ラブレターが破れてた理由【解決編】
白本さんにLINEでメッセージを送ってみたところ、予想通りまだ学校にいるという。しかし彼女がいるのは保健室ではなく美術室らしい。絵のモデルなのだろうか。そう思ったのは、彼女のどこか浮世絵離れした容姿と雰囲気は、きっと画家魂を持つ者なら絵にしたいのではないかと考えたからだ。しかし実際には、ただ単に白本さんは美術部の部員だからだった。まあ、この学校は一年生のうちは必ず部活に入らなければならないから、何も不思議ではない。
しかし、白本さんは美術部員なのか。つまりは姉ちゃんの後輩になるわけだ。
白本さんと一年B組の教室で待ち合わせをし、おれたちは恋愛相談室を後にした。
階段を上る途中で丈二が訊いてきた。
「なあ、白本さんとやらは何なんだ? クラスメイトと言われてもよくわからないんだが……」
「白本さんは、凄い人だ」
「まさか、俺よりも人の恋心に精通しているのか?」
「そういうわけじゃねえと思うぜ。この前の密室のときも恥ずかしがってたし、たぶんウブだな」
剣也が答えた。出しちゃいけない例えを出してしまったが。剣也もそれに気付いたのか、ややあたふたした。
「密室ってなんだ?」
「い、いや、何でもねえよ。誰かがイチャイチャしてたとか、そういうことじゃねえから」
「は? イチャイチャ?」
こんな墓穴を掘る奴、漫画やアニメでしか見たことない。おれは二人の会話に割って入った。
「白本さんは、あれだ。探偵みたいなことができる人だ」
「探偵?」
「ああ。寝て起きると、事件の真相がわかるという特殊能力じみた特技を持ってる」
「何だそりゃ」
確かに、何だそりゃ、である。
「恋心に詳しいわけではないのか」
「お前より詳しい奴はこの学校にいないだろ」
「いや、部長は俺を遥かに超える恋愛の知識を所持している」
恋愛相談室には他にも部員がいたのか……。
そうこうしているうちにB組に到着した。引き戸を開けると既に白本さんは来ていた。他の生徒の姿はなく、彼女が自分の席にちょこんと座っているだけである。
振り向いた白本さんと目が合った。彼女はいつものように微笑を浮かべた。
「ごめん白本さん。急に呼び出したりして」
「ううん。わたしに手伝えることなら、いつでもいいよ」
ほんわかふわふわした口調である。何度聞いても飽きない感じがする。それは多くの人に共通するようで、この間の『白雪姫』の劇でも白本さんの評判はよかった。
「丈二、この子が白本由姫さん。白本さん、こいつは丈二貴久。同じ中学出身で、こんな顔で声も渋いけど同い年だから」
丈二が片手を挙げる。
「よろしく」
「こちらこそよろしくね」
「一通りの挨拶は終わったな。あんまり白本ちゃんの時間取るのも悪いし、さっさく本題に入ろうぜ」
剣也に言われ、ああ、と頷く。おれは白本さんに朝の衝撃から昼の剣也の推理、それから丈二の失礼かつバカな推理を説明し、セロハンテープで繋ぎ合わせておいた便箋を提出した。
この間の二件のときと同様、白本さんの瞼は話の終盤辺りから重そうに垂れ始めていた。それでも彼女はおれの話を最後まで聞いた後、破れたままの封筒の紙片に手を伸ばし、例のハートのシール付きの部分を摘まんだ。それから彼女はそのシールを慎重に剥がし始めた。おれたち三人は彼女が何をやっているのかわからず顔を見合わせる。
白本さんがシールが剥がし終えた。しかし紙も剥がれてしまい、粘着部分に付着してしまっている。紙に貼られたシールやテープを剥がすとまま起こる現象である。
「何か、わかった?」
尋ねると、白本さんは「ちょっと待ってね」と眠たそうに言ってポケットからスマホを取り出し、何かを検索し始めた。
「何やってんだ、白本ちゃん」
剣也が訊くも、白本さんは答えなかった。ただ無心でスマホのディスプレイを上へとスライドさせている。それが二分ほど続き、ついに白本さんが例の台詞を呟いた。
「ごめん。十五分経ったら起こして……」
スマホを握ったまま机に突っ伏してしまった。この一連の光景を見た丈二は唖然とした表情を浮かべ、
