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四法院の事件簿 2   作者: 高天原 綾女
事件発生
2/40

一章 事件発生  その1

     一


 都内の閑静な住宅街、昼過ぎだというのに人通りが少ない。その住宅街に、警察車両が数台止まっていた。

 東京都北区の赤羽駅から徒歩十二分の角地にある家屋。

 まだ新しく大きな一戸建てで、一階の広い道路側は店舗用のテナント。一階の奥と二階が居住空間になっている。

 その家を囲むように警官が立ち、玄関や裏口を封鎖していた。

 鑑識が家の周辺を調べている。刑事たちも忙しなく動いていた。

 赤羽。東京都北区の北部に位置している。岩淵、志茂、また荒川を挟んで埼玉県川口市に隣接している。交通の便が発達している為、商業地として発展している。埼玉の大宮、東京の池袋、新宿、渋谷などの主要都市と路線が繋がれている為、一部住宅地としても人気が高い。

 家の前に、黒塗りの高級車が止まった。後部座席の扉が開くと、長く太い脚と鍛え上げられた体躯が現れた。


「ここか」


 若い男は一戸建ての民家を見上げるように言った。

 男の名前は、御堂元治。三十二歳で、階級は警視正。この年齢にして、警視正ということは、いわゆるキャリア組である。

 御堂の姿が現れると、現場指揮を執っていた四十代後半の刑事が迎えに現れた。


「御堂管理官。現場キャップを務めます岩尾です。では、こちらに」


 眉間に皺を寄せて説明口調で挨拶をした。

 岩尾憲之(いわおのりゆき)、四十九歳。階級は警部、特殊犯捜査第三係の係長だと記憶している。

 愛想はないが、職人を思わせる武骨さと偏屈さが捜査の精度を高め、公平・公正を信条に行動する姿は、部下から信望を得ている。他のキャリアたちからは煙たがられているが、御堂は嫌いではなかった。

 案内されるまま、御堂は民家に入り、見まわした。家の中には何もない。それは、片付けられているというようなものではなく、住人の存在をまったく感じさせない。玄関、廊下には何もなく、室内には家具すら置かれていない。

 まったくの空き家と言うべきだろう。

 岩尾刑事は無言で歩き、玄関から広めの廊下を通り、一階奥の浴室へと向かっていく。玄関に立った時から、かすかに異臭がしていたが、浴室に近づくにつれて、その臭いは強烈になってくる。


「こちらが現場です」


 御堂は、あまりの悪臭に左手で鼻と口を押さえた。脱衣所を抜け、浴室に入る。現場の状況に、御堂は目を細めた。

 男ということが辛うじて判る遺体。裸で浴槽に浸かり、両腕、両脚の一部の肉は無く、骨が剥き出しになっている。それでも、太腿、胴、胸部、などは、白骨化ではなく酷く煮られて変色している。いや、もう少し正確に例えるならば、赤黒く変化していた。

 浴室の壁に、追い焚きのパネルが設置されている。温度を見ると【90℃】に設定されていた。

 初期の追い炊き機能は。不必要な程の高温設定ができていたらしい。

 岩尾警部は、説明を始めた。


「被害者は、桑原(くわばら)(じゅん)()。フリーのジャーナリストです」

「なぜ判った?」

「脱衣場に置かれていた衣服に財布があり、そこから判明しました」


 岩尾が答え、続けた。


「一見、外傷は無いように見えます」

「自殺ということか?」

「それは、まだ何とも言えません。自他、両面で捜査中です」


 一息置いて、岩尾が続ける。


「発見までの経緯ですが、隣人の老婆から午前八時二十三分に赤羽署に一報が入りました。『隣の家から異臭がする』と。それから、三十分後に発見されることになります。第一発見者は赤羽署員なのですが、発見状況はこのままで、浴槽の追い焚き機能でずっと煮られていたそうです。前日の夜九時頃に、近隣住人に室内の明かりが確認されています。その時刻あたりが、死亡推定時刻だと思われます」

「そうなれば、約十一時間も浴槽で煮られていた事になるな・・・・・・」

「死んだジャーナリストが、この家の所有者なのか?それにしては、生活感が皆無だな。家具すら無いから、空家だな」


 御堂が言った。


「この民家の所有主は、浅広銀行だそうです」


 その説明に、御堂は眉を顰めた。


「自殺だと仮定して、銀行が所有する民家でなぜ自殺する?しかも、煮立った風呂の中でだ。他殺と考えるのが普通だろうな」

「現在、浅広銀行と桑原の関係を探らせています。同時に桑原のマンションにも捜査員を向かわせています」


 岩尾の堅実な指揮に、御堂は安心感を覚えた。警視庁には、優秀な人材が大勢いる。


「この民家が銀行の手に渡った経緯は?」

「それは、隣人の老婆が知っていました」

「聞こうか」


 御堂は、現場の鑑識、刑事たちの邪魔にならないように場所を変えた。遺体も司法解剖へ運び出されている。

 その作業を見ながら、この家にまつわる経緯を聞いた。


「この家は、築四年。まだ新築と言っていいです。前の所有者は、川岡(かわおか)(まな)()、三十歳・・・・・・」


 岩尾の報告は以下の通りだ。

 今から二年半前になる。川岡家は二世帯住宅を建てる為に、銀行から八千万円の住宅ローンを組み、この家を建てた。一般人が住む割には高額であったが、造りを見ると正面の通りには、テナント用の店舗を付けてあった。家賃収入を見越していたようだ。

 この家が完成して、両親と娘夫婦が住むことになった。

 二世帯が住み始めて三ヶ月目、突然母親が病に罹った。健康だけが取り柄だと言っていた母親が、入院するとひと月も経たないうちに息を引き取った。

 その後、川岡家は坂道を転がり落ちるように、不幸が重なり始めた。気落ちした父親が鬱にかかり自殺。その二ヶ月後、婿養子が交通事故死。残されたのは、娘と多額の借金だけであった。

