委員長からの頼み
伶門さんが唐揚げ定食を持って戻ってきた後、
「さて、本題に入りましょう」
委員長がどこか作り物めいた声で言った。
「いや本題も何も、そもそも何の話してないけど」
「まあいいじゃない。そんなことより生野くんは私と小波ちゃんが何部に入ってるか知ってるよね?」
小波ちゃんとは伶門さんの下の名前である。
「演劇部だよね」
中学も委員長は演劇部だった。委員長は頷く。
「そう。その演劇部がゴールデンウイークの最終日、五月八日に文化会館で劇をすることが急遽決まったの」
「急遽っていうのはいつ?」
「昨日」
「本当に急遽だ。どうしてそんなことに?」
委員長は肩をすくめた。
「本当は名古屋の劇団がやるはずだったんだけど、団員の殆どが季節外れのインフルエンザにやられちゃったのよ。八日までまだ少し日はあるけど、小さな子とかも来るから辞退したの」
「その団員の何人かが谷津河高校演劇部のOGで、私たちに押しつけてきたってわけ」
委員長の言葉を伶門さんが継いだ。しかし、おれはまだ釈然としない。
「そこまではわかったけど……そのステージって市が開催するんだよね?」
「うん」
「プロの劇団の代理が高校の演劇部だなんて、市が認めるとは思えないんだけど……」
「普通はそうなんだけど、演劇部って去年の高校演劇の全国大会で優秀賞を取ったから実績があるのよ。部員も一年生だけ――いま二年生ね――だったから、抜けたメンバーもいない」
さらっと凄いことを言ったな。一年生だけで優秀賞を取ったのか。一番上は確か最優秀賞だが、十分すぎるほどに凄い。
レタスの千切りを摘まみながら、伶門さんが口を開く。
「市もお金使わずに済むからまあいっか、って思ってるんだそうよ。まあ、これは部長が言ってたことだけど」
「ふぅん……。それで、おれとこの件は何か関係があるの?」
そうは言うおれだが何となく察しはついた。
「大有りだよ」
委員長が力強く言った。
「演劇部は女子部員しかいないから、照明や演出のときに男手がほしいのよ。去年の大会のときに手伝ってくれた人たちはみんな都合が悪いみたいで、一年生の知り合いに誰かいないか、ってことになって」
「おれに手伝ってほしい、というわけか……」
「うん。お願いできる? 私、交友関係はけっこう広い方だと思ってるけど、頼みごとできる男子って生野くんか浅倉くんしかいないし……」
なぜか異様に恐縮している委員長におれは笑いかける。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。だいたい、中学のときだって、おれ演劇部を手伝ってたしさ」
中学時代、陸上部の幽霊部員で暇だったおれと、モテたいからという理由でサッカー部(入部から三ヶ月後には幽霊部員)だった剣也は、よく演劇部を手伝っていたのだ。いま思えば、陸上部を辞めて演劇部に入ればよかったのではないか。
委員長は微笑み、
「ありがとう」
それからすぐに苦笑した顔になり、
「……でも、気をつけてね。部長、かなり変人だから」
「え?」
委員長の隣に座る伶門さんが苦渋の表情を浮かべていた。恐縮していた理由はそういうことか。しかし、変人なら近くにも割といる。なんなら我が姉と妹を変人の分類に含まれるだろう。いや、姉ちゃんに関しては変わり者と言った方がいいだろうか。どうでもいいことだが。
「まあ、大丈夫だと思う。……男手はおれだけでいいの? まだいるなら有志を集うけど」
「部長は二人ほどほしいって言ってた」
伶門さんが横から言った。……二人ということは、もう一人必要か。
「剣也だな」
「えっ、病み上がりになるけどいいの? 丈二くんとか各務原くんとかの方がいいんじゃ……。一時間公演だよ?」
委員長が困惑した声を上げる。
「あいつらでもいいけど、剣也はインフルってわけじゃないし、あいつはどんな病気も二日以内で治すから問題ないよ。まだ八日まで時間もあるしね。まあ、本人に確認してみるけど、きっとやりたがるよ」
二年生の、もとい年上のお姉様方に囲まれるわけだしな。
「確かに浅倉くんなら、中学で何度も裏方やってるもんね……。わかった。じゃあ生野くんから確認しておいて。ただ、無理はさせないようにしないとね」
「大丈夫だと思うけど」
あいつの丈夫さはよく知っている。
委員長がおれと一緒に昼食を取ろうと言ったのはこういう理由があったからか。それならば……、
「一つ訊いていい?」
「何?」
「白本さんはこの件に関係してるの?」
隣に座る白本さんを見た。……なんと彼女ら弁当を半分以上残して、箸を握ったまま船を漕いでいた。
その光景に委員長は苦笑いを浮かべ、
「ええと……白本さんが主演なんだよね」
「え!? 白本さんって演劇部だったの?」
これは驚いた。……いや、一昨日の侵入者騒動の際、委員長は部活から帰って来るところだったはずだ。にも関わらず白本さんは保健室で寝ていたのだから、部活が違うということにならないか。
