その3
三
手を打つ音。沢が顔に僅かに笑みを浮かべ、乾いた拍手をしていた。
「素晴らしい空想力です。脱帽です」
沢は、感心した表情を浮かべている。そして、再び口が開く。
「彼の言うことは違うのですか?」
御堂が親指で四法院の方を指して言った。その言葉に、沢は愉快そうな笑みを向けた。
「まったくの間違いです。私は、先週末に入国したんですよ。あの方、シホウインと仰いましたっけ?彼の考えでは、五年前の事件も私のやったことにされています。私は、今回が初の訪日ですし、訪日以前は当然、USで暮らしています。生活をしている事実は、調べて戴ければすぐに先程の話が妄想だとお判りになると思います」
沢は、強気にパスポートを渡すふりをした。確かに、アメリカでの生活が確認されればアリバイが成立する。正確には、パスポートの入国の証明がその役目を果たしているのだが、四法院は信じていないようだ。
たとえ四法院が言う様に偽造であっても、発覚するまでは沢はアメリカ国民なのだ。自国民に対して強硬な姿勢の国に、我が国の政治家は媚びるしか能がない。逆に警察組織へ圧力を掛けかねない。明確な証拠か、それに等しい疑いがなければ厄介だ。
四法院に何か言う様に促そうと見ると、友は椅子にぐったりと座っていた。仕方なく、近寄り小声で呟いた。
「四法院、こんな状況で何をやってんだ。正念場で、一番の山場だぞ」
「もういいだろう。事件は解決した。あとは、警察の覚悟の問題だ」
「どういう意味だい?」
「どうもこうも、これらの犯罪は決定的なミスをしていない。さらに、瞬時に足が着く物証も残してない………でもないな、やりようはある」
「何だ?」
「それくらい御堂がやればいい。永都も気になるなら手伝ったらどうだ?」
「その光景を眺めて楽しむのか?」
「いや、俺は飯でも食いに行くよ」
そう言うと、椅子から腰を上げて退室しようとした。
「マズイって」
「何で?」
とにかく四法院をこの場に止めておかなければと思い、口から出まかせを言った。
「御堂の事だから、このタイミングで退室すれば、放棄したと見られかねないだろう。そうなれば、報酬を減らされる所か貰えない可能性もあるぞ」
一瞬の思い付きだったが、御堂の性格と不信感を考慮すれば信憑性は十分にあった。
四法院は目を歪め、顎に手を当てて小さく舌打ちをした。
「あり得る話だ。役人は、国民や協力者を犠牲にしても、利権にしがみつくからな。大局的な見方が出来ず、わずかな利益で国まで売るだろう。俺の様な、一市民など口実さえ与えれば問答無用で切りにかかるだろうな」
相変わらず四法院の不信感の根深さに辟易しながらも、この事件を最後まで手掛ける気になったようだ。
立ち去ろうとしていた四法院が、再び椅子に腰掛けて首を回して腕組みをした。
沢と若い刑事が落ち着いた口調だが、刺々しい雰囲気で言葉を交わしている。沢はのらりくらりと刑事の言う事をかわしている。
この状況から四法院がどう出るのか、待っているとすぐに口を開いて場の視線を集めた。
「ちょっといいか。永都が、沢さんに話があるらしい」
「は?」
僕は上擦った声を出した。
「おい、ちょっと待て」
小声で肩を掴んだが、四法院は構わず続ける。
「沢さん。コイツが納得するように説明しますよ」
四法院は笑みを浮かべている。どうせ、他者を陥れて困っている姿を見て楽しんでいるのだろう。
御堂と目が合い、大丈夫かと問い掛けて来た。その視線を四法院に流すと、相手が悪かった。
四法院は御堂に対し、盤石な表情を作り意志を伝えた。
四法院が大きく椅子を下げると、自分が前に出たような格好になってしまった。
「説明をお聞きしましょう。何ですかな?」
背筋を正した沢が訊いた。古島さんの視線を一際強く感じた。親の思いを察し、仕方なくだが腹を括った。
四、五歩前へ進むと、沢さんと対峙した格好になった。
「沢さん、永都と申します」
「ここの場だけの関係です。自己紹介など不要です。この件については、責任者の名前だけで十分です」
この行為に対して、責任を取らせる気なのだろう。決して、明言する訳でも、威圧的な態度を取る事は無かったが、表情や態度の奥底に流れる不快感は十分に伝わってくる。
深呼吸をして、沢さんの顔を見た。
「沢さん。自分も、貴方が犯人だと思っています」
「万人に理解できる説明を」
呆れ気味の口調ではあるが、刺々しさは含んでいる。
僕は、事件経過を振り返った。四法院の推理で、敷島が沢であることは間違いない。だが、その沢の化けの皮を剥ぐのは容易ではない。パスポートで身分証明をしている以上、桑原事件から以前の情報からは役に立たない。そうなれば、篠山殺害と翔一君殺人未遂で立証しなければならない。要は、入国以後の行動で、犯罪を行ったことを立証しなければなならない。
僕は首を振った。たとえ、そこまででなくとも重大な疑いがあれば、四法院や御堂がなんとかするだろう、と考えてることにした。
「沢さん。本日の昼間に里奈ちゃんを迎えに行ったとお聞きしました」
「はい。別れたのは、午後三時過ぎでしょうか。それから会っていません」