「何だ……この子……」
おれと剣也は肩をすくめた。
「おれらもよく知らないんだ」
そして十五分が経った。おれは白本の肩を揺すって声をかけた。前の二件と同様に白本さんは早く起きてくれた。小さくあくびをしてから、彼女は壁掛け時計を確認した。
「まだいるかな……」
「誰がだい?」
丈二が白本さんの呟きに反応した。白本さんはおれたちに向き直り、
「生野くんの下足箱にラブレターを入れた人」
丈二が目を見開いた。
「本当に寝ただけでわかるのか……。凄いな」
まあ、やっぱり所見ではそうなるよな。三回目のおれでさえびっくりするんだから。
白本さんが椅子から立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
それからとことこと廊下へ駆けていき、ほんの十秒ほどで戻ってきた。
「それじゃあ、とりあえず昇降口に行こっか」
◇◆◇
四人で昇降口までやって来た。いったい白本さんは何をするつもりなのだろう、と思っていると、彼女は真っ先に下足箱の一つへ赴き中を確認した。おれも遠目に見ると、外履きだ残っていた。
「よかった。まだ学校にいるみたい」
白本さんがほっとしたように息を吐いた。
「その下足箱って、誰の?」
「ラブレターを入れた人のだよ」
白本さんが戻ってきた。あの下足箱の位置はA組の場所だ。そうか。白本さんはさっき、A組の教室に行って差出人の出席番号を確認してきたのか。しかし、はて、Aに知り合いなんていたか? 各務原はA組だけどあいつ男だしな。接点はないけど、おれに一目惚れをした誰かか? そう考えると異常にむず痒くなる。
「その人が来るまでここで待つの?」
「うん。別に急ぐべきことでもないけど、今日中に片づけちゃった方がいいでしょ?」
それは、確かに。明日にまでこの変な気持ちを持ち込みたくない。
「それで、犯人は誰なんだ?」
剣也が言った。どうでもいいが、犯人という言い方はどうなんだろう。別に悪いことをしたわけじゃないだろうに。
「じゃあ、わたしが推理したことを話すね」
「ん? いつ推理したんだ?」
丈二がつっこんだ。白本さんはこの何度目かになるかわからない質問に微笑んで答えた。
「夢の中で推理したんだよ」
「夢……?」
「んなこたぁいいだろ丈二。白本ちゃん、よろしく」
白本は頷いて、丈二を見た。
「わたしの推理は途中まで丈二くんと一緒なんだ。署名がないことから、このラブレターは手渡しするために書かれたもので、それが破られて生野くんの下足箱に入る蓋然性が低いから、書き手は一度相手に渡してるんじゃないか、ってところまでね」
「え? おれ貰ってないよ?」
「うん。だからそれは、生野くんに向けて書かれたものじゃないんだよ。書き手が好きな相手に渡して、渡された人が破いて生野くんの下足箱に入れたものなの」
心に虚しさが広がっていくのを感じる。おれに、書かれたものじゃ、ないのね。
剣也が笑いを堪えるかのように顔を歪め、
「つまり、ラブレターを貰った奴は亨の下足箱を体よくゴミ箱に使ったってわけか。ははは、うけるぜ」
ぶん殴ってやろうかと思ったがやめた。代わりにというか、白本さんがふるふると首を横に振る。
「そういうわけじゃ、ないんだよね……」
「どういうことだい?」
呆然としているおれに代わって丈二が尋ねる。
「犯人――って呼んでいいのかわからないけど――は何も生野くんの下足箱をゴミ箱代わりに使ったわけじゃないの。結果的にそうなっちゃったけど、本人にそんな意志はなくて、差出人に返事をしたつもりだったんだよ」
「振ったってことだよな?」
白本さんは剣也に頷いてみせる。丈二はおれを見て、
「やはり差出人は生野だったのか」
「違うっての」
白本さんは苦笑し、
「生野くんの下足箱に入っていたのは、犯人は下足箱を間違えたから――あっ、いいタイミングで来たよ」
白本さんの視線の先で一人の女子生徒が歩いてきていた。髪が長くて清楚さが滲み出ている。ん? 髪が長くて清楚って、つい最近聞いたようなフレーズだが。
