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四法院の事件簿 2   作者: 高天原 綾女
事件発生
3/40

その2

     二


 強い日差しが、アスファルトを照らしていた。

 数十メートル先から、工事の掘削音がうるさく古島の耳に響いている。

 捜査一課第二係の刑事、滝さんと共に聞き込みに回っていた。


「駄目だな・・・・・・」


 滝さんは吐き捨てるように言った。

 滝さんは四十代後半の警部補である。刑事とは、何より現場で汗をかく事が重要なのだ、という信念を持っていた。


「そうですね」


 素直に同意した。

 泣き言を言いたくなるのも無理もない。本日からゴールデンウィークの初日である為に、オフィス街はまったくの無人であり、住宅街にも人の姿はない。

 在宅の方も血縁者を呼んでいる為、我々の話を聞いてくれる隙などなかった。

 それでも自分は話しかけようとしたが、滝さんにさり気なく止められた。

 今は、何をしても反感を買うだけだろう、休み明けには快く協力をしてくれるだろう、と説明してくれた。

 確かに、協力は取り付けられるだろう。だが、今年の連休は最長で十一日だ。

 記憶は薄れ、忘れてしまいかねない。

 何より、犯人に逃走の時間を与えることになる。

 それは、逮捕の可能性を著しく低下させる事だった。


(利敵行為)


その言葉しか思い浮かばなかった。自分の思いが伝わったのか、滝さんは笑顔を向けた。


「大丈夫だ。どんな状況でも捜査は続ける。住民たちに説明もする。だが、無理強いすれば警察に対して心を開かなくなる。そうなれば、些細な情報すら手に入らない」

「そうは言っても、連休中では街にいる人に聴き込んでも、行楽客では意味がありません」


 そう喰いつく自分を、滝さんは微笑んで宥める。

 現状ではどうしようもなく、一度、捜査本部に戻ることになった。

 赤羽署の大会議室の前に立つ。

 会議室入口には、『空家侵入変死事件特別捜査本部』と模造紙を合わせた立看板が貼り出されていた。

 室内に入ると、スチール製の机、木製の長い机、無線機、ファックス、電話など続々と設置され、独特の配置で室内が形成されていた。

 机がいくつか組み合わされ、そこに総ての情報が集まっている。その手前に長机でひな壇が作られる。 捜査会議の時、一課長、署長、理事官といった幹部が並び、刑事たちと向かい合う。

 捜査資料は、会議室の隅に置かれた机の上に並べられる。もう一方の机には、急須や電気ポッド、茶碗など。ひな壇には、被害者の顔写真が黒い額縁に入れられ立てかけられている。

 ホワイトボードには、現場の見取り図が貼ってあり、別用紙には被害者の氏名、年齢、職業、発生日時、状況などが書かれている。

 滝さんと新しい情報がないか確認していると、思った以上に時間が経過していたらしく、かなりの人数が室内を満たしていた。

 時計は、午後六時を指し示そうとしている。そして、応援捜査員である指定捜査員が集まったのを受け、一回目の捜査会議が開かれる。

 古島は、指定されている席に着き、手帳とペンを取り出した。

 近藤署長、御堂が入ってきた。

 会議の進行役である岩尾憲之係長が、自己紹介を始めた。その後、デスク主任を紹介し、刑事たちの編成を通達した後、皆起立し、お互いを認識した。

 そうした中で、普段通りに会議が始まり、滞りなく捜査会議は終了した。

 被害者は、桑原順呉。年齢四十六歳。職業フリージャーナリスト。発見時刻、午前八時二十三分。遺留 品は、被害者の衣服、財布、財布の中から現金三万二千円、キャッシュカード二枚、クレジットカード四枚。他には、四種の鍵が残されていた。

