五章 静けさ その1
一
日差しが柔らかく降り注いでいる。
五月にもなると、幾分日の光が強いが、今日はうららかな日和だ。
柔らかい風には、夏の匂が含まれている。
「まったく、どういう暮らしをしているんだ」
古島さんが、歩きながら感情をもらした。
事の顛末はこうだ。今日も午前中から赤羽署へ向かったのだが、四法院の性格を考慮して午前十時半に待ち合わせをした。
前日、事件が動き追加情報を待っていたが、結局、日が暮れても知らされなかった。
そして、翌日の朝に出来るだけ早く情報を得ようということになったのだ。
古島さんは、朝九時に署に集まることを口にしたが、僕は反対した。
僕だけなら早朝でも構わないが、四法院が承知しないだろう。
夜行性の人間で、午後にならなければ動かない。
だからせめて、午前十一時にしようとしたが、古島さんは譲歩するも十時より以降にはならなかった。
今朝、十時に署へ到着したのだが、案の定、四法院の姿はなく、二十分過ぎても連絡すら取れなかった。
篠山殺害の詳細な情報を得たところで、四法院を迎えに行くことになったのだ。
四法院の家に入ると、世帯主は寝ていた。枕元には珍しく刑事ドラマのタイトルが書かれたDVD‐RWが転がっている。
売れ筋でも学んでいるのだろうか。それはともかく、四法院を起こして、外へ引っ張り出した。
僕は後ろを振り返る。
五、六メートル後方を眠そうな目つきに、これでもかと云わんばかりの不快さを含んだ表情で付いて来ている。
「何がそんなに不愉快なんだよ。もう、正午近いじゃないか」
四法院は無視している。
睡眠を邪魔されたことに、怒りが収まらないらしい。
薄手の上着のポケットに両手を突っ込んで歩いている。
「急ごう」
古島さんが言うと、早足で駈け出し、車の元へ向かった。
僕も早足になりながらも、四法院を気に掛けた。
古島さんが車に乗り込み、僕も助手席に乗り、四法院を拾った。
四法院は、後部座席に乗り、深く身を 凭れ掛けると寝る姿勢を取った。
僕は、これまでの情報を振り返った。
被疑者の篠山が殺害された。桑原殺害に関しては、完全なアリバイと実行不可能な距離にいた。
死因こそ一酸化中毒死と判明しているが、詳細な殺害方法や実行犯などは浮かんでいない。言ってしまえば、思考的にも感情的にも篠山が犯人だと判明しているだが、証拠がない。
状況は無実であり、実行犯がいる筈なのだがまったく浮かんでこないのだ。
だからこそ、自分たちが呼ばれたのだが、捜査はまったく進んでいない。
逮捕しようもなければ、取り調べに持ち込むことすら不可能な状態だ。
そんな状況下で、死を選ぶ訳がなく、検視段階で地蔵背負いによる絞殺であると判った。
被疑者を失った捜査員の心境は察するに余りあるが、こうなれば、新しい容疑者が浮上する筈だろう。
その上、死亡推定時刻から新たにアリバイの有無を確認できる。
後ろからスースーと呼吸音がして、振りかえると四法院は寝息を立てていた。
「四法院!」
声を張って、名を呼んた。
「何だ?」
眉間に皺を寄せて、不快そうに口を開いた。
「何だ、じゃないだろ。これから昨日の追加情報を言うんじゃないか」
「だったら、早く言ってくれ」
急かす様に言った四法院に、古島刑事は苛立ったように舌打ちをした。
僕からすれば、普段のことだから何とも思わないのだが、やはり関係が浅い人間には厳しいようだ。
古島刑事は感情の乱れを整えているようだ。
僕は、窓を少し開けて、そこに肘を置いて話し始めた。
「篠山の殺害についてだが、橋げたの鉄材に括られた状態で発見された。発見者は、近所の三十代後半の主婦だ。ダイエットで日課のジョギング中に発見したらしい。発見したのが、正午前だそうだ」
