その3
三
桜田門。警視庁本部ビルがそびえ立っている。
庁内のエレベーターに御堂は乗っていた。
上昇時の重さが足に掛かる。壁に背を着けることなく、直立していた。
僅かな時間だが、一人になれる。こんな時間でも捜査の事を考えてしまう。
得られた情報は、全て御堂に届き、脳内の集積回路に蓄積される。篠山の生い立ち、仕事内容から現在の地位に至るまでの情報は得られている。
何より、事件日から可能な限り遡り、半年先まで遡上できていた。
事件当日。篠山は上司と共に、都議会議員を接待していた。それは、料亭の仲居、店長からも裏が取れ、都議会議員本人の証言も得ている。
議員の証言によると、二十時過ぎから二十二時半まで、その店の奥座敷で飲んでいる。
接待終了から、死体発見現場である民家に、どれほど早く向かっても、二十三時を過ぎることは間違いない。
遺体は、十時間から十四時間ほど浴槽で煮られている。
時刻を逆算すれば、夜九時から煮ていなければ間に合わない。
その場にいた皆の情報で、九時前に一度席を立っている。上司と議員の証言によると、電話で十分弱席を空けたそうだ。
往復四十分は掛かる。この時間では、犯行は不可能だ。
当然、思考の行き着く先は、自分で殺害できないなら、人を使うという至極正常なものになる。
そこで御堂は、篠山の交友関係を洗わせた。職場だけでなく、幼少期、学生時代、仕事先、夫人の友人関係まで洗えていた。
その徹底ぶりは、エゲツナイ捜査では右に出る者のない公安すら呆れさせるものだった。だが、その甲斐もあって、実行犯になりえるほどの友人が数人浮かび上がった。
共犯になりえそうな人間は、甘く判断して三名。大企業の課長、埼玉県庁の職員、三店舗の飲食店を経営している経営者である。
篠山を含めた四人は、結託しているのは明らかで、互いの地位や立場を利用して、相互に力を補完し合い巨利を生みだしている。
その三名の当日のアリバイを調べた結果、三名ともアリバイが成立した。
二人は、職場の仲間と残業。残る一人は、ジムで個人レッスンを受けていた。
以上の報告を受けたとき、御堂は即座に断を下した。
金で殺人を請け負いそうな組織を調べるよう指示したのだ。
四課に要請し、情報を得る。当然、政治的な駆け引きはあるが、そんな事を気にしている状況ではなかった。
四課の情報によれば、現在暴力団の活動は金稼ぎに主力を注いでいる。だが、四課の情報では、組織が殺人に関与している可能性は極めて薄いということだった。
やはりそうだ。結局、四課の情報でも発見当時の最初の結論に行き着く。一般人を殺害するのに、組織が遺体を残す訳がない。要人暗殺、敵対組織との暗闘であれば別だが、その要素は皆無だ。
五日目にして、ふりだしに戻った。
可能性としては、チンピラや借金苦に喘ぐモノたちを雇い実行させる。そんな事しかないが、可能性は限りなくゼロに近い。
雇う側の問題点は実行性と秘密性にある。双方を満たすのは金銭だけでは難しい。余程の資金が必要になる。そこで、銀行から資金横領がないか、資料を提出させ調べさせたが徒労に終わった。
これ以上、銀行資金の流れを把握するなら様々な問題が出てくる。
銀行を監督するのは金融庁だ。だが、その上には財務省がいる。
いくら警察庁と云えども、全省庁で最強の役所である財務省に泥を塗る行為を上層部が許さないだろう。
筋を通しながら、浅広銀行の金の流れを追うにも、相当な人員と時間を要する。
そこで御堂は、刑事部長にお伺いをたて、上層部に言上するべきだろうと思いつつも決心はついていない。
体に浮力が掛かる。エレベーターが停止動作に入った。停止して扉が開いた。
「御堂じゃないか」
声の主に視線を移した。西久世が立っていた。
