恋愛相談室
「下足箱に破れたラブレターが入ってた?」
「ああ」
昼休み。学食の片隅にておれは今朝の衝撃を剣也に打ち明けていた。
話を聞いた剣也は眉をひそめ、訝しげな表情をした後、ため息を吐きながらこう言った。
「ありきたりで、つまんねえダジャレだな」
「おれもそう思うけど、そういうことじゃねえんだよ」
「いやでも、スタンダードなのは『ラブレターが破らレター』だから、ちょっと違うか。どっちにしろ新しくはねえけど」
「だからそういうことじゃねえんだよ」
こうなるとは思っていた。いきなりそんな話をされても、困惑してしまうだけだろう。事実、当事者であるおれ自身でさえも何がなんだかわからないのだから。
「ダジャレで一番使い勝手がいい単語はコンドルなんだぜ? コンドルが飛んドル。コンドルが壁に突っコンドル。コンドルが壁にめりコンドル。コンドルが獲物を追いコンドル。コンドルが咳きコンドル、ってな?」
「ってなじゃねえよ」
完全に話題がダジャレの方にシフトしてしまう前に戻さなくてはならない。
「おれはお前にダジャレを発表したいんじゃなくてだな――」
「同じ鳥シリーズのダジャレをもう一つ。キツツキが、木、つつきまくってる」
「それはただの名前の由来だろうが。ダジャレはもういいんだよ。話を聞けよ頼むから」
「カラスの巣が空っす」
「おい」
「鶴がツルッと滑る」
「剣也さん?」
「鷹の値段が高い」
「どんどんクオリティ落ちてるぞ」
「鷲の一人称はワシ」
「酷い出来だな」
「うるせえ! じゃあお前も何か言ってみろよ! もちろん鳥でな!」
逆ギレしやがったこいつ。いいだろう。とっておきを食らわしてやる。
「ダチョウの友だち幼稚」
「……は?」
わからないのか?
「ダチョウの友だちようち。ダチョウの友ダチョウち」
「……………………」
「……どうだ?」
「破れたラブレターかあ、どういうことなんだろうなあ」
おい。何だよ。何で何も言わないんだよ!
◇◆◇
昼食を素早くかき込んだおれたちは昇降口に来ていた。剣也に破れたラブレターの実物を見てもらうためである。
おれは下足箱を開けて外履きを出した。奥に押し込んでおいた無数の紙片が現れる。
「破れてんな」
剣也の第一声はこれであった。それから手を突っ込んで、ハート型のシールがくっきりと残っている箇所を摘まんだ。
「確かにこりゃラブレターだな。逆にこんなシール貼っておいてラブレターじゃなかったら引くわ」
「まあ、更に逆にここまでわかりやすいラブレターもそんなないと思うけどな」
「かもな」
剣也はその紙片を下足箱へと戻した。
「一応訊いておくけど、お前が入れたんじゃないよな?」
剣也の返事は案の定であった。
「当たり前だろ。偽のラブレターなんて悪趣味なこと、する意味がねえよ。それにそんなことするなら破いたりしない」
「そうだよな……」
剣也は腕を組んだ。
「差出人に心当たりはないのかよ? こいつおれに惚れてんな、とか女子と話してて思うことはないのか?」
頭を掻きつつ唸り声を上げる。
「特に思い当たらない。ここ最近話した女子といえば委員長、伶門さん、白本さん、それから演劇部のみなさんか……けっこう多いな」
「全員脈はなさそうだよな。けど、演劇部のお姉様方は役で話してたからわかんねえぜ?」
「そうか? まあ、仮に誰かがおれのことを好きになったとしても、何でラブレターを破いた?」
「それなあ」
おれと剣也は頭を捻りながら黙り込んだ。廊下を行く人々からすれば、昇降口で何やってんだあの二人、と思うこと請け合いである。
「よし、わかった!」
突如として剣也がぽんと手を打った。