「正午?いやに不自然な時間帯だな?死亡推定時刻は?」
「死亡推定時刻は、午前四時から六時だ。不自然かどうかはわからんが、単に明るくなって人が動く時間になったから見付かり易くなったんだろう?」
僕の言葉に、古島さんが補足説明を加える。
「遺体のあった場所の状況を観ると、土手から橋の下を潜らないと死体は見えない。位置も丁度、橋の影になっていたらしい」
「ふ~ん」
四法院は、気の無い返事を返すと、外の景色を見ている。
僕は、先を続けた。
「司法解剖の結果はまだだが、遺体を調べた所、絞殺された以外に外傷は無い。数度、首に巻かれた紐を解こうと掻き毟った痕がみられるだけで、打撲や切り傷はない」
四法院に反応はない。
車内の雰囲気は悪化の一途を辿り、このままではマズイと思い口を開いた。
「大方、前日の予想通りだったな。で、どうするんだい?」
四法院は、面倒くさそうな顔を向けた。
「どうするもなにも、御堂がやってるだろ。捜査を」
その言葉を聞いて、古島さんは目を細めた。
僕は、四法院との会話を続けた。
「そうだな。御堂なら、既に共犯の可能性のある三名を疑って、アリバイなどを調べているだろうな」
「わかってるじゃないか。だから、任せておけばいいんだよ。俺の仕事じゃない」
「他に気になることは無いのかい?」
「そうだな………」
四法院は腕を組んで、真剣に悩んでいる表情を向けた。
「なんだ?何かあるのかい?」
僕は急かす様に言った。
「実は、うちの近所のコンビニに、すげー美人のバイトの娘がいるんだ。どうやってお近付きになろうか悩みの種だな」
悩む顔が、あまりに真剣な顔だったので、聞いてみればあまりにくだらないことだった。
僕は、心の中で溜息を吐いた。
「お前、舐めてんのか!」
叫んだのは古島さんだった。ハンドルを握る手に力が込められている。
「古島さん」
僕には普段の四法院だが、古島さんの苛立ちは表に出るほどらしい。言い合いになっても堪らないので、古島さんの名を呼んで抑えようとした。
「わかった」
古島さんは僕に視線を向け、思いを汲んでくれた。
この状態の四法院を真面目に取り合ってはいけないのだが、知らない人間はツイむきになってしまう。
放って置けば良いのだが、それはそれで四法院が興味のないことは関わろうとしない。
そうなればこの事件に関与している意味がないのだ。
だからこそ、自分が緩衝材としてあてがわれているのだが。
「四法院。要するに、まだ情報が揃っていないってことだな」
「だから、そう言っているじゃないか」
「どこがだ。言ってないだろ」
そうこうしているうちに、署に到着した。
いつもの個室に入ると、古島さんが新しく入った情報を持って来てくれた。
その後ろに御堂が付いて来た。
四法院もその姿が目に入ったらしく、不快な表情を向けた。
「どうだい、御堂。なにか判ったかい?」
僕が訊くと御堂は意味深な表情を向けた。
僕たち四人は円形に座るも、四法院は別方向に顔を向けている。
四法院は会話に参加する気はなさそうだ。
御堂は、そんな四法院を無視するように話し始める。
「篠山が殺害され、共犯の疑いのある三名を調べた」
「それで、どうだった?」
「篠山の殺害時刻の三名のアリバイは完璧だ。今朝方と云うこともあって、家族の証言だけでなく、出社時刻や取引先などの証言もとれている。それらの場所と死体遺棄現場の距離、渋滞時間や迂回時間を逆算すれば、犯行は不可能だ」
「そうだね。朝だったら渋滞など不確定要素があるな。でも、裏道とか虚言の可能性もあるかも知れない。午前四時に埼玉県内の荒川に誘い出してからなら、渋滞はなんとかなる」
