ろくなもんじゃない
己の運の悪さを呪いたい。どうしてあの日に限って教科書を机に忘れてしまったのだろうか。おまけに課題で使うものでもなかったし、さっさと家に帰ればよかったのだ。自分のガリ勉精神に嫌気が差す。
俺は香椎とのハリボテ交際を始めることとなった。そう、形だけのお付き合いだ。香椎がトランプ勝負に負け、罰ゲームとして課せられた内容によりそうなってしまった。
初めはこの世の終わりを覚悟した。バレたと思ったのだ。俺がライオビットであることが。じゃなければ香椎がわざわざ俺に何かを伝えようなどと、あるはずがない。しかし彼女の口から出たのは、まさかの交際の申し込み。自分の耳が壊れてしまったのかと本気で思った。
しかし罰ゲームと聞いてなるほどしっくりきた。そんな危険な綱渡り、できるはずもなかったのだが借りもあったことだし断れなかった。俺は腹を括った。別に今まで通りに過ごして、一ヶ月経つのを待てばいい。何の心配もない。そう思うことにした。
その考えが甘かったと気づいたのは、交際を始めて三日が過ぎた頃だった。
「おい音無。ちょっと顔貸せよ」
普段話したこともない一軍の男子が、凄まじい剣幕で俺を呼んだ。ビクビクしながら言われるがままに彼らについていく。トイレの中に誘導され、入るや否や壁に押し付けられた。野郎に壁ドンされたって全然嬉しくない。
「ゲホッ…な、なんすか」
強い衝撃に咳き込むばかりか涙が出てきた。本当に何なんだ。俺がいったい何をしたってんだ。
「お前、香椎と付き合ってんだってなぁ」
「ふぇ…」
予想だにしなかった言葉にすっとんきょうな声が洩れた。同時に俺の頭の中は混乱に陥った。彼らの耳に香椎と付き合っていることが行き届いている。「なぜだ」と思ったのだ。
そこで俺は多大な勘違いをしていることに気がついた。見せかけの、嘘っぱちの交際だから他の誰にもこの事実は広まらない。なんの根拠もないくせに、どうしてかそう思い込んでいたのだ。
「そ、それは…」
ここはどう返すべきだ?そういえばその辺のことは香椎と口裏を合わせているわけでもなかった。わからない。ここで俺がとるべき行動は何だ。
「はっきりしねーなぁ。やっぱ嘘なの?」
「でも詩子とか清美とかも言ってたし」
ちょっと待てよ。あの女どもは、大事なとこを省いてやしないか?俺と香椎はあくまで、罰ゲームでの交際だろうが。最も重要なポイントが、こいつらには聞かされていないようだ。
俺は迷っていた。こいつらに本当のことを話すか否か。香椎は、仲間に面白がられているのがわかっていて俺に付き合ってくれと頼んだ。あいつは多分、場をシラケさせてしまうのが怖いのだと思う。香椎の気持ちを無視して全てをゲロって、あいつが仲間に責められるようなことは避けたい。
「…付き合って、ますよ」
蚊の鳴くような声で呟く。俺を壁に追い詰めているその人が「あ?付き合ってんのか?」と改めて聞いてきたのでこっくりと頷いた。
「うわ…マジかよ~」
「香椎趣味悪すぎじゃね?」
この中の何人かは香椎狙いだったらしい。あからさまにショックを受けたように、がっくりと頭を垂れてしまっている。「趣味悪すぎ」はわかっちゃいるが声に出さないでほしかった。
「ありえねー。どういう経緯?」
「う…それは…」
そんなとこまで聞いてくるのか。確かに、こいつらにとっちゃ一番気になるところだろうな。しまった、何にも用意していなかった。
香椎にも被害が及ばず、かつ最もらしい理由は…。俺は彼らの冷たく濁った視線に耐えながら五秒考えた。
「その…俺が、香椎を好きで…一ヶ月付き合ってくれたら、諦めるって話で…」
「かー!すげぇなお前。それで付き合ってもらえたんだ」
「あんたみたいなのって、意外に大胆な行動に出るよな~」
さっきまで恐ろしい形相だったやつらが急に爆笑しだし、俺の肩をバシバシ叩いてきた。予想外の反応だがリンチにされるよりはマシだ。しかし何がそんなに可笑しいんだか。俺だったら自分みたいな根暗が女にそんな頼み事したら、恐怖でしかないと思うのだが。
「まぁとりあえず、そういうことならいいわ。いらねー心配した」
「だって香椎、変な被りもんした男に惚れてるって話だろ?音無に惚れててもおかしくないかもと思ってさ」
「はは…そりゃないっすよ」
自分で言ってて悲しくなる。何だか香椎に気を遣いまくってるのも馬鹿らしくなってきた。別に本人に頼まれてるわけでもないし。
「ま、あんたみたいなやつじゃこの先一生ない経験だからよ。精々一ヶ月、楽しめよな?」
しまいにはとことん惨めにさせる言葉を浴びせられた。もう死にたい。水洗トイレに流されて消えてしまいたい。
「勉ちゃん…お前相当、俺に殺されたいみたいだね」
うん、わかってた。こうなるだろうなとは思っていたさ。
トイレから戻ると、宮内が俺の席でバキバキ指を鳴らしながら待ち構えていた。どうやらやつの耳にも例のことが入ったらしい。
「殴る前に聞いてくれ宮内。お前には本当のことを話そうと思ってるんだ」
