二ページの行方【解決編】
「犯人がわかったぁ!?」
演劇部のみなさんが一様にして声を上げた。小泉さんが困惑気味に口を開く。
「い、いや、白本ちゃん、さっきまで寝てたじゃない。どうしていきなり犯人がわかっちゃうわけ?」
「夢の中で推理したので」
「は?」
「正確には事件の推理をする夢を見たんです」
「いや、だから、は?」
どうやら小泉さんは混乱しているようだ。
「とりあえず聞いてみようじゃないか。犯人がわかったと言ったのだから、その価値は十分にあると思う」
王子役の方が凛とした声で言った。おれも勢い込んで同意する。
「そうですよ。前の密室のときも――」
言いかけてはっとした。ダメだ。あの件は言いふらすと色々とまずい。
「何、密室って?」
「い、いえ。ちょっと前にも、こういうことがあったってだけです。白本さんが眠って起きたら全部わかってたっていうことが……」
急いで取り繕った。小泉さんは怪訝な目を向けてきたが、すぐに白本さんに視線を移した。
「ま、犯人がわかったんなら、細かいことはどうでもいいわ。白本ちゃん、説明よろしくね」
物凄く軽い人だ。
白本さんはこくりと頷くと教壇に立った。
「この事件には、おかしなところが一つあります。みなさんもさんざん話し合っていたのでわかっていると思いますが、それは犯人の動機です。犯人が盗んだものは戯曲のページ二枚。演劇部には何の痛手にもならないし、犯人からしても何の得もありません。それは、間違いないですよね?」
みんな頷いた。白本さんは続ける。
「そこで考え方を変えてみました。犯人はページを盗んだのではなくて、持ち去っただけなのではないか、と」
言葉の意味を掴みかねたおれは首を傾げた。周りを見ると、みんな同じようだった。小泉さんが手を上げた。
「えっと……どういうこと?」
「つまり、悪意がなかったってことです。犯人は諸事情があってページを持ち去っただけであって、盗む意図はなかったんです。そう考えれば、動機の不可解さが消えますよね?」
「おぉ……」
小泉さんが感嘆の声を上げた。おれも、なるほどなあ、と思った。それならば、どれだけ動機を考えてもわからないはずだ。そんなものなかったのだから。というか、もっと早く気付くべきだったのではないか。最初に小泉さんが盗まれたと言ったから、それが頭から離れなかった。そうだよ。そんな意味のないもの、盗むはずなかったんだ。
「じゃあ、犯人にはどんな諸事情があったの?」
おれは挙手して言った。
「消えたページに問題が発生したんだと思う」
「問題?」
「破いちゃったり、汚しちゃったりしちゃったんじゃないかな。個人的には後者だと思ってるけど……」
小泉さんが眉をひそめた。
「ページを汚してしまったってこと?」
「はい」
「けど、それで持ち去ったりする? 誰が汚したかなんてわからないんだから、知らんふりしてればバレないでしょ?」
「いえ。誰が汚したかバレてしまうから持ち去ったんですよ」
「え?」
その時点でおれにも犯人がわかった気がした。犯人と思しき彼女を見ると、顔面が蒼白になっていた。まだピンときていないらしい小泉さんは首を傾げつつ、
「誰が汚したかバレる……って、どいうこと?」
「ページを汚してしまった物体が、とても特徴的なものだったってことです。演劇部員の中で犯人以外には持ち得ないもの……」
「それって……」
小泉さんの視線が彼女に向いた。
「犯人は、伶門さんだよね?」
白本さんに名指しされた伶門さんは酸欠寸前の金魚のように口をぱくぱくと動かした。表情は呆然としている。
そんな瀕死状態の彼女に、白本さんは優しく言った。
「伶門さん。誰も怒ったりしないから、大丈夫だよ」
その言葉で伶門さんは悄然とうなだれ、肩を落とした。
「……うん。えっと、はい。私です」
伶門さんは自供した。室内が、おお、という何ともいえない雰囲気に満ちた。
小泉さんは両手を腰に当て、伶門さんにじと目を向ける。
「さて、どういうことか説明しなさい」
「はい……。休み時間にこの部屋に来て、戯曲を見つけて、ヨーグル茶を飲みながら読んでたら十ページ目が面白くて吹き出しちゃったんです。それでそのページと、その下のページにヨーグル茶が染みちゃって……」
伶門さんはバッグからぐしゃぐしゃに丸まった紙を二枚取り出した。どうやらそれは持ち去ったページのようで、真ん中辺りに染みができている。
近付いて、染みの臭いを嗅いでみた。ヨーグル茶の、あまり良いとは言えない特徴的な臭いがしてきた。なるほど、演劇部内でそれを飲んでいるのは彼女のみだから、確かにこれではすぐに伶門さんのせいだとバレてしまうだろう。しかし、いまの話の中で一つ抜けている箇所がある。
「伶門さんは、何で休み時間にこの部屋に来たの?」
「え? いや、それは、その……」
何故か伶門さんはしどろもどろになった。言いにくいことなのだろうか?
