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1975年~1999年

改訂されることもあります


ついでに1988年のオリンピック開催地は札幌です


2月23日午後5時改定

1975年

7月19日

蝦夷人民共和国の首都札幌の警察本部と人民情報省が爆発した

負傷者は13名ほどで、特に書類などへの被害はなかった


9月25日

竣工から34年間活躍した、日本の空母瑞鶴が記念艦になる

後続艦として、原子力空母 ひりゅう、そうりゅうが着任(アメリカから購入)

長門と大和は近代化改修等で延命


1976年

1月17日

蝦夷人民共和国首相、7月の爆発事件に日本の関与があると人民議会で演説

この発言で、蝦夷人民共和国と日本の国交が悪化し始める


8月16日

高麗民国 EATO加盟


9月15日

国営造船所が、秋田と新潟と横須加に造られる(造船及び修理解体用)

秋田北から横手まで高速道路が開通、横手北上間も翌年5月に開通



1977年

7月14日

日本初の人工衛星 ひまわりが打ち上げられる

主に気象観測と蝦夷人民共和国の偵察

東北道が青森まで全線開通


9月28日

日本航空機ジャック爆破事件発生

バンクラデッシュで起きた事件で

日本と蝦夷の共産主義勢力の内紛にも発展した上で爆発墜落事故になった(蝦夷人民共和国がタイでテロをもくろんでいたらしいため)

乗員乗客156名全員死亡という最悪の事件で

日本も蝦夷も互いに互いを批判した結果

国交は急速に悪化、日本では共産党本部を強制捜査などをおこした

この騒動で20年近く、共産党は国政選挙から追放される

半年後にその報復の事件が起きることも知らずに


1978年

3月26日

成田国際空港占領事件発生

空港建設に反対していた地元農民と

昨年の日本航空機ジャック爆破事件で非難されたことに怒りを思った蝦夷人民共和国工作員と元共産党員が仕組んだ大事件

大規模な銃撃戦に発展し、数千人の死傷者を叩き出す 戦後最悪の事件で3月30日に、陸上防衛隊の強行突入の末解決

この事件の後、警察組織に特殊部隊の配備が始まる(SAT等)


