昼食のお誘い
剣也 『暇だよぉ!』
剣也 『えらいよぉ!』
剣也 『辛いよぉ!』
剣也 『身体が熱いのぉ!』
剣也 『火照っちゃうのぉ!』
剣也 『もう……だめぇ!』
『きもいぞ』 亨
四時限目が終わり、昼休みに入った直後に剣也からLIENが連続で飛んできた。前半だけだったら無視するつもりだったが、後半部分があんまりにもあれだったもんで、ついつっこんでしまった。流石は剣也。おれがどうしたら軽口に反応するかを熟知しているようだ。
剣也 『熱でダウンしている友人に
言うことじゃねえだろ!』
怒りのメッセージと共に漫画のキャラクターが「ふざけんな!」と叫んでいるスタンプが飛んできた。
九度二分で寝込んでいる人間が送ってくる文章じゃない。構っているのも面倒なので、おれはスマホをバッグの中に押し込み、弁当箱と交換した。
さて、どこで飯を食べようか。昼食を共にできるような友人は剣也以外にもいるのだが、なにぶんクラスが別なのだ。別クラスまで赴いて昼食を取るのはなんか恥ずかしい。このクラスにも話くらいはする人たちはいるも、みんな仲良しグループに固まってしまっている。入り込む余地はないし、そんな図々しいことをする気も起きない。
弱ったなぁ……誰もいないぞ。中学時代からの絆で満足して、新たな人間関係の構築を面倒がったせいだ。人と仲良くなるのはそれほど苦もなくできる自負はあるが、いかんせん友人を作ろうという気概がないのである。いままでの友人たちも、流れに身を任せて出会い、その結果仲良くなった人々だ。自発的に作ろうと思ったことはない。まあ、友だちというのはそういうものだと思うが。
友人の存在をありがたがりつつ、自分の席で一人寂しく弁当を食べるとしよう。弁当箱を包む風呂敷を広げようと、結び目に手をかけた。すると、
「ねえ、生野くん」
その言葉と共に左肩に手を乗せられた。その手の先を見ると、眼鏡をかけたショートカットの女子生徒……その名も委員長が立っていた。
「どうかした、委員長?」
「ご飯一緒に食べない?」
委員長は笑顔で答え、それから身体を右にずらした。彼女が遮蔽物になって見えなかったが、どうやら後ろに女子生徒がいたようだ。
委員長はその女子生徒を手で指し示し、
「四人で。どうだい?」
「どうだい、って……全然いいけど……」
女子生徒に視線を向ける。見覚えがある顔であった。というかクラスメイトで、委員長とよく一緒にいる子である。
「伶門さん、だったよね?」
彼女はこくりと頷いた。茶色のウェーブがかかった長髪が印象的である。うちの学校は髪を染めるのは校則違反なのだが、なぜか彼女は何も言われていない。授業中でも寝ている白本さんといい、この人といい、何か事情があるのだろうか?
それから剣也が彼女のことを「なかなか可愛い」と評していたのも憶えている。性格キツそうな顔だけど、とも言っていたっけか。確かに伶門さんの目つきは少し悪いかもしれない。
委員長は朗らかな笑顔のまま、
「じゃ、学食いこっか。四人じゃ多いし、私は弁当じゃないから」
「ああ、そうだったね。じゃあ……って四人?」
そういえばさっきもそう言っていた。おれと委員長、伶門さんの他に周囲に人は……、
「あ、わたしだよ」
伶門さんの後ろから一人、ふわふわした声を発する小柄な少女がひょっこりと出てきた。白本さんである。どうやら、おれが辺りをきょろきょろと見回したので姿を現してくれたようだ。いや、隠れる意図はなかったのかもしれないが。
「ごめん、白本さん。気づかなくて……」
「大丈夫だよ。慣れてるから」
相変わらずふわふわと柔らかい声だ。まあ、相変わらずと言ってもこの前のことから二日しか経ってないけど。
「とりあえず、学食にレッツゴーだね」
委員長が引き戸に向かって歩き出したので、おれたちも続いた。
やれやれ。女子三人と昼飯か……。姉と妹がいるから女子には慣れているが、あんまり話したことがない人が二人もいると少し緊張する。
◇◆◇
委員長は券売機でカレーライスを買うと、食券を持って列に並んだので、弁当組の残り三人は空いているところに座ることにした。
三人でいても特に会話は発生しないことから、どうやら委員長はおれたち三人と仲がいいようだが、おれたち三人は委員長としか仲良くないのだろう。
おれは風呂敷を広げて弁当箱を呼び出す。形は直方体であり、二段式になっている。一段目には様々なおかず――ゆで卵二つ、少量のソースがかかった小さなハンバーグ二つ、きんぴらゴボウ――が綺麗に配置されている。二段目はおそらくのり弁になっていて、こちらにも揚げ物などの具が乗っているのだろう。多いな。
