二章 御堂の捜査 その1
一
事件から三日目。
六名の参考人についての捜査は、一応の結果を得ていた。
自滅党幹事長結城議員に関しては、本人の協力もあり、ほぼ無関係であることがわかっていた。
鵜呑みにする訳ではない。だが、幹事長の職にありながら、総理総裁を見据えている人物に、選管に触れるものならともかく、党内の敵派閥の落選工作など取るに足らない問題なのだ。
自派勢力も党内の第二派閥だ。金、人、双方に絶大な影響力がある。他に重大な情報を掴まれていれば可能性もあり得るが、これくらいでは与党幹事長の地位は小揺るぎもしない。
それと同様に、石油会社会長、証券会社専務理事も殺人を犯す程の事でもない。
無論、些細な理由で殺人を犯す者も多い。しかし、彼らは至極理性的で計算高い。激情に流されることなく損得を判断できなければ、現在の地位には居ないだろう。
御堂は残りの三名の報告書を見る。可能性としては、食肉公の深野、暴力団の若木だろう。深野の闇は、あまりに厚いベールに包まれている。数日の情報収集では、全容は見えてこない。
マル暴の臨王組担当によると、桑原の情報は古く、今の麻薬の販売ルートは変わっているそうだ。
古い情報といえども、報復の可能性はある。
組の事を探ればこうなる、と見せしめの報復とも考えられる。
それにしても、唐突な殺害に思える。ヤクザならば、有る程度の警告はあるはずだ。
しかも、遺体をあのままにはしないだろう。通常、海に沈めるか、山に埋めるかなどするはずだ。
手口としては計画性が見えるが、稚拙で、大雑把かつ大胆だ。
特異なのは、湯船で遺体を煮るという猟奇性だ。一人で行った犯罪にしか思えなかった。
浅広銀行の篠山については、興味深い報告が次々と上がっていた。
書かれている文は、御堂の心を震わせる単語が散りばめられている。
あの民家は、浅広銀行が所有管理していることは既に判明している。
ひと月前、住居を探しているという客を連れて来たという。
それを篠山自ら案内したということらしい。
それだけでも、良い情報であったが、さらに極上の情報が続く。
知人によると、篠山はここ数週間脅迫されていたようだ。本人から相談されたことではないが、携帯電話で話している声が聞こえた感じでは、そうとしか思えなかったようだ。
その時、サイバー犯罪対策課からPCの調査結果が上がってきた。刑事の一人が御堂の脇に立ち小声で報告した。
「御堂管理官。PCは、一部データ消去されていました。直ちに復元作業をしておりますが、上書き保存を繰り返し、消去されたらしく、復元が困難な上に、出来るとしても時間が掛かりそうです」
「そうか。引き続き作業を頼む」
表情を変えることなく口にした。
御堂は、本星は篠山だと確信する。あとは、桑原の掴んだ情報とは何だったのか、それが重要だ。
そこに、古島刑事が帰って来た。御堂は捜査状況を尋ねた。
「古島さん。どうですか?」
御堂が、先輩刑事として出迎えた。
「駄目です。連休に入って、オフィス街はまったくの無人。人通りどころか車すら通らない。聞き込みに、まったくならないです」
後ろのベテラン刑事が目を細めて頷いた。
「近隣の住人は?」
「話を聞く相手がいない。隣の区画の民家を訪ねましたが、連休中で留守か、客人の対応で真剣に耳を傾ける住人は少ない。仕方なく繁華街に向かっても、普段の客とはまったく違っていてどうしようもありませんな」
御堂は、その報告を聞いて眉をひそめた。部下を労い、下がらせ、考える。
連休、それは考慮していた。捜査に与える影響、犯人に与える影響。
それは任命された瞬間から、ある程度は想定していた。
脳内で幾度も捜査指揮をしているが、陣容の薄さ、日の悪さ、全てが犯人へ有利に作用する。
このままでは、取り逃してしまう。
通常のやり方では、どう考えても辿り着かない。指揮官として選択を迫られていた。
御堂は指先で机を叩きながら、脳裏で次々とこれまでの情報を絞っていく。
桑原の所有データは、この六名の情報だけで埋められていたと言っていい。数日間の捜査の結果では、篠山が本星だ。その証拠を掴む為には、少ない人員をどう使うか、御堂はそれだけを考えていた。
数秒間の熟考の末、捜査方針が固まった。そして、すぐさま岩尾キャップを呼び出した。
岩尾キャップは、憮然とした顔で現れた。
「何か用ですか?」
現場の捜査指揮を執っていたのを中断させられたのか、不快さを前面に表した表情と態度をしている。
岩尾係長は現場からの叩上げである。お巡りを経て、警視庁捜査一課に行き着いた。そして一課で鋭い眼力と職人芸のような技能で幾つもの事件を解決してきた。実力でのし上がってきた岩尾からすれば、キャリアなんてモノは鬱陶しい存在であって、恐れるモノではないと、常日頃公言している。
そんな岩尾係長に対し、御堂は負の感情を抱くことはなかった。確かに、取っ付き難い。しかし、それを差し引いても余りある前線指揮官としての統率力と高度な捜査技術があった。
キャリア組の後輩、上月管理官の指揮下に入っていた時、岩尾は独断専行を見せた。理由は上月の決定的な指示の誤りにあったのだが、警察組織としては処罰を下さざるを得なかった。
