九章 突破口 その1
一
午後一時を回った頃、四法院からの電話があった。ちゃんと睡眠が取れたようで、声に張りがあり、語尾も濁ることなく鮮明だ。
電話の内容は、腹が減ったから飯を喰いに行くぞ、というものだった。自分としては、あまり食欲は無く、食事をする気分ではないが、断れば四法院は一人でも食事に行くだろう。それ自体問題ではない。問題は、突拍子のない行動を取ることだ。
行く店が、近場の飲食店ではなく、都内の有名店であれば良い方だ。経験から言えば小旅行の感覚で食事に行ったりする。そうなれば、すぐには捕まらないだろう。守役としては、それだけは避けねばならない。となれば必然的に、食事に付き合うことで行動を制御するしかなかった。
既に、待ち合わせ場所のすき焼き店の入口に立っていた。店の外観は、一般人向けで綺麗だが、高級感の無い店だった。四法院の趣味とは少し外れているように思える。
店内に入ると内装は、いかにも家族向けですと主張していた。玄関の傍に、大きく驚きの文句が掲げられている。
【他店割引券及び、御食事券が使用できます】
この文句には驚かされた。商売への気合いを感じた。確かに、他店の小額の割引券なら使って貰った方が、来店回数は伸びるだろう。
感心しながら、玄関をくぐると入口に立つ店員に、旨を伝えると席に案内してくれた。
四法院が四人のボックス席を尊大に占拠していた。
「お!来たな。ちなみにもう注文してあるからな」
四法院は言うと、水の入ったグラスを口に運んだ。
僕はメニューなど何であっても気にしない。そんな事よりも、事件について聞きたい事が山ほどあった。
四法院はテーブルに置かれている調味料の確認をして、食事の準備を万全に整えている。水を運んでくれた店員にお礼を言い、グラスを体の前に置いた。とにかく、料理が運ばれる前に話を切り出した。
「午前中、金の流れを調べろと言ってたけど、その理由は何だい?」
静かな口調で訊くと、四法院は後頭部を左手で掻いた。
「無粋だな~。これから美味しい料理を食べようかと云う時に、なんで事件の話をするんだ」
「午前中に話すと約束したからだろう」
「まだ、全て解ってないんだがなぁ」
「構わないさ」
僕が毅然と言うと、溜息を吐きそうな表情で四法院は話し出した。
「今、判明していないことは、犯人、犯人の動機・目的。他には、これら事件の全貌がまったく見えない。どこまで関連しているのだ。それらを置いておいて、見えることを口にするぞ」
四法院は、グラスの壁面に付いている水滴を指先でなぞりながら言った。
僕は返事をすることなく、無言の態度で了解と示した。ゆっくりとした口調で、四法院が事件について話し始めた。
「桑原の事件から遡る様に、四つの事件が繋がっている。時間軸から考えれば、平成十六年十二月の敷島誘拐事件からだ。そして、その一ヶ月ほど後に玉山が殺害されている。さらに五年が過ぎて、桑原の事件。その後に篠山が殺害された。これらは、関連が明確に判るが犯人が浮かんでこない。この五年の間に、他に事件を起こしていないかは解らない。それは除いた上でも、事件の流れは見える」
「失礼します」
店員が、すき焼きの鍋を運び、会話が中断した。一般的なすき焼き用の鍋には、既に肉や野菜が入れられていた。
テーブルに備え付けられているIHコンロの上に置き、立ち去った。すると、四法院が舌打ちをした。
その理由は推察できた。前回、すき焼きを食べに行った時だ。四法院は、肉を焼いた後に、割り下を加えて煮ていた。肉を煮るだけでは、風味が足りないのだろう。前回、ウンザリするほど講釈を聞いた甲斐があった。だが、今はそんな事はどうでも良かった。
鍋を箸でツツいている四法院に、僕が話を促した。
