四章 四法院の捜査 その1
一
休日の午前八時に眠い目を擦り、官庁街を歩いていた。
連休中だけあって、誰も歩いていない。
まるで政府が、この地区一帯の支配権を放棄したような感じだ。
澄んだ空気は気持ちが良く、無人の街というのも、邪魔な通行人がなく非常に歩きやすい。
こんな状況下では、くだらない妄想をしてしまう。
製薬会社が新開発したウイルスが、移送中に官庁街に漏れ出して封鎖される。
ゲームのシナリオなら、もうそろそろウイルス感染した通行人が這うようにして現れる頃だろう。
そんな事を妄想しながら歩いていた。
誰もいない官庁街だったが、警視庁本部ビル入口には、早朝にもかかわらず警官が立って警備していた。
この閑散とした空間に、まったく御苦労なことだ。
まっすぐそちらへ歩いていく自分を警官は無視しているが、意識はこちらに向いているだろう。
立っている警官に話しかける。
「すみません。刑事部管理官の御堂警視正に呼ばれたのですが………」
警官は、無言で手を建物に向けて、了承の態度を示した。
薄暗い建物内に入り、六階へ向かった。
すぐに六階の刑事部に到着したが、人は出払っているのか誰の姿も見えなかった。仕方なく、人を探すことにした。
僕がここに居るのには訳がある。友人の四法院は、朝はまったくの役立たずで、能力も生命維持程度にしか使用されていない。
それは、意図的にと云う訳ではなく、先天的なのか後天的なのかは判らないが、午前六時から正午まで、廃人と言っても過言ではない。
能力の程度を喩えて言うならば、小学校低学年にも劣る。
御堂も、そのことは知っている。だからこそ、午前中に必要情報を僕に得させた上で、午後になった瞬間から、四法院をこき使えということなのだろう。
僕は昨日の事を思い出していた。
昨夜、僕たちは赤羽駅前の居酒屋で食事を済ませた。
三点盛りの刺身に、ゆず胡椒で和えたモツなど好みの品が多くあった。
それに、味にウルサイ四法院が絶賛する品があった。
それは、鶏のセセリに塩コショウを振って、網でスモークするように焼いたモノだった。口に入れると、薫された匂いが舌に触れ、弾力ある肉を噛むと肉汁が溢れだした。
素朴な一品だが、四法院が唸るのも理解できるほどに美味しい。
スーパーで買うと百円以下の肉だが、調理法でこれほどの味になるとは思わなかった。
四法院が厨房を覗きに行くと、七輪で炭火焼していたと教えてくれた。
「手間の勝利だな」
心の中で呟いた。
それから、様々な品を胃がはち切れんばかりに食べた。
すっかり満足した四法院は、赤羽署に帰ることなく、赤羽駅に入ると埼京線で自宅へ帰ってしまった。
僕も止める術はなく、見送るだけで終わった。
そして、今に至るのだ。
「あんた、昨日の………」
声を掛けられた。声の発せられた方向に振り向いた。
そこには、昨日、四法院を押さえつけていた刑事が、椅子に腰かけていた。
僕は会釈をすると刑事に話しかけた。
「あ、貴方は昨日の。御堂に言われたんですが、僕たちの付き添い役を買って出てくれた方がいると聞いて来たんですが………」
言うと、刑事は目を細めた。
「自分が付き添い役を頼まれた、刑事部の古島源二だ」
この刑事の口調と態度から推察するに、御堂に嵌められたようだ。
いま四法院が居なくて本当に良かったと思う。
境遇に配慮して、仕方なく話を合わせることにした。
「ありがとうございます。で、御堂の言っていた情報を見せて貰いたいんですが」
当然の事を当然に聞いたが、古島刑事は不快そうな雰囲気を醸し出した。
何が気に障ったのか考えた。
御堂が、僕たちの付き添いを頼んだと云うことは、ある程度の信頼関係が出来ているのだろう。
