許されざる者【解決編2】
「本当にそいつが犯人なのか!? わけがわからないぞ。俺とそいつに接点なんて何もないってのに……」
大塚さんが頭を抱えながら言った。怒りよりも困惑の方が遥かに大きいのだろう。
的場さんが犯人だということは本人が認めたので確定している。けれど動機の一切が不明のままなのだ。
「ねぇ、白本さん。的場先輩がこんなことをした理由とかもわかる?」
おれが尋ねると、大塚さんも乞うような視線を向けた。しかし白本さんは首を左右に振った。
「そこまではわからないの。だから的場先輩、話してくれませんか? 動機を……」
白本さんがいつになく真剣な表情で言った。他の面々も的場さんを見つめる。
いままでこんな大勢の人に見つめられたことがなさそうな的場さんは、口を酸欠寸前の金魚のようにぱくぱく動かしながら涙目になっている。こりゃ話せそうにないな……。元々この人は気が強い人間ではないのだ。出会う度に卑屈なこと言う面倒な人。そんな的場さんが、一斉に責め立てられてもおかしくない状況に際し、まともな口を聞けるわけがない。
……だからこそ気になるのだ。そんな彼女がなぜ、人が一生懸命に描いた絵を踏みにじるようなことをしたのか。とても私怨とは思えない。怨みがあったら、この人ならきっと藁人形に釘を差し込んで呪いをかけるはずだ。まあ、これは冗談だけれど。
「あの、的場先輩……」
的場さんの目だけがおれを向いた。
「よっぽど身勝手なら理由じゃない限り怒らないので、話してもらえませんか?」
「…………」
「的場さん、亨もこう言ってますから」
剣也が後押しをしてくれる。そこに大塚さんも加わる。
「教えてくれよ、頼む……。このままじゃ、意味がわからなすぎて怒るに怒れない」
おれのときは凄まじい勢いで怒っていたようだったけど……。まあ、あのときは事件が明らかになってすぐだから、頭に血が上っていたのだろうが。
「なあ、どうしてなんだ? 俺、お前に何かしたか? 一体どうして絵を消されたのか、理由がまったくわからな――」
「それ、本気で言ってるんですか……?」
ついに的場さんが声を発した。その声には信じれない、というニュアンスが込められていた。
的場さんにいまにも泣きそうな目で見られながら、大塚さんは首を捻った。
「本気ってどういう――」
そこで彼ははっと息を飲み、
「ま、まさか……」
と呟いた。しかしそれは失言だったようで、慌てて右手で口を押さえた。どこか不穏なものを感じた。
「もしかして、大塚が何かやらかしたの?」
皆口さんが二人のやり取りを訝りながら言った。
的場さんはやや伏し目がちになった。
「大塚先輩が描いてたあの絵……。あれは……盗作なんです」
「と、盗作!?」
皆口さんと日高さんの大声が重なった。おれも当然驚いたし、白本さんも目を見開いていた。大塚さんは青い顔をして立ちすくんでいる。ただ、この件と関わりが薄すぎる剣也だけは暢気に欠伸をした。
「あの絵は盗作だったというんですか!? では、元は誰の絵だったんですか?」
日高さんが訊いた。的場さんは消え入りそうな小さな声で、
「菊乃……」
と呟いた。
「井上さんですか!?」
……井上菊乃さんって確か、もう一人の美術部員だよな。いまは休学中の。その彼女と的場さんには繋がりがあるのか。
「どういうことか詳しく教えてくれますか?」
白本さんが言った。的場さんは頷いて、語り始めた。
「菊乃とは中学からの友達で――」
もっと後で驚くポイントがあるのだろうが、大変な失礼なことにこの時点でびっくりしてしまった。的場さんに友達がいたのか!