「きっとこういうことなんだ。たぶん、ラブレターの差出人――仮にXとしよう――と破いた人間は別人なんだよ。最初にお前に惚れているXがラブレターを下足箱に入れる。しかし、お前に惚れている別の生徒Y、Xに惚れている生徒Z、お前のことが嫌いな生徒……Ωのうちの誰かがそれを目撃していたんだな。Yなら別の生徒がお前に告白するのが許せなかったから、ZならXがお前に告白するのが許せなかったから、Ωならお前にいい思いをさせたくなかったから、という動機でラブレターを破いてしまったというわけだ」
「長々とした推理を否定して申し訳ないけど、それなら破らなくてもラブレターを回収すればいいんじゃないか? そっちの方が素早くやれるから、人に見られるリスクも減るし」
剣也はしばしの間硬直した後ため息を吐いた。
「確かにそうだな。破る必要はねえか。……こりゃあれだ、こういうことはあいつに相談するしかないんじゃねえか?」
「あいつって……」
すぐに思い当たった。
「あいつか」
剣也は頷いた。
「放課後、丈二のところへ行こうぜ」
◇◆◇
放課後。おれと剣也は件のラブレターをゴミ箱に捨てられていたビニール袋に詰めて、東棟一階の片隅にある空き教室を訪れていた。扉には『恋愛相談室』と書かれた貼り紙がされている。
「マジであったのか……」
「部活として認められてるんだな」
剣也とおれは口々に言った。
ここは中学からの友人である丈二貴久が所属する部活の部室である。活動内容はその名の通り、生徒から恋愛相談を受ける部活のようだ。変てこな部活であるが、丈二にはぴったりである。
貼り紙に『入室の際にはノックをすること』と書かれているので、おれはそれに従って二度ノックした。
「どうぞ」
と、声優になれるんじゃないかと思ってしまうほど渋くダンディな声が返ってきた。一度聞いたら忘れない丈二の声である。
剣也が引き戸を開くと、目の前に大きな磨り硝子の板があった。その奥に男と思われる影が見える。なるほど。恋愛は人のプライバシーに関わることだから、こうして顔が見えないようにしているのだろう。
「目の前の椅子にお掛けください。一人分しかありませんが」
良い声で促された。磨り硝子のインパクトが強すぎて気が付かなかったが、すぐ手前に椅子と机が設置されていた。その机には小さなボンベが置かれている。
「地声が聞かれたくなかったら、そのヘリウムガスを吸ってください」
思わず苦笑が漏れた。
「随分徹底してんだな」
おれが言うと影が動き、磨り硝子の脇から、彫りが深く高校一年生とは思えないほど濃い顔の男が現れた。ダンディな声にふさわしい顔立ちと言えるだろう。
「生野と浅倉……。何しに来たんだ?」
驚いたように丈二が言った。
「お前に会いに来たんだから、恋愛相談に決まってんだろ。ま、俺じゃなくて亨の方なんだけどな」
「ほう、生野が」
丈二は興味深そうにおれに視線を向けてきた。
「ついにお前にも春が来たか」
「春かどうかはわからないけど、変なものなら来たよ。下足箱にな」
「下足箱? ラブレターでも貰ったのか?」
「ああ」
「おいおい。ラブレターを変なもの呼ばわりするなよ。ラブレターには書き手の純情な想いと形容できない憂鬱と葛藤、そして桃色の魂が宿るんだからな」
「それは十分変なものだと思うが……。いや、ラブレターはラブレターでもただのラブレターじゃないんだ」
丈二は眉をひそめた。
「込み入った話になりそうだな。座って話そう」
丈二に磨り硝子の奥へ案内され、どこから持ち込んだのか不明な茶色いソファに座らされた。
「さて、話を聞こうか」
丈二が良い声で言った。
丈二貴久。またの名をキューピットの丈二。このお世辞にもかっこいいとは言えない異名の由来は、彼が様々なカップルの恋のキューピットになったからである。男心はもちろん女心や思春期特有の精神状態などを完璧に知り尽くし、人々にアドバイスをする。それが丈二である。ただし、彼自身は彼女いない歴=年齢だ。
おれたちがことの経緯を説明すると、丈二はテーブルに撒かれた破れたラブレターを見つめた。
「ふむ。なるほどな」
