誰が犯人か?
おれと白本さんは廊下に出た。アナログゲーム部へは数歩で着くが、訊きたいことがあったので立ち止まる。
「ねぇ、白本さん。おれから的場先輩に話を訊こうか? と言っておいてなんだけど、それって意味あるのかな?」
「どういうこと?」
「だって、二年生が美術の授業をしたのは四時限目で、おれが美術室に入ったのは昼休みだよ? 昼休みに何もなかったってことは四時限目にも何もなかった、ってことなんじゃない?」
犯人はおれの退室以降に侵入したのであって、おれの入室以前のことを調べても意味はないだろう。
白本さんは眠たそうに前のめりになりつつ答えてくれた。
「そうかもだけど、授業中に大塚先輩のスケッチブックに興味を持った人がいなかったか、ってことは重要だと思う」
「そっか。容疑者が出てくるわけだからね。……そういえば、容疑者って絞れてるの?」
白本さんは重く頷いた。やや声を落とし、
「うん。いまある情報から推察すると、かなり絞り込めてるよ」
「それって……」
おれは反射的に美術室を見てしまった。
「コンクールに出展するつもりだった絵が完成直後に――正確にはまだ模写する作業があったけど――誰かに水で消されてしまった。これは流石に無視できない偶然だと思う」
「まあ、タイミング的に考えれば大塚先輩の作品をコンクールに出展させないためにやった、としか思えないもんね」
「そうなんだよね。……これはつまり、昨日大塚先輩がコンクールに出す絵を完成させた、ということを知っている人が犯人の可能性が高い」
ということは容疑者は皆口さん、日高さん、我妻先生の三人か……。ただ、的場さんへの聞き込みで誰かが浮上するかもしれない。白本さんが眠ってしまう前に的場さんに話を訊かなくては。
素早くアナログゲーム部に移動して引き戸を開けた。テーブルに広げたトランプで何かをしていたらしい的場さんの肩がびっくりしたように震えた。
「う、生野……」
「どうも。何やってました?」
「え、独り神経衰弱だけど……」
「…………」
もう何も言うまい。白本さんは唖然とした表情になっていたが。一時でも眠気を忘れてくれたのなら幸いだ。
おれは手短に白本さんと的場さんを交互に紹介した。
「それで、的場さんに訊きたいことがあったんです。実はおれ、いま危機的状況に陥っているんですけど――」
「知ってるよ……。聞こえてたから……」
的場さんは間仕切り壁に視線を向けた。そうか。割と大きく喋ってたからな。しかしそれなら話は早い。おかげで白本さんが眠りに落ちるまでの時間を削減できた。
「白本さん」
おれは白本さんに振り向いた。彼女は物珍しそうに部室を眺めていた。特に床が気になっている様子だ。
「白本さん、何やってるの?」
「え? あ、ごめん。ちょっと床の埃が気になっちゃって」
「埃?」
確かに床に細かい埃が散っているのが少し目障りな感じがする。長テーブルの上にも、的場さんが座っている位置以外の箇所に埃があった。おれの容疑が晴れたら掃除しよう。
「こんなこと気にしてる場合じゃないね。えっと、的場先輩に訊きたいことがあるんです」
「な、何……?」
白本さんの真剣な表情に的場さんはびくびくと緊張している様子だ。
「四時限目の授業で美術室を使ったんですよね? 何か変わったことはありませんでしたか?」
「べ、別に何もないけど……」
「イーゼルにあったスケッチブックに誰かが注目したりはしてませんでした?」
「う、うん……。みんな仲良しグループで集まってわいわい喋りながら話してただけだよ……。まあ、私は影が薄くて友達もいないから、独りで寂しく生野が忘れていった財布を描いてたよ」
おれの財布は役に立ったようだ。的場さんはじめじめした愚痴を続ける。
「私ってほんと影薄いんだよね……。そのせいでこの部の影も薄いし……。毎日下校時間ギリギリまで活動してるのに。どれもこれも、私の影が薄いせい……。小学校の卒業式の集合写真では忘れられちゃったし、中学の修学旅行ではトイレにいっていたらグラウンドからバスが消えてた……。最近では自動ドアも反応してくれなくて手動ドアになるし……。だから決めたの。私はこの影の薄さを自慢にするって……」
ネガティブな方向にポジティブすぎる。確かにこの人は影が薄い。向かい合うと独特すぎる雰囲気を感じ取れるが、複数の人間に紛れると影そのものになる。
「じ、じゃあ、美術室で水とか使いましたか?」
