真犯人を暴け
「ちょっと待ってくださいよ! 意味がわかりません。おれはそんなスケッチブックのことなんて、知りませんよ」
いきなり突きつけられた罪におれはたじろぎながらも抵抗する。しかし天パさんは聞く耳を持たなかった。
「とぼけても無駄だ! お前が犯人だというのは間違いないんだ! お前以外に、俺の水彩画をこんな目に合わせることができた人間はいないのだからな!」
自信と怒りに満ちた声であった。
「ど、どういうことですか……?」
「……いいだろう、教えてやる。簡単に言えば、この美術室が密室だったからだよ」
「密室……って、鍵が掛かってたってことですか?」
「ああ。窓も引き戸だ」
わからない。それで、どうしておれが犯人に……そういうことか。いまのいままで、唐突に疑われたので現実感が伴っていなかったのだが、疑われるに足る理由に思い当たることがあり、心が不安に引きずり込まれた。
天パさんは続ける。
「お前、昼休みにこの部屋の鍵を借りているだろ?」
「はい……」
おれは授業で財布を忘れたので、昼休みに美術室へやってきたことを話した。緊張を紛らわすためにも奇術部に勧誘され、最終的に部活の先輩が運よく拾ってくれたので、先ほど受け取った、という愉快な情報も混ぜておく。
「そんなことはどうでもいい。鍵を借りたという事実があるならな。……そして、ここが大事だ。お前が鍵を返してから――」
眼鏡をかけた女子生徒を指差し、
「さっきそこの皆口が鍵を借りるまで誰も鍵を借りてないんだよ! 俺らがここにきたときには、もう既にスケッチブックが水溜まりに浸っていた! つまりだ! 一番最後に美術室に入ったお前にしか、犯行は不可能なんだよ!」
おれが昼休みに美術室に入る前に犯行が行われていた可能性があるじゃないか。それならおれの前にこの部屋に入った人間が犯人だ! と言おうとしてやめた。昼休みに見た限り、スケッチブックは床に落ちてなどいなかったからだ。真剣に観察したわけではないが、それくらいならぱっと見でわかっただろう。
「なぜこんなことをしたんだ。俺にどういう恨みがあるんだ!」
「何も恨みなんてありませんよ! おれはそんなことしていません。本当です! 信じてください!」
「うるさい! 『お前は謹慎だ!』とか言ってほしいのか!? そんなネタに乗るか! こんなときにふざけやがって!」
「い、いえ、別にふざけて言ったわけじゃありませんよ! 自然と口から出ただけです。というかそっちが拾わなければよかっただけでしょう!」
「そんなことはどうでもいい! お前にしかできないんだからお前が犯人だ! 何度も言わせるな!」
「おれじゃありませんってば! 考えてみてください。おれが犯人だったら鍵を掛けていくわけないでしょう。その後鍵を借りる人がいるかわからないのに、そんなことしたら犯人だと宣言しているようなものです」
天パさんはふんと鼻を鳴らした。
「確かに白本からそういう意見も出た」
反射的に白本さんを見てしまう。彼女はごめんとでも言いたげな表情をしていた。
「けれど、だ。結局は君以外に犯行が可能な人間はいない。まさか、昼休みに自分がきたときには既にこうなっていた、とか言わないよな? それなら同じクラスで美術部員の白本に報告しているはずだからな! つまりお前が犯人なんだよ!」
倫理的におかしくても状況的におれしかいない、ってことか……。最悪な事態だ。おれの平穏な学校生活(いや平穏だったか?)がこんなに早く終わりを迎えてしまうとは。
そんなときであった。
「ねーねー生野君」
眼鏡をかけた女子……皆口さんだったか? が明るい声をかけてきた。
「はい?」
「君ってさ、お姉さんはいる?」
「おい皆口。いまはそんなこと――」
「関係あるから! 何よりも関係あるから! 大塚はちょっと黙ってて」
大塚というらしい天パさんはしぶしぶといった様子で押し黙った。
「で、お姉さんいる」
期待がこもった瞳で尋ねられた。
「いますけど」
「名前は?」
「杏です」
その名を聞いた瞬間、皆口さんがうれしそうに手を叩いた。
「やっぱり! ほら大塚、やっぱ杏さんの弟さんじゃない!」
「そう、みたいだな」
大塚さんは鬱陶しそうに言った。
「生野と書いて『うぶや』と読む苗字が近所に二世帯もあるはずないものね! いやあ、まさか杏さんの弟さんとこんなところで会えるなんて思わなかったよお。あ、私、美術部部長の皆口若葉ね。で、このうるさいのが大塚善人。そこのスマホばっか見てるちっこいのが日高エリね。ちなみに私と大塚が三年でエリが二年ね」
「どうも」
と、日高さんがスマホから顔を上げ挨拶してきた。おれも「こちらこそ」と返しておく。
「よし、これで生野君の無実が証明されたわね!」
「何でそうなる?」
おかしなことを言う皆口さんに大塚さんが困惑したように訊いた。
「は? そんなの生野君が杏さんの弟だからに決まってるでしょうが!」
「なぜそれが無実の証明になる!?」
「杏さん、よく弟さんと妹さんのことをとても良い子だって話してたじゃない。だからよ」
「それだけか?」
「それだけで十分!」
大塚さんは助けを求めるべく日高さんに視線を移した。
「日高、お前も何か言ってくれ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、そりゃお前――」
「私は別に犯人とかどうでもいいので。先輩がコンクールに遅れてもどうでもいいと思っていましたし」
「何て後輩がいのない奴なんだ……」
唖然とする大塚さん。ん? コンクール?
