その4
四
目の前に懐石料理の前菜と梅酒が置かれている。グラスの容量の半分以上を埋めているクラッシュアイスが、梅酒をキンキンに冷やし、爽やかさを増している。
一気に飲み干すと、甘みと風味で体に溜まった疲労を忘れさせてくれた。
四法院と谷元君は、単品のメニューを眺めている。
着物姿の女性が一品料理を運んできた。
カレイの切り身を丸め、串で刺し、上にウニが盛られて、こんがりと焼かれている。串を手に取り口に運ぶと、カレイのぷりぷりの触感と身の甘さにウニのコクが加わって、これぞ『和』と云う味がした。
初めて食べる上品な味に、感動すら覚えながらも、三口で食べ終えた。
「やられたな・・・・・・」
四法院が呟いた。
僕は四法院が事件で、何か悔しい思いでもしたのかと聞いてみた。
「何の話だ?」
「やられたって。事件のことだろ?」
「誰が事件の話をしているんだ?」
「じゃ、何の話をしているんだい?」
「何って、食事中なんだから、料理の話に決まってるじゃないか」
四法院が呆れた口調で言った。
なぜ四法院にそんな口を利かれなきゃならないのか解らなかった。どう考えても、事件のことで苦慮しているべき発言と取るのが普通だと思う。
「で、何がやられたんだ?」
「ウニが余計だな」
「それは、料理の味が落ちるって意味かい?」
四法院は小さく顔を左右に振った。
「いいか永都。お前は、この料理を美味いと感じた」
僕は、肯定するように頷く。
「この料理は、総合的には美味い。だが、この品には罠があって、この一品の旨さは、カレイの味だ。それを活かす様に絶妙に炭火で焼いている。それだけでも十分に美味いのに、上にウニを盛って焼き上げている。このウニで金を取ってる訳さ」
「それは勘ぐり過ぎじゃないか?」
「勘ぐり過ぎだって、冗談じゃない。このカレイの串焼きは一本二八百円だぞ。いくら高級料亭だからって、カレイに手間掛けただけなら、どんなに高くても一本千二百円程度だろ。これが居酒屋なら冷凍ウニで、高級料亭だと生ウニだろう。そうなったら、それくらいの金額を取れる。実際に旨いしな。問題はない。それだけに何か悔しいな」
「こんなに美味しいのに、裏事情が見えると、素直に評価できないのかい?」
「そうでもない。裏が見えると、見えるなりに評価も変わってくるさ」
「例えば?」
「そうだな。この一品を焼いた職人はかなりの腕前だ。巻いたカレイの身は、当然火が通り難い。だが表面も中心部も味を損なうことなく巧みに焼き上げている。発想だけでなく技術が伴っている。本当に感心するよ」
四法院は、串を指先でくるくる回しながら言った。
「ふ~ん。なるほどな~」
同席している谷元君が感心した様に言った。
谷元君は代議士の私設秘書をしている。その関係から四法院の良いネタ元になっている。今でも地元に住み、地元の為に働いている。四法院は地元を捨てたが、谷元君は落ち込んでいく地元経済をなんとか立て直そうと必死になっているらしい。
なぜ、僕たちとこうして食事をしているのかと云うと、署で情報を得ていたのだが入ってくるのは埼玉県警が調べ上げた情報に間違いがないという確認作業の結果ばかりだった。
そこに、谷元君から電話が入り、夕方ということもあって、事件のことで埋まっていた脳は、瞬時にして食欲に支配された。
それからの四法院の手際は良く、驚くほどに素早かった。馴染みの高級店に電話を掛け、旬の食材を確認すると個室を予約した。
そして、一時間後にこの状態が出来上がったのだ。
谷元君は、二杯目の生ビールを飲み干し、中ジョッキを置くと口を開いた。
「四法院、まだ御堂の協力してるんだろ。解決したのかい?」
「それが、暗中模索の状態というか、全てが闇の中だ」
料理が運ばれ、四法院は箸を手に取ると、視線で僕に説明するように促した。
まったく勝手な奴だと思いながらも、僕は谷元君に説明を始めた。