4月2日

日本は、蝦夷人民共和国との戦争体制を整え、秋田港に大和を旗艦とした日本海機動部隊を展開し

仙台港に長門を旗艦とした東北太平洋艦隊を展開

津軽危機に発展


4月16日

蝦夷人民共和国司令官が声明を発表

南侵する気は無い、もし函館会議の内容を破棄し、青森区域の陸軍駐屯兵数を増やす場合は核兵器製造も辞さないと発表し、成田国際空港占領事件関与に関しても謝罪した


4月20日

日本海機動部隊等、新潟、舞鶴へ帰港を開始

東北太平洋艦隊、一部を除き除隊させ、各母港へ帰港を開始

極東版キューバ危機とも呼ばれ、世界を震撼させた

撤退の理由となったのは、渡島半島への蝦夷人民共和国軍の増加がなかったのが人工衛星からはっきりと判ったため

半年間の緊張が解けかけたが2年も持たなかった


6月20日

成田国際空港、運行を開始

当初は、千歳と豊原路線も予定されていたが空港占拠事件により、白紙撤回



1979年

3月25日

東陸道新幹線が開通

国防上の要として建設された

蝦夷人民共和国でも、札幌から函館までの高規格鉄道構想が出たが、予算の都合上流れた



12月25日

ソビエト連邦、アフガニスタン侵攻

理由として、アフガニスタンの人民民主党への抵抗勢力鎮圧のため

蝦夷人民共和国と朝鮮人民共和国もソ連の行動に称賛の意を表し

朝鮮半島と日本列島の双方で火花が飛ぶ


1980年

7月19日

モスクワオリンピック開幕

EATO各国は昨年のソ連のアフガニスタン侵攻を理由に不参加


1981年

9月30日

1988年オリンピック開催地に

釜山と名古屋が立候補したが、落選

しかも、開催地は、蝦夷人民共和国の首都札幌となった


10月16日

蝦夷人民共和国の夕張炭坑でガス漏れ事故

人民政府も必死の対応をしたが、

火災事故も発生

人民政府司令官は、苫小牧管区長を呼び出し

炭坑に注水を管区長の命令で指示するように命令

苫小牧管区長は、爆発によるさらなる被害を阻止するために、注水を強行

多くの犠牲者を出した

遺体は年末までに回収され、死者90人以上となった

この責任をとり、苫小牧管区長が人民議会に辞任届を提出し、全責任は私にあると言い残すと、翌日、投身自殺した

最初は誰もが苫小牧管区長の独断立ったと思っていたが、日本統一後に事実が判明した


1982年

2月8日

東京赤坂の新日本ホテルで大火災発生

9日

羽田沖で、NALの航空機が墜落

連続した騒動で一時蝦夷人民共和国のテロと疑われたが

ホテルは、寝煙草と経費削減のための加湿器の停止が原因で被害が広がったこと

航空機は、機長の病気が原因だと発覚し

蝦夷人民共和国との外交問題には至らなかった



7月30日

日本国鉄民営化計画が出るが

防衛省と国営鉄道の猛反発により、一部ローカル線民営化が決定

主に、関東、東海、近畿、四国を中心に


1983年

3月25日

東陸道能代沖を震源とする、日本海地震発生

東陸道日本海側の港が大打撃を被り、

日本海上防衛隊日本海機動部隊を救援に向かわせる


蝦夷人民共和国でも、地震情報を知ると、渡島管区長が、奥尻島と、日本海側の管区内に、高台への避難命令を緊急放送


1984年

6月24日

日本政府、88年の札幌オリンピックへの参加を正式に決意し、記者発表



1985年

9月22日

プラザ合意

アメリカ経済が大量輸入、少量輸出で大赤字にであることを理由に

ドル危機阻止のために踏み切られた

だが、史実と違い、円は大きく値上がりせず

ドル円レートは10円値下げにとどまり

その後も190円台を維持した

蝦夷人民共和国の件もあり、

円を買う投資かが少なかったため


これにより、史実で言うバブル景気も弱く、土地転がしはあっても

ビジネスビルやホテルの建設にとどまり

リゾート開発は小規模なものにとどまった


この景気は1989年の三大悲劇がくるまで続く事になる


1987年

4月10日

本州と四国をつなぐ連絡橋が開通

本四架橋計画から17年掛かって 開通

(史実では1年後だが、こちらでは在来線のみのため)