「続きを聞こうか」
四法院は箸を生卵の入った鉢の上に置いた。
「流れとしてはこうだ。敷島社長の融資話を犯人は知っていた。八千万円相当の融資額に、個人の預貯金、会社の運転資金などある。犯人は敷島社長を誘拐し、その現金を奪うことにした。だが、普通に誘拐して、奥さんに身代金を要求しても成功確率はゼロに等しい」
僕は頷いた。正直、誘拐事件ほど割に合わない犯罪はない。それは、過去に起こった身代金誘拐事件が証明している。百八十件を超える誘拐事件が起こっているが、身代金を奪った上で逃げ切った犯人を自分は知らなかった。
誘拐事件を起こし、未解決になっている事件は、現金受け渡しを指定しても結局は、受取の場所へ来ていない。犯人にとって身代金誘拐の最大の危険とは、現金授受の際に必ず警察と接触しないといけないことだ。
細かいことを言えば、一億の現金は一万円札を積むと新札で一メートルになる。それを人力で運ぶと考えただけでも苦労だろう。
自分であれば、数十億の宝石で要求するだろうが、捌ける術を知らない。四法院ならどうするかと思ったが、悪辣なことを言いそうだから聞くのをやめた。
「で、この犯人は見事にそれらの問題を消し去った。現金の受け渡しをしなかったことだ。しかも、あらかじめ資金の流れを掴みにくくするために、送金ルートを決めていた。ペーパーカンパニーに振り込ませ、海外へ資金を移してから資金洗浄を繰り返す。捜査資料を読む限りは、数十に分散して、正常な資金とも混ぜられていることから、もう追跡は無理だろう。犯人は約束手形の法的拘束力で、不可解な金を銀行の手で振り込ませた。まんまと、金をせしめた訳だ」
説明した四法院だが、歯切れが悪かった。その理由は僕にも容易に解る。
「その手段なら、わざわざ警察に誘拐されたと知らせる必要がないじゃないか。奥さんを騙すにしても、置き手紙一枚で済むだろう?犯人側からすれば、警察に介入されて利点があるとは思えないな」
「そこが腑に落ちないんだ。偶然、発覚したなら別だが、犯人も偶然を装う気も無い。となれば、何か目的があるんだろうが、それがまったく判らない。」
四法院は水を飲んで、乾いた咽喉を潤わせた。
「どうであれ、篠山絡みだろうな。この事件は篠山中心だ」
「なぜ分かる?」
「融資課長の篠山が、敷島に融資をした。その敷島が殺害され、金はメインバンクを通じて海外へ送金された。そんな知識、一般人は知らない。知っていても、海外の送金ルートを確保する方法など一般人は知らない」
確かに、それから約四年後に敷島の娘は、篠山の養女になっている。その篠山がこれらの主犯である事は確かだろう。しかし、玉山との接点が無い事が気になった。
「そうだろうが、だったら玉山は、なぜ篠山に殺害されたんだ?」
「獏然とした理由しか言えないが、玉山が殺される理由は二つだな。敷島誘拐に関する事を知ってしまったか、もしくは共犯として関わっているかだな。どちらかは、今のところ判断できない」
すき焼きが煮立ったようで、四法院は箸を入れて豆腐を小皿に移した。
「四法院」
制止するように名を呼び、話を先に促した。
「桑原の事件については、あくまで推測でしかないが、桑原は何かの情報を握っていた。PCデータを消去されているのが、その事を裏付けていて、現に篠山を強請っている事は判明している。篠山のアリバイが確認されている以上、実行犯が居ることが分かる」
「だが、そこで実行犯との利害の不一致で、篠山が殺害されたってことか」
僕が、話をまとめた。
「そうだな。谷元との話じゃないが、この事件は全体的にドミノ構造になっているんだ。だが、最初の牌が一枚足りない。事件の始まりというか、どこが謎解きの入口なのか・・・・・・」
