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四法院の事件簿 2   作者: 高天原 綾女
事件発生
21/40

その3


     三


 正午になる五分前、僕たちは赤羽署に到着した。

 寝ていた四法院を叩き起こし、引き摺るようにして連れて来たのだ。

 相変わらず、昼に来ても捜査員たちは聞き込みに行っているのか、それらしい姿は見えない。

 いつもの個室に入ると、膨大な資料を前に古島さんが待っていた。


「やっと来たか」

「すみません。もう少し早く来ようとしたのですが………」

「いや、容易に推察できるから言い訳は不要だ」


 古島さんは四法院の方を見た。そんな事は我関せずとばかりに、四法院は机に寄って行った。

 うず高く積まれた資料を右手で叩き、深いため息を吐いた。


「また、大量だな~」


 そう言う四法院を無視して、僕は話を先に進める。


「古島さん。午前中の捜査会議で何かありましたか?」

「捜査方向が変わった。この誘拐殺人事件を警視庁で再度検証することになった」

「誘拐殺人事件?」

「ああ、とりあえず資料に目を通してくれ」


 既に四法院は資料を手に取り、内容に目を落としている。

 僕も、資料を手に取り、椅子に座ると読み始めた。


 平成十六年十二月九日(木)

 事件は、埼玉県川口警察署に弁護士が訪ねて来たことから始まった。

 弁護士は署の受付に立ち、身分を明かすと『刑事さんを呼んでください』と丁寧な口調で言った。

 呼び出された刑事は、訝しげな表情をして出迎えた。


「弁護士さんが、何の御用ですか?」

「敷島友二さんが、何者かに誘拐されました」


 刑事は改めて聞き直した。


「どういうことでしょうか?」

「昨晩、奥さんとお子さんが実家から帰ってきた際、旦那さんの姿がなかったそうです。リビングに書き置きがあり、『ちょっと出てくる』と書いてあったそうです。翌日まで待っていたそうなのですが、本日、午前九時四十分頃、身代金を求める電話が奥さんの携帯電話に入りました。要求額は、八千万円。新札ではない紙幣で、と指定しています」

「その携帯電話は?」

「奥さんが、持っています。持って来られれば良かったのですが、家が見張られている可能性もありますので、通報は私に依頼されました」

「そうですか」

「犯人は、警察が動けば、人質の敷島友二さんを殺すと言っています。そして、十一月二十六日を過ぎて、現金が払われない場合も殺す、と言っています。人質に生命の危険があり、然るべき対処をお願いいたします」

「正式に被害届を出したいということですね?」

「はい。その通りです」


 弁護士は、至って落ち着いた動作で全ての書類を書き込んでいった。

 川口署から通報を受けた埼玉県警本部の対応は迅速だった。すぐさま刑事第一課の特殊捜査班を川口署へ派遣した。

 特殊捜査班、正式名称『特殊犯捜査係』のことである。

 全国の都道府県警察本部の刑事部捜査第一課に設置されている係であり、人質立て篭もり事件や、誘拐事件などの捜査を担当している。

 警察内部では、特殊犯と略されることが多いが、『特殊犯捜査班』、『特殊捜査班』などと呼ばれることもある。進行中の事件の対処を専門としている。

 届出て六時間後には、埼玉県警本部の指揮の下、重厚な陣容を形成していた。

 捜査一課特殊班に加え、殺人班、捜査二課、機動捜査隊、川口署の他の課、近隣署の応援、第一方面本部など、各方面から人材と使用機材が集められた。

 川口署の大会議場に指揮本部を設置し、敷島宅へ捜査員を派遣し前線本部とした。

 刑事四名を敷島宅へ詰めさせて対応させる。そして、情報は同時に本部へ送らせる。

 刑事たちは敷島宅に入ると首を傾げた。

 住居の外観は、職住一体型の典型的な町工場であり、二階の居住空間も高価な調度品などは置かれていなかったのだ。

 捜査員一同、何故こんな家の主人が誘拐されるのか、理解できなかった。

 川口市の西方にある敷島宅は六十五坪で、そこそこの広さがあるが建物は老朽化している。

 壁に掛けられているタイムカードを見ても、社員も八人しかいない。

 数年前は、年商六〇〇〇万円以上あったらしいが、最近の売上は半分以下にまで落ちて来たという。

 マル害の敷島友二は、四十三歳。都内の私大を卒業して、親が経営する鋳物製造の後継者として、有限会社『焔鋳物』の経営に携わる。三十五歳で妻・真理子と結婚。四歳になる娘・里奈が一人いる。真面目で働き者だと、近隣住民および取引先からは評判で、恨みを買う性格ではないと全ての人が口を揃える。

