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津軽海峡分断 蝦夷と日本  作者: 鈴夜
来統時代
17/33

第10話 まとまらない会議

新年あけましておめでとうございます

1995年7月30日


日蝦双方の軍拡に周辺諸国は会談して対立を押さえ込もうと躍起になった結果

ついに双方が 会談を決意

日本側も成田から政府専用機で千歳空港に到着し、苫小牧で会議が始まった



蝦夷人民共和国からは

首相      鳩川純朗

函館管区長   武川メルフ

人民海軍司令官 村上アイロス


日本からは

玉木靖夫 防衛大臣

川島透  外務大臣

森村富吉 総理大臣


が出席し、会議を始めた

開催地である苫小牧の管区長は、テロ、デモ防止のため警備指揮をしている


「軍船保有数制限を要求する、日本3として 蝦夷人民共和国2とする、排水量制限はしない」

玉木防衛大臣の要求に対し、村上人民海軍総司令官が反論を始めた

「蝦夷人民共和国は、ロシアと不安な関係にあります、保有数の制限を受けるとこちらとしても防衛戦略にヒビが入ります、よって、排水量制限として、以下の要求をします」

書類を見て、玉木防衛大臣と森村総理大臣は、書類を握りつぶした

排水量は、今保有しようとしている、イージス戦艦2隻が軽くオーバーする内容だった


「こんなの呑むわけにはいかん」

「大和と長門を除籍して解体や記念艦にすれば可能では」

「ふざけているのか、大和と長門は、近代改修を行ったばかり、要求は受け入れられない」

「こちらも軍船保有数の制限は受け入れられない」

話は、初日から拗れ

翌日は、潜水艦での保有数制限での会談

8月4日には巡洋艦での保有数制限での会議

だが、まとまらず、9日に空母制限で、完全に合意は不可能になり

玉木防衛大臣と武川メルフ函館管区長は、戦争が起きると恐れた


13日 午後8時

「どうしますか、総理」

「帰国は15日の午前9時なんだぞ、11時35分には国立武道館での戦没追悼式があるというのに」



14日夕方

日本政府、森村総理が苦肉の策を出した

津軽海峡不可侵条約

互いに津軽海峡に軍艦の進入を制限することを提案

日付も変わり

翌15日未明 条約成立2000年12月31日までの期間限定の条約として

終わった

森村総理は、急いで荷物をまとめると、早朝午前8時

玉木防衛大臣、川島外務大臣と共に東京に戻り

午前11時半に国立武道館に到着

そして追悼式に参列して、戦没者達に追悼の意を捧げた


夕方

日本 東京都首相官邸

「疲れた」

「森村総理、お疲れ様です」

「苦肉の策でしたね」

「蝦夷人民共和国も、樺太は必死だからな」

「ですよね」

「あの、村上アイロス、父方の直系を調べたら、すごいことがわかった」

「何ですか」

「戦国時代、毛利家の水軍の末裔らしい」

「そうなんですか」

「ああ、明治維新で色々あって、北海道に渡ったらしい、日露戦争、30年以上樺太と北海道を結ぶ船会社にいたらしいが、戦争でソ連に没収されて、軍人家系に戻ったらしい」

「でも、盆休みなしで大丈夫ですか」

「大丈夫だって、どうせ1期で終わる内閣になりそうだし」

「確かに会談のために作られた内閣でしたからね」


その後、森村内閣は、12月に総辞職し、新内閣が発足

石橋竜政権が発足

石橋内閣は、蝦夷人民共和国とのにらみ合いは続けたが

特に大きな波乱は起きずに2年で総裁選敗北から辞職した

だがその翌年、ある騒動から

周辺諸国が焦りを見せ始めるとはつゆ知らず



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