じ人に負けた、と言った方が正しいかな」
「その人っていうのが、もしかして……」
おれと剣也は依然として立ったままの長身の女子を見上げた。
「なっちゃんってわけだね!」
なぜかここで白本さんが高めのテンションで言った。やっぱり声はどこかふわついていたが、彼女のここまで力強い声を聞いたのは初めてである。
ここまでの会話の中で思い出したことがあった。
「そういえば、一中の女子バレー部が凄い強いって話は聞いたよ」
「ああ、そうだそうだ」
剣也も思い出したかのように続く。
「一昨年は東海大会までいって、去年は全国のベスト8だったんだよな」
「そうなんだよ!」
白本さんがどこかキラキラした目で言った。
「なっちゃんはね、一中のバレー部をそこまで押し上げた立役者なんだよ! 一人で全部の点取ってストレート勝ちしたこともあるの! 去年の全国大会だって、セッターの子と接触して手を痛めさえしなければ絶対に勝ってたの!」
「それは、凄いね……」
「サーブもレシーブもスパイクも全部上手で、間違いなく全中学生の中で最高のプレイヤーだったんだよ!」
「由姫、それは流石に言い過ぎ」
萩原さんが小っ恥ずかしそうにたしなめた。どうやら白本さんは萩原さんのことをとても誇りに思っているらしい。白本さんはまだ続ける。
「今年の高校の県大会だってなっちゃんのおかげで谷津川高校のバレー部が優勝できたものなんだから!」
「ああ、そういやインターハイ出れるんだよな、女子バレー部」
確かにそうだった。決まった直後は学校が大層盛り上がっていた。そりゃ部活に力なんていれていない公立高校がいきなり全国大会出場なんてなったら嬉しいわな。
萩原さんが入部した直後にそんな事態になったわけだから、白本さんの言い分も存外間違ってないかもしれない。
藤堂もうんうんと頷きながら白本さんに同意した。
「中学最高のプレイヤーっていうのも、あながち誇張ではないよ。こう言ってはなんだけど、萩原さんのチームは完全にワンマンチームだったからね。攻めも守りも萩原さんが起点になっていた。その状態で全国出場間違しと言われていた俺の中学に勝ったんだから」
「そうなの!?」
思わず大声を上げてしまい、他に客がいなくてよかったと安心した。しかしそんな凄い人と同じ学校に通っているとは。我が女子バレー部も安泰だろう。
「藤堂君の中学って、私立藤岬学園?」
「そうだよ」
「そう……」
どういう理由か萩原さんの表情に緊張が表れたのが見て取れた。なんだ?
「藤岬学園戦と言ったら、なっちゃんが七回連続でサービスエースを取った去年の試合が凄かったよね!」
試合を見てないおれと剣也はどう答えればいいのかわからないので、勝手に盛り上がっている藤堂に任せることにする。
「あれは女子バレー部の主将も参ったって言ってたよ。あんなの受けられないってな。あの試合でうちのコーチは萩原さんをロックオンしたのさ」
「ロックオン?」
白本さんが首を傾げ、緊張感が張り付いていた萩原さんの表情が僅かに揺れた。
「ああ。藤岬は中高一貫で、高校もバレー部が強いんだ。何回かインターハイで優勝したこともあるくらいだからな。うちのコーチは、自分のチームを負かした相手をスカウトしたんだよ。はははははははっ。なっさけないよなあ!」
笑う藤堂であったが、白本さんの表情は驚いた顔のまま凍り付いてしまっていた。白本さんは萩原さんの方を向く。
それに耐えかねた萩原さんはため息を吐き、
「教え子の前でこんなことは言いたくないけど、あのコーチの人、何となく目がスケベそうだったのよね。だから断ってやったわ」
「確かに、そういう目で部員を見てるって話は聞いたことがあるよ。断って正解だな」
もう一度大きく笑う藤堂。だがその影で白本さんは申し訳なさそうな顔で俯き、萩原さんは白本さんの小さな肩に柔らかく手を乗せてた。
おれと剣也は顔を見合わせる。先ほどまで仲がよかった白本さんと萩原さんだが、いまはなぜだか白本さんが萩原さんに恐縮しているような気がする。そして萩原さんは気にするな、と励ましている感じか。なんだかよくわからないが、おれと剣也は示し合わせたかのように頷いた。
「さて、もう自己紹介タイムは終わろうぜ。さっさとゲームを始めようぜ。八年前、藤堂はどこに隠れていたのか、みんなで考えるんだ」
「白本さんと萩原さんも参加したいみたいなんだけど、いいよな、藤堂?」
「一向に構わない。つっても、四人もの人間がこぞって考えるほどのことじゃないぞ?」
「いいだろ別に。ほら、白本さんと萩原さんは先に注文してきなよ。後回しにしたら、いつになるかわからないからさ」
一瞬にして空気が変わったため、女子二人は困惑したようだったが、すぐに二人ともカウンターへ向かっていった。直後に藤堂の持っていたベルが鳴り、彼も二人の後を追っていく。
おれと剣也の口から安堵の息が出た。
「どうにかなったな」
「ああ。これでようやくゲームができる」
そういうことじゃねーだろうがよ。




