各艦の戦後
1945年9月
米連合軍により
残存大日本帝国海軍軍艦が預けられる
此処では、
戦艦 長門、伊勢、日向、大和
空母 瑞鶴、鳳翔、葛城
巡洋艦 酒匂、北上、鹿島、八雲、高雄、妙高
一部駆逐艦
について説明させてもらう
空母に関しては、
復員任務のため、艦載機を乗せない状態で復員が行われた
戦艦は、米軍管理のもと、長門を原爆標的艦とする計画が上がっていたが
ソ連と北海道東にいる共産国家の牽制のため、先送りされていた
巡洋艦に至っては、
高雄、妙高は英国への賠償艦に当たったが
英国海軍は軍船が多いため、中華民国(妙高)、高麗民国(高雄)に捨値売却
酒匂は、原爆標的艦として、46年7月早々に沈められた
北上、鹿島、八雲は それぞれ復員任務や工作船として活動し
八雲は解体、
鹿島は、1950年に起きた極東戦争中に蝦夷人民共和国の空爆で轟沈
北上は、極東戦争終戦後に、解体処分された
実は、極東戦争後、妙高は日本に帰国して、数年間活動していた
一方の高雄は、仁川上陸作戦陽動計画で沈んでいる
続いて駆逐艦だが
多くの駆逐艦が、米英中に接収された
ソ連も接収しようとしたが、米英が危険視し、妨害していた
そして1947年、事件が起きた
諸事情で解体が遅れていた、
練習空母 鳳翔と特型駆逐艦 響が
ソ連シンパに奪われる騒動があった
だが、鳳翔の方は、米軍に見つかり、航路妨害により阻止したが
響の方は、38ノットと言う速度を活かされ、逃げられてしまった
そして1950年
極東戦争勃発
アメリカは、日本の再軍備を容認
多くの議員が、道東に創られたソ連傀儡国家の土地を取り返すためならという条件で
再軍備を容認、
米軍管理下にあった軍艦の多くが返還された
極東戦争では、
戦艦組が朝鮮陽動作戦で留守だったため
北上を旗艦とし津軽海峡防衛に当たる部隊と
鹿島を旗艦とし室蘭沖合いで警備に当たる部隊
の二手に別れた
空母組は、残存艦載機を集めるのに必死で参戦が遅れ
結果、北海道を喪失してしまった
その後の講和で津軽海峡が不可侵領域になったため
日本海側と太平洋側にそれぞれ対共専用艦隊の設立が決まり
日本海側に、空母瑞鶴、葛城、戦艦大和
太平洋側に、戦艦長門が配属された
この頃に鳳翔は、日本復興の資源として解体された
そのごの米ソの策略で
ソ連に拿捕されていた、特型駆逐艦響、現地名ヌルヴェーイが蝦夷人民共和国に返還され
中華民国に引き渡されていた雪風、現地名丹陽と
英国から中華民国に売られた巡洋艦妙高 現地名海容
が日本に引き戻された
中華民国の場合はアメリカの圧力で、代わりに新型駆逐艦を輸出
だが、どの艦も1970年代に転機を迎えた
まずひとつは、戦前の駆逐艦達が悲鳴をあげていた
雪風、潮は軍籍を解かれ、雪風は記念艦に
潮は解体され、長門改修用の資源として再利用された
一方の響は、蝦夷人民海軍の厳しさを象徴する末路を迎えて沈んでいった
二つ目は、1973年の政権交代で積極調和路線派が政権を握り軍縮が進み
戦前空母の瑞鶴と葛城も引退
瑞鶴は記念艦になり、葛城は解体された
伊勢や日向も此処で解体され、
残った戦前現役艦は、戦艦長門と大和だけになった
二隻は、統一戦争まで、現役を貫いた
統一戦争では、大和は、蝦夷人民共和国の戦艦を撃破する偉業を遂げた
そして統一後
太平洋側の対共専用艦隊解体が決まり
長門が引退し、記念艦になった
一方大和は、日本海の防衛のためにさらに12年戦い
引退したのだった