ライオビットのことも打ち明けているんだ、こいつには洗いざらい教えてもいいだろう。全てを聞いても俺に殺意を抱いたままなら、それはそれで受けてたつからとりあえずその臨戦態勢を解いてくれ。
「んだよ…どんな言い訳を用意してんだ勉ちゃんよぉ…?」
「言い訳とかじゃないからとにかく聞けって!」
俺は自分の席に座る宮内の肩に手を回し、俺らにしか聞こえない声で話し始めた。
「あのな…これ罰ゲームなんだよ。香椎が仲間とやってたトランプに負けて、俺と付き合うことになった。ヤラセなんだ」
「ヤラセ…?」
「そう。その仲間以外には、細かいことが伝わってない。だからお前みたいに、ガチで俺たちが付き合ってると思ってるのがいんだよ」
「んだそれ…」
宮内が眉をしかめた。額に浮かんだ青筋が、こいつがいかに憤りを感じているか物語っていた。
「その仲間って誰だよ。一人残らずぶちのめす」
「おま、女に手ぇあげる気かよ!香椎のつるんでるグループの女子たちだよ」
「女子とか関係ねぇし。それはさすがにやりすぎだろ。遊びの範疇越えてる」
「そう思う気持ちもわかるが、香椎の気持ちも考えてみろって。あいつさ…多分わかってんだよ。仲間がわざと、そんな行きすぎたこと香椎にやらせてんの」
きっと香椎の仲間は、あいつのことが面白くない部分があるのだと思う。妬まれているんだと思うんだ。宮内や川畑などといった、女子人気の高い男から言い寄られているから。
悪意を感じた。俺に告白させようとしていたとき、ただふざけているというよりは、香椎を貶めてやろうとしている雰囲気が漂っていた。
「仲間といざこざなく過ごしていきたいんだよ香椎は。わかってやれ」
「んだよ…自分は真志の気持ち知ってますみたいな顔しやがって」
「べ、別にそんなんじゃないさ。他人の感情の機微を敏感に察することができるだけさ」
「うっせぇ!難しい言葉使うな!」
今のどこに難しい言葉があったのかは謎だが、宮内は相当ご立腹のようだ。それでも香椎の仲間に暴力を振るうという野蛮な考えは、改めるというようなことを言ってくれた。
「確かに…そんなんしたら今度こそ真志に嫌われそうだし」
「そうそう。だからここはそっとしとこう。どうせ一ヶ月の我慢だ。寧ろ一週間もしたらやつらも忘れるんじゃないか?罰ゲームのことなんて」
こんなままごとじみたこと、どうせすぐに飽きが来る。自然消滅で俺と香椎の関係は、いつの間にか終わっているだろう。だって俺ら、別に何をするでもないし。一緒に登下校するわけでも、デートをするわけでもないんだから。
「音無君…今日一緒に、帰らない…?」
そうそう。こんな風に香椎が俺のことを誘うなんてこと、あるはずが…。
「…は?」
今何か、幻聴が聞こえた気がしたのだが。
「勉ちゃん。後ろ向け」
「あぐっ!」
宮内に向けていた顔を両手で挟まれ、無理くり振り返らせられた。首の骨が折れたんじゃないかというほど、ゴキリと歪な音が鳴った。
「だ、大丈夫?」
目の前には俺を心配そうに見る香椎がいた。あれれ。さっきの幻聴でなく、マジで香椎の声だったのか?
「香椎…俺に何か言ったか?」
「だ、だから、一緒に帰らないかって」
マジだった。さっき言ったばかりじゃないか。お互い何もしなけりゃ、自然と俺たちの関係は終わると。
「い、いやぁそれは…なぁ宮内」
お前からも何か言ってくれ、といった意味合いもこめて宮内の肩を肘でつついた。こんな状況、お前が一番黙ってないはずだろ?
宮内はぐいっと俺の頭を引き寄せ耳打ちした。香椎の背後を見てみろと。
少し離れた席に固まっている香椎の仲間が、こちらを見て笑っていた。愉快そうにヒソヒソと話をしながら。
「ごめんね音無君…」
香椎は小声で俺に謝った。本当に申し訳なさそうな顔をしている。そんな子犬みたいな表情されたら、無下に断ることなんてできない。
「本当にごめんね。皆に、カップルらしいことしなきゃ期間延ばすって言われて」
「そ、そうなんだ…」
俺と香椎は共に下校していた。どうやら彼女の仲間たちは徹底して、俺と香椎を交際させようとしているらしい。
軽いいじめだ。ついに本性を現しやがったか、という感じだ。女は魔物だぜ。これをきっかけに、マジで香椎があいつらにいじめらる、なんてことがなければいいけど。
「そういやさ…どこまでバレてんだろうな、俺らの関係」
「多分…ほとんどの人に」
だよなぁ。香椎の周りの連中、誰一人として口が堅そうな人間いないもんな。寧ろ俺らを付き合わせたあの女どもは、隠すつもりなんて毛頭なかったと思う。最初から俺らの関係を公にしようとしていたんだ。
「因みに、これが罰ゲームだって知ってる人は?」
「誰も…そこは口止めされてるから」
「そっか…」
やはり交際の理由を俺らで統一しておく必要があるな。
「詩子たちがね、他の人には音無君が私に告白したから、仕方なく付き合ってあげてるっていうふうに伝えてるみたいで…重ねて申し訳ありません!」
おっと、口裏を合わせるまでもなかったな。やっぱり俺はそんな扱いかよ