 支払い能力の無い娘は、一人で住むには広すぎる家を出た。

 家は担保として銀行の手に渡り、一年以上買い手がつかず現在に至っている。


「その娘の行方は掴めているのか?」

「現在捜索中です」


 御堂は、岩尾係長に現場指揮を任せると、赤羽署に向かうことにした。

 玄関を出たところで声を掛けられた。


「よう、御堂。いえ、御堂管理官」


 声のする方を見ると、懐かしい顔がそこにあった。


「古島さん、どうしてこちらへ?」

「出向だよ。御堂、偉くなったな」

「上がっているのは、地位ばかりですよ。中身が追い付きません」

「なぁに、それが分っているなら十分だ。御堂管理官、これからよろしくお願い致します」

「古島さんも力を貸して下さい」


 そう言うと車に乗り、捜査本部を置く赤羽署へ向かった。

 御堂は、ここに来るまでの出来事を振り返っていた。

 警視庁は、特別捜査本部の設置を即座に決定した。

 現在、去年の末から大手製薬会社の重役達による組織的な大量殺人事件にかなりの人員を割いていた。

 それに加え、都内で少女殺人事件と通り魔殺人事件、他にも事件が発生し、すべての殺人班が出払っていた。

 そして、この事件であった。

 上層部は、犯罪増加に対して治安対策の改善と検挙率の上昇を世に知らしめなければならず。

 御堂は刑事部長に呼ばれ、この特別捜査本部の指揮を執るように命じられたのだ。

 この決定には、妙に不自然さが付き纏う。重大事件が多く起きている中、キャリアであれば重大事件の方に行かせられるが、これでは左遷と受け取れる。

 自分の中には、思い当たる事は無いが、あるとすれば出世争いだろうか。だとすれば、この指示は刑事部長に圧力を掛けられる人物の意向だろう。

 現長官は公安の人間だ。公安側としては、大事件から対抗馬の自分を外すことで、少しでも出世の歩みを止めておきたいのだろう。もっとも長官の思惑だとは限らないが………。

 こうして与えられたのが、寄せ集めの特捜本部であった。

 現場キャップに特殊犯捜査第三係の岩尾憲之。

 捜査一課殺人班第二係、四係、九係、特別捜査第二係などから刑事九名。

 これに赤羽署刑事課、第二機動捜査隊などの特捜員を加えた総勢三十九名の特捜本部である。

 お世辞にも規模の大きな特別捜査本部とは言えないが、刑事部長は足りない人員数のなかで、最大限の努力をしてくれたのだろうと感じることのできる陣容であった。

 特捜本部と名が付けば、人員が二百名と云うのもざらにある。

 正に寄せ集めとしか呼べない面々であった。だが、刑事部長と自分は知っていた。上層部の評価は高くないが、癖が強くも傑出した人材の集まりであると。

 これなら上層部も狙いを果たせたと思わせることができるだろう。唯一の不安材料は人員の少なさだけである。

 赤羽署までの町並みは、適度に田舎の雰囲気が漂い、その割に程良く都市化も果たしている。車道を子供たちが元気に走っていた。それを見ている商店の女主人が声を張り、子供たちに注意している。


「良い街だ」


 御堂は、ふと昔を思い出すように呟いた。

 隅田川を背にするように聳える銀色のビル。北区最北部の治安を管轄する赤羽警察署である。正面入口に車は止まり、署の中へ入って行った。

 本庁からの連絡は届いているようで、署員たちが忙しなく動いていた。

 先ずは署長へ挨拶に向かう。署長室に入る前に、署長らしき人物が出迎えに現れた。


「御苦労様です、御堂管理官。署長の近藤です」


 署長は五十代半ば、年相応にふくよかであるが、精悍な顔、厚い胸板、脂肪に隠れているが、今もトレーニングを欠かしていないことを表している。

 なにより、表情から柔和さを感じさせる。

 御堂は挨拶をする。


「ご迷惑をお掛けするでしょうが、ご協力をお願いいたします」


 署長は、春の陽のような柔らかい笑みを向け、先導する意思を示した。

 先を歩きながら、署長が口を開く。


「私自身が言うのは何なのですが、署員たちは地域住民と良好な関係を構築してきました。個々の能力も本庁には引けは取りません」


 近藤署長が何を言いたいのか探っていた。

 自慢をする為だけの発言にしては、自然であり、また深みのある口調である。


「私は、署長への内示を受けた際に決意した事があります。署員に対する指導監督の責任は署長にあります。不祥事についても同様です。万一の時は、潔く責任を取ります。ですから、若い署員を犠牲にして事を収めることは辞めて戴きたい」


 署長が、何を言っているのかが思い当った。

 それは、半年前のことだ。上月警視が指揮を執った企業脅迫事件の際、上月の不的確な指示で犯人を逃し、直後に自殺されたのだ。

 その失態を所轄の刑事に負わせて、新人の警察官と若手刑事の前途ある人生を潰した。警視庁上層部もキャリアを守る為にそれを黙認した。

 結果的に、トカゲの尻尾切りで決着したのだ。

 近藤署長は、あの出来事が心に引っ掛かっていたようだ。自分が責任を取る。だから、うちの部下の未来を奪うな、と云うことなのだろう。

 御堂は、冷笑を浮かべると独り言を呟くように言う。


「今回は、状況が違いますよ」


 署長は、御堂の呟きの意味を理解できる訳もなく沈黙で応えた。

 特捜本部を設置した大会議室が見えてきた。




ここまで読んで頂きありがとうございます。


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