「おお、美味しそうだね」
隣に座る白本さんが覗き込んでくると同時に感嘆の声を上げた。その目がハンバーグに向けられる。
「あれっ? このハンバーグ……もしかして手作り? 冷凍食品じゃないよね?」
「うん、手作りだよ。よくわかったね」
「ハンバーグの冷凍食品は粗方見たけど、これは見たことなかったから。……手作りなんだあ、凄いね。それに……」
弁当箱に顔を近づけ、くんくんと鼻を鳴らした。
「このソースの匂いも嗅いだことないかも。市販のもの?」
この子は市販のソースの匂いをすべて憶えているのだろうか……。おれはかぶりを振り、声に少しの驚愕を滲ませ、
「いや、これも手作りなんだ」
白本さんは目を丸くして驚いたようだ。ふわふわと、しかし力強く言う。
「ソースまで手作りなんて凄いね! お母さんが作ってくれたの?」
「母親は東京に単身赴任してるから家にいないんだ。妹が作ってくれてる」
「へぇ……凄いなぁ……」
白本さんの向かいに座る伶門さんが口を開けながら呆然と呟いた。そのあんまりにも間抜けな表情を見て、「伶門さんってそういう顔するんだ」と思った。
「妹さん、何歳なの?」
「中学二年」
白本さんの質問に答えたら、伶門さんの目が丸くなり更に表情が間抜けになった。妹の年齢を知ったからだろう。
妹は家事全般が大好きという、全国の主婦の方々がこぞって欲しがりそうな特異な感性を持っている。母親は三年前に東京へ行ったので、なんと妹は小学五年の頃から家事を行っていたのだ。兄であるおれや、いまは大学生の姉ちゃんが手伝おうとすると、楽しみを奪うなとか言って怒ったっけ。そんな妹は特に料理が好きらしく、この点は完全に『家事』のレベルを逸脱している。
白本さんは自分の弁当箱を開けず、しげしげとおれのハンバーグを眺めている。このあからさまにわかりやすい光景に、思わず苦笑いが漏れた。
「ハンバーグ、食べる?」
「いいの?」
白本さんの瞳が爛々と輝いた。
「いいよ。おかずは多いから」
「ありがとう!」
子どものように無邪気な笑みを向けられた。白本さんは箸を持ち、自分の弁当箱を開けると、おれのハンバーグを取った。弁当箱の蓋にそれを乗せる。どうやら、楽しみは後にとっておくスタイルのようだ。
白本さんは「いただきます」と言って自らの弁当を突っついていく。じゃあおれも、と思ったところで伶門さんが「ああ!」素っ頓狂な声を上げた。
「弁当箱、間違えた……」
非常に絶望的な声が漏れる。見ると、彼女の弁当箱には何も入っていなかった。
「どうしてそんなことに?」
「えっと、朝急いでて……お母さんが作った弁当が入ったのと、洗い物に出てたのを間違えちゃったみたい……」
「重さで気づこうよ……」
呆れて、ついため息を吐いてしまった。弁当を少しわけてあげようかと思ったが、ここは学食だ。自分で何とかするだろう。
伶門さんはいそいそとポケットから財布を取り出し、中を確認するやいなや、非常に絶望的な表情を浮かべた。声の次は顔か。忙しい人である。
「どうしたの?」
だいたい察しているだろうが、白本さんは尋ねた。伶門さんは財布を逆さにしてテーブルに小銭をぶちまけた。ちゃりん、ちゃりん、という快音が響く。
「百二十円しかなかった……。お札もない……」
「補充しようよ」
目の前の現状に硬直する伶門さん。おれは白本さんにそっと訊く。
「彼女っていつもこうなの?」
訊いて思い出した。おれの考えではこの二人はそこまで親しいわけではない。白本さんの返事は案の定であった。
「さあ……? 私も昨日初めて話しをしたばかりだから……」
伶門さんが切実な表情を向けてくる。
「ど、どうしよう……白本さん、生野……」
おかずは多いから半分くらいならわけてもいいけど、それじゃ少ないよな……と思っていると、トレイを持った委員長が戻ってきた。
「どうしたのみんな? そんな固まって」
「そ、その……お弁当忘れちゃって。お金もなくって……」
委員長は空の弁当箱とテーブルに点在する三枚の貨幣に目をとめると、苦笑いを浮かべた。それからため息を吐き、
「五百円貸すから、好きなの買ってきなさい」
お母さんのようなことを言った。伶門さんの顔がぱっと明るくなる。
「い、いいの……?」
委員長はトレイをテーブルに置いて、財布から五百円玉を伶門さんに手渡した。
「部活のときに飲むヨーグル茶代しか補充しないからそうなるのよ」
「ご、ごめん……。ありがとう、委員長。明日絶対に返すね」
伶門さんは天然なのかドジなのか間抜けなのかわからないが、どうやらそういう人らしい。