そこまでで不快な原因に思い至った。
自分が御堂を呼び捨てにしているのが気に入らないのかもしれない。
だからといって、今さら堅苦しく呼ぶのも、署員でもないから役職名で呼ぶ訳にもいかない。
もっとも、御堂を呼び捨てにしたところで訂正も求められないだろう。
(慣れて貰うしかないな)
心内で、そう結論を下した。そうこうしていると、古島刑事が口を開いた。
「こっちだ」
古島刑事は背筋を伸ばして歩き出した。デスクを縫うように歩きながら、身振りを交えた説明を始めた。
「今回の事件の情報は、赤羽署の特別捜査本部に集まる。だが、このヤマは各方面の有力者が揃っている。それ故に、慎重な捜査を強いられる」
「事件は、浅広銀行の融資課長が容疑者では?」
素朴な疑問を口にした。
古島は襟首あたりを掻いて答えた。
「被疑者は篠山だが、共犯もしくは関係者がそれ以外にもいないとも限らないだろう。絶対に接しないともいえない。その前に、必要な情報の総てを叩き込んで貰おう」
なるほど。もっともな意見だ。そんな初歩的な見落としを誤魔化す気もなく、ただただ恥じた。
「古島刑事、………」
「古島でいい。あと、もう一人はどうした?」
吐き捨てるように聞かれた。
「あ、四法院です。あの、四法院は朝が起きれない人間でして………」
言葉に詰まりながら言った。正直なところ、四法院のことを誰かに説明するのが一番悩む。
決して彼は、悪い人間ではないのだが、説明すればするほど駄目人間の印象が強くなってしまう。
説明を補足すればするほど、意図と違う場所に相手の感情は行ってしまうのだ。
結局、古島さんに言わせたのはこの言葉である。
「どうしようもない野郎だな」
「いや………。それほど、悪い人間ではないんですがね………」
もう諦めて、黙って古島さんの後に付いて行った。連れて行かれたのは、狭い個室だった。資料室のようだが、膨大なファイルと備え付けのPCが置かれている。
「そこに座ってくれ」
古島さんに言われた通りにした。PCは起動音を発して画面にOSソフトのロゴが表示されている。
古島さんはファイルを手に取り説明を始めた。
容疑者に上がった六名と篠山の共犯になりうる三名の経歴から始めた。
ディスプレイに各人の詳細なデータが表示されている。それを見ながら、頭に叩き込んだ。
あたりにはゆっくりとした雰囲気が漂っている。
「古島さん、刑事部って静かなんですね」
空気の悪さから、つい感想を口にした。
「いま、去年の大事件と複数の事件を抱えて捜査一課は全て出払っている。連休で事務方もいないから静かなんだ」
そう教えてもらうと、去年起きた一大事件を思い出した。
それは、製薬会社幹部による大量殺人事件だ。
あの事件に駆り出されているんだな。
だから、特捜本部にも関わらず、こんなに薄い陣容だったのかと判った。
それから、それぞれに対して詳細な情報を聞かされた。
どれほどの時間が流れたのだろう。
わずかな気もするし、膨大なような気もする。
携帯電話を開き確認すると、十二時前だった。
(約四時間か)
時間を認識すると目に疲労を感じた。
「休憩でもしよう」
古島さんが気を使って言ってくれた。
「いえ、大丈夫です。少しでも早く進めましょう」
そう伝えた時、電話がかかってきた。
古島さんの顔を見ると、『どうぞ』と表情で言っていた。
表示画面に【四法院】と出ていた。
「はい」
《………今どこだ?》
寝起きの声だ。数秒前に起きたのだろう。
「今、桜田門だよ」
《なんで赤羽じゃないんだ?》
「御堂から言われただろう。憶えてないのかい?」
《御堂ね~。あんなエラそうに言う奴の言うことなんて憶えてない》
「赤羽に行く前に、必要になる情報があるんだよ。だから、早く来なよ」