不快な表情をしたが、西久世は笑顔で近づいてくる。御堂も瞬時に覚悟を固めた。
「久しぶりだな」
完全に形式的な態度を取る。
「あぁ、警察大学校以来か………」
「同級生の出世していく姿は見ていて誇らしい」
西久世は笑顔を向け、しれっと口にした。警察庁で、最も出世街道にいる同期は西久世だ。
自分の下であれば、誰であっても許容範囲なのだろう。
「お前と会うと大学時代を思い出すな。私は、大学で初めて世の広さを知った。君が総代の挨拶をした時、世には優秀な人間がいるのだと痛感させられた」
懐かしむように語る西久世だが、御堂は冷ややかな目を向けている。
西久世とは、大学時代に様々な因縁がある。御堂が入試をトップで合格した。そして、総代で挨拶をした。それが悔しかったのだろう、後期の試験で西久世が頂点を取り返す。
それからは、常に東大首席を維持したまま卒業することになる。
この結果は、御堂が西久世よりも劣っていると云うことではない。思考の違い、主義の相違。端的に言えば、行動哲学の比重の差が出たという所だと自身は思っていた。
回数は多くはないが、西久世と話したことはある。お互いに本心は晒すことはないが、行動や振る舞いから推察するに、自身の優秀さに誇りを持っているようだ。
自身を中心かつ頂点としたピラミッド構造の考え方をし、その支柱になっているのが自身の優秀さと血統の高潔さであるように見えた。
そんな西久世と反対に、御堂は横の連携を重視した。自身を中心としていることは変わりないが、上位という訳ではない。
だが、御堂は最も重い責任を背負うことを義務としている。そうすればこそ、発言力が増し、決定権を有することになる。
それは、自身の優秀さを見せながらも、大学時代から自派を形成する努力をしていた。法学部で三十人の仲間を作った。
大学全体では百名。
こうなれば、東大生の決定機関として作用を始める。東大が動けば、他の大学への影響力も出てくる。そして、御堂が日本の大学生の意思を牽引する。
これは、社会に出るためのシミュレーションであった。御堂にとって、首席だとか次席だとかは意味がない。個を集団にし、集団を組織化させて自派に変化させる。
社会とは、どれだけ民主主義を謳おうと、平等を唱えようと少数が多数を支配する。その事を骨身に沁みさせ、支配・統率者としての訓練だった。だからこそ御堂は、首席を西久世に渡した。
西久世には、強固な古えからの組織・血縁による一族の力がある。その為、自身の能力の高さを示すことこそ必要だったのかもしれない。名家の声望を頼る人間たちを取り込み、三十人程の勢力を有していた。それでは、御堂の対抗馬に成り得ても、凌駕するまでには至らなかった。
正に、名声はあるが力のない御公家様である。
そんな西久世であったが、学生の頃に変わった言葉を使っていた。御堂派に属する後輩に言った言葉である。彼は、優秀な学生だった。その生徒に聞こえないように呟いたのだ。
「平民がッ………」
未だに華族意識が抜けない血族意識に唖然とさせられる。
余程、歪んだ教育を受けたのか、血による誇りだろうかはわからない。
西久世家。代々遡ると鎌倉時代以降に公家となる羽林家に繋がる。
その源流は藤原氏であり、天皇を輩出したが、臣籍降下して村上源氏を経て、羽林家から十五家に分派した。
その一家が、西久世家である。
西久世家は、代々の天皇に仕え、統治者が代わろうと日本の中枢に居続けた。西久世家の卓抜した所は、乱世であろうが、太平の世であろうが時代の節目には果断に行動している点だ。
明治新政府になっても、西久世家当主は主要な役職を歴任してゆく。
元老院議官、侍従長、貴族院議長、枢密院議長などを歴任し、明治十八年に伯爵へ叙された。
