犯人とトリック【解決編1】
美術室には現在六人の生徒が集まっていた。おれ、白本さん、皆口さん、大塚さん、日高さん、それから事件解決に必要な証言をしてほしいらしく的場さんが白本さんに呼ばれている。
慣れない人が多いので的場さんはびくびくと震えている。いまは何をしているのかというと、剣也待ちである。白本さんに指示されてどこかへいったきりなのだ。その間におれは白本さんと共に無罪の証明をする証言を手に入れた。
大塚さんは椅子に座りながらどこか落ち着かなさそうに貧乏揺すりをしている。皆口さんもそわそわしながらあっちこっちキョロキョロしている。日高さんは漫画の単行本を読みながらも緊張しているようであった。事件の真相がもうすぐ解明されようとしているのだから当然か。しかも、皆口さんもしくは日高さんに至っては自らが犯人なのだから。
ブーンブーンと白本さんのスマホが震えた。剣也から連絡がきたようだ。
白本さんはメールを確認するとスマホをポケットにしまい、
「では、事件の説明を始めましょう」
全員の注目が彼女に集まった。
「まずは事件を整理します。昨日完成した大塚先輩のスケッチブックに描かれた水彩画が何者かの手によって水で消されているのが先ほど発見されました。しかも現場は密室だったのです。その結果、皆口先輩が美術室の鍵を借りる前、昼休みに忘れた財布を探すために鍵を借りた生野くんがその犯人として疑われることになりました」
大塚さんからの視線が怖い。しかし大丈夫だ。こっちには無罪を証明する手立てがある。
「真犯人とトリックを明らかにする前に、生野くんが犯人ではないことを立証したいと思います」
「そんなことできるの?」
皆口さんが手を挙げて言った。白本さんはこくりと頷く。
「はい。前提条件として、この部屋に水源になるものは何もありませんでした。四時限目の授業に出席した的場先輩の証言があるので、それは確かです。そうですよね、的場先輩?」
「う、うん……」
「別の人に訊けば一発でバレることだから、嘘ついてる可能性はないわよね」
皆口さんが納得する。次いで大塚さんが首を傾げた。
「けどそれがなんだってんだ?」
「ここからが重要なところなんです。さっき生野くんと日高先輩と一緒に、奇術部の部室にいって、昼休みに生野くんを勧誘した南雲先輩という女子部員に話を訊きにいきました」
そうなのだ。おれの無罪を証明してくれたのは、昼休みに廊下でゲリラ的マジックショーを行いつつおれを勧誘してきた奇術部の方だった。
「その南雲先輩は生野くんが鍵だけを持って美術室に入っていくところを目撃しているんです。この証言は日高先輩も聞いています」
「その情報がなんだってんだよ?」
大塚さんは憮然とした表情で言った。
「わかりませんか? 生野くんは鍵だけしか持っていなかったんです。そして先ほども説明しましたけど美術室に水はありません。これらを総合すると、水を持ち込んでいない生野くんに犯行は不可能ってことになります」
淡々と推理を述べる白本さんが普段のイメージと違いすぎるのか、美術部の三人は呆気にとられた様子であった。
「お、おお……。なるほど、わかった。とりあえず生野は犯人じゃなかったんだな。じゃあ犯人は誰……?」
大塚さんは唖然としたがら言った。
白本さんは容疑者についての説明をした。犯行が行われたタイミングから考えて、犯人は大塚さんの作品をコンクールに出させないことを目的としていると思われること。つまり犯人はその絵が完成したことと、それがコンクールに出展される予定であることを知っている人間だということ。その人数はかなり限られること。
これらを聞いた美術部の三人が混乱し出した。
「え、ち、ちょっと待って! その条件に当てはまるのって私たち三人と我妻先生だけじゃん!」
「我妻先生は犯人じゃありません。四時限目が終わった直後に早退しています。犯人は生野くんが美術室を出て以降に犯行を行ったはずですから、我妻先生が犯人であることはありえません」
「ということは、私たち三人の中に犯人がいるってことなんですね」
「三人って俺を入れるなよ! こっちは被害者だぞ!?」
「わかりませんよ。何かのっぴきならない事情が生じたので、自作自演をしたのかもしれませんから」
そういう考え方もできるのか。
「あっ、そういう考え方もできるわね」
「できねえよ! そんなことする意味がねえだろ!?」
「だから何らかの事情があったんでしょう」
「なんで俺が犯人で確定みたいな言い草なんだよ!」
「そりゃ、皆口さんと大塚先輩なら、皆口さんを信じますよ」
「私もエリと大塚ならエリを信じるかな」
「お、お前ら……! ふざけやがって! さてはお前ら二人の共謀だな!?」
「はあ!? そんなわけないじゃない!」
「うるさい! お前らのどっちかが犯人なのはわかってるんだぞ! 俺は自作自演なんてしてないんだからな!」
「なんですってぇ!?」
「私は絶対してませんし、皆口さんもきっとやっていません。そもそも、私も皆口さんも大塚先輩の絵に興味ないんですから。コンクールにも勝手に出せ、って話ですよ」
「そうだそうだ! こっちは動機皆無なのよ!」
「そうは言っても腹の中ではどう思ってるのかわからないだろ!?」
バチバチと火花を散らす三人。おれも白本さんもとめようとタイミングを見計らっていたのだが、それが一向に訪れず現在に至る。三人の視線が一斉に白本さんに注がれた。
「白本、犯人は誰だ!?」
「由姫ちゃん、犯人は誰!?」
「白本さん、犯人は誰なんですか?」
おれも混ざることにする。
「白本さん、犯人は誰?」
その場の全員の視線を一身に受け、白本さんはゆっくりと口を開いた。
「犯人は――」
密室を作り、スケッチブックに描かれた水彩画を消した人物は、果たしてこの三人のうち――
「的場先輩です」
……………………は?