「本当に会っていませんか?」
「明日、帰国予定ですので。渡航時間も長いんで、体を休めることは重要です」
「確かにそうですね。それでも僕は、貴方が翔一君をあんな目に遭わせた張本人だと思っています」
「あなたも、訳の分からない事を言っているんですね」
僕は翔一君の倒れていた凄惨な現場を思い出していた。翔一君の口内にあった肉片を思い出した。
「気になる事があるんです。一つ質問をしてよろしいでしょうか」
「何でしょう?」
「体を見せていただきたいんです」
「理由を聞かせて頂けますか?」
「何者かに襲われた翔一君は、ありったけの力を振り絞り、相手に噛みつきました。体のどの個所かは判りません。ですが、口の周辺には、血が付着していたんです」
「ほう。何を言いたいのか理解しました。要は、私の体に傷があれば、逮捕して冤罪を作ろうというのですね」
「それは、曲解と云うものですよ。不審な傷がある場合は、病院で診て頂いた後に判断しますが、要するに体に傷がなければ、問題ないと云うことです」
「噛まれた傷でなければ、私は解放と云うことでよろしいですね」
「ええ。それで結構です。体に傷が無い場合と、明らかに噛み傷でない場合は、これ以上の拘束意味もありません」
僕は曇り無く頷いた。
「仕方ないのですな」
沢は、そう言って背広を脱ぎ始めた。上着を脱ぐと、左の腕に何か巻かれていた。
「それは?」
「あぁ、これは、調理時にひどい火傷をしましてね」
「見せて頂けますか?」
沢さんが、裾を巻き上げると腕には包帯が巻かれていた。包帯が巻かれている範囲からかなりの面積を負傷しているようだ。沢さんが、ゆっくりと腕に巻かれた包帯を解き始めた。
捜査員一同が息を呑む。
沢の腕が露わになった。その腕は、赤黒く変色し、肉がぐじゅぐじゅになっている。面積としては、直径四センチ程で、傷としては深い。見た感想としては、非常に新しく未だ水膨れもしていない。
「それは?どうされたんですか?」
「見ての通り、火傷ですよ。これで、無実が証明されましたか?」
僕は舌打ちをした。沢の体に傷はあった。だが、それは噛まれたものではなく、熱傷によるものだ。人の歯型に肉が抉れているのを想像していたが、火傷というのは想像を裏切られた。
そして、沢は服を脱ぎだし、パンツ一枚になった。
「如何ですかな?」
沢が抑揚のない口調で言った。その問い掛けで、僕は言葉に窮した。
腰回りに小学生の噛み傷があることは考えにくい。物理的にも口の小さな翔一君が、噛み付くなら腕か脚が妥当だ。防御創の出来具合から、状況的にも対峙している犯人が背を向け、尻に喰らいつけるとも思えない。正直、火傷で身柄を引っ張るのは強引だ。
しかし、強引に身柄を抑えようとすれば出来なくも無い。傷は酷く、それを医師へ見せる口実で検査を理由に引っ張ることもできる。
僕は、四法院の反応が気になり見ると、驚きとも感心とも取れる表情を作っていた。
「すごいな」
四法院が手を叩き、沢に向かって称賛の言葉を送った。
「どうした?四法院」
御堂が言った。
「永都。こいつ並みの犯罪者じゃないぞ。我が身を焼きやがった」
四法院の言葉で、新しい火傷の理由を悟った。
「沢さん。その傷、病院で診ていただく必要があります。御同行お願いできますか?」
沢は不快感を前面に表わし、抗議した。
「これが噛んだ痕に見えますか?」
「肉眼では見えません。しかし、優秀な医師であれば解ると思います。それに、その傷は治療が必要です」
「違うだろう。私に必要なのは、治療よりも拘束する理由だろう。ちなみに、治療を受けるか受けないかの権利は患者側にあり、拒否できるのは知っておいてもらいたい」
「あなたは、翔一君に噛まれた傷を焼き潰しました。そうすれば、歯型や傷の形も変形させられます」
「どうしても、私を犯人にしたいようですね」
「病院での検査を受けていただければ判明します」
僕は、沢を入口へ促すよう手を向けた。
「大使館へ連絡したい」
「病院へ駐在員をお呼びします」
毅然とした態度で御堂が言った。
渋々だが沢が、歩き始めた。刑事たちに丁重に連れて行かれている。第一被疑者だが、参考人扱いである以上、どうしようもないのだろう。
沢の表情から、まだ諦めていないようだ。説明した事件に関しても全面否認している。
僕と四法院の考えでは、沢が敷島で実行犯だ。全情報を多角的に分析して導くと、その結論にしか行き着かない。
「すっきりしない結末だな」
沢の背を見送りながら呟いた。
「仕方ないな。銀行員の篠山は知識もあって頭も回った。敷島は、慎重な上に機転が利いた。だから、決定的な証拠を残さなかった」
「それでも、事件の全貌は判ったじゃないか」
「それは、俺の優秀さ故だな。だが、逮捕出来たのは翔一君の手柄だ」
四法院は、そう言って背伸びをした。
「さ、帰ろうか。病院へ」
「病院?」
「これから向かえば、翔一君のオペが終わってる頃だろう?」
「そんなに早くは無理だろう。翌朝だろうな。俺の予想では最低でも八時間以上はかかるだろうな」
四法院が滅入った様に言うと、僕の心も重くなった。