そこでふと思い出した。先ほど的場さんが言っていたことだ。おれと連絡先を交換したとき、『家族以外の人間と連絡先を交換したのは二回目だなあ。最初に交換した子は最近連絡取れにくくなっちゃったから』と彼女は言っていた。その最初に交換した子こそが、井上菊乃さんだったのかもしれない。最近連絡が取れにくくなったというのは、病院に入院してしまったから、と考えれば合点がいく。
おれは的場さんの話の続きに耳を傾ける。
「菊乃は普段描いている途中の絵を他人に見せることはしなかったんだけど、私にだけは見せてくれてたの……。四年前のある日、菊乃に『完成した絵を見てほしい』って言われて美術室にいったら、昨日大塚先輩が描いた絵とそっくりの絵があって……」
四年前に既に描かれていたのなら、大塚さんが描いた絵は盗作という疑いが濃くなるだろう。彼は井上さんと同じ中学のようだし。
「けどその絵は翌日の朝、放課後遅くまでいた私以外の目に触れることなく駄目にされちゃって……」
「駄目、とは?」
皆口さんかなり口を挟んだ。
「原型がわからなくなるほど穴をいくつも開けられちゃったんです……。美術室には鍵が掛かっていなかったから、誰にでも犯行は可能で結局犯人はわからずじまいで……」
「酷いわね……」
顔をしかめる皆口さん。おれも同じ気持ちである。
「私、いまでもそのことが悔しくて……。凄くいい絵で、一度しか見れなかったけどとても好きだったんです……。そしたら二週間くらい前の美術の授業でこの部屋に入ったとき、イーゼルにページの開いたスケッチブックが置いてあって、その絵が菊乃の描いたあの絵と、少し違うところがあったけどそっくりで……。描いたのはすぐに大塚先輩だってわかった……。この学校の美術部で私たちと同じ中学なのは大塚先輩だけで、菊乃のあの絵を見ることができたのも大塚先輩だけだから……。そのとき、大塚先輩が菊乃の絵を盗作しようとしていることと、四年前の犯人が大塚先輩の可能性が高いことを知って……」
絵を破壊される前日、二人は放課後遅くまでいたわけだから、きっと大塚さんは帰宅していたのだろう。その翌日の朝に絵が壊されたとなると、彼がその絵を見る機会は犯行の直前以外にない。
大塚さんを見ると、明らかに狼狽した表情を浮かべていた。皆口さんに姉ちゃんが好きだったとカミングアウトされたときもそうだったが、この人は隠し事が下手だ。
「このことはすぐに菊乃に知らせたんだけど、あの子、大塚先輩が犯人の可能性が高いのに、それを怒りもしないで、『あの絵が表に出るなら私は嬉しい』って言って……。それ以上は何も言わなくなって……」
おそらく井上さんも的場さんと同様に気が弱く、人と争うのが苦手な人だったのだろう。
「菊乃はそう言っても、私は絶対に嫌だった……。あの絵は菊乃が描いた絵なんだから、他の誰かがそれを自分のものとしてコンクールに出すなんて耐えられなくて……。だから昨日の放課後、大塚先輩の『できた』って声を聞いたとき、その日のためにずっと考えていたトリックを使うことを決めたの……。トリックは白本さんが言ったのとまったく同じものだよ……」
的場さんの語りが終わり、美術室は沈黙に包まれていた。密室事件の犯人が明らかになったと思ったら、また別のところで起こった事件の犯人が現れたからだ。いや、まだ犯人だと決まったわけではないが、様子を見る限りそうなのだろう。
皆口さんと日高さんが大塚さんに冷たい視線を投じた。
「で、大塚。いまの話は本当なの?」
「先輩は過去に井上さんの絵を破壊し、あろうことかそれを盗作したんですか?」
「い、いや……それは、その……」
「あ、一つわかったわ。あんなに絵を描き直していたのは、記憶の中にある菊乃ちゃんの絵を思い出そうとしてたからなのね?」
「なるほど。最低です。あれですか? 井上さんが休学したから当分学校に戻ってこないと思って盗作したんですね? しかも大塚先輩は三年生なので、もうすぐ引退して美術部から去りますし」
「ち、違う! お、俺は盗作なんて、し、してない。い、井上の絵を壊したりもしてない! そいつの出鱈目だ!」
嘘くさいにもほどがある言い方であった。日高さんはため息を吐き、
「四年前に壊されたのはどんな絵か、井上さん本人に訊けばわかることですよ?」
「う、うぐっ……!」
「ただでさえ見苦しいのに、これ以上醜態を晒してどうするのよ? いま認めないなら杏さんにこのことバラすわよ?」
「すいませんでした! 絵を壊しました! 盗作もしました!」
変わり身早いな。そんなに姉ちゃんに嫌われたくないのか。
「どうしてそんなことしたんですか?」
白本さんが険しい顔で尋ねた。心なしか声に怒気が感じられた。
大塚さんは周囲の視線から逃げるように下を向いた。完全に的場さんと立場が逆転してしまった。彼はぽつりぽつりと語り始める。