部屋の時間がとまったかのようだった。それはまるで、一生懸命並べていたドミノを盛大に倒されたときのような、そんな衝撃だった。言い争っていた三人はみな、ぽかんと口を開けて固まってしまっている。おれも白本さんの口から出てきた名前が予想外すぎて茫然自失の状態であった。
「え、ええっと……白本さん? 犯人は誰だって?」
何かの冗談か、もしくは聞き間違いかと思い、つい訊いてしまった。
「犯人は的場先輩、だよ」
彼女の口から出たのはさっきと同じ名前だった。やはり冗談でも聞き違いなどではないようだ。
視線が白本さんから的場さんに一斉に移行した。気の弱い彼女は縮こまるようにして半歩後ずさる。
「ち、ちょっと待って! 犯人は私たち三人の誰かじゃないの!?」
皆口さんが困惑した声を出した。
「私は一度も先輩たちの中に犯人がいるとは言っていません。あくまでも、大塚先輩の絵の事情諸々を知っている人の中に犯人がいる、と言っていただけです」
「ですがそれって、彼女には当てはまらないんじゃないですか?」
日高さんが的場さんを見ながら言った。声音から混乱しているのがわかった。
白本さんは、いいえ、と首を左右に振り、
「的場先輩も知っていたはずです。的場先輩は毎日下校時間ぎりぎりまで隣のアナログゲーム部で活動していたそうです。それならば昨日聞いたはずなんです」
聞いていた……? あっ、そういうことか!
「大塚先輩の叫び声をだね?」
白本さんは頷いてくれた。確か大塚さんは絵が完成した直後に「できたぁぁぁぁぁ!」と叫んだのだ。美術室とアナログゲーム部を仕切っている壁は薄いので、大きな音はお互いの部屋に丸聞こえなのである。
そして、一つ思いついたことがあった。剣也に皆口さんと日高さん、どちらを疑っているのか訊かれたとき、二人とも怪しいと答えた。そのときに皆口さんが怪しんだ根拠は『毎日鍵を借りているから、変装などをして鍵を借りようとしてもバレかねない。だからトリックを使ったのかもしれない』というものだった。これは的場さんにも言えるのだ。彼女は影は薄いが、対面すると独特すぎる雰囲気を持っている。それは髪型や眼鏡などでは隠せないだろう。
「この美術室を密室のままに犯行をすることができたのは、的場さん一人だけです」
「じ、じゃあ、そいつが犯人だとしたら、どうやってその密室を作ったっていうんだ?」
開かされた名前にいまだに納得できていないのか、大塚さんが白本さんに訊く。
白本さんは依然として不快な色に染まっている水溜まりに目を向けた。
「まず、わたしが最初におかしいと思ったのは、水溜まりに浸っていたスケッチブックの状態です。問題になっている水彩画は水溜まりを下にして、床と接地していたんですよね?」
美術部員三人は頷いた。皆口さんが首を捻り、
「けど、それがどうかしたの?」
「凄く重要ですよ。例えば、皆口先輩が床にある水彩画を水に消す場合どうしますか?」
「え? 床にあるんなら水をかけるけど?」
「どうかけますか?」
「ペットボトルかなんかでドボドボと」
「お二人はどうですか?」
大塚さんも日高さんも皆口さんに同意した。ついでにもおれもそうする。
「そうですよね。普通はそうすると思います。じゃあその場合、絵は床と天井、どちらを向いていますか?」
「そりゃ、天井でしょ」
「じゃあ大塚先輩の絵は床と天井、どちらを向いていましたか?」
「床……。あれ? おかしくない?」
「はい、おかしいんです。絵が床に面しているということはつまり、犯人は先に水溜まりを作っておいて絵をそこに浸した、または絵を床に接地させておいてそこに水を流し込んだ、このどちらかをやったことになります。幾分か不自然ですよね? 上から水をかけた方が簡単なのに。けれどそうしなかったのには、かならず必然性があると考えました」
ここで日高さんから手が挙がった。
「偶然そうなった可能性もあるのでは? 例えば、持ち込んだ水を零してしまったとか」
「それはとても低い可能性ですよ。まさかバケツに水を入れて持ち込むとは思えませんから、十中八九容器に使ったのはペットボトルです。それならばキャップがついているはずですから零すことはまずないでしょう。仮に零したとしたら、大きく跳ねた水滴が水溜まりの周囲にあってもいいのに、それらは見当たりません」