以後、西久世家は華族として、大日本帝国の統治に関与してゆく。祖父は、朝鮮総督府の総督として辣腕を振い、叔父は財務省上席主計事務専門官である。父親は衆議院議長をしている。
正に、名家としか表現できない一族であった。
そんな西久世がうっすら笑みを浮かべて、呟く様に声を出した。
「刑事部に配属されたお前が羨ましいよ。公安は、日本を政治的に守護しないといけない。単純にコソ泥や人殺しを追っている君が羨ましくってね」
眉をひそめると、西久世はすぐに言葉を付け足した。
「勘違いしないでくれよ。軽んじいてる訳じゃないんだ。刑事警察は事件が起こってから動くだろ。公安は、事件が起きる前に防止しなきゃならない。それは、犯人を逮捕すれば済むなどという近視眼的な話じゃない」
西久世から諭されるように言われた。
「馬鹿にされているようにしか聞こえないが?」
落ち着き払った口調で受けて立った。
その時、足音が迫ってくる。テンポの良い軽やかな音だ。
「西久世管理官。そろそろ………」
新人です、と云わんばかりの若い刑事だ。イマドキの若者らしく、軽さしか感じない容姿をしている。見た目は良いが、役には立ちそうにない。
西久世は目配せをして向き直り、口を開いた。
「もし、そう聞こえたら済まない。だが、そんな意図はないんだ」
御堂の肩を軽く叩き、西久世はエレベーターに乗り込んだ。その姿を追うように振り返り、西久世と別れた。
相変わらず自信過多な野郎だと思いながらも、無反応で見送った。
御堂は、再び歩き出し考える。自分が西久世に劣っているとは思わない。功も自分の方が、より多くたてている。それでも、西久世一族の影響力、財力、名声、代々蓄えてきた声望と人材・人脈網は、個人の才覚では対抗するのは不可能だ。
奴を評価するのは、総合的判断という超エリート起用なのだろう。
御堂家は、武家の家系ではあったが、政権中枢に食い込む程の名家ではなかった。家系的にはわからないが、御堂の才は優秀であった。
だからこそ、一族だの代々の血脈など関係なかった。
御堂は足を止めて思案すると、現在の捜査状況を上司へ報告することの意味を悟った。今回の辞令は、自分に一敗地に塗れさせるものだ。
この状況を報告すれば、やはり人材の優劣は公安部有利となりかねない。
警察庁上層部は優秀であるが、思考回路は歪んでいる。人数が少なかろうが、時期が悪かろうが、出来ないと言う訳にいかない。
御堂は、ある人物の顔が浮かび、胸ポケットから携帯電話を取り出した。
眉を歪め呟く。
「背に腹はかえられないか………。前門の強敵、後門の変人なら変人だな………」
携帯電話のアドレスを切り替えながら、変人の名が画面表示された。しかし、結局選んだのは、変人ではなく、常識人の顔が滑りこんだ。
深く長いため息を吐くと、画面を切り換えた。
「やっぱりこっちだな」
表示画面には、【永都敦志】と出ている。迷うことなく通話ボタンを押した。すぐにコールが始まる。会話の為に人気のない場所に移動する。
本部ビルの窓から景色を眺めた。皇居の新緑が青々と茂っている。ここだけを切り取ると、とても都心だとは思えない風景だ。
相手が出た。
「すまない。今、大丈夫か?」
「そうか。悪いが、また協力して貰えないか?」
「礼を言う。で、あいつの居場所は?」
「会社の場所は?」
「わかった。一度、本庁に来てくれないか?こっちで準備しておく」
一連のやりとりの後に電話を切った。そして、またスグに掛け直す。赤羽署の特別捜査本部のデスクにである。
「御堂だ。古島刑事と滝刑事を本部へ呼んでくれないか?」
それだけを伝え終えると、電話を切り、再びメモリー内の番号を変えて、通話ボタンを押した。
「刑事部の御堂です。とある人物の身柄確保をお願いしたい。ナンバーは、――――」
必要事項を伝え終えると、皇居上空を飛ぶ鳥に目を移した。