「山本澪じゃねえか」
剣也が小声で呟いた。それは確か今日の朝に出た名前だ。プレイボーイにラブレターで告白された女子生徒。
白本さんは彼女に近付いていく。二人は真正面から向き合う状態になる。
「白本さん……どうかした?」
山本澪が見た目に反してややハスキーな声で言った。白本さんのことを知っている様子からして、同じ中学出身なのかもしれない。
「ちょっと山本さんに訊きたいことがあって」
「なに?」
「一昨日、晴乃くんに告白されたんだよね? そのとき貰ったラブレターって、どうしたの?」
晴乃の名前が出た直後、山本澪の顔が激しく歪んだ。そうとうに嫌悪しているようだ。
山本澪はそっぽを向き、
「あなたには関係ないでしょ」
投げやりに言った。この子、見た目は清楚だけど、中身は随分ときつそうだ。
しかし白本さんは割と胆力があるのか、そんな態度をとられても一切動じなかった。
「もしかして、だけど……びりびりに破いて下足箱に入れておいたんじゃない? 一昨日なのか昨日なのかはわからないけど」
山本澪が驚いたように目を見開いた。
「どうして知ってるの? 見てた?」
「ううん。見てないよ。ただ、山本さん、晴乃くんの下足箱と、」
おれを手で示す。
「彼の下足箱を間違えてたんだよ」
「え?」
山本澪の視線がこちらに向いた。男三人で視線を合わせ、テープで繋ぎとめた便箋と、破れたままの封筒を取り出した。
「間違え、てたの……? 私……」
ラブレターを見た彼女は呆然と呟いた。おれにはまだ事態を把握し切れていないのだが。いや、おそらく山本澪もだろう。
「ねえ、白本さん。どういうこと? 山本さんが間違っておれの下足箱にラブレターを突き返したのはわかったけど、どうしてそんなことになったの?」
「そうだぜそうだぜ。亨と晴乃じゃ、見た目が全然似てないぞ」
おれの疑問に剣也が続いた。おれは身長は平均だし、顔にも声にもこれといった特徴がない。晴乃は長身でイケメンでプレイボーイ感が滲み出ている。間違えようがない。
「山本さんが間違えたのは容姿じゃなくて名前。それなら、こういう状況が起こり得るでしょ?」
「いや、起こり得ないよ。あいつとおれの名前は一文字たりともダブってないし」
すぐさま反論したが、丈二がすぐ横で納得したように頷いた。おれと同じく理解していない剣也が尋ねる。
「わかったのか丈二?」
「ああ。白本さんは漢字の読みのことを言ってるんだろ?」
白本さんは僅かに微笑んだ。
漢字? 生野亨。晴乃徹。全然違うじゃないか。……いや、丈二は漢字の読みと言ったのだ。読み……読み……ああ!
「そうか。おれの名前って、生野亨って読めるんだ」
「うん。山本さんは晴乃くんの下足箱の場所を確認するために、各教室を見て回るつもりだったんだと思う。クラスも知らなかったんだろうね。山本さんはA組だから、A組にはいないとわかっていた。だからまずB組を覗き、そこで『せいのとおる』と読める名前を発見してしまった。出席番号も十二だから『せ』なら十分あり得る。けど、実際にはその名前は生野亨と読む名前だった……」
我がクラスの生徒の頭文字に母音が多いから起こった間違いと言えるかもしれない。山本澪も自分のミスを理解したようで、肩をすくめてため息を吐いた。
「あれ生野って読むんだ……」
「いや、普通は生野って読むよ。うちはかなり特殊だと思う」
細かい訂正を入れる。山本澪は頭を掻いた。
「ごめんなさい。そんなゴミを下足箱に入れちゃって。迷惑だったでしょ?」
酷い言いようである。まあおれも破れたラブレターはゴミみたいなもん、とか思ったけれど。ただ、彼女の場合は晴乃のラブレター自体がゴミと言っているのだろう。
山本澪はぽつりぽつりと話し始めた。