「何かわかったか? 差出人は誰なのかはこの際どうでもいいから、どういう目的があって入れたのかが気になる。淡い想いなのか、悪意なのか……」
おれは神妙な面持ちで言った。丈二は紙片の一つを摘まみ、
「まだわからないが、差出人がラブレターに込めた想いを見れば、何かが見えてくるかもしれない」
「込めた想い?」
剣也が首を傾げた。
「簡単に言うと、便箋を復元するんだ」
「ああ、なるほど」
「その手があったか」
さっそくおれたちは行動に移った。封筒に挟まっているため少し苦労したが、一つ一つの紙片がさほど細かくなかったため、文字が書かれている範囲の復元は割りかし早く完了した。このパズルゲームをしながら、先ほど剣也が出した仮説が改めて否定されたことに気付いた。こうして復元してしまったら、破いた意味がなくなるからである。
「これは……」
現れた文章を読んだ丈二が目つきを鋭くして腕を組んだ。何かを考え込んでいるようである。おれと剣也はもう一度文章を覗き込んだ。使われたのはボールペンのようだ。まったく特徴のない筆跡でこう書かれている。
『君のことが好きです。付き合ってください。』
これから何かわかるのだろうか。普通すぎるくらい普通だと思うが……。強いて上げれば、これはおれを呼び出すためではなく、おれに告白しているということしか……告白されてんのかおれ!?
一気に心臓の鼓動が高鳴った。いや、いやいやいやいやいやいやいや。なぜにおれに告白する? というか誰が告白した? そしてなぜ破いた?
頭がラブレター発見時以上に混乱してくる。そうだ。よく考えればわかったはずだ。破れていてもラブレターはラブレターなんだ。思いっきりさっきと真反対な考えだけれど! 誰かがおれにラブレターを送ったのは間違いないのだから、それはつまり、おれのことを好きな人がこの学校に存在しているということで……ダメだ。頭がクラクラしてきた。
知らず知らずのうちに両手で頭を抱えていたらしく、剣也が変なものを見る目をおれに向けていた。
「どうしたんだよ」
「いや、なんか、もう、どうしよう。おれ、告白されて、えぇぇ……」
「目の前のキューピットに訊きな」
顔の濃いキューピットを見る。彼はおれの動揺に微塵も興味を持っていないようで、便箋と封筒の紙片を細かくチェックしていた。
「どうかしたか?」
剣也が尋ねると、丈二はにやりと笑った。
「わかったぜ。このラブレターの差出人と、なぜ破られていたのかが」
おれたちは目を見開いた。こんなところにもう一人名探偵がいたとは!
しかし人物を特定できるような情報はどこにも提示されていないと思うのだが……。
「まず、浅倉よ。お前、この文章を見てどう思った?」
「このくらい口で言えよ、と思ったけど」
剣也は復元された便箋を見て言った。この回答に、丈二は呆れ果てたかのようなため息を吐いた。
「わかってないな。そんなだから彼女ができないんだぞ」
「お前だってできないじゃねえか」
「う、うるさい。お前は『このくらい』と言ったが、いざ告白するとなると、『このくらい』が口から出てこないんだよ。お前にはわからないだろうがな」
「お前もわかんねえくせに」
「だからうるさいっての!」
「丈二、早く進めてくれ」
ため息混じりに言うと、丈二はふんと鼻を鳴らし、
「このラブレターには、宛名も署名もない。おかしいと思わないか?」
「あっ……」
「宛名はいいとしても、署名がなかったら文章中で告白されても返事のしようがない。復元できていない封筒や便箋の紙片も確認したが、やっぱりどこにも署名がなかった」
「一方的に想いを伝えたかっただけなんじゃねえか? 破った理由はわからんけど」
剣也が頭の後ろで腕を組んで言った。丈二はちっちっち、と人差し指を左右に振るった。
「わかってないなあ浅倉は。そういうのは一方が遠くへ離れていってしまう場合にしか発生しない。というかそもそも、付き合ってくださいと書いてあるんだから、差出人も交際を望んでるんだよ」
