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津軽海峡分断 蝦夷と日本  作者: 鈴夜
昭和時代
14/33

第7話 米オリンピック

史実では、韓国ソウルで行われたオリンピック


この世界では、蝦夷人民共和国首都札幌で開催

1988年

9月18日

札幌は、喚起に沸いていた

アジアで二度目のオリンピックに蝦夷人民共和国は盛大に盛り上がっていた

開会式の朝には、各国選手団と来賓した首脳たちにおにぎりが振る舞われた

お握りを振る舞うことを提案したのは道東管区長で

理由は1988年の88を漢字にして組み合わせると米になるからと言う理由だった



日本政府も、1984年に、札幌オリンピックへの参加を正式に決めた

正し、合同での統一選手団にはならなかったが

79年のソ連のアフガニスタン侵攻の跡が引きずっていた


高麗民国は、オリンピックをボイコット(承知失敗と朝鮮人民共和国の同盟国である蝦夷人民共和国主催と言うことが気にくわなかったため)したが、他の国々は出場枠をとった国が千歳空港や丘珠空港に着陸し

競技場に向かった

警備には、人民警察の他に首都管区軍、道東管区軍も治安出動に駆けつけ、テロやデモが起きないように厳重に警備に当たった


聖火リレーでは、最終ランナーは二人での入場だった

蝦夷人民共和国と日本双方で過去に原爆投下日に生まれで被爆したランナーが入り

聖火台に灯をともした

どちらも33歳の青年(しかも誕生日は日本側は8月6日に広島で生まれた子(64年東京でも最終聖火ランナーだった)、蝦夷人民共和国側は8月9日に旭川で生まれた子)

二人は、聖火を灯すと、固い握手をして抱き合った


世界各国はこれに大きな拍手を送った(アメリカ合衆国は除く)

計画時に、アメリカの機嫌を損ねるという言葉があったが

64年の時は大丈夫だったから問題ないと一言でこうなった



オリンピックは、蝦夷人民共和国の選手達は網走の鹿、オホーツクの魔女と言う発言などで

優勝した競技も多々あった

無論、日本側も負けておらず

メダル枚数では、金は蝦夷人民共和国が多かったが、金銀銅を累計すると、日本が多いと言う結果で終わった


「梅田総理、今回は、開会式、閉会式共に来ていただきありがとうございました」

「いえいえ、伊達首相も、今回のオリンピックの準備にかなり力を注いだでしょう、蝦夷人民共和国の発展が進むことを祈りますが」

「んっ、何だ、祈りますがって」

「日本は更に発展しているので、追いつくのは苦しいですよ」

伊達首相は、固まった

梅田総理はそのまま、笑って退室したのだった


だが、この後

梅田首相は、神奈川県川崎市再開発事業会社の未公開株の不正譲渡に関与し

翌年4月5日に辞職した

表向きには消費税を設置したことを理由としたが

日本国会も大騒ぎになるが、解散までにはならずに終わった


次回 史実ではもう少し先の災害が起きます

次回は、大阪です

ただ、まだ調整中で今月投稿は努力するつもり

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