「使わなかったよ……。水彩画がじゃなかったし……」
「そうですか。では、的場先輩は今日いつ頃この部室にこられました?」
ネガティブなオーラを振り払い白本さんが眠たそうな訊く。
「ホームルームが終わってすぐだけど……」
「では、ここにいて気づいたことはありますか? 音を聞いたとか」
「別に何も……」
「そうですか……」
眠気に耐えかねたのか白本さんが近場にあった椅子に腰を下ろした。
「だ、大丈夫なの、この子……」
的場さんがびくびくしながら言った。
「はい。大丈夫だと思います。……白本さん、無理しなくてもいいから寝なよ。情報が足りなかったら起きてからまた調べればいいし、何なら寝てる間におれが白本さんが欲しい情報を集めておくから」
「うん……。ありがとう。それなら――」
言伝を預かる直前、引き戸が開き、
「亨、的場さん、暇だから遊びにきたぜ」
剣也が入ってきた。なぜこのタイミングでくる?
剣也はいまにもテーブルに突っ伏しそうな白本さんに目をとめると、驚いたように目を見開いた。
「あれ、何で白本ちゃんがいるんだ?」
「浅倉、いらっしゃい……」
的場さんが微笑み(やっぱり怖い)を浮かべて言った。剣也は何回かこの部に遊びにきていたりするのである。
「どもども的場さん。で、どういう状況?」
「えっとだな――」
白本さんが眠ってしまわぬうちに手早く現在おれが置かれている状況を説明した。
聞き終えた剣也は、はあ、と呆れ混じりのため息を吐き出した。
「高校入ってから変なことに巻き込まれまくってんな、お前……」
「自覚してるよ。……それで、白本さん。何を調べて欲しい?」
白本さんは完全にテーブルに突っ伏しつつ、
「教師……特に我妻先生が美術室の鍵を持っていっていないかってことと……それから、鍵の貸し出し名簿の写メを見たいかな……」
「わかったよ」
「じゃあ、調べ終わって、十五分くらい経ったら起こして……」
そう言って白本さんは寝息を立て始めた。的場さんが困惑する。
「え、え!? 寝たの、この子……?」
「はい。そういうことなんで、よろしくお願いします」
依然として困惑したままの的場さんを放置して、おれは廊下に出た。職員室へ向かう。
「容疑者とか絞れてんのか?」
ついてきた剣也が訊いてきた。手伝ってくれるらしい。ありがたいことである。
おれは歩きながらいままで手に入れた情報を話した。
「なるほどなあ。犯人は白本さんと大塚先輩とやら以外の美術部員の二人と我妻とかっていう先生なんだな。かなり絞れてんじゃねえか。こりゃ案外楽なんじゃねえか?」
「いや、肝心の密室の謎がさっぱりわからないだろ」
「密室か……。俺の部室での密室はかなりしょうもなかったけど、今回はどうなのかね。仮説とかあるのか?」
「思いつきもしない。おれ以降に鍵を借りた人がいなかったとしたら、鍵を使わずに室内に侵入したことになるけど……そんな方法ないだろ?」
「うーん……窓とかも施錠されてたんだよな?」
「ああ。換気扇とかはあったけど窓側だから推理小説でありそうな、換気扇の隙間に糸を通して云々は使えない。窓と引き戸以外に外部へ行き来できる場所はない。というかそもそも、絵を消すのに窓から侵入したりしないと思うぞ。二階だから梯子とかロープが必要になるんだし」
「それもそうだな。……ん? 待てよ。亨の言う通り、絵を消すのに梯子やらロープを使うのは変だ。大掛かりすぎる。だったら、絵を消すのに密室トリックを使うのも変だろ。変装して偽名を貸し出し名簿に書けばいいんだし」
言われて、確かに、と思う。しかし反論はすぐに浮かんだ。
「日本歴史研究会みたいに、部室にしか使われてない部屋ならその方法でもいいかもしれないけど、美術部は美術室だ。授業にも使われる部屋だから、長く学校にいる美術部員ならともかく、普段見ない生徒が借りるとなると警戒される。それを嫌ったのかもしれない。実際おれも昼間に鍵を借りるとき理由を訊かれたよ」
「なるほど」
「もしくは、美術室の鍵は教師か美術部の部長にしか貸し出されない、って思ってたのかもしれない」
「うーん……それは、あるっちゃあるかもな。まあ、鍵を使わなかった理由はそれらでいいとして、じゃあ何で密室にしたのかね?」
それは謎だ。おれに罪を擦りつけたかったからか? いや、おれが美術室にいったのは偶然なのでこれは違う。ではなぜだ?