口ごもる伶門さんを見かねてか、白本さんが口を開いた。
「勘違い、したんだよね?」
「う、うん……。たぶん……」
たぶん、とは何ぞや。そもそも何を勘違いしたのだ。言葉の意味を理解していないであろうおれたちに、白本さんは言う。
「昨日、部活が終わる直前に小泉先輩に妹さんから電話がありましたよね?」
「え? うん、あったわね。それがどうかしたの?」
「電話がかかってきたとき、伶門さんと委員長はお手洗いに行っていたんです。そして、その電話が終わる直前に、二人は帰ってきました。そこで勘違いが発生したんです」
「どういうこと?」
おれは訊いた。
「二人が帰ってきてから、小泉先輩は『じゃあ、明日は二時間、メェが終わったらみっちりやろう』と言いました。これは目の前で電話に出たことを知っているわたしたちは勿論、電話を手にしているところを見たはずの委員長からしてみれば、電話の向こうの人間に言った言葉だとわかりますよね? ですが、そのときアイマスクで視界が封じられていた伶門さんは、それは部員に向けられて放たれた言葉と勘違いしたんです」
そういうことか、と納得しかけて首を捻った。いや、勘違いしたとしても、どうして伶門さんは部室に来たのだろう? と思ったが、その疑問は白本さんがすぐに消し去ってくれた。
「その後、小泉先輩は『戯曲が届くから、みんな部室に来るように』と言いました。これは正真正銘、部員に向けての言葉です。伶門さんもそう受け取ったに違いありませんが、さっきの言葉と繋げて飲み込んでしまったんです。つまり――」
『じゃあ、明日は二時間、メェが終わったらみっちりやろう。戯曲が届くから、みんな部室に来るように』
「という風になってしまったんです。だから伶門さんは休み時間にここに来たんです」
再度、なるほど、と納得しかけたが、まだ疑問があることに気づいた。小泉さんも同じ疑問を抱いていたようで、おれが訊きたかったことを言ってくれた。
「いや、休み時間に来た理由がわからないわよ。これじゃあ明日戯曲が届くってことしか伝わってないじゃない。前半のあたしの電話の部分が意味不明よ。これ、あたしが妹の演劇の練習をやる時間を決めただけよ?」
「ああ、それはですね、伶門さんはもう一つ勘違いをしていたんです。先輩の妹さんのメェちゃんのメェを、目と捉えてしまったんです」
ということは伶門さんの頭の中では、『じゃあ、明日は二時間、メェが終わったらみっちりやろう』が『じゃあ、明日は二時間目が終わったらみっちりやろう』になっていたというわけか。その次に戯曲が来るから部室に来いと続いたから、伶門さんは今日、二時限目の授業が終わった後部室に向かったのか。このとき委員長がいれば勘違いに気付いたかもしれないが、彼女もこの時間教室にいなかったから……。
「そういうことだったのか……」
白本さんは頷き、
「そこから、伶門さんが怪しいと思って、起きてすぐ戯曲の裏を調べてみたの」
「そういえば、裏面を手でなぞってたけど、あれはなんだったの?」
「わたしと生野くんが買ったお茶が気温のせいで机に水滴を垂らしちゃったでしょ? もし伶門さんがヨーグル茶をさっき買ったのだとしたら、同じように水滴が垂れてるんじゃないかと考えたんだ」
「あっ、そっか。さっき伶門さんが机にあったヨーグル茶をどけて、小泉先輩が机に戯曲を置いたから、水滴が垂れてたら紙に染みてるはずなのか」
「うん。紙に水が染みた後はなかったから、たぶんヨーグル茶はさっき買ったんじゃなくて、二時限目が終わった後に買ったって思ったの」
これですべての疑問点は氷解しただろう。謎の興奮を微かに感じながらおれはそう思った。
「やっぱり白本ちゃん、めちゃくちゃ切れるじゃない。まさか昨日のことが原因だなんて思わなかったわ」
小泉さんは腕を組んでしみじみと言った。しかしすぐに鋭い目つきを伶門さんに向けた。
「小波。あんたさぁ、ページを汚しちゃったならどうしてすぐに言わないのよ。何も、持ち去って混乱させることないでしょ」
「ご、ごめんなさい……。部長が絶対怒ると思って……」
「怒らないわよ。むしろあんたの間抜けっぷりを鼻で笑ってやったわ」
「そ、それはそれで嫌なんですけど……」
小泉さんはため息を吐いた。
「ま、誰かが何らかの陰謀を企ててるとかじゃなくて、ただのうっかりでよかったわ。ったく小波、とんだお騒がせガールね」
伶門さんは再び肩を落としてうなだれた。反省しているようである。問題が解決し、演劇部のみなさんもほっとしたようであった。このまま練習が始まるというので、今日のところはおれは帰ることにする。小泉さんに「君はもう演劇部の部員だ」と言わんばかりに引き止められたが、やんわりと無視した。
昇降口に向かいながら白本さんのことを考えていた。どうやらおれは、彼女に絶大な興味を持ったらしい。恋愛感情ではない、と思う。ただ単に気になるのである。彼女には寝て起きたら事件の全容が見えているという能力があるようだ。ただしそれは証拠や事実に基づいた倫理的な推理であるから、超能力の類ではないのだろう。夢の中で推理しているというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。
おれがここまで何かに興味を持つなんて、初めてではなかろうか。白本さんにはその能力(?)の他にも不思議な魅力を感じるのだ。いや、これは不思議でもなんでもなくて、単純に、可愛い子と一緒にいられて幸せ、というだけのことかもしれないが。
まあ、とにかく。おれは白本由姫という少女に非常に興味があるようだ。彼女の秘密を知るときは果たして来るのだろうか?