「消された絵って、コンクールに出す予定のものだったんですか?」
「うん。県の主催する学生限定のコンクールなんだけどね」
皆口さんが頷いた。
「え、でも、スケッチブックに描かれた絵なんて出展できないんじゃ……」
それには白本さんが答えてくれた。
「大塚先輩、ちょっと変わった描き方をするから……」
「変わった描き方?」
「まずスケッチブックに水彩で描いて、それを油彩で模写するの」
そんな面倒臭そうな……。
「ほんと、労力と時間の無駄よね。どっちか一つにすればいいのに」
呆れ混じりに言う皆口さん。それを聞いた大塚さんは、ほっとけ、と叫んだ。
「こう描かないと上手くできないジンクスなんだよ。ってか、そんな話はどうでもいいだろ! おい生野亨、お前が先輩の弟だからって関係ない! なぜこんなことをしたのか言え!」
「だから、おれじゃないですよ!」
「そうよ! 生野君は無関係よ! 杏さんに凄くお世話になったじゃない! それなのに恩を仇で返すようなことして……あんたの杏さんへの好意はそんな程度のものだったっていうの!?」
「お、おい皆口、何変なこと言ってんだ! べ、べべ別に先輩のことは、す、好きだったわけじゃねーし!」
好きだったのかよ……。
「とにかくだ! こいつ以外に犯行は無理なんだから、先輩の弟だろうがなんだろうが疑うのは当然なんだよ!」
凄まじい剣幕であった。何を言っても信じてくれそうにないし、どんなに否定をしても聞き入れてくれそうにない。これには先ほどまで押しに押していた皆口さんも憮然とした表情で口を噤んでしまった。日高さんは無関心だし……。これはもう、真犯人をつきとめて、疑いを晴らす以外に道はなさそうだ。
普通ならば不可能だろう。容疑者が何人いるのかもわかりない。更にこの部屋は密室だったみたいなのだから。しかし運良く、その不可能を可能にしてくれそうな子がすぐ近くにいるのだ。
おれは白本さんに助けを乞う視線を向けた。彼女はそれに頷き返してくれた。
「大塚先輩。わたし、生野くんは犯人じゃないと思います。生野くんがやったとすると、やっぱり戸を施錠していったのは変ですし、そんなことをやる動機だってありません」
「……そうは言っても、何度も何度も繰り返すけど彼以外に犯行は無理なんだし」
「だったらわたしが真犯人を見つけ出します」
その言葉に美術部員の三人が顔を見合わせる。
「真犯人たって、容疑者が何人いるかもわからないんですよ?」
「もちろん、わかってます」
驚愕する日高さんに白本さんは力強く頷いて返した。
「密室だったんですよ? そんなの謎解けるんですか?」
「はい」
「白本さんは既に一度、密室の謎を解いているんです」
もの凄くくだらない真相ではあったけれど。おれは他にも不可解な状況を白本さんが倫理的に説明づけたことがあると説明した。
皆口さんが興味深そうに腕を組んだ。
「ほおほお。面白いことになってきたじゃない。大塚の絵は別にどうでもいいけど、杏さんの弟さんを冤罪にするわけにはいかないものね」
「お、お前もどうでもよかったのかよ……」
「よしっ。決まったわね。由姫ちゃん、生野君の無実をこのボサボサ髪野郎に証明してやって!」
こうして、おれと白本さんは密室水彩画抹消事件を捜査することになった。
 