いくら考えても答えは出そうにないので、おれは自分の仕事に専念することにした。
◇◆◇
「あの~、ちっとばかし訊きたいことがあるんでやすが、構わないでござんしょうか?」
職員室にて剣也が女性教諭を捕まえて話を切り出した。だからもっと真面目な口調で訊けよ。
「どうしたの?」
変なものを見る目で剣也を見つつ先生が返してきた。おれが口を開く。
「あの、昼休み以降に美術室の鍵を持っていった先生とかっています?」
やはりというか、先生は眉をひそめた。だがこれは前回の密室事件で経験済みだ。
おれは声を落として、深刻な声を作った。
「ちょっと色々ありまして……。とにかく知りたいんです。お願いします。おれの明日がかかってるんです」
嘘ではない。
先生は不審がりながらも貸し出し名簿を開いた。一応は教師もそれに名前を書かなければいけないことになっているのである。
「いないわね。昼休みに生野亨って男子が借りてるのと――」
剣也が吹き出した。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないです」
おれの名前が完全に間違われている。訂正するのも面倒だが。
「それからさっき美術部の部長の子が借りてっただけね」
「それに記入せずに持っていった方とかいませんか?」
「いないでしょ。目立つし」
「そうですか……。じゃあ、それ見せてもらっていいですか?」
「貸し出し名簿を?」
首肯する。先生は怪訝そうな顔で貸し出し名簿を手渡してくれた。おれは更にそれを剣也に渡し、素早くスマホを取り出した。今日のページの部分にカメラを合わせる。
奥道美善 12時5分 生徒会室 返却済
的場凪子 12時20分 部室部屋④
生野亨 12時26分 美術室 返却済
纐纈彩音 12時30分 部室部屋⑧ 返却済
名簿にはまだ名前が続いていたが、おれは自分の名前を恨めしく睨んだ。あのとき財布を探しにいかなければこんなことにはなっていなかったのに……。後悔しつつそのページを写真に収めた。
剣也が名簿を閉じ、先生に返した。先生は明らかに怪しみながら受け取った。当然だ。しかしまだ怪しいことをしなければならない。
「あの、我妻先生ってどちらにいますか?」
先ほどから辺りを探しているがいないのである。
「我妻先生なら四時限目を終えてすぐ、体調が悪くなって早退なされたわ。我妻先生がどうかしたの? というか美術室で何かあったの?」
「まあ、色々と」
「というかあなたたち前にも似たようなこと訊いてこなかった?」
「ありがとうございました」
追及を無視しておれと剣也はそそくさと職員室を後にした。
白本さんからは頼まれていなかったが、念のため事務室でマスターキーの所在について尋ねてみた。結局は誰も借りていなかった。
アナログゲーム部への帰り道、剣也と今回得た情報を考察する。
「とりあえず、いまの聞き込みでけっこう重要なことがわかったよな」
にやりと笑う剣也。こいつも気づいているらしい。おれは頷き、
「ああ。少なくとも我妻先生は犯人じゃない」
「四時限目が終わってすぐ帰ってるんだもんな。犯行が行われたのは亨が美術室の鍵を返して以降になるわけだから、その時間学校にいなかった先生には不可能ってわけだな」
これで最有力容疑者の一人が消えた。
「残りは二人、か……。皆口先輩と日高先輩。個人的にはどっちも犯人であってほしくないんだよな」
「何でだ?」
「皆口先輩は姉ちゃんのこと凄い慕ってくれてるみたいでおれのことを庇ってくれたし、日高先輩は漫画研究会によく出入りしてるらしいからカミハラと知り合いかもしれないんだ」