 すぐに身元が絞られたのは幸運であった。捜査は、桑原周辺の人間を洗うことになる。

 これから昼も夜もない生活になる。その前に、やるべきことを思い出した。


「滝さん。すいません。一度、家に帰って良いですか?」

「おっ、そうだな。翔一くんに説明して来い」

「すいません。すぐに戻ってきます」


 古島源二。広島県福山東署からの研修という形で警視庁に出向している。

古島は、元は地域課の人間であったが、勧誘され捜査一課に移った。

 まだ地域課にいたときに、御堂が福山東署に配属されてきた。

 御堂のようなキャリアは、警察大学校での三ヶ月間の教育が終わると、実務実習の為に地方の県警へ行くことになる。

 その期間は、九ヶ月間だ。

 キャリアは、初勤務から係長の役職を与えられる。係長職というのは、六十人程の部下を指揮下に置くことになる。警察学校を出たばかりの奴が、もっと言えば社会人の経験すら無い学生に、緊迫した現場で指揮を執れと云うのだ。

 ほぼ全ての部下が御堂より年上で、五十歳半ばの人もいる。自分が戸惑うくらいだから、部下の心理を察するに余りある。

 そして当時、勤続六年目の自分が世話をすることになった。今考えると、自分は丁度良かったのだと思う。キャリアなんて人材は、こちら側からすればお客さんだ。将来、警察庁の幹部になる人なのだ、可能な限り良好な関係を築いておきたい。

 署長も、警察のことを知らない若造と思いながらも、警察庁や県警本部の上層部と繋がっているから邪険にはできない。出世を希望する者は、御堂の誇りや経歴を絶対傷つけてはならないのだ。是が非でも、こちらでの仕事を無事に終え、帰って頂かなければならなかった。

 署長や上司の保険として、万が一の時は自分一人を人身御供に捧げる気だったのだろう。

 こうして、年下の御堂係長に現場を教えることになった。

 先輩からキャリアの悪評を聞かされていた。

 その教えを参考に、斜に構えるように御堂に接した。そんな態度に、御堂は謙虚な姿勢で応えた。まるで、普通に後輩がモノを教わる態度だった。

 突然、訳を聞きたくなった。


「御堂係長。もっと上司らしくしてくれて構いませんが」


 その言葉に、若き御堂は整然と答える。


「仕事を教わるのに、上司も部下もありません。知らない者は、知っている方に頭を下げるのが当然じゃないですか」


 自分は、その言葉と態度を信じなかった。だが、予想外の言葉が付け加わった。


「国家公務員試験に受かったばかりの人間が、即係長というのは自分も矛盾を感じました。ですが、今回わかったことがあります。自分のようなキャリアは、今のうちに頭を下げてでも、現場の仕事を教えて貰わなければ、実際の指揮を執る時に、複数の助言、進言を受けた時に選別できません。ですから御教授お願いします」


 そう言って、自分に少年のような笑みを向けた。

 その笑顔と言葉に含まれる強さに警戒心を解かれた。

 細かいことなどどうでも良くなり、腹を割って話してみたい、そう思わされた。


「本気で現場を知りたいんですか?」


 先輩として聞いてみた。

 御堂の目に真剣さが帯びる。


「改めてお願いします」


 それから、キャリアの御堂に現場というモノを可能な限り教えた。現場で言われる不条理なことも言った。それを御堂は、文句も言わず行動に移す。

 署の上役たちは、この事態を焦った。御堂が自分からお願いしたことです、と説明してくれた。

 四ヶ月を過ぎたあたりから、課の人間と打ち解け始めた。柔道、剣道で汗を流し、格闘技の得意なノンキャリアに道場で投げられた。御堂も武道をかじっているから、一方的にやられることはない。

 それでも、屈強な署員には良いように投げられた。

 署のノンキャリアたちも、五ヶ月目には御堂を認めるようになっていた。

 そんな時、管内の歓楽街でわいせつ罪・風営法違反の一斉検挙を行うことになった。歓楽街の店主たちも警察関係者の顔は覚えている。そこで、面の割れていない御堂が潜入し、現場を押さえることになった。