第一の事件の被害者桑原、第二の事件の被害者篠山、第三の事件の被害者敷島、それらの概略を話した。
谷元君は一言も発することなく聞いている。
現在までの情報を出来るだけ整然と話したつもりだが、谷元君からの感想はまだない。四法院はというと、ワサビを溶かした醤油に薄紫の紫蘇の花を散らし、最後の鮪の刺身を口に運んでいた。
「難しいな・・・・・・」
谷元君の感想だった。
「そうなんだ。こんなに事件から過去に遡って調べてあるのに、まったく手掛かりが出てこないんだ」
僕が言うと、同意するように頷いてくれた。
「全ての事件で犯人が見えない。不思議なものだな。それにしても、病院の標本に目を着けるなんて、よく考えたな」
谷元君は感心するように言った。
「褒めてくれて嬉しいけど、結局違っていたからね」
恥ずかしくなった僕は、残っていたビールを飲み干した。
四法院が刺身皿の大根の剣と紫蘇の葉まで食べ、空になった皿をテーブルの端に置いた。
「そう言えば、アノ件はどうなった?」
テーブルに両肘を突いて指を組んだ四法院が、谷元君に視線を送り訊いた。谷元君は、手を顔の前でパタパタと左右に振る。
「ダメだな。まったく収穫無しだ」
「そうか。やはりな。妙な噂すらないのか?」
「ないな」
谷元君はキッパリ言った。四法院はというと、体を反らせて残念がっている。
「何の話だい?」
四法院は頭を掻いている。谷元君に視線を送ると答えてくれた。
「フリージャーナリストの情報を再度洗ったんだよ。篠山との関係がないか、浅広銀行の金が流れてないかとか、色々探ったが全くない無駄足だった」
四法院も、何か見落としていないかと考えていたようだ。僕は妙に安心した。
「なるほどな。そんなだから、また四法院が言ってくる訳だ」
谷元君の口調は楽しそうだった。策を巡らし、虚を突いてくる四法院の必死さの垣間見れる姿が愉快なのだろう。
余計なことだとは思っても言っておくことにした。
「谷元くん。悪いけど、事件のことは極秘で・・・・・・」
僕の言葉を遮って、四法院が言う。
「そんな心配は無用だ。こいつは、秘密は墓の中まで持って行くさ。なッ、そうだろ?」
谷元君は苦笑いをしながらも、否定はしなかった。
僕は、谷元君に事件の感想だけでも聞こうと話しをしていると、四法院は携帯電話を取り出してテレビを見始めた。その光景に仲居さんは驚きの表情をしたが、四法院は気にならないらしい。考えてみれば、 高級料亭の座敷客が、携帯電話でテレビを見るなんて、これまでいたとは思えない。ニュース番組を映している。
そんな四法院を無視し、僕は谷元君と事件についての意見を聞いた。結論としては僕たちと大差なかったが、情報を得てものの数分で全体を理解していることに驚かされた。
谷元君にもやはり犯人はおろか、手掛かりすら見えない。
ニュース音が消え、真面目な説明口調の音声が聞こえてきた。四法院が黙って観ていることに違和感を覚えた。谷元君も気になっているようで、チラチラと視線を向けている。
「何を見ているんだい?」
声を掛けると、四法院は携帯画面を向けた。
「これだ。懐かしいと思ってな」
向けられた携帯画面には、教育番組が映されていた。数学の授業らしく、数式が整然と書かれた黒板に集中するとどうやら公式の証明らしい。
「帰納法だな」
「そうだ。懐かしくないか」
四法院が言うと、谷元君が同調した。
「学生時代、よくやったな。帰納法、背理法、反例法、対偶法、否定法。ざっと思い浮かぶだけでも五つも出てくる」
僕は、その映像を観て連休明けの講義を思い出した。
帰納法とは、個々の例を積み上げて一般化する。
太陽や死などの例では、有名な証明法だ。
『太陽の観測にて、三年前に太陽は東から昇った。二年前にも東から太陽が昇った。今日も東から太陽が昇っている。以上の事から、常に太陽は東から昇る』
これが、一般化である。
