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白雪姫は事件の夢を見る  作者: 赤羽 翼
許されざる水彩
19/85

後の後悔



 破れたラブレター事件からしばらく経った五月の中旬。この日の二時限目は芸術科目であり、美術を選択しているおれは美術室にいた。


 鉛筆を握りスケッチブックに慎重に輪郭を描いていくけれど、どうにも上手くいかない。これで三度目になるだろうか。おれは消しゴムでそれを消し、向かい合って座る委員長を観察する。ショートカットの髪に赤いフレームの眼鏡がよく似合っており、普段から親しくしているため忘れがちになっているが顔立ちも整っている。


 失敗したと思った。人の似顔絵なんて、しかも女子の顔なんぞ描くものではないのだ。おれはそこまで絵が上手いわけではないのだから、完成した絵が悲惨なことになるのは目に見えているではないか。それが同性の似顔絵ならまだしも異性である。なんとなくまずい気がするのだ。まあ、委員長ならそれくらい笑って許してくれるだろうが、親しき仲にも礼儀あり精神を持つおれは申し訳なく思ってしまう。


 委員長もおれと似たような考えを持っているのか、さっきからおれの顔を見ては鉛筆を動かし消しゴムで消すという動作を繰り返している。


 目の前の委員長にバレないよう小さくため息を吐いた。相手が剣也なら適当に描けるのだが……親しき仲に礼儀ねえじゃねえか。心の中で剣也がつっこみを入れてきた。おれの思考が奴のいる音楽室に飛んでいたようだ。


 ……よし。開き直ったおれは思い切って委員長の顔の輪郭を描いた。こういうのは勢いが大事だと、元美術部の姉ちゃんも言っていたではないか。おれはその言葉に従ってずんずんと鉛筆を動かしていく。記憶に焼き付けた委員長の顔が薄れ始めたのでサッと顔を上げて彼女の顔を確認する。目が合った。


「生野くん、凄いね……」


 委員長が感心したように呟いた。


「何が?」

「かなりハイペースで描いてるからさ。コツでも掴んだの?」


 おれは苦笑し、


「いや、上手くいかないから後先考えずに描いてるだけだよ」

「あはは。でも下手に描いちゃうと失礼だと思って何もできないから、そういう風に何も考えずに描くのが大事なのかもね」


 それから委員長は身体を右に傾けた。


「どういう感じになってるか見てもいい?」

「え?」


 おれはスケッチブックに途中まで描かれた委員長と、それを覗き見ようとしてくる委員長を交互に見た。おれは刹那的なスピードでページを折り返して平面の委員長を隠した。


「やっぱり、丁寧に描くべきだよ」


 その一言で委員長は絵の出来映えを察してくれたようで、苦笑いを浮かべて体勢を直した。そしてすぐにいつものように朗らかな笑みを浮かべ、


「きっと変に緊張してるから進まないんじゃないかな。みんなみたいに雑談でもしながら描こっか?」

「そうだね」


 おれは周囲の生徒を見回した。みんな何人かのグループで固まって、わいわいと喋りながら何かしらの絵を描いている。美術の授業を受けていない生徒からしたら、そんなことをしていていいの? と思うかもしれないが、美術教師である我妻あがつま先生は最初に今日の課題を発表した後(ちなみに今日の課題は『何か描け』であった)すぐさま自分の作品に取りかかり、自分の世界に入ってしまうため気づかないのである。いや、ひょっとしたら気づいているが、注意するのも面倒なので黙認しているのかもしれない。


 おれは委員長と雑談(主に破れたラブレター事件の話)をしながら鉛筆を進ませていく。委員長の言う通りリラックスできたのか、上手く描かなければいけない、という妙な使命感から解放された我が右手は達者とは言えないまでもなかなかに無難な似顔絵を完成させた。


 対する委員長は普通に上手におれの似顔絵を描いてくれた。中学からの付き合いであるが絵が上手いとは知らなかった。なぜこれで自信なさげにしていたのだ。似顔絵の描き合いというのは、こういうことがままあるから困る。向こうが上手く、こちらはそうでもない。非常に申し訳ないのだが……。


