事件発生
演劇部に顔を出した翌日の昼休み。今日は委員長たちとは昼食を共にしてはいなかった。委員長と伶門さんは一緒に学食へと向かっていき、白本さんも眠たそうにしながら弁当を持ってどこかへ行ってしまっていた。ちなみに、治してみせると息巻いていた剣也は依然として休みである。
だからと言って、おれは一人で妹が作った弁当を食べているわけではない。麗川という男子生徒と一緒であった。正確に言うと、一緒というよりか、勝手に麗川君が近づいてきて一人で喋り倒しているだけである。別に鬱陶しいとは思わないけれど、別段親しくもないおれになぜ話しかけてくるのか謎だ。
麗川君が蝉の寿命について語っていたところで、教室に戻ってきたらしい委員長に声をかけられた。伶門さんと白本さんも一緒だった。どこか急いでいるように感じられる。
「どうかした?」
「それが、なんか部長が緊急の召集をかけてきて」
「緊急の召集?」
「うん。生野くんと白本さんも連れてきて、って。来てくれる?」
「そりゃ、いいけど……」
おれは急いで弁当を食べると、麗川君に断って委員長たちと共に演劇部の部室へと向かった。
◇◆◇
演劇部の部室は東棟の三階にあった。ちなみに、日本歴史研究会の部室の真下である。近くには伶門さんの言う通りヨーグル茶が販売されている自販機が鎮座していた。
中に入ると、委員長と伶門さん以外の演劇部員全員が揃っていた。教壇に立つ小泉さんに促されて、おれたちは空いている窓よりの席についた。小泉さんは伶門さんがアイマスクをしようとしているのを手で制すと、注目を集めるかのように――既に集まっていたが――咳払いをした。
「みんな、どうして昼に集められたのか、と思っているでしょう? それはね、緊急事態が発生したからよ」
部員たちがどよめきの声を上げる。
「ごめん。そこまで緊急ってわけではないわ」
まさかの三秒で訂正がなされた。
「ただちょっと、変なことが起こったのよ」
「変なこと?」
東条さんが王子風ではなく、普通の女子高生として言った。小泉さんは頷くと、教卓の上に置かれていた原稿用紙の束を掲げた。上部右角がクリップでとめられている。
「これ、今朝届いた戯曲なんだけど、全百二十ページあるわ」
「え、多くないですか?」
思わず口を挟んでしまった。しかし小泉さんは気にした風でもなく、
「小説みたく書かれてるからね。それをあたしがト書きに変えるって寸法よ」
「なるほど。そうなんですね」
「話を戻すわ。昼休みになってすぐ、ロンドンと一緒にこの部屋に置いておいた戯曲を読みに来たわけだけど、なんとこの戯曲の十ページと十一ページだけがなくなっていたのよ!」
「最初から抜けてたんじゃないの?」
小人役の女子生徒が手を挙げて言った。小泉さんはかぶりを振る。
「それはない。今朝確認したときにはちゃんと揃ってたから」
「ふぅん。……つまり、どういうこと?」
「つまりよ!」
どん、と小泉さんは両手で教卓を叩き宣言した。
「何者かがそのページを盗んだ可能性が高いということよ!」
「な、なんだってー!」
おれと白本さん以外、全員の声が揃った。この部のノリはよくわからん。
「しかもその犯人は、あたしたち演劇部員の誰かである可能性が高いのよ!」
「そ、そんなバカなー!」
だからそのノリわからないから。
「それはどうしてですか?」
「いい質問ね、委員長。昨日言ったでしょう、明日完成した戯曲が届くって。つまりよ、戯曲が部室にあることは、昨日多目的室にいたあたしたち以外知り得ないのよ。まあ、誰かがこの情報を外部に漏らした場合もあるけど、言いふらすようなことでもないし、その可能性は低い。だから、あたしたちの中に犯人がいる、ということよ」
なるほど、と委員長は納得するも……。
「それは、ちょっと違うような気が……」
おれの左の席からふわふわとした声の反論が飛んだ。その声の主は当然白本さんである。
「何が違うの、白本っちゃん?」