日高さんが水溜まりに視線を投じる。
「確かに……。じゃあその必然性というのはどいうものなんですか?」
「トリックを使うのに、こうせざるを得なかったんです。的場先輩の行動を順序立てて説明しながら実演していきましょう」
白本さんは事件前スケッチブックが乗っかっていたイーゼルを持って、右に四歩ほど動かした。その上にスケッチブックを置いた。まだ乾ききっていない問題ページが表になっている。
「まず的場先輩は四時限目の授業中、他の生徒たちが会話や絵に気を取られている隙にこのスケッチブックの消したい絵を裏にしました」
白本さんはスケッチブックを裏返し、
「そして、この螺旋状の金具をアナログゲーム部との間仕切り壁側へ向けます」
白本さんは自分の言葉に従ってスケッチブックを動かす。それからポケットから一本の長い糸を取り出した。
「そしてこの糸を……」
金具部分に通すとそのまま折り返して二重にし、間仕切り壁と床の隙間に差し込んだ。そうだった。この壁は工事の杜撰さか何かの理由で床と壁に数ミリの隙間があるのだった。
「こうして、犯行の準備をしておいたんです。的場先輩はご自身の影が薄いことを自覚しているらしいので、きっと見られない、という自信があったのだと思います。……どうしてそれなら授業中に水彩画を駄目にしなかったのか、って顔をしていますね皆口先輩。おそらく見られない自信はあったけれど、仮に見られたときのリスクを無視できなかったんだと思います。わたしがいまやったことは傍目には何をやっているのかわからないでしょうし、そのまま無視してくれる可能性も十分あります。けれど紙を破ったり、穴を開けたりといった行為は見られたら即アウトですからね」
白本さんが実演した行動は一挙手一投足が滑らかに進めばそこまで時間がかかるものではない。十数秒ほどで済んだだろう。誰にも見られずに完遂することは可能だと思えた。
的場さんを見る。縮こまりながら硬直していた。
白本さんはふわふわした、だが心なしか毅然さも感じ取れる声音で話を続ける。
「次に犯行の準備の第二段階ですね。犯行の時間が放課後だとその最中に美術部員がやってきてしまうという可能性を加味して、昼休みのうちにアナログゲーム部の鍵を借りたんです。その鍵はいまだに返却されていないようですから、いまも持っているのでしょう」
おれは貸し出し名簿を思い出した。おれの一つ前に書かれた的場さんの名前の横には、返却済のマークがなかった。
「それから犯行時刻は五時限目終了後の休み時間です。これは推定ですけど」
「どうして昼休みじゃないの?」
おれは訊いた。
「奇術部のマジックショーの影響で廊下に人が多かったみたいだからね。美術部に窓はないけど、アナログゲーム部の部室にはカーテンのない窓があるから、誰かに犯行の一部始終を見られかねないと判断したはずだよ。奇術部がいなくなった後も、そもそも昼休みは一通りが多いから、犯行を渋ったと思う」
「なるほど……」
的場さんを見る。依然として硬直していた。
「次は最後の仕上げ、トリックの決行です。十分の休み時間の間に、昼休みに借りておいた鍵でアナログゲーム部の部室へ入ります。四時限目の授業中に間仕切り壁と床の隙間から差し込んでおいた糸を引き……」
すると白本さんの言葉に従って、スケッチブックの金具部分に通っていた糸がゆっくりと引かれた。スケッチブックは標的の水彩画を下にした状態で床に落ちた。
突然の現象に美術部の三人が呆気に取られたのか動かなくなった。たぶん向こうで剣也が動かしているのだろう。
「続いて、スケッチブックがどこに落ちたのかを具体的に知る必要があります。的場先輩がどうやってその行程を行ったのかはわからないので、今回は針金を使いたいと思います」
隙間から一本の針金が伸びてきた。その針金は糸に沿って真っ直ぐ進み、スケッチブックにぶつかった。なるほど、これで壁との尺がわかるのか。
針金が引っ込むと糸が引っ張られ、スケッチブックはずるずると間仕切り壁に近づいていく。やがてスケッチブックは壁とイーゼル、ちょうど中間くらいの位置で停止した。
「糸は折り返して二重になっていますから、片方を引けば回収できます」