「白本さんは同じ中学だから知ってるわよね? 私の友達が、あいつに口にするのも憚られるような酷い振られ方をしたのよ。その時点で晴乃は私の敵になったってわけ。その晴乃が一昨日の放課後、下校中の私にラブレターを渡してきたのよ。目の前で破り捨ててやろうと思ったけど、すぐに去っていったからできなかったわ。だから次の日――昨日ね――の放課後、一年のクラスを巡って、晴乃の出席番号を確認して、下足箱に破いたラブレターを突っ込んでやったってわけ。まあ、人違いだったみたいだけど……」
「どうしてクラスのネームプレートを確認するっつう、面倒な方法を取ったんだ? 休み時間に各クラス覗けば、あいつのクラスがわかったんじゃないか?」
「あいつの顔を見たくなかったのよ」
剣也の質問に、彼女は憎々しげに答えた。そんなに嫌いなのか。
「じゃあ知ってそうな人に訊けばよかったんじゃないの?」
継いでおれが疑問を呈した。これには白本さんが答える。
「たぶん、そうするより先に晴乃くんが自分から山本さんに告白したことを言いふらしちゃったからだと思うよ」
「正解。白本さん、前から成績はよかったけど、こういうこともできるだね。……晴乃のクラスを知ってそうな生徒はいたけど、私があいつが何組なのか訊いた、なんて情報が出回ったら不愉快だし。脈ありみたいに思われるでしょ?」
なるほど。
そこで丈二が、ああっ、と大きな声を上げた。
「そうか。いまわかった」
「何にだよ」
おれが訊いた。
「白本さんが寝る前にハート型のシールを剥がした理由だよ。あれはシールが一度も剥がされていない――ようするに、一度もラブレターが読まれていないことを確認するためだったんだな」
「うん。シールと一緒に紙も剥がれちゃったから、それはすぐにわかったよ。紙が剥がれた封筒に代わって、別の封筒に入れて送り返すとは思えないしね」
「そうなんだよ。それはつまり、受け手は貰ったラブレターを一読もすることなく破り捨てるほど、差出人を嫌っていることを意味している。生野がそこまで人に嫌われているはずないんだ。くそっ! これに気付いてればあんな推理しなかったのに! 恥ずかしい!」
こいつはこいつで悔しさを感じていたらしい。十八番である恋愛絡みの事柄だったから当然か。
剣也は納得したかのようなため息を吐いた。
「なるほどなあ。そこまで人に嫌われてて、しかも自分が嫌われてると自覚してない奴なんて、晴乃くらいしかいねえわな」
山本澪がおれたちに歩み寄ってきた。右手を差出し、
「そのラブレター、返して貰っていい? 今度こそあいつの下足箱に突っ込んどくから」
「晴乃はD組だ」
剣也が情報提供込みで便箋と封筒の残骸を渡した。山本澪は、ありがと、と言って階段を上がっていった。晴乃の出席番号を確認するつもりなのだろう。
◇◆◇
おれと剣也と丈二は三人並んで下校していた。白本さんは相変わらず友人の部活が終わるまで待つようだった。しかしそんなことはいまはどうでもよく、おれは胸に溢れる虚しさに従ってため息を吐いた。
「なんか、告白されたわけでも、告白したわけでもないのに、振られた感じがするぜ」
誰にともなく呟いてみる。左にいる丈二が肩に手を乗せてきた。
「俺はいい参考になったよ。こんな恋愛事は二度とありそうにない。恋愛相談室に活かせるかもしれない」
「二度とありそうにないなら無理だろ」
剣也が冷静なつっこみを入れた。しかし、
「ま、面白かったけどな。特にラブレターで好きって言われたときの亨の顔。書いたの男だぞ。あっははははは!」
「笑うんじゃねえ。お前がおれの立場だったら、絶対同じリアクションしてたぞ」
ったくこの野郎は。
「それにしても、白本ちゃんはやっぱ凄えな。あれだろ? 俺が熱で休んでたときにも、演劇部で起こった事件を解決したんだろ?」
「ああ。まあ、あれは事件というか、伶門さんが抜けてただけだけどな……」
そういえば……。さっき、白本さんは眠る直前、スマホを弄りまくっていたが……あれはなんだったのだろうか。ネットが必要だった場面はなかったし……まあ、いいか。いずれ本人から訊こう。いつになるかわからないが、こうした少し非日常的なことが続いていけば、きっとその機会はあるだろう。