 御堂は先発隊として店内に侵入し、わいせつの現行犯を見極める役割だった。

 既に包囲は完了している。店内の間取りも完全に頭に入っている。

 自分たちが踏み込んだ時、店内は淫靡な雰囲気に包まれていた。中央ではストリップをし、それを眺めるように男性客が女性についている。

 警察の踏み込みに店内はざわつき、客と女性従業員が立ち上がった。


「警察です。そのままで!」


 威圧感を言葉に含め、気を発すると客の動きが止まった。だが、その中の客一名が包囲を突破し、逃走しようと試みた。

二名の現場捜査員が反応したが、誰よりも早く御堂が反応した。男の前に立ち塞がる。


「どけ!」


 男が叫んだ。

 御堂が、男の襟首を掴み投げ飛ばした。そして、即座に抑え込む。


「御堂係長」


 部下たちが駆け寄り、男を締め上げながら立たせた。

 キャリアが現場で手柄を上げる。前例が無い訳ではないが、異例な部類ではあった。

 検挙はつつがなく行われたが、今思い出しても御堂の潜入捜査は傑作だった。普通にスケベな客にしか見えなかったのだ。

 古島は御堂との過去を振り返り、笑いがこぼれた。その楽しい気持ちのまま、ズボンの後ろポケットから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。

 コールが数度、耳元で鳴り響く。


《はい。コジマです》


 高く響く声が耳に届く。この声を聞いて、愛しさが胸一杯に広がる。


「翔一、父さんだ」

《あ、父さん。今日は帰れる?》

「今、家に向かってる」

《ほんとう?》

「ああ。本当だとも」

《だったら、今日は一緒にゴハン食べれるね》


 無邪気に喜ぶ息子。仕事の苦労も辛さも、純粋に生きる喜びに変わる。

 三十歳の時に結婚した。妻の容姿は凡庸だったが、心根が優しく気遣いの出来る淑やかな女性だった。

 その優しさと細やかな気遣いに心惹かれた。

 捜査一課の刑事になったのは、その頃だった。結婚式前夜、刑事の妻になる心構えを言っておいた。

 刑事に休日は無い。いつ呼び出しがあるか分からない。時間も不規則だ。家庭のことは頼む。事件によっては、柩に入れられて帰宅することになるかも知れない。心の準備はしておいて欲しい。

 それらのお願いに、妻は覚悟をした笑顔で『解りました』と、答えてくれた。

 それは、上辺の返事ではないと云うことが、生活の中で見てとれた。夜間の電話に気を配り、深夜に帰っ ても笑顔で出迎えてくれた。早朝も気持ち良く送り出してくれる。

 柔和な表情から想像できない芯の強さ、妻には感謝の気持ちばかりが溢れてくる。

 結婚から三年後、子供ができた。

 出産後、妻の具合が良くなかったが、幸せな日々だった。半年置きに短期の入退院を繰り返した。妻は、年々体力を消耗するような高熱にうなされ、自分も刑事を辞めて妻と息子の為に生きようと考えていた。だが、妻はその考えを見抜いていたらしく、『私は大丈夫です。刑事を続けてください』と言い、こうも付け加えた。『私は、あなたの仕事を誇らしく思っているんですよ』と。

 その言葉に甘えていた。仕事に打ち込む傍ら、妻の体調も気遣った。一時良くなったが、三年後に体調が悪化。昏睡状態になり、静かに息を引き取った。職場から急ぎ駆けつけたが、妻の亡骸を見ると涙が溢れてきた。自分の愚かさ、馬鹿さ加減に怒りがこみ上げてくる。もっと、妻の体調を気に掛け、行動するべきだった。

 病室内をヨチヨチと歩き始めた息子を見ると、子供を抱きかかえ妻の穏やかな顔を見せた。

翔一の記憶には残っていないが、息子は妻の顔をじっと見ていた事を憶えている。息子の成長は自分が見守らなければならない。見守れなかった妻の為にも。

 今、息子は七歳になる。不出来な父親だが、翔一は当たり前のように家事を担当してくれている。それは嬉しくもあり、悲しくもあった。

 受話器の向こうだが、息子の笑顔が見えていた。


「今晩のご飯は何なんだ?」

《鮭の塩焼きだよ》

「そうか。楽しみだな」

《あと、どれくらいで着きそう?》

「二十分程かな」

《だったら、丁度イイくらいだよ》


 弾けるような声を聞かせてくれた。

 電話を切ると小走りになった。

 久々に息子との食事が待っている。食事をしたら、一緒に風呂に入ろう。

 息子の話を聞くことで体を癒す。それは、子供の凄さを知らされるものでもあった。


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