 事件が発覚する数日前の関係者は、以下の通りである。

 夫人の真理子は、子供を連れて先週の土曜日から水曜日まで九州の知人宅へ行っていた。

 社員達は、年一度の社員旅行で温泉へ行っていた。本来、敷島友二も社員旅行に同行するはずだったが、急な仕事の為に同行できなかった。

 これらの証言によると、敷島友二は土曜日から水曜日の夜まで、一人でこの住居に居たことになる。だが、奥さんによると月曜日の午後二時に、家に電話を掛けて会話している。

 その時は、変わったことはない様に思えた、と言っていた。

 そして、奥さんの真理子が帰宅した時、家には荒らされた形跡どころか、何かが動かされた形跡すらなく、まったく普段と変わらなかった。

 一つだけ気になったことは、家のリビングにメモ用紙が一枚置かれていた。


【遅くなるが、心配ない】


 奥さんは、休日だから飲みにでも行っているのだろうと思い、その日は寝たようだ。

 事態の深刻さを理解したのは木曜日の身代金の要求電話だった。常日頃、問題があれば、顔見知りの弁護士さんに頼るように言われていた事から、すぐに電話を取った。

 そして、現在に繋がる。

 奥さんから旦那さんの近況や事情、心当たりなどを聴いた。しかし、肝心な所はうろたえながら『わかりません』と繰り返すばかりで、ほとんど会話にならなかった。

 翌日、犯人から二度目の電話が掛かってきた。


《金を準備できたか?》


 変声器を使っているのか、甲高い声だ。

「あの、そんな大金、すぐには用意できません。時間を頂けませんか?」

《そうか、残念だ》


 落ち着き払った、冷たい口調だった。瞬時に捜査員が、電話を切らさないように身振りで伝えた。


「待って下さい。今日中に必ず用意します」

《八千万だぞ》

「はい。受け渡し場所は、どちらでしょう?」

《また連絡する》


 そして、男からの電話が切れた。

 暖房器具が焚かれている室内で、一同は冷凍庫に居る様な寒さを感じていた。犯人には全くブレが無い。

 何らかの理由をつけて引き延ばそうとすれば、友二さんを殺害するという明確な意思が読み取れたからだ。

 同時に、捜査員たちは、強い違和感を覚えた。金銭目的の誘拐であれば、金銭を得られなければ意味がない。

 だが、犯人には金銭に執着していないように思える。


「奥さん。犯人は、八千万円という金額を口にしています。その金額に心当たりはありますか?」


 少し考えてから、奥さんは答えた。


「あの・・・・・・。おそらく、銀行からの融資額が八千万円だったと思います」


 捜査員たちの目が鋭く光った。誘拐犯は融資額を知っている。だからこそ、すぐに用意できる金額を提示したのだ。こうなれば、融資の金額まで知ることの出来る人間が、犯人であるのは間違いないだろう。


「奥さん、その融資話を知っている人は、何人くらいいますか?」

「その、家族では私だけです」

「社員や取引先は?」

「社員は知りません。取引先は判りませんが、浅広銀行と最新機器の購入先は知っていると思います」


 捜査本部は、被害者対策班、犯人割り出し班、逆探知班、犯人補足班、犯人追跡班、現場下見班など編成が終わると、迅速に各班が動き出している。

 被害者対策班は、奥さんに電話対応の仕方を教えていた時、郵便受けに茶色の封筒が送られてきた。その封筒は、多少の厚みがあり、開封すると透明なビニールに手紙が入っていた。ビニールを開けると生臭い血の臭いが室内にあふれた。

 奥さんが悲鳴を上げる。

 手紙は血液で書かれている。大きめのカタカナとひらがなで、文字数は少ない。


[ケイサツうごく ダンナ死ぬぞ]


 本部は、手紙をすぐに科学捜査研究所に送った。血液は乾いていて、どこまで正確に診断結果が出るか判らないが、調べるしかない。血液型、筆跡、指紋やその他の情報が判明すれば大きな前進になる。

 敷島友二の血液型は既に判明していて、奥さんからA型だと聞いている。

 警察が動けば、友二さんを殺害するということだろう。脅しにしては、地味なものだ。

 奥さんに、何か思い出した事は無いかと尋ねようとしたが、半秒後には諦めていた。

 血文字の手紙を見た奥さんは、焦り出し、部下に御主人の安否をしきりに問い正している。とても新たに質問を出来る状態ではなさそうだ。

 奥さんが冷静さを取り戻したのは二十分後のことだった。

 身代金を準備する為に、浅広銀行に向かった。当座預金口座から現金を引き出そうとすると、口座に入っている筈の八千万円がなくなっていた。

 顔面蒼白になった奥さんは、完全に冷静さを失い、頭を抱える。この事に最も驚かされたのは、刑事たちであったかも知れない。

 犯人の狙いは融資額の八千万円であって、それが消えることなど想像の範囲に入っていない。

すぐさま刑事たちは、行員を呼んで説明を求めた。

 殺気立つ刑事たちに気押されながらも、行員は丁寧な口調で整然と話す。


「月曜に敷島さんが参られまして、約束手形を振り出していかれました。そして、支払期日である本日に指定口座に振り込むよう処理いたしました」

「奥さんは御存知でしたか?」

「いいえ、そんな話、聞いてません。本当に主人だったのでしょうか?」


 その場に居合わせた行員たちは、あれは敷島さんだと断言した。

 もっとも、月曜日の夜に奥さんが家へ電話を掛けている。昼間に銀行へ行っていても不思議ではない。誘拐犯は、知らずにさらったことになる。

 奥さんは、警察に身代金の準備を頼み、警察側も彼女の信頼を得る為に了承する。

 銀行へその金はどこに振り込んだのか聞くと、香港の銀行で『律引総合会社』の口座だった。二課の人間が、すぐに調べ始める。事件性があるかないかは判らないが、調べ始めた。