その言葉が、四法院をどれだけ苦悩させているか理解させてくれた。
四法院が煮込まれて柔らかくなった春菊を全て摘まみ取った。それを、少量に口に入れて、馬のように食べている。
二席向こうの座敷で、小汚いおっさんが酷い態度でビールを呷っていた。おつまみをこぼし、机だけでなく床にまで食べ物を落とし、汚している。
おっさんは、ギャンブルに勝って小金が入ったのか、嬉しそうに周囲の迷惑を顧みずに大声で話している。
相手のおっさんは子分気質なのか、揉み手をして持ち上げている。その甲斐があったらしく、分け前を貰えたようで、景品の文珍を受け取っていた。
おっさんが下品に笑うと四法院が目を細めて見ていた。
水を飲んで気分を変えると、肉でも食べようと箸を手に取ったら、ズボンの中の携帯電話が震えた。
「はい。永都です」
《永都、玉山の金の流れを洗った結果が出たぞ》
御堂からだった。
「いやに早いね」
《ああ、神奈川県警の捜査員が洗っていたそうだ。結果から言えば、誰からも振り込みの記録は残っていない。それと、勝ち馬投票券を購入するマークシートから、敷島との関連を調べた。その結果は、敷島は新宿に行っていたことが確認され、玉山は横浜の場外馬券売り場だ》
「競馬場で会っていたり、場外馬券売り場で落ち合ったりは無いのかい?」
《その可能性は極めて薄いな。だが、病院の同僚の証言で変わったものがあった。いつも玉山は給料を貰っての二週間後には食うや食わずの生活をしているのに、平成十六年の十二月の三週目に、臨時収入があったと公言していた事を憶えていた。それは、印象的だったらしく、勤務終わりに職場仲間に本格中華料理を御馳走している》
「臨時収入の金額は判らないのかい?」
《流石に、そこまでは、知らないらしい。だが、消費者金融から借りて、博打で増やした訳ではないようだから、必ず金の出処がある筈なんだが、それが分かっていない》
「わかった。四法院に伝えておくよ」
僕は溜息まじりに、電話を切った。そして、すき焼きを口にしている四法院に電話内容を説明した。
珍しく、四法院が黙って聞いている。いや、口は動いているので、単に肉を食べているだけかも知れない。
僕は説明し終えると、聞きそびれていた事を口にした。
「そう言えば四法院は、オペ室での勤務経験があるよね。どうだったんだい?」
すると、四法院は目を細め、頭を掻いて悩み始めた。何か悪い事を聞いたのだろうか。僕の質問には全く答えず、苛立っているような表情をしている。
四法院は、箸をテーブルに置くと酷く疲れた顔を向け言った。
「もういい。食欲が無くなった。出るか・・・・・・」
すき焼きの鍋の中には、まだ料理が半分近く残っている。
「おい・・・・・・」
止めようとしたが、既に伝票を持って席を立っていた。僕は後に続くしかなく、水を一口飲んで、携帯電話を手に取り急いだ。
入口前にあるキャッシャーでは、四法院が伝票を出していた。店員がレジを打ち込んでいて、金額が表示されているが四法院は、店員の後方の貼り紙を凝視していた。
入口にも貼ってあるアノ紙だ。
店員が呼び掛けるが、四法院は反応しない。仕方なく、僕が急いで割って入ると、一万円札を出して店員に渡した。
「そうか!」
突然、四法院が叫んだ。
「どうした?」
「解ったぞ!くそ、とんでもない、いや、下らない目眩ましだ。永都、俺は準備があるから先に出るぞ」
「ちょっと待て、一体・・・・・・」
大声を出したが、四法院は急いで、店を出るとあっという間に姿が消えた。
僕も駈け出そうとしたが、店員が引き止めるように声をだした。
「御客様、お釣りを・・・・・・」
お釣りを貰い、僕は溜息を吐いた。
店外に出ると薄曇りの空の所為か、風が吹くと肌寒かった。