「あの絵を見たとき、あまりの素晴らしさに感動したんだ。それだけならよかったんだけど、色んなコンクールで賞を貰う井上の才能を疎ましく思っちまったんだ。ようは、くだらない嫉妬ってやつだよ。……朝早くだったから校舎には人気がなくて、それで……魔が差して……」
嫉妬、か……。何にでも真剣に打ち込んだことがなく、何かに特別入れ込んだことがないおれには、いまいちよくわからない感情だったりする。
「盗作したのは……描くものが何も思いつかなかったからだ……。悩んでたときにあの絵を思い出した。日高が言った通り、ちょうど井上はいなかったし都合もよかった。けど四年前に一度見ただけだから、流石に先部までは憶えてなくて、何度も描き直したんだ」
つまり、皆口さんの指摘した通りなのか。
美術部員の先輩二人はため息を吐いた。
「元々大塚にそこまで信頼を抱いていたわけじゃないけど、かなり失望したわよ」
「同感ですね。元々下に見ていましたが、更に見下げ果てました。……というか盗作した絵を消されて、よくあんなに騒げますね。どんな神経してるんですか。私なら罪悪感とかバレるかもしれない恐怖でそんなことできませんよ」
ただでさえ辛辣だった二人の攻撃――もとい口撃が一層激しくなった。大塚さんは肩をすぼめながら二人の言葉を受けていた。それから彼は身体を的場さんの方へ向け、
「す、すまなかった……。本当にすまなかった……」
すがるような口調で言われた的場さんは困惑した表情を作った。おれは口を開く。
「謝る相手は的場先輩じゃなくて、井上さんなんじゃないですか?」
「そ、そうだな……。これから病院にいってくるよ……」
「じゃあ私もついていくわね。見張りとして」
「では、私もいきます。大塚先輩が無様に土下座する様を見たいので」
悪魔のような二人組に挟まれ、泣きそうな顔になる大塚さん。自業自得の極みだが、流石に同情を禁じ得ない。
「的場先輩も、生野くんに言うことがあるんじゃないですか?」
白本さんが的場さんに言った。その声からは優しさと険しさの両方が感じられた。
「友達のためにやったことだとしても、生野くんに迷惑をかけたのは紛れもない事実なんですから」
「そ、そうだね……。ごめん、生野……」
頭を下げて貞子のようになった的場さんに若干の恐怖を憶えつつ、気にしないでください、と言っておく。
白本さんは満足そうに頷くと、ふらりとよろめいた。
「だ、大丈夫かよ、白本ちゃん!」
剣也がびっくりして声をかける。白本さん眠そうな表情に微かに笑みを浮かべた。
「ごめん……少し、眠るね……」
そのまま倒れそうになったので、おれは慌てて彼女の身体を支えた。
◇◆◇
事件は完全に解決した。おれと剣也は眠ってしまった白本さんをアナログゲーム部の部室に運んび、その後剣也は帰宅した。美術部員の先輩三人はおれたちに美術室の鍵を託して病院へと向かった。的場さんは美術室の床にできた二つの水溜まりを清掃し、部室の鍵を託して帰っていった。一応、鍵は借りた人間が返しさなければいけない決まりなのだが……。
白本さんが起きる間、おれとは的場さんについて考えていた。今日のことで彼女の印象で少し変わったのだ。友達思いの良い人ではないか、といったようなことだ。
しばらくして白本さんが起きた。
「ふわぁ……」
彼女は欠伸をして部屋を見回した。たぶん白本さんの頭なら状況は何となく把握できているだろう。事後報告はカットしていいはずだ。
白本さんは顔を赤らめた。
「ごめん……。眠っちゃって……」
「いや、それくらい別に構わないよ」
おれは椅子に座ったまま白本さんに向き合う。
「白本さん。ありがとう、今日は本当に助かったよ」
彼女は恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。
「どういたしまして」
「……」
「……」
なぜかおれも恥ずかしくなり、二の句が言えなくなる。何とかして話題を出そう。
「そうだ。白本さんはどうしておれのことを信じてくれたの?」
あのときの状態では、どう考えてもおれが犯人だった。一応はおれが犯人なら鍵をかけるはずない、という推理があったけれど。しかし白本さんの語る理由は違った。
「だって、生野くんはそういうことやりそうにないもん。優しいからね」
また言われた。そこまで優しいだろうか? おれはそこまで自意識過剰ではないけど、少なくとも彼女の目安では、そうなのだろう。彼女はまだ語る。
「それに、生野くんはこれまでも今回みたいなことに巻き込まれてるでしょ? だったら巻き込まれてしまった人の気持ちがわかるはずだからさ。その気持ちを知ってる人が、こんな事件を起こすはずないって思ったの。ほら、わたしもけっこう、巻き込まれてるからね」
白本さんは優しく柔らかい聖母のような笑顔を浮かべた。その顔を直視するのがはばかられたことと、申しわけなさから、やや顔を逸らす。
「……うん。色々と巻き込んでごめん」
そしていまのうちに謝っておく。これからも巻き込むことになる予感がするからごめん。そしてもう一度……ありがとう。




