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四法院の事件簿 2   作者: 高天原 綾女
事件発生
13/40

その3

     三


 夕焼けに染まった街。

 朱色に染まるように、少年が歩いていた。身長は百センチ程だろうか、痩せ形だが骨太の体型をしている。手には買い物袋、引き摺りそうになりながら運んでいる。

 中年のオバサンが、見るに見かねて声をかけた。


「翔一くん。大丈夫かい?」

「大丈夫。ありがとう」


 翔一は笑顔を作り、元気に答えた。うんしょっと、再び肩の位置まで持ち上げて歩き出した。


「気を付けて帰るんだよ」

「うん」


 翔一は、オバサンを気に掛けることなく先を急いだ。

 オバサンは、連れのオバサンに話しかけられた。


「奥さん。あの子は?」

「あの子は、去年、近所のアパートに引っ越してきた子なんだけどね。父子家庭で、いつもああして、買い物や洗濯をしてるんだよ」


 手首をしならせ言った。


「父親は何してんだろうね~」

「あの子が言うには、警察官らしいけどね。あんな子に、家事を任せっきりだなんてね」


  頭を振って、ため息をついた。


「苦労してるんだね。家庭の事情は色々あるからねェ、何ともいえないけど、ウチの子はゲームばかりで幸せだろうね」


 オバサン二人は頷き合った。二人の視線の先には、少年の後姿が映っている。

 翔一には、その会話が聞こえていた。

 いつもこうだ。僕は、すごく可哀想にみえるらしく、よく同情され、可哀想がられる。

 たしかに母さんはいないけど、父さんがいるし、父さんとの暮らしは幸せだ。

 喩えそれが不幸だとしても、母さんがいないだけで、僕は父さんが大好きだ。

 父さんが刑事をしていることも好きだった。いつも母さんが、父さんに感謝していた事は憶えている。

 父さんは、朝早く出て夜遅くに帰る。それに、深夜に呼び出されて大変そうだけど、僕も刑事になりたいと思った。父さんのような刑事に。

 そんな僕は、自分で不幸なんて思ったことすらなかった。

 大人の勝手な思い込みは、いつも悲しい気持ちにさせるが、今日はそんな事に興味はなかった。

 ささやかだが、これまでに体験したことのない幸福感を味わえたから。

 僕は、学校帰りによく図書館に立ち寄る。目的は本と、もう一つ。最近、仲良くなった女の子と話すためだ。

 出会ったきっかけは憶えているが、仲良くなったきっかけはよく憶えていない。

 本を探していると二階の窓際の椅子に一人の女の子が座っていた。僕は、その子に目を奪われた。

 綺麗な顔の女の子で、腰のあたりまである長い黒髪と白い肌、手脚もすごく長く、ドキリとさせられた。その光景は、いまも心に焼きついている。

 仲良くなったきっかけは、彼女の手元に積んである本だったと思う。

 宿題で、その本をたまたま探していた。お願いして見せて貰った。

 それから、少しだけど話をした。話の内容は憶えていない。それでも、すごく楽しかったことは覚えている。

 名前は篠山里奈。二歳年上で九歳だと知った。

 僕よりも背が高く、すごく優しい。

 彼女との想い出ですぐに思い出すのは、僕の境遇を知っている近所のオバサンに、哀れみが籠った視線を向けられ、話しかけられたときだった。

 いつものことで気にならなかったが、その時は彼女が過剰に反応した。


「あの人、何なの。スゴく感じ悪い」


 彼女の何かに触れたのか、眉をひそめ、目を細めて言った。その表情からは、怒りしか感じ取れない。

 僕は、仲が悪くなるのを恐れて、謝った。


「ごめんね。何か、気に障ったかな………」


 彼女は、ふと我に返ったのか、普段の優しい顔に戻った。白い指先で、やさしく髪を掻きあげ、息を吐くと僕の目を見つめた。


「ごめんなさい。翔一くんが悪い訳じゃないのに………。私、あの目が嫌い。あの目をする人って、絶対、馬鹿にしてるもん」


 そう言い終わると、一瞬、沈黙が場を支配した。僕は、その眼を向けられる訳を話すことにした。


「ボク、お母さんがいないんだ。お父さんは、仕事で帰りが遅いから、洗濯も買い物も料理も、僕がやってるんだ。だから、近所の人は可哀想がってあんな感じになるんだ」

「お母さんいないの?」


 少しだけ驚いた表情を向けられ聞かれた。その言葉に、僕は静かに頷いた。


「そう。私も、両親がいないの」

「お父さんも、お母さんも?」

「うん。私、ひとりなの。二年前、お母さんが病気で死んだの。それから半年間は、施設で暮らしたの。篠山さんって夫婦が、一年半前に里親として私を引き取ってくれたんだけど、部屋と食事を与えてくれるだけで、会話は無いわ。一体、何がしたいのか、わからないの。でも、施設よりも遥かに自由があるし、干渉もされないから楽だけど」