帰納法の欠点は、早すぎる一般化をすると破綻する。その代表的な例が、アルコールの喩えである。
『ビールには水が入っている。ワインにも水が入っている。日本酒にも水が入っている。よって、水を飲むと酔っ払う』
明らかに間違いなのだが、帰納法を使えばこのような喩えになる。
「帰納法、学生時代の嫌な記憶が蘇るだろ?」
唐突に四法院が言ったが、僕たち二人は同意できなかった。
「四法院、一体どういう経験をしてきたんだ・・・・・・」
谷元君が、呆れたように言った。それに四法院が反論のような説明をするが、誰も聞いていなかった。
「永都君は、学生に数学を教えているだったよね。どうやって教えてるんだい?」
谷元君は何気ない無難な会話だが、そんな話に乗るのも嫌じゃなかった。僕は、簡単な説明を始めた。
「帰納法って、一般化が目的なんだけど、要はドミノ倒しなんだよな」
「ドミノ倒しって?」
「無限に続く個々の問題を牌に見立て、一度に倒れる事を証明すればいい」
「なるほどな。最初の牌が倒れれば、最後の牌も必ず倒れるしな」
「もっとも、最初の命題が真である証明が必要だがけどね。それから、次の命題が真である事を証明する。それがドミノのように連鎖しているんだ。だから、全ての牌が倒れることを証明すれば、帰納法の完成だよ」
僕は簡単な例をあげた。
「お祖父さんは死んだ。お父さんも死んだ。自分も時期に死ぬだろう。我が子もいずれは死ぬ。だから、人間は皆例外なく死ぬ。こんなところだね」
四法院は、手を顎に当て、何か考えている。
谷元君も思案顔になり、目を細めて喋り始めた。
「事件のことなんだが、似ているな」
「何にだい?」
僕が訊いた。
「いや、無責任な立場だから言えるのかも知れない。気を悪くしたら謝るよ。なんか、全体的に話してくれた事件に似ていると思ってね。桑原殺害で発覚したが、遡ると篠山に繋がり、篠山から敷島に繋がった。三件の殺人事件だが、殺害手法は判明しているのに、犯人に繋がる手がかりが全くない。容疑者像すら浮上しない不思議な事件だ。だからこそ、これらの事件は同一犯の犯行だと理解できる。永都君の説明によると、帰納法はドミノ倒しで、最初の牌を倒せば最後の牌も倒れる。最初の一枚を探すことが鍵だな。そうすれば犯人に行き着くんじゃないか?」
谷元君は落ち着き払った声で言った。
「で、最初の牌はどこなんだ?」
四法院が谷元君に聞いた。
「そんな事、知る訳ないじゃないか」
谷元君は半笑いで答えた。
「無責任な奴だ。政治家を志す奴はみんなそういう風になっていくんだな」
「まったくお前は、すぐにそう言うことしか言わない。単に似てる、と言いたかっただけだ」
「叩上げの議員秘書は、言うことが違うな」
そう云い捨てると仲居さんを呼び、天婦羅を注文し、抹茶塩を要求した。
僕は、谷元君と話を続けた。
「ところで、権田先生の世話はいいのかい?」
「ああ、今日は久々に親友と会うとかで、暇を貰えたんだ。整形外科の優秀な医師らしくて、三年ぶりの再会らしい」
「へ~。上の繋がりか~」
「T病院のエリート医師らしいよ。先生は安保から医療まで知識の幅が広い。それは、人脈の広さが影響していると思うんだ」
谷元君は、先生の凄さを語ってくれた。
「あっ、捜査の方は良いのかい?」
「大丈夫。御堂の率いる捜査陣が必死に調べてる。古島さんと滝さんも、病院からの帰りで、また一から捜査をするって言ってたしね」
今回の御堂からは解決への並々ならぬ意志が感じられた。その為、特捜部の捜査は迅速そのものだった。もっとも、実質的に仕切っている岩尾係長の手腕も大きいのだろうが。
目の前に、新しい料理が運ばれた。悪いと思いつつ、料理は堪らなく美味しい。僕は、新しく運ばれたビールに口をつけた。
四法院を見ると、まだなにか考えている。
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