糸がするすると、スケッチブックの金具から抜けていった。
「そして肝心の水です。まず隙間の手前に下敷きを斜めにして設置します。そこにペットボトルに入れておいた水を注げば、下敷きが滑り台になって勢いよく水が流れるんです」
白本さんのその言葉は言霊でも持っているかのように現実となった。壁の隙間から水がちょろちょろと流れ出て、スケッチブックの底をあっという間に水没させた。新しく作られた水溜まりが徐々に溶けた絵の具に染まっていく。
「以上が的場先輩が使ったトリックです」
場が静まり返ってしまった。予想外と驚愕が入り乱れすぎていて、みんな反応に困っているようだ。
代表しておれが口を開く。
「……白本さんはいつ、的場先輩が怪しいと思ったの?」
「怪しいとは思ってなかったよ。犯人とトリックがわかったのは夢の中で考えたからだから。事実と事実を接合した結果、浮かび上がったのがこの答えだったの。……ただ、怪しいじゃなくて、おかしいとは思ったかな」
まあ、的場さんはおかしな人だしね。
「アナログゲーム部の部室が」
あっ、的場さんのことじゃないのね。
「部室、どこか変だった?」
「変というか、気になったんだよね。事件でできた水溜まり、間仕切り壁まで浸食してるよね?」
「うん」
「壁には隙間があるから、てっきりアナログゲーム部にも少量の水が届いていると思ったんだけど、そうはなっていなかった。的場先輩が拭いたのかもしれないと思って、『部室にいて気づいたことはありませんでしたか?』と訊いたけど、水のことは答えなかった……」
そういえば白本さんは、部室に入ったとき床を注視していた。あれは埃が気になったんじゃなくて、間仕切り壁から漏れ出る水を探していたのか。
「でも、壁にもある程度の厚みがあるから、その途中で水がとまっただけかもしれない、って思って自己完結したんだけど、それが心の中でちょっと気になってたんだと思う」
「あの、ちょっといいですか?」
日高さんが遠慮がちに手を挙げた。
「トリックの実現は可能だということはわかりましたけど……的場さんが犯人だという証拠とかはあるのですか?」
「バッグの中に空のペットボトルが入っているかもしれません」
白本さんの言葉に、全員の視線が的場さんの足元にあるバッグに注がれた。
「ちょっと失礼しますね」
おれは的場さんに断って、バッグのファスナーを開けた。中を漁るとお茶のラベルが貼られた空のペットボトルが出てきた。そしてその底には透明な液体が少量だが残留していた。水だろう。飲み水の容器として使用していたとも考えられるけれど、それなら普通ラベルは剥がす。水で洗ったとも考えにくい。それをわざわざ学校でやる必要がない。
「それの他にもう一つ、浅倉くんに証拠を押さえてもらってます」
「剣也に?」
「浅倉って誰?」
剣也を知らない皆口さんが呟いた。あいつのことは美術部員には話していなかった。
引き戸ががらりと開き、剣也が現れた。手に雑巾を手にしている。あれは確かアナログゲーム部の掃除用具入れに入ってるものだ。
「ほれ、白本ちゃん」
白本さんは剣也の放り投げた雑巾をキャッチし、全体を満遍なく撫でた。満足そうに頷く。
「いまのトリックを使うとどうしても隙間の前の部分が水で濡れちゃうから、きっと雑巾で拭いたと思ったんだ。生野くんも触ってみて」
雑巾を手渡された。
「一部分だけ湿ってるのがわかるでしょ?」
おれは雑巾のあちこちを触っていると、確かに一部だけ湿った感触があるのに気づいた。若干乾き初めているが、明らかに他の箇所と感触が違う。おれはそれを皆口さんに渡し、それは美術部員にリレーされていった。
「ちなみに、掃除のために濡らしたということは絶対にないです。アナログゲーム部の床やテーブルには埃が散乱していましたから。それに掃除なら雑巾全体を水に浸けるはずですからね」
なるほど。確かにこれなら証拠として有効そうだ。
おれはまだ硬直している的場さんの方を向いた。
「で、的場先輩。どうなんですか? やったんですか?」
いつも通りの口調で訊いた。責めるような口調ではこの人は怖がって認めそうにない。そもそもおれはそこまで怒っていない。
的場さんはおれの問いにゆっくりと頷いた。




