人の観察と自分の観察
人の生活にも人の観察と自分の観察の二手がある
人の観察と言っても周りや足場の人が何か変わってくっる、感じや生活に変化がある、自分なりの好み、興味とあるような感じでもなってくれない、似た感じにもならないと何も観察は出来ない、難しい感じに思えてきてしまう。
なら、どうしていけばいいか?いうと自分の観察や家の人の観察、読書をして勉強とでもしているか?それなりには、何か知恵となることでもPCでもしている他はない
私は今日、家の人に
「人の観察でもしてこないと何も上達はしてこないし、何も変わってこない」
「でも、何も変化がない、それほど今の足場は、好みや興味的な人がいないだ。」
「なら、あなたの好きにでもしてれば?」
「種とあるあなたが動きがないと、あなたの周りには、なにもないから」
だが、人の観察に行けと言われる私としては、観察したい人がいない
観察してきた人は10年以上はしていた。
人は最終的にもなると
「私はこの世界から変われない、この世界に閉じ込められたまま」
「時代とはいう言葉はこの世にはないだ。」
「20XX年」
「さわがしい人」
「なにも変わってはいない」
変わったことや不思議なことを言いだす
人を観察ばかりも観察してきた者のたち場側には、飽きてくる。
人と人で、ただ狭い世界と見てばかりもいれば、広い世界と見ている人もいる。
だが、世の中には変化は起きない人ばかりだと、何も私たちは、変われない日々だ。
家で兄が帰ってきた時、兄が「チョコモナカジャンボ」と2つ買ってきて、母は他のアイスクリームと買ってきた。
私はそうして1日に4つとアイスクリームを食べたら、家の人に
「ちょっとあんたは、食べ過ぎだよ!アイスクリーム」
「もう、そんなにアイスクリームと食べて!」
「何で急にそんなにアイスクリームと食べるようになったのかね」と私は家の人に怒られた。
家の人はただTVと見てごろごろしているか?何か本でも情報でも調べているだけだ。
冬だからこそ、アイスクリームと食べてみると美味しさが味わえる、家にいて、食べ物がアイスクリームしかないから、食べる。
家の人が私がアイスクリームに食べ過ぎに
「モックンスペシャルだ」
家の人は、驚いていた。
昼食にチャーハンと食べて、また、私はアイスクリームと食べていた。
読書家や作家なら、食べることは多くはないだろうか?
チャーハンやオムライスというのは?家にあまりお金とない、家が貧乏的な生活なら、食べやすい、作りやすいといえばチャーハンやオムライスと食べ物は多くはないだろうか?内の家庭は家にいるなら、よく食べる昼食だ。
家の人が私がアイスクリームばかり食べるので
「もう、今週はアイスクリームは買ってこないからね。」
私は江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読んで自分の部屋でくつろいでいた。
兄は出かけて行き、母も出かけて行き、私は家で1人でいた。
午前にラジオ体操弟1、弟2としていたので、体的には身軽な気持ちだった。
2017年3月2日朝、私は冷蔵庫から「チョコモナカジャンボ」を見つけた。
「あっ?チョコモナカジャンボ」と思い、これも1つの幸せかラッキーだと思い
兄が買って来たか?どこかに行った、ついでに買ってきてくれたのかもしれない。
朝早く、まだ、みんなが寝ている、夢を見る頃から、私は起きて、チョコモナカジャンボと食べて、そうして、読書をしていた。
私は読書に夢中になりながら、本を読んでばかりいた。
いつも通りの知り合いから連絡も着たり、家の外などに何やら変わった人や家の近くといた人がいた
「独り言でも、言ってくれればいいのに」
通販で頼んでおいた本などが家に届いていた。
夕方はもう疲れてしまい、寝ていた。
私の家の人は
「もう、安心して死ねる。」
2017年3月3日、今日はひな祭り
午前2時には起きて、読書としていた。
ライトノベルのソードアート・オンラインオルタナティブガンゲイルオンライン(ガンオン)Vと読んでいた、他には、漫画のハンターハンター28巻を読んでいた。
まずは、自分と観察する、家の人などを観察する、本でも読み、イメージ力や想像力でも高める、身近な場所での観察とでもする、自分の生活でも観察しているほうがいい
読書側の人たちならどう思う?観察をする人がない、観察としていく場とないなら