委員長はかぶりを振った。
「演劇部員じゃないんだけど、彼女のことを知った演劇部の部長が、是非今度の劇の主演に、って。役と演者の一体感を重視する人だから」
「……その劇って?」
委員長はすやすやと眠る白本さんに柔らかい視線を向けた。
「白雪姫」
なるほど、ぴったりだと思った。
◇◆◇
放課後になった。学校にいてもやることもないので(家に帰ってもないのだが)、さっさと帰ろうかと思っていたところ、委員長に引きとめられた。
「生野くんのこと、LINEで部長に話したら練習にも顔を出してほしいって言われたんだけど、来れる?」
「全然いいよ。暇だったから」
というわけで、委員長と伶門さんと白本さんに混じって、おれは演劇部が練習に使っている多目的室に向かうことになった。
多目的室は本棟の四階にあり、一年生のクラスから三階上に行くだけであるため、そこまで離れているわけではない。
階段を上りながら、伶門さんにずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「どうして伶門さんは髪染めてるの?」
「え? ああ、これ、地毛なんだよね」
「そうなんだ」
「うん。昔は黒かったんだけど、歳を重ねるごとに色素が抜けちゃって」
そういうことも、あるのか……。
伶門さんは毛先をいじりながら、
「この髪のせいで先生やら先輩やらに目付けられて、けっこう大変なんだよね」
「黒に染めればいいんじゃないの?」
白本さんが至極当然の意見を述べた。しかし伶門さんは真剣な顔でかぶりを振った。
「髪染めるの校則で禁止されてるんだから、ダメに決まってるじゃん」
うん。真面目な子だ。
「……けど、この髪のおかげで演劇部に勧誘されたから感謝もしてるけどね」
「部長が熱烈に誘ってたもんねぇ。天然の茶髪とか面白いって」
委員長が腕を組みながらしげしげと呟いた。
とりあえず伶門さんに関する疑問は拭えた。このついでに白本さんに関する疑問……すなわち何でそんなに寝てるのか、についても尋ねてみようかと思ったのだが、四階の廊下に出た直後、伶門さんが多目的室と反対方向に進み出したので訊きそびれてしまった。代わりの言葉が漏れる。
「多目的室って、左じゃなかったっけ?」
「飲み物買うだけよ」
向こうに自販機なんてあったのか。おれも喉渇いたし、ジュースかなんか買っておこう。白本さんもおれと同様の考えだったようで、伶門さんの後に続くおれについてきた。委員長がの「先行ってるよ」という声に手を挙げて返しておく。
四階の廊下の片隅に少しの歴史を感じる自販機があった。白を基調としているのだろうが、茶色がかかってしまっている。
伶門さんは大分軽いであろう財布から百十円を出して、コイン投入口に入れた。それから迷うことなく、ヨーグル茶なる飲料を購入した。伶門さんは取り出し口から、茶色に白が混ざったドロドロした液体の入った二百八十ミリリットルのペットボトルを引き出した。その禍々しい物体に、おれと白本さんは戦々恐々とした。
「えっと……伶門さん、それは?」
白本さんが躊躇いがちに尋ねた。
「ヨーグル茶よ。毎日、部活の前に買ってるの。この学校のここと部室の近くの自販機くらいにしか売ってないのよね、これ」
「ヨーグル茶……って、お昼にそんなこと言ってたね」
「そうそう、よく憶えてるわね。私、財布にこの飲み物の金額分しか補充しないんだよね。だから昼みたいなことになったんだけど……」
「美味しいの、それ……」
おれは素朴な疑問を口にした。
「うん。演劇部のみんなはなぜか飲みたがらないんだけど」
「そ、そうなんだ……」
「飲む? 冷たくて美味しいわよ?」
伶門がペットボトルを突き出してきた。両手を振るって丁重にお断りする。これは間接キスなってしまうから断ったのではなく、中でドロドロと揺れる気持ちの悪い液体に引いたからである。
気持ちが顔に出てしまったのか、伶門さんは訝りながらおれを見ていたが、すぐに元の表情に戻り、ペットボトルのキャップを外した。そのまま何ともないようにヨーグル茶で喉を鳴らす。
ペットボトルからはヨーグルトとほうじ茶(?)の混ざったような匂いが漂ってきている。臭いわけではないが、非常に独特で気色が悪い。
おれと白本さんは普通のお茶を購入し、匂いから逃れるように、さっさと多目的室に向かった。
早足で廊下を歩いたため多目的室の引き戸の前で委員長と合流することができた。彼女はおれと白本さんの様子に一瞬きょとんとしたようだったが、後方から来る伶門さんが持つヨーグル茶を認めると苦笑いを浮かべた。
委員長は声をひそめ、
「小波ちゃん、面白い子でしょ?」
と微笑んだ。
面白いかどうかはともかくとして、変わった子であることは確かなようだ。