その3
三
僕は自室に帰った時、翔一君からの電話を貰った。安堵の心境を得ると、今度は四法院の事が気になった。いったいどこに行って、何をしているのやら。
事件の全貌が分かったなら、さっさと説明して終わりだろう。
悶々としながら、事件のことをじっと考えていた。
四法院が姿を見せたのは、夜の八時を回った頃だった。文庫本を手に怠るそうに現れた。
「よう」
「ま、座れ。何か飲むか?」
「何でもいい」
僕は冷蔵庫からスポーツドリンク取り出して渡した。
「事件が解ったのは本当なのかい?」
「ああ、本当だ」
「そうか。ま、話を聞く前に、翔一君へ本を貸してくれてありがとう。礼を言っておくよ」
「そんな事はどうでもいいが、何を貸したんだい?」
「警察関係の書籍二冊と刑事たちの哀歌のDVDだ」
「そうか。喜ぶだろうなぁ」
四法院が言って、したり顔の含み笑いをしてドリンクを口に含んでいた。
どうしようもない嫌な予感が走った。
「何かあったか?」
「別にたいしたことじゃない。男の子だったら興味があるだろうし、遅かれ早かれ観るものだ。ま、初めて見るモノにしては、ちょっと刺激が強いが・・・・・・」
僕は机を叩いて、立ち上がった。
「ちょっと待て。DVDの表面にタイトルが書いてあったぞ」
「ああ、ディスクが足りなくて上書きしたんだ。ま、内容は違うが、ここ一番の当たり作品だ。すごくエロイぞ」
聴いていると立ち眩みを起こしそうだった。
僕が椅子に座り、頭を抱えていると四法院が言った。
「まあ、そう気に病むな。翔一君も喜んでくれるさ。男だからな」
「誰の所為だと思っているんだ!」
「どう考えても、俺じゃないだろう」
四法院が呆れたように言った。僕は携帯電話を取ると古島さん宅へ電話を掛けた。
こんな事が古島さんに分かったら、殴り殺されかねない。あれほど注意を払っていたのに、なぜこんな事になったのか、理由は判っているが認め難い。
翔一君は、どこかに出かけているのか、電話は虚しく呼び出し音を繰り返している。こうなれば、観られるよりも先に物を抑える方が早いと判断した。
「行くぞ!」
「どこへ?」
「古島さんの家に決まってるだろ」
「行って来いよ。俺は、もう疲れたからいいよ」
「誰が元凶だ。イイから一緒に来い」
無理やりにでも連れ出した。
古島さんに連絡を取り、家の場所を聞いた。翔一君に貸した物が、どうしても必要になって、と苦しい説明をしたのだが、古島さんも忙しいらしく煩わしそうに納得してくれただけだった。
教えられた住所は、ここから遠くなく、歩いても時間にして三十分程だった。お礼とお詫びを口にすると、電話を切り、直ちにタクシーを拾って向かった。
「心配すること無いって、男なんだから、誰でも通る道だろ」
「以外に性への目覚めは早いもんさ」
「見たって、何も変わらないさ」
古島家へ向かっている最中も、四法院がたわ言を発しているが、全てを聞き流した。
日が沈み、街にはネオンや街頭が煌々と灯っている。特に、パチンコ店の過剰な電飾は、網膜を傷めそうなほど無駄な光を放っている。
タクシーは目的地に到着したらしく道路脇に停車した。会計を済ませて細い住宅街を歩き始めた。
「どこまで行くんだ?」
四法院が訊いたが、質問には答えなかった。四法院の舌打ちが聞こえたが、無視して先に進む。
僕はメモした紙の切れ端を目にして、歩みを止めた。
「ここだ」
目の前に一般的なアパートが目に入った。築年数は十五年を超えた物だが、目の前に駐輪場などもあり、暮らし易そうだ。
部屋は、二〇三号室だと教えて貰い、アパート全体を見ると二階の一部屋だけ、明かりが灯っていた。
「行くよ」
僕は、四法院を急かす様に言うと、駆け出していた。
鉄製の階段を駆け上がり、二階奥の部屋の前に着くと表札を確認すると扉を叩いた。
「翔一君。永都だけど」
かなり強く叩いたが、中からの反応は返ってこない。電気は煌々と灯っていて、テレビの音も聞こえる。室内に人の居る気配がするも、反応の無い感じが違和感となって膨らんでくる。仕方なく柵の付いている小窓に手を差し込み、窓を少し開けると中を覗き込んだ。
二センチ程の隙間から見えた光景は、床の血溜まりに翔一君が横たわっていた姿だった。
「四法院!」
僕の声から、ただ事では無いことを察したのか、財布から三本の金具を取り出すとドアのピッキング作業を始めた。
非常事態ではあるが、何故そんな物を持っているんだと、心の中で呟いた。本棚にはピッキングの技術という本があったが、実践しているとは思わなかった。
「翔一君、大丈夫か?」
大声で呼び掛けるが、返事は無い。鍵穴から金属の擦れる音が建物に響いている。施錠の外れる音が耳に入った。
「開いたぞ!」
四法院が鍵を数十秒で解錠すると、勢い良くドアを開けた。
翔一君は、血溜まりの中、リビングと和室に跨る様に倒れていた。両手から激しく血を流してる。小さなソーセージのようなモノが四本、床に転がっていた。それは、翔一君の指だと認識するのに時間は掛からなかった。この光景からどういう事が起こったか、容易に推察できた。鋭利な刃物を持った奴に斬り付けられたんだ。傷口や出血具合から見て、切られたのは僕らが到着する直前だ。まだ近くに犯人が居るのは間違いない。