「そうか……」
「それが、どうかしたのか?」
少し緊張しながら尋ねた。
「つまりだ。このラブレターは差出人が直接手渡すはずだったものなんだ。それなら署名は必要ない。差出人が明らかなんだから」
「でも、それはおれの下足箱に破られて入れられていたんだぞ?」
「そうだな。そこがミソだ。書いた本人ならそんなポカをやらかすはずがない。なら、別の人物が勝手に生野の下足箱に入れてしまったのか? これもNOだろう。破る必要がまったくない。仮に差出人Xのことが嫌いな人間がたまたまXのラブレターを発見し、それを台無しにしてやろうと破いたのだとしても、生野の下足箱に入れる意味がわからない。というか告白を台無しにしたいならラブレターを持ち去ればいい。生野が言ったのと同じことさ」
「まあ、ラブレターに妨害を加えたところで、この文章量なら二十秒もありゃ書けるけどな」
剣也が茶化す。丈二は再びため息を吐き、
「お前は懸命にこしらえたラブレターを失うことの辛さを知らないんだな」
「お前だって知らねえだろうが」
「だからうるさい! ……差出人が、または差出人と関係のある人間がラブレターを破って下足箱に入れる可能性がないなら、ラブレターは既に手渡しされていたと考えるのが妥当だろう。しかし、なぜかラブレターは生野の下足箱にあった。その理由は単純に受け取った側の人間が突き返したからだろう」
おや? なんか方向性がおかしい推理が展開されているんですけど……。
「ならば、ラブレターが破られていたのはなぜか? これも簡単だ。浅倉、お前が好きな子にラブレターを渡して、それを破られたらどんな気分だ」
「たぶん、ショックだろうな。振られたことになるわけだし」
「そうだな。それにさっきも言ったが、懸命に作ったラブレターを失うのはとても辛いことだ。つまりラブレターを破るという行為は、相手を振ることにも、相手に精神的ダメージを与えることにもなる。まさにダブルパンチ」
丈二は同情する視線をおれに向けてきた。
「つまり、ラブレターを受けた人間は、差出人に精神的ダメージを与えるためにそれを破いて下足箱に送り返したんだ。……生野、お前は振られたんだよ」
「待てえええい!」
おれは推理の結果導き出された真相に思いっきりもの申した。
「ちょっと待て! 何でおれがラブレターの差出人で、女子に告白して、そして振られたことになってんだよ!」
「違うのか?」
「違うわ!」
はあ、と肩を落とした。
「それ書いたのがおれなら、わざわざと剣也やお前に相談したりしねえよ」
「いや、ショックで気が狂ったのかと思って」
「狂ってないから!」
剣也も加勢に出てくる。
「そもそも、亨にはラブレターを人に渡すチャンスなんてないんだよ。昨日は休んでたし、一昨日は俺と一緒に登校して、下校も一緒だったんだからな。ついでに昼飯も一緒だった。それより前に渡したとすると、受けた奴が送り返すのが遅すぎる」
丈二は腕を組んで悩み始めた。テーブルのラブレターに焦点を定め、低い唸り声を上げている。
「うむ。わからん」
「結局かよ」
「悪いな。さっきの推理が以外は、俺にはもう絞り出せんよ」
「そう、か……」
おれは肩をすくめて嘆息した。しばらく正体不明のラブレター眺めていた。いったいこれは何なのだろう。なぜおれの下足箱に入っていたのだろう。差出人は誰なんだ。様々な疑問と考えが脳裏をよぎったが、おれは最終的にこう言った。
「白本さんに訊こう。この時間ならまだ保健室にいるかもしれない」
さっきは恥ずかしいと思ったがこの際そんなことはどうでもいい。
「それがいいかもな。つーか最初っから丈二じゃなくて白本ちゃんに頼めばよかったな」
いつの間にか剣也は白本さんをちゃん付けで呼ぶようになっていた。
「白本って誰だ?」
丈二の疑問におれはこれ以上ないほどに簡潔に答えた。
「クラスメイト」