「いえ、演劇部員の中に犯人がいるっていうのは同感なんですけど、先輩の言ってることとは別の理由からそう思うんです。先輩は昨日、戯曲が届くとは言いましたけど、どこに届くかは言いませんでしたよね?」
「ああ、そうだったね。それで?」
「どこに届いたんですか?」
「あたしのところよ。朝、戯曲を書いてくれた文芸部の石崎があたしの教室を訪ねてきたのよ。まあ、出会ったのは廊下だったけど。その場でページを確認して、バッグに入れるとぐしゃぐしゃになりそうだったから、この部室に持って来たってわけ」
「それなら誰も戯曲が部室にあるなんて知り得ませんよね?」
「言われてみれば」
「今日戯曲が届くことを知っていた、ということより、戯曲が部室にあると予期できないにも関わらず盗まれた、ということの方が重要なんです」
「どういうこと?」
小首を傾げながら言う小泉さん。おれは思いついたことを口にしてみることにした。
「犯人はたまたまこの部室に入った際に戯曲を発見し、そのまま盗んだってこと?」
白本さんは頷いた。
「うん。戯曲のページを持って行った人は、部室に入る理由があった人。つまり演劇部員の可能性が高いんです。この部屋に部外者が入ることは考えられますか?」
「ないでしょうね。鍵はずっと開けてるけど、この部室には劇で使った戯曲しか置いてないもの。衣装は被服準備室に保管してあるし、 小道具は第二倉庫室にあるから、ここに誰かが何かを盗みに入ることはまずない。……ううむ、なるほどね。白本ちゃんってば、見た目に反してなかなか切れるわね」
こいつは名探偵の役としても使えるぞ、と小泉さんはいまの話題とまったく関係ないことを呟いた。まあおれも、「白本さんって寝なくても鋭いのな」と感心していたが。
おれはずっと気になっていたことを訊くことにした。手を挙げる。
「あの、その盗まれたページがないとまずいんですか? 劇に支障をきたしたりは……」
「ん? ああ、そこのところは一ミリも問題ないわ。石崎のパソコンにまだデータは残ってるだろうから、またコピーしてもらえばいいだけだしね」
「え? じゃあ犯人は何の意味もないことをしたということですか?」
「そういうこと。だから不思議なのよね。いまどき手書きで戯曲や小説を書く人なんていないってことくらい、みんな知ってるはずなのに。こんなこと妨害にすらならないっての。というかそもそも、この部活に舞台の邪魔をするような不定な輩はいやしないわ」
それならば、犯人はいったい何のために二ページを盗んでいったのだろうか。確かに本気で邪魔をしたいのなら、戯曲すべてを盗んだ方がいい。それでもデータがある限り結局無意味なのだが……。
おれは後ろの白本さんを見た。まだ眠気は来ていないようである。弁当を持って出て行ったときは眠たそうだったから、その後寝たのだろう。だからまだ眠たくない、というわけだろうか。……おれはこの間、白本さんが事件を解決する様をもう一度見たいと思ったが……存外早くその機会は訪れたようだ。
「さて、みんなに訊くわ」
小泉さんが部長らしい威厳のある声音で言う。
「盗んだ人は名乗り出なさい。そしてそんなことをした理由を言いなさい。絶対に怒らないから。絶対絶対絶対絶対絶対、怒らないから」
こう言っては何だが、絶対怒りそうな雰囲気を彼女はまとっている。部員の方々の顔を伺ってみると、みなさんおれと同じ感想を抱いたのか、苦笑いを浮かべていた。
名乗り出る人がいないまま時間が経ち、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。小泉さんは小さくため息を吐き、
「まあいいわ、続きは放課後ね。みんな、またここに来るように。放課後は部活ということになるから、あたしは性悪になるわ。そうなったら犯人探しが面倒なことになるのは目に見えているでしょ? それが嫌なら、犯人は休み時間にでも自供しに来なさい。大丈夫、絶対怒らないから」
やはり怒りそうな雰囲気を持つ小泉さんであった。