 チャイムが鳴った。しかし我妻先生は創作の世界に潜り込んでおり反応しなかった。いつものことである。委員長が先生にチャイムが鳴ったことを報告し、美術の授業が無事に終了した。各々が自らの教室に戻っていき、おれも委員長と共にB組に戻った。



 ◇◆◇



「……ない」


 昼休み。財布を探してバッグを漁っていたおれは呆然と呟いた。


「何が?」


 向かいに座る剣也が訊いてきた。


「財布だよ」

「ポケットにはないのか?」

「あったら気づくわ」

「じゃあ元から持ってきてなかったんじゃね?」

「いや、朝ポケットに入れて持ってきたはずなんだ」

「ふぅん……。やべえじゃん」


 他人事のように言う剣也。


「おい、随分冷たいじゃないかよ。盗まれた可能性だってあるんだぞ」

「いやだってよ、どうせ大した額入ってないんだろ?」

「まあ、五百円だけだけど……」

「カード類とか、身分証みたいなもんもないんだろ?」

「ないけど……」

「五百円だけ入った財布ってなんだよ。小学生でももっと入れてるぞ!」


 剣也は天井を仰ぎ憂いを込めた声で言った。しょうがないじゃないか。どうせ自販機で飲み物買うくらいにしか使わないんだから。そんなに入れてても紛失したときに被害が大きくなるだけではないか。現にいま被害額が五百円で済んだ。……こりゃ心配されねえわ。


 納得したおれであったがふと、思い出すことがあった。


「もしかしたら、美術室に忘れてきたのかもしれない」

「美術室に財布なんて持ってったのか?」

「ああ。美術教師の我妻先生はよく『何か描け』っていう授業の課題を発表するからさ、財布でも描きゃいっか、って思ってポケットに入れてたんだ」

「『何か描け』ってなんだよ。完全に思考を放棄してるじゃねえかよ。それで飯食ってんなら酷えな……」


 そこに付け足して、授業中は自分の作品にかまけて生徒を一切感知していない。

 それはともかくとして。


「でも結局、委員長がお互いの似顔絵を描き合おうっていう提案をしてきたから、そうしたんだ。そのとき財布をポケットに入れてるのが煩わしく思って机の物置スペースに置いたかもしれん」

「ふぅん。だとしたら、まずいかもな」

「何がだよ?」


 訝るおれに剣也はご愁傷様とでも言いたげに肩をすくめた。


「四時限目、二年生は芸術の授業だったからな。美術室も使ってるはずだから、マジで盗まれたかもしんねえぜ?」 

「何でお前が二年生の時間割を知ってるんだ?」

「音楽の授業で教師の柳沢やなぎさわ先生がボヤいてたんだ。昨日彼氏に振られたみたいでさ。ショックを引きずってたのか『四時限目にも二年生相手にしなきゃいけないから、あんたらなんか適当に歌ってな』ってヤケクソ気味だった」

谷津川高校ウチの芸術教諭はそんなのばっかりなのか……」


 頭が痛くなってくる。

 剣也は右手を左右に振り、


「いやいや、普段はかなり真面目な人だよ。だからみんな困惑したんだ。そんな中、丈二が颯爽とピアノで失恋ソングを弾き語りしてブチ切れられてたのが今日のハイライトだな」


 何やってんだあいつ。まあ、丈二なりに思うことあってのメッセージ的なものだろうが。

 肩をすくめつつおれは立ち上がった。


「一応見てくるよ。隅っこの席に座ったから、誰も財布に気づいてない可能性もあるし」


 剣也に断るとおれは職員室へ向かうべく教室へ出た。……後に、おれはこの行動力を後悔することになる。



 ◇◆◇



 職員室前で落とし物コーナーに財布があったりしないかどうか確認した後 (なかった)、職員室で鍵の貸し出し名簿に名前を書いて鍵を受け取り――普段見ない生徒だったからか鍵を借りる動機を訊かれた――、そのまま美術室に直行した。