「友達の知り合いが犯人なのは忍びないってわけか。けどそうも言ってられんだろ。お前の罪を晴らすには真犯人を暴くしかないんだから」
「まあ、な……」
それに苦労して描いた絵を台無しにされた大塚さんのことも考えるといたたまれない。
「ぶっちゃけ、亨は二人のうちどっちが犯人だと思ってんだ?」
「ぶっちゃけると……日高先輩だ」
「ははん。わかったぞ。犯人だったら疑われているお前を庇うわけねえからな」
「そういうことだ。……けど、皆口先輩も怪しいところがあるんだよ。さっき『どうして犯人は変装して偽名を使って鍵を借りなかったのか』って話をしただろ? 実はその理由をもう一つ付け加えられるんだ」
「どんな?」
「犯人がこれまで何度も鍵を借りていて、教師に顔を憶えられているっていう可能性だ。それなら少し変装したくらいじゃバレかねないだろ?」
「確かに。むしろさっき聞いた理由より、そっちの方がしっくりくるくらいだ」
「皆口先輩はいつも美術室の鍵を借りているみたいだから、教師に顔を憶えられていてもまったくおかしくない。だから何らかのトリックを使ったのかもしれない」
おれが推論を述べると剣也が関心したように息を吐いた。
「亨さん亨さん。お前、推理力上がってね?」
「色々と巻き込まれてるからな」
おれは考える。犯人は一体全体、何が許せなかったのだろうか? 密室トリックなどという手口を取ってまで犯行に及んだのだから、余程の理由があったはずだ。それら何だったのだろうか。大塚さんがコンクールに作品を出展することか? それとも大塚さんそのものか?
答えは出るわけもなかった。
◇◆◇
おれと剣也が職員室で調査してから十五分が経過した。おれは白本さんをゆすって起こすと、結果報告を行った。
「生野くん、浅倉くんありがとう。夢の中で出た結論の裏付けとしてほしかった情報が得られたよ」
「ってことは犯人がわかったの?」
「うん」
流石は白本さんである。
「浅倉くん、ちょっと……」
白本さんが剣也を手招きした。不思議そうな顔をする剣也に、白本さんは耳元で何かを言った。
剣也は首を捻り、
「何でそんなものを?」
「必要なものだから。後でメールで詳しい説明をするね」
「ふぅん。ま、白本ちゃんがそう言うなら、そうするか」
剣也は部室から走り去っていった。白本さんは何を頼んだのだろう?
白本さんはスマホを取り出し何者かに電話をかけた。
「誰に連絡するの?」
「我妻先生」
すぐに電話に出たようで、白本さんが低姿勢で質問した。
「あの昨日の大塚先輩の絵のことについてなんけど――」
質問の内容は大塚先輩のコンクールに出す絵が完成したことを誰かに話したか、ということだった。答えは「話していない」であった。
「生野くんいこう」
「美術室だね?」
袖口を小さく引っ張る白本さんに言う。しかし彼女は首を左右に振った。
「その前に生野くんの疑いを完全に晴らした方がいい思う」
「え、そんなことできるの?」
「わからない。証人が下校しちゃってるかもしれないから」
証人なんているのか。目まぐるしく動く事態に付いてこれていない的場さんに構わずおれたちは廊下に出た。白本さんはそのまま美術室の引き戸に手をかける。
「一応、証人から偽りのない証言を得たことの証人として、美術部の方についてきてもらおう」
おれに都合のいい証言が出て、買収したんじゃないかと言いがかりをつけられたらたまったものではないからか。
白本さんは美術室で公平そうな日高さんを呼び出した。