 金曜日の夜七時。犯人から三度目の電話が掛かってきた。


「はい」

《奥さん。カネの用意出来ました?》

「あの、それが、あと数日、いえ、もう少しだけ時間を下さい。口座に入れてあったお金が無くなっていたんです。それより、主人と話させて下さい」

《カネの準備が出来たらな》


  犯人は冷たく言い放ったが、奥さんも引かなかった。


「主人の声を聞かせてください!」

《取引の意思が無いようだな。残念だ》

「待って下さい!期日までに必ず、必ず用意しますから、主人を返して下さい」

《カネを受け取れば、生かしたままで返してやる。深夜零時までに用意しろ。そこの刑事に言ってなッ》


 犯人が吐き捨てるように言って、電話が切られた。長く話したが、逆探知は出来なかった。深夜零時まで、あと刑事たちに落胆の影が差したが、対策本部に科捜研からの手紙の分析結果と地域課から住民からの通報が上がっていた。

 血文字の手紙からは血液と敷島氏の指紋が検出され、郵便の消印は志木のものだった。地域課からは、新座市の住民から空家から物音が聞こえて、何者かが入り込んでいると通報があった。

 志木は、新座から近いこともあり、移動して投函したと思われる。

 特殊班の人間は、この事件に違和感を覚えていた。

 理由としては、犯人が真剣に金銭を欲している様子ではない。金銭は欲しいのだろうが、狙いが別にあるように思えた。だからこそ、この事件を狂言誘拐ではないかとみていた。

 無論、狂言で確定したわけではなく、狂言の可能性は三割程に思えた。

 深夜まで五時間切っている。犯人はあまりにも急いでいるように思えた。それとも、身に危険が及ぶくらいなら、人質を殺害して逃走を図れば良いと考えているのだろうか。

 ともかく、捜査本部は秘密裏に空家を調べさせ、場合によっては人質の救出と犯人確保に動く。

 道を封鎖出来るように人員を配置し、犯人がどう動こうと所轄及び機捜隊が動けるようにした。

 午後十一時を過ぎた時には、空家の情報も捜査員の配備も完全に完了していた。周囲には、所沢インターチェンジに繋がる複数の国道、細い一般道まで考えれば、犯人がこの場所を選んだのも多くの人員を割かせる意図があるようにも思えた。

 空き家は、平屋の一戸建。家の中心を通るように廊下があり、その両側に六畳の部屋が三間にリビングと台所、風呂やトイレが配置されている。

 捜査員が家を完全に包囲するように位置につく。その家の外観は、トタンが貼り付けてある古びた家屋だ。電灯などの明かりは、室内から漏れていない。

 緊張感が高まってくる。

 埼玉県警は、電話が掛かってくると同時に、空き家へ捜査員を突入させた。だが、その瞬間、一室から赤燈色の明かりが強く放たれた。

 そして、その明かりは揺れる様に揺っている。部屋の一つから炎が上がっているのだ。

 捜査員が一斉に室内に飛び込むと、犯人の姿は無く、バケツの中で携帯電話が燃えていた。

 至急、家の中を探したが、人質の姿はなかった。その家にあったのは、人の居た形跡と脱衣場のマットにごく微量の血液が二滴垂れていた。鑑識が入り、屋敷内を隈なく調べ上げた。そして、驚くべき結果が判明した。

 一見、浴室は綺麗だが、ルミノール液をかけると広範囲に濃く反応があった。排水溝からは、数本の髪の毛と体毛、白いゴムのような欠片、微量の汚物などがこびり付いていた。そして、浴室のプラスチック製の椅子の裏側から小指の先ほどの濃い赤色の肉片が発見された。

 至急、それらのモノを科捜研に送り、分析した結果。椅子の裏に付いていた肉片は、心臓の筋肉と血管の一部だった。血管の大きさと厚さから、大動脈だと推察できた。

 さらに所轄が、家の周辺を調べていると、道の脇に生えている草の中から、血に染まった黒い線の入った伸縮性の強いホースのようなモノが、極細の糸が縫い込まれた状態で発見された。直径三㎝程の見慣れないホースを科捜研に持ち込むと瞬時に何かが判明した。それは循環器の手術用医材のグラフト(人工血管)であった。

 対策本部と捜査員たちが報告を聞き、捜査本部には失意の空気が満ちた。完全に、殺害されたと数々の物証が語っている。この風呂場で解体され、バラバラになった遺体はどこかに持ち運ばれたのだ。

 僕はここまで読んで、ため息を吐くと一時的に資料を閉じた。

 室内を見渡すと四法院しか見えず、古島さんの姿は無くなっていた。

 いつ出ていったのか、まったく気付かなかった。



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