 美術室のある北棟二階はやや人が多かった。普段そこまで人通りがあるわけではないが、今日は人が集まる足る理由があるようだった。


「よってらっしゃい見てらっしゃい! ゲリラマジックショーが始まるよ!」


 シルクハットを被った女子生徒が大きな声を発していた。彼女の他に怪盗のような仮面をつけ、同じくシルクハットを被った男子生徒もいる。彼らに人が集まってきているのだ。

 見たことがある。これは奇術部のマジックショーだ。奇術部は部の宣伝として、校内のあちこちでゲリラ的にショーを行っている。そのタイミングにかち合ったようだ。


 奇術部の女子部員さんと目があった。


「そこの少年! マジック見ていかないかい? ついでに奇術部ウチに入部しないかい? 見た感じ手先も器用そうじゃない」


 見た目で手先が器用かどうかなんてわかるわけなかろう。丁重にお断りして、そそくさと鍵を使って美術室の中に入った。当然と言えば当然だが室内は二時限目に使ったときと大して変わっていなかった。並べられた机と椅子。追いやられた感溢れる形で壁際に集められた彫刻やイーゼルなどなど。


 おれは教壇――少し大きな木製の箱というおざなりなものだ――から見て窓際且つ最後方に当たる机に歩み寄った。美術の時間はみんな好きな場所に椅子をひっぱてきて座るため、おれが座った位置はかなり物寂しい場になる。何でこんなところに座ったんだろうかと思わないでもない。


 机下の物置スペースを確認した。何もなかった。とほほである。ため息が漏れた。美術室を出て鍵をかける。


 財布は盗まれてしまったようだ。新しく買わなきゃなあ。失った額自体は少ないけれど、財布の新調代は手痛い出費である。まあ、手痛いも何もお金あっても使わないからいいんだけど。


 もうここらに留まる理由もないし、マジックでも楽しみたいという気分でもないので、さっさと鍵を返して教室に戻ってもよかったのだが、先ほどの鍵の貸し出し名簿を思い出した。おれが記入する一つ前に、知り合いの名前を発見していたのだ。その知り合いの名前は的場まとば凪子なぎこと言って、おれの所属するアナログゲーム部の部長だ。この学校は一年生の間は絶対に部活に入っていなければいけないという校則があり、別段やりたいことがなかったおれは幽霊部員が多いと聞いたアナログゲーム部に入部し、絶賛幽霊部員と化している。とは言え、何日かに一回は顔を出すよう努力をしているため、実際は半幽霊部員といった感じであろうか。


 しかしゴールデンウイークが明けてから一回も顔を見せていない。ここらで的場さんと会っておいた方がいいかもしれない。かなり面倒な人でなので、長期間放置するとどうなるかわからない。的場さんが借りていたのはアナログゲーム部の部室の鍵であったから、部室にいるだろう。


 部室は美術室のすぐ隣りである。数歩歩いて、窓から部室を覗いてみた。カーテンはないのでいつでもどこでも覗けるのである。部屋の面積はさほど広くなく、通常の教室の半分もないだろう。そこに大きめのテーブルが置かれており、そこにアナログゲームを収納している小さなタンスと掃除用具入れもあるので、動けるスペースはあまりない。


 なぜこんな微妙な面積の部屋があるのかというと、昔はこの部屋は美術室の一部だったのだが、それはそれで美術室が広すぎるというので、薄い間仕切り壁を作って二つの部屋に分けたらしい。そのため、多くの場合教室一部屋につき二カ所ある引き戸が双方一カ所ずつしかなく、鍵も付け替えられて完全に別部屋みたくなっている。しかも元の美術室が廊下側に窓を一つしか付けていなかったという謎仕様だったため、美術室には廊下側の窓がなくアナログゲーム部の側にだけ窓が一つあるという状況が完成し、別部屋感に更に拍車をかけている。


 しかし、工事が杜撰だったのか、急いだ結果なのかは知らないが、その間仕切り壁と床の間に数ミリの隙間ができてしまっており、二部屋の繋がりは未だに残っていたりする。


 そういうわけで、隠れられるようなスペースはないので誰かがいたら気づくはずなのだが、室内に人はいなかった。あれは影の薄い人なので、目を凝らさないと見えないかもしれないと思い、『ウォーリーをさがせ』でもするかのように目を細める。が、いない。お留守らしい。


 まあ、放課後でいいか。急ぐことでもないし。

 おれは奇術部の勧誘を振り払いつつその場の後にした。なぜおれだけそんなに誘うのか。

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