優秀で切れ者、それ故に事件解決の糸口が見える。
だからこそ、指示があまりに方向が違っていれば従えないのだろう。
岩尾キャップの目からは、“お前は神輿の飾りだ。飾りらしく座ってろ”とばかりに圧のある視線が向けられる。
その意気込みと士気の高さに、口元から笑みが零れた。
「捜査方針を変える」
言うと、岩尾キャップは眉間に皺を寄せた。
「どういうことでしょう?」
机に片手を突いて、威圧するように聞いてきた。
「現在、多角的な捜査をしている。普段の特捜本部なら人海戦術で、短時間のうちに関係者、証拠を押さえられる。だが、現状を考慮すれば、犯人まで届かない事態にもなりかねない」
「で、どうなさるんですか?」
嫌味を多分に含んだ口調だが、反対する態度ではない。当人もあまりに長い連休に加え、人員の薄さに感じる所があるのだろう。
「人材を一点に集中し、そこから突破口を開く」
「どこに絞るんでしょうか?」
岩尾係長の表情が曇る。
「篠山だけに絞り、桑原のネタを追う。全力でだ」
「それだと、篠山がホシでない場合は、確実に被疑者を取り逃がすことになりますが………」
「では、逆に訊きたいんだが。このままで被疑者に直結する情報が手に入るか?」
その問いに、岩尾は無言であった。
「一課の刑事、機捜隊、赤羽署の総力でこれだけの情報が集まった。であれば、決断するのは指揮官の仕事だ。反対か?」
御堂は鋭い視線を向けた。その瞳は、強く輝き、同量の意志が宿っている。
この年下のキャリアは、頭がデカイだけの男ではないと、岩尾は後頭部を掻いて納得した様子で、口の端だけ笑みを作ってみせた。
「実は、自分も同じ意見だったんですよ。しかし、言い出せませんでした。自分には責任を取る立場にないので苛立ちを抱えていました」
御堂は立ち上がり、年長者の岩尾係長に言った。
「責任者は、責任を取る為にいるんですよ。少なくとも、自分はそう思っています」
岩尾は後腰に両腕を廻し、肩と背筋と腰を伸ばした。
「あんた。若いが良い指揮官だな。今のところは合格点だ」
そう言い終えると振り返り、この場にいる捜査員に告げる。
「これより、捜査対象を浅広銀行の篠山健吾に絞る。出払ってる捜査員たちにも通達しろ。陣立てを再構築する」
岩尾は、高揚したように声が弾んでいる。デスク主任が慌ただしく動き出し、部下に指示を出すと刑事たちへの連絡が始まった。
御堂は岩尾係長の後ろ姿を眺めながら、上層部の面々が浮かんでくる。現警視総監は公安寄りだ。公安畑を長く歩いてきたらしく、それだけに公安優遇措置が目につく。
今度の嫌がらせも、公安の出世頭である若手に差をつけさせようとの思惑だろう。
現在、同期の人間で出世街道を歩いているのは五名。警視庁公安部管理官、西久世輝昭。警視庁刑事部管理官、御堂元治。警察庁交通局理事官、保科隆一。警察庁刑事局理事官、本間高次。九州管区警察局監察官、堀越洋考。この中で一歩、いや半歩抜きに出ているのが、西久世と御堂である。
他にも警察庁内では下からの突き上げと、上司からの圧力が掛かる。一時たりとも、気を抜くことはできない。
公安部、西久世輝昭。昨年に起きた製薬会社による大量殺戮事件を、公安部は刑事部から奪った。その捜査に、常軌を逸する程にNシステムを活用して解決に導いた。指揮を執っていたのが、西久世であった。
刑事部と公安部の対立は根深い。警察庁では、公安はエリートとされている。それゆえ、刑事部には不満が鬱積している。
一般市民からすれば、警察と言えば泥棒、強盗、殺人などの事件を解決するのが警察である。自分たち刑事警察こそ国の治安に貢献している。もちろん交通課のように、交通事故を担当する課も治安維持に貢献しているのだが、公安は政治犯や思想犯を取り締まる。取り締まりの対象としては、右翼や左翼、最近では過激な宗教団体にまで拡大している。任務としては警備である。それは警備という名だが、極めて攻撃性の高いものだ。
他には、皇族に対しての警護と政府要人の警備である。
かつては、他国に洗脳された学生運動家たちを蹴散らし、他国の意向に沿ったマスコミからは、平和的と言われているデモ行進を弾圧した。だが、今日では学生運動も大規模なデモもない。
右翼も左翼も過日ほどの勢いは無い。新たに国際テロ組織の脅威はあるが、全体的に仕事量は減少している。
それでも公安は危機を叫び、人員と多額の資金を維持し続けてきた。にも関わらず、公安がエリートとされ出世が早いのだ。それは、仕事がないから試験勉強の時間が多く取れる環境故だと他の課から言われている。
御堂自身は、それらの特典すべてを含めてエリートなのだと解釈していた。
慌ただしく皆が動き回っている特別捜査本部内を眺め、御堂は西久世の顔を思い出していた。
「御堂管理官」
傍で名を呼ばれた。顔を向けると、若手の刑事が書類の束を持ち立っていた。
「ああ」
「申し訳ありません。捜査員たちの報告、これまで得た情報をまとめたものです」
御堂は頷き、厚い束を受け取った。