「永都!」
「あぁ、わかってる」
四法院が視線を向け、僕も瞬時に視線を送ると意思疎通を完了させる。
四法院が翔一君に近寄ると、傷口を確認して言った。
「傷は腕だけだ。息もある」
そして、止血作業を始めた。
僕は、冷凍庫から氷を取り出し、ビニール袋に入れ、水を張った。清潔なビニールに千切れている指を入れ、保存に努めた。
四法院は、手脚を血に染めて応急処置を続けている。
「救急車だ」
四法院が言うと、僕は携帯電話で救急車の手配をする。
目の前では、虫の息の翔一君を四法院が必死に手当をしている。服は血まみれで、顔にも血が付着しいている。
「四法院、すぐに来るって」
「そうか。だったら、次は谷元だ。俺は、御堂に連絡する」
そう言って、四法院は携帯を二つ床に並べた。
《はい。谷元です》
《なんだ?》
一秒差くらいで、二人とも電話に出た。
「いいか。良く聞け!古島さんの息子の翔一君が襲われた。犯人は不明。生きているが、両手に酷い防御創を負っている。谷元、権田先生の知り合いに整形外科の優秀な医師がいただろう。そこの病院へ手配を頼む。御堂、その病院までの道を確保しておいてくれ。一刻を争う。御堂、翔一君は犯人を目撃している。警察権力に賭けて、タライ回しなんてさせるなよ。谷元、病院に折り返し、俺の携帯に電話をさせてくれ。病院が断るような口ぶりなら、マスコミで徹底的に叩いてやれ。六歳の犯罪被害者を見殺しにしたってな」
電話を切ると、外から救急車のサイレンが聞こえて来た。
「四法院。まだ犯人が近くにいる筈だぞ。手配はどうするんだ?」
「今は、救うことに全力を注いでもらおう」
四法院が翔一君の口に血が付いているのに気が付いた。斬り付けられた痕は無く、手で口を拭ったかも知れないが、付着している血が少量だった為に、口を開くと中を確認している。
「肉片か?」
四法院は、翔一君の歯をこそぐ様な仕草をして、何かを取り出した。これもビニール袋に保存してくれ。
「それ、犯人の・・・・・・」
「だろうな。犯人に噛みついたんだろう」
その光景が浮かぶようだった。鋭利な刃物で切り付けられながらも、両手で防ぎ、指を切断されながらも犯人の体に噛みついた。よく殺されなかったと思う。頭部や頸部に刃物を突き立てられれば即死しかねないが、そこが幸運といえば幸運だろう。さらに、この肉片で、犯人の物証が手に入ったのだ。
この犯人が、現在捜査中の犯人と同一人物もしくは、関連性があるかは判らない。それでも翔一君のお手柄には違いなかった。
救急隊が来ると、タンカに載せて運び出された。救急隊が、どけどけという態度で入って来たが、応急処置は既に終わっている。
「T大学病院へ向かってください」
僕が伝えると、救急隊員は頷き車両への収容作業を始めた。
パトカーのサイレンも聞こえた。御堂が、先導役に寄越したのだろうか。
僕たちは、救急車に乗り込むと、警察車両が先導するように先を走り始めた。問題は渋滞だが、大通りに出ると、要所に警官が配備され、交通規制がされていたのだ。
救急車は流れるように道路を進んでいく。
「四法院、すごいぞ!」
僕は、思わず感嘆の声を上げた。警視庁の底力というか、刑事部御堂管理官の剛腕を思い知らされた。
ここからは、自分たちに出来ることは何もない。止血は出来ているが、翔一君の息は荒く意識は朦朧としているようだ。切断された指は、ビニールに入れ氷水で冷やされている。
四法院が、翔一君の防御創を見つめながら呟いた。
「それにしても、何故襲われたんだ?」
眉間に皺を寄せて怪訝な表情を作っている。
理由はいくつか思い浮かぶ。刑事である父親に恨みのある者の犯行。現在の捜査で、犯人に接近している事からの警告。それらがまったく関係ない、住居侵入をした上での犯行などだが、イマイチ全てがピンとこない。
目の前で、翔一君が酸素マスクを付けられ、荒い呼吸を繰り返している。ほんの数時間前は、元気に夢を語っていた姿が嘘のような変わりようだ。
「永都。昼間に気になる出来事があったか?」
独り言のように僕に聞いてきた。
昼間の光景が脳裏に浮かぶ。仲の良い女の子とのお別れの話を聞いた。それは、翔一君にとって辛い別れだったらしく、背中を見ているだけで悲しみが伝わってくるようだった。だから、元気付けようと四法院の資料を貸そうと思ったのだ。
他に気になる点と云えば、昼間の翔一君の姿を思い出す。不自然な事が心の襞に引っ掛かった。
「手帳だ」
四法院が視線を向けた。
「くたびれた大人物の黒革の手帳だ。父親の物だと思ったが、今から考えれば、女の子とのお別れには不要の物だ」
「手帳か・・・・・・」
これだけでは変人の四法院でも繋がりが見えないようだ。四法院は、頭を掻いて古島のおっさんにお別れした女の子と手帳について聞くしかないな、と呟いた。
車内にサイレンの音が響き、鼓膜を揺らす。聞き慣れない音の所為か、不安が胸に広がった。翔一君は、失血からか顔色が白く変化していた。
救急車は速度を緩めることなく、都心を疾走している。




