第1話 北方の大地で
1944年10月
フィリピン沖で大規模地震が発生
津波等により
日米双方の軍艦が衝突したり座礁して乗り上げた騒動
戦艦武蔵もこの津波にめげず、奮闘し戦い抜いたが、米軍の残存爆撃の猛攻により轟沈
日本は、大和と長門と日向、伊勢、榛名以外の戦艦をこの災害や戦闘で喪失し
残存駆逐艦と空母と共に撤退を余儀なくされた
アメリカはアメリカでソ連の対日戦線時期について変更する密約を結んだ
1945年
4月1日
沖縄放棄が決定される
理由は次のことが原因だった
・ソ連の参戦疑惑があがった
他にも、関門海峡等のの水雷封鎖が実施されなかったこと
それらが理由となり、大和は、奇跡的に生き残っていた空母瑞鶴と共に舞鶴に待避した
日向と伊勢は高知沖での決戦のため広島沖に抑留
6月15日
ソ連参戦
樺太、千島、満州に同時進行した
日本も必死の抵抗をしたが、ドイツを下したソ連軍の猛攻に抵抗できないまま
7月下旬には北海道に上陸を許した
8月6日
広島市内に原爆が投下される
広島市街地が壊滅被害を受ける
8月9日
旭川市に原爆が投下される
旭川市街地が壊滅被害を受けた、その上、ソ連軍も放射能汚染の巻き添えを受け
米ソの関係はこれにより急激に悪化
8月12日
主力残存艦隊が北海道苫小牧に展開
8月15日正午
ラジオ放送で、天皇が米英中連合軍に無条件降伏を宣言した
正し、北海道と朝鮮でのソ連との戦争は対象外として、自衛の戦いを許可した
日本はソ連を道外と千島から追い出すために必死に戦った
18日
十勝平野攻防戦
日本帝国陸軍北海道残存部隊とソ連軍が激突した、第二次世界大戦中道内最大の激戦だった
金剛型3番艦と言われた、榛名が地上砲台として解体され
さらに海上から大和と長門による、対地砲撃
空母や道南からの戦闘機や爆撃機による戦闘で
大激戦となった
だが、21日
「榛名砲台崩壊とのことです」
「っく、海軍からも瑞鶴の艦載機不足がある、制空権も厳しくなった以上、兵士達を犠牲にするわけには行かない、日高山脈でゲリラ戦に挑むぞ」
第7師団歩兵第26連隊長、ゲリラ戦を決意するも
士気の低下と、制空権の喪失が敗因で、ゲリラ戦は失敗し、25日までに沙流川や夕張まで撤退を余儀なくされた
その3日後に、米軍が苫小牧に寄港
これにより、ソ連もようやく進軍が止まったのだった
9月2日
降伏文書が 東京湾沖合の米艦船ミズーリで行われる
ソ連の高官も何とか間に合った
これにより正式に第二次世界大戦の枢軸国側の主力3カ国は敗北したのだった
第二話に続く
第2話は1950年の北海道から
次話の投稿は未定ですが、年度内目標