《………わかった。タクシー券や経費って出る?》
「出る訳ないだろ」
《掛け合ってくれ》
「そんな事で時間を浪費するなら、地下鉄でさっさと来い」
四法院に四の五言わせず、強めの口調で言い切り、電話を切った。
まだ覚えなきゃいけない情報がある。四法院の愚痴を聞いている余裕などはない。
問題児が到着するまでに終わらせる事にした。
「次は、この九名の交友関係だ」
古島さんが言って、次々と頭脳に詰め込んでゆく。
古島さんには無理をさせているのかもしれない、と思ったが平然とした顔で次々と資料の用意を進めていた。
再び、静かに時が流れ始めた。四十分後、その静けさはあっけなく霧散した。
「おーい!」
四法院の声がした。
僕が出迎えに行くと、ジーンズとTシャツというラフな服装で四法院は来ていた。
ボサボサの髪を整えることすらせず、大きなあくびをしている。
「こっちだ」
僕は、案内するために先に歩き始めた。四法院は、後頭部を荒く掻きながら付いてくる。
部屋に案内すると、四法院の眉間に皺が寄った。
「なんで、野蛮人がココにいるんだ?」
「ちょっと、四法院………」
僕は、不要な争いを避けさせるために割って入った。
古島さんは、背筋を伸ばし見下すように四法院を見ている。
危機感を覚えた僕は、古島さんに向かいあった。
「すみません。彼はその……、そう、不器用で、無愛想で、無礼な人間なので」
「ちょっと待て。俺は、相手に合わせた態度を取れる理知的な人間だ。その人間を捕まえて、何てことを言うんだ。失礼な」
「失礼なのどっちだよ。ちょっとは空気とか、状況とか、この後の展望とか読めないのかよ?」
古島さんに聞こえるが、声を絞って四法院に言う。
「読めるさ」
四法院は堂々と言い切った。
「事件を解決して、金を貰って終わりさ」
「全過程を都合よく省くなよ」
僕が強めに突っ込んだ。
「同じさ。家からココまで来るのでも、電車、地下鉄、バス、タクシー、徒歩だろうが、どんな手段でも結局は辿り着くじゃないか」
「何でも一緒にするなよ………」
「同じだよ。要は、結果を出せるか出せないかだ」
僕は、深く息を吐いた。こう言うしかなかった。
「だったら、早く結果を出そう」
すると、古島さんが出てきた。喧嘩にならないか不安だったが、そこまで子供ではなかったようだ。手にしていた書類を、四法院に差し出し口を開いた。
「早く情報を入れろ」
引っ手繰るように四法院が受け取った。
受け取ったのは自滅党代議士の結城幹事長に対してのファイルだった。
パラパラと捲る友人は、ファイルを閉じた。別のファイルを見始める。
「この五名の情報は既にある。篠山と、その関係者三名だけ教えてくれ。」
僕は、その台詞に驚かされた。古島刑事は訝しい表情を作っている。
「本当に情報を持っているのかい?」
四法院は当然のように頷いた。
僕は、黙々とファイルとPC画像に目を通して行く。四法院も集中している。
まったく、素直じゃないな。なんだかんだ言っても、真面目だし、やる時にはやる人間なのだ。
遂に、詳細な事件情報もすべて聞き終えた時、四法院が呟いた。
「篠山には無理だ」
「どう言うことだ?」
すかさず、古島さんが聞くが、四法院は無視した。
僕は、焦って右肘で四法院の背中を打った。
四法院は、椅子を後ろに傾けて両手を突き上げるようにし、背伸びをしながら答えた。
「どうもこうも、篠山に犯行は無理だな。これほど人と接していたら、アリバイは崩れないよ。誰かに実行犯を頼むしかない。篠山の交友関係を徹底的に洗ってくれ」
「篠山の交友関係か………」
「特捜本部に新しい情報が入っているかもしれないな」
古島さんはファイルを片付け始めた。