1988年

9月17日

札幌オリンピック開会

高麗民国をのぞき、多くの国が出場した

聖火リレーでは、最後に日蝦両国の選手が一緒に併走し、聖火台に点火した


これには東西両陣営の垣根を越えて

称賛の声が挙がった、蝦夷人民共和国では、このオリンピックを米オリンピックと読んでいる人もいる

88年開催で 88を漢字にすると八十八、合体すると米になるから


これで一時は蝦夷人民共和国も経済力を跳ね上げたが、日本に比べるとまだまだ遙か先のところだった


一方日本でも、天皇の体調が悪化し始めていた


1989年

1月7日

天皇崩御

新元号が 来統になる 来る統一と言う意味で

この崩御により、

粛清ムードが一部で始まる

蝦夷人民共和国からもお悔やみの声明が送られた


4月1日

日本、消費税導入

便乗値上げが進み

消費に歯止めがかかり始めた


4月5日

梅田内閣が不正献金で総辞職

国会の解散危機は何とか避けられたが、この後、大きな災害に見舞われることを誰も知らなかった


5月15日

午前6時2分

大阪湾大震災(史実で言うと6年後の阪神淡路大震災)発生

大阪都全域が被災し、神戸市は大打撃を被った

通信網も大打撃を食らう中

政府は、大阪臨時首相官邸に大阪湾災害対策本部を設置

防衛隊も午前9時に直ちに展開を開始

15分には大打撃を受けた神戸市にある市の交通災害部と姫路の防衛隊と連絡が付き

災害派遣要請を出される(後に神戸市長及び大阪都知事事後承諾

津波も押し寄せ、大きな被害を被った


18日

EATO加盟国 伊丹空港、在日米軍岩国基地、名古屋港を経由し

災害派遣を実施

600万人以上の都民が被災した地震は、日本経済の下降に拍車をかけた



6月1日

株価が昨年6月1日比で35%下落と発表


11月9日

ドイツのベルリンの壁が壊される


12月12日

来統元年三大悲劇として

天皇崩御

消費税導入

大阪湾地震が選ばれる


1990年

4月1日

反日本統一を公約とする、未来維新党が発足

近畿、東海を拠点に、知事選や地方議会戦で議席を獲得


5月10日

神戸ー鳴門線の完成を92年から95年に延期(震災による海底地盤の問題による


10月3日

ドイツ再統一


1991年

8月19日

バルト3国の独立騒動による

ソ連で革命が発生

極東にも飛び火し

ソ連極東軍の沿海州と北樺太の駐屯軍がが革命側に合流

中華人民共和国でも、民主化を求める学生が中心とした

第二次天安門事件が発生

中ソは蝦夷人民共和国と朝鮮人民共和国に鎮圧要請を命令

朝鮮人民共和国はすぐさま、山東省を経由し、中華人民解放軍瀋陽軍と北京に侵攻し鎮圧を開始

蝦夷人民共和国はウラジオストク、カムッチャカ半島と北樺太に義勇軍を派遣

大激闘になった


日本と高麗民国は様子見を示し

中華民国は、上海上陸作戦をEATOに提案するなどした


9月25日

第二次天安門事件収束

多大な犠牲は出したが、北京での革命は収束するものの

上海などの南側の沿岸都市は、中華民国への合流を宣言した

中華人民共和国は、来年はじめに、南奪還作戦開始を決め、蝦夷人民共和国とソ連、朝鮮人民共和国にも援軍を要請したが、それは失敗に終わる


12月25日

ソ連崩壊

8月革命の影響で、ソ連政府首脳が辞任した上に国旗を降ろしたこと等による

同日にロシア連邦発足

これにより、中華人民共和国は援軍をもらえなかった

朝鮮人民共和国は、ソ連崩壊で高麗民国の北進をおそれ、派兵拒否を28日に発表

同日付けで蝦夷人民共和国軍もウラジオストクとカムチャツカ半島から即時撤退


1992年

1月5日

蝦夷人民共和国政府

北樺太返還先のソ連消滅を理由に、北樺太領有を宣言

ロシア政府、蝦夷人民共和国に抗議するも

蝦夷人民共和国は、海軍力増強宣言をしたため、北樺太放棄を決意


2月24日

日本政府 軍拡表明

蝦夷人民共和国の海軍増強計画を受け

2年前からアメリカ支援の元、イージス艦の保有を始めた

イージス護衛艦(こんごう型(こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい)

衆参両院で、三分の二を少し越える賛成多数で

長門と大和のイージス武装を開始


この騒動で、

蝦夷人民共和国は孤立状態に陥る

朝鮮人民共和国は中華人民共和国と何とか連携



1994年

6月25日

淡路海峡大橋が開通

震災や軍拡の影響もあったものの開通にこぎ着けた

同日、徳島新幹線開業 新大阪から新神戸まで山陽新幹線と同じ路線を走り、新神戸から淡路海峡大橋方面に乗り入れ、淡路島から徳島まで至った


7月4日

1974年にアメリカから購入した原子力空母2隻を販売元に売却し、再度原子力空母を購入 名前は第二航空戦隊正規空母を世襲


1995年7月30日

日蝦首脳会談が苫小牧で開催

緊張状態を解くために、話し合いがされたが 初案はどちらも受け入れられず

結果として、代案が出され、8月15日未明に締結

初案では、日本側は軍艦保有数で、蝦夷人民共和国側は排水量で制限を設けようとした

だが、日本の案だと、蝦夷人民共和国はロシアに苦戦するため、反発

一方、蝦夷人民共和国の案だと

大和か長門の処分が必要になり

難航した結果

津軽海峡付近の航海規制強化で合意した


1999年6月1日

日本政府、イージス戦艦1隻と装甲空母3隻の保有計画を検討

装甲空母には

1番艦に関して、翔鶴と瑞鶴で揉めたが、

6月20日の議会決議の結果 命名は

1番艦 瑞鶴

2番艦 翔鶴

3番艦 大鳳

となった ついでにこれは

50年前マリアナ沖合での第一航空戦隊の空母達だったりする




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