「だが早い者でも、午前六時に家族と朝食をとっている。そうなれば瞬間移動をしないと無理だ。家族が嘘を吐いていたとしても、職場までの距離もある」
「なるほど」
納得した。御堂がここまで言うなら、完全なアリバイなのだろう。
少しだけ沈黙が場を支配した。
僕は考える。篠山のような金融マンが殺害される理由は何だろうかと。
「御堂」
「なんだ?」
「素人の考えだが、聞いてくれるか?」
「言ってみろ」
「今回の篠山が殺害された理由は、桑原の殺害された事件とは関係ない可能性も考慮した方が良くないか?」
「は?」
御堂が目を細める。刹那、困惑の表情を浮かべたが、口を開いたのは古島さんだった。
「有り得ないだろう。このタイミングで殺されたんだ。無関係と考える方がどうかしている」
古島さんは断言した。御堂は何も言わず、腕を組むだけだった。
「確かに、桑原殺害の件と関係があると思います。ですが、それに囚われるべきではないと思います」
「だが、我等には人員がいない。全てに人員を割くことは不可能だ」
御堂が言った。
「永都、何を考えているんだ?ありのままに教えてくれないか。そうすれば人員を割く事が出来る」
僕は考えている事を口にした。
「篠山が殺害されたのは、桑原と関連付けて調べて一日で簡単に行き詰った。別の視点からの情報が必要だと思う」
「で、何が知りたい?」
「確信は無いんだが、今回の篠山が殺された件に限っては、被害者の身辺と仕事の関係者を調べるべきだ。金融関係者だから言う訳じゃないが、職業柄、恨みを買い易いだろう。テレビでも、銀行が貸し付けをするも貸し剥がしをして倒産に追い込む事があると聞く」
御堂は、納得したようだ。
「なるほど、融資を断られた逆恨みってことだな」
古島さんが鼻息も荒く言った。
僕は四法院を見た。興味なさそうに空を見ている四法院に、一応確認を取ってみた。
「四法院、何かあるかい?」
四法院は眠いのか、目を擦りながら答える。
「特に、何も………。今は、篠山の全人間関係と交友関係を洗うしかないだろう」
「桑原の事件との関係はどう思うんだい?」
「まだ何とも言えないな。関係はありそうだが、篠山の資料を見る限りは相当の恨みを買ってそうだ。俺のように、清廉な生き方をしていないだろうから無理はないだろうがな」
しれっと言った四法院の言葉に、三人は反応しなかった。それは、突っ込むと負けた気がするのか、時間が惜しいのか、相手をするまでもないのか分からないが、事実上肯定した事になるのだろうか。
御堂は席を立ち言った。
「私は、これより指示を出す」
「御堂管理官。私も」
古島さんが共に捜査を行いたいと言うが、御堂は許可しなかった。
御堂が足早に室内を後にすると、古島さんは落胆した様に椅子に座った。
「さ、帰るか!」
「突然、何を言うんだ。今来たばかりじゃないか」
「そう言ったって、手掛かりになる情報すら無いじゃないか。ここで待って居たって捜査が進展する訳でもないだろう」
「だったら、現場を見に行かないか?」
「え~。嫌だよ。これから飯食って、映画でも観ようと思ってるんだからさ」
「お前………」
僕は、その神経に呆れた。そして同時に、少しは働かせようと思った。
「よし、だったら犯行現場を見に行こう」
四法院は露骨に嫌な顔を向けた。
「見れますよね?古島さん」
「ああ。もう全ての調査は済んでいる。ただ、あそこは銀行の所有だから今すぐと云う訳にはいかない」
「だそうだ」
四法院が勝ち誇ったように言った。そして、四法院が立ち去ろうとした時、古島さんが付け加えた。
「五分で話を着ける」
その言葉を聞き、僕は四法院を止め、笑みと共に、言葉を付け加えた。
「だそうだ」
四法院は深い溜息で応えた。