「だけど?」

「あの眼。みんな、あの眼をするの。可哀想な奴っていう」


 その話を聞いて、自分はどれだけ幸せなのか思い知る。他人の中で暮らす大変さは知っている。

 僕も父親の仕事の都合で親戚に預けられた。一日、二日はお客様扱いだが、一ヶ月も過ぎると途端に煙たがる。

 まさに異物扱いで、露骨に厄介者をみる視線を向けられる。

 二ヶ月間、よく耐えていたと思う。

 あの体験を毎日しているのかと思うと、彼女に励ましの言葉なども出てこなかった。


「お父さんは?」

「私は憶えてないんだけど、お父さんは殺されたらしいの………」

「えっ」


 予想外の答えに驚いた。


「でも、もう私には関係ないことだから………」


 里奈ちゃんは、左手を軽く振って、気にしていないことを強調した。

 その為、僕もそれ以上は聞けなかった。でも、それをきっかけに仲良くなれた。

 僕と同様、里奈ちゃんも学校では浮いているらしく、会えば色々な話をした。

 学校の出来事が主だったでど、里奈ちゃんは、僕と父さんの話に興味があるらしく、しきりに聞きたがった。

 一般的に、そんなに羨ましい生活ではないと思うんだけど、彼女の笑顔にありのままを話す。それに、一喜一憂する仕草が、僕はたまらなくうれしかった。

 そんな彼女が、今日は様子が違っていた。何を言っても、ぼーとしているだけで反応が薄い。『学校や家で悩みごとがあるの?』と訊いてみても、『ちょっとネ』と答えるだけだった。

 連休でもあるし、またすぐに会えるから、今日は見守ることにした。

 僕の父さんが刑事というのも教えているし、いざとなれば父さんに相談すればなんとかなると思う。

 手に食い込むビニール袋の痛みで我に返った。


(明日、また訊いてみよう)


 袋を持ち直し、足を速めた。

 父さんには、里奈ちゃんの事は話してある。両親が死んでも、里親の元で暮らしていて、すごく優しい女の子。僕の話すことに、父さんは笑顔で聞いてくれる。

 彼女のことを聞いて、父さんが言った。


「翔一、女の子には優しくしてあげるんだぞ。特に、好きな子にはな」


 僕はうつむくように頷いた。

 今日のおかずは、焼魚で魚はカジキだ。カジキのブロックと大根、大葉、ネギと料理酒などを買っている。友達の家で食べた料理、焼いたカジキに大根おろしをのせ、ポン酢で食べるとすごく美味しかった。

 これを父さんにも食べさせてあげたかった。調理法も単純だし、僕にも出来そうだ。

 向こう側の歩道に、幼稚園児が母親と手をつないで歩いている姿が目に入った。

 他の子は、あんな風に甘えられるものなのかと思う。羨ましいと感じる反面、自分には出来そうにないとも思えた。

 頭の中で何度も母親と対面した。

 写真でしか知らないお母さんが、優しくしてくれるが、どうしても気を遣ってしまう。

 想像でも甘えることが出来なかった。

 自分の堅苦しさに頭を叩いた。

 父親との暮らしは、役割分担して生きてきた。その所為か、ワガママを言って困らせたくなかった。

 そんな自分が、母親と並んで歩いたとして、思うままに態度に表わせるとも思わない。

 街を歩いている時、わがままばかり言っている子供をみると、腹立たしくなる。

 その理由も自覚している。

 あまりの聞き分けのなさとそれを許される環境、それを自分は羨ましいんだと思う。

 だからといって、仮に得られたとしても、素直になれない性格で、何とも言えない気持ちが、怒りや不快さになるのだと思う。

 僕は、何とも言えない気持ちのまま、借りているアパートに着いた。一棟六部屋のアパート、二階の東側の二〇三号室だ。

 玄関の扉を開けると、室内に籠っていた熱気が体を撫でた。

 室内に駆け込むと、すぐに窓を開ける。外の空気が流れてきて心地いい。

 引っ越して来た時、東京の空気は汚れていると聞いていた。

 でも、故郷の瀬戸内の空気には勝てないが、ここのもそう悪くない。

 キャベツや玉ネギ、大根を冷蔵庫に収め、お米を炊飯器に入れて炊きながら、干しておいた洗濯物を取り込んだ。

 父さんが帰ってくるまで、まだ時間がある。

 あと、今日は楽しみにしている刑事ドラマの放送日だ。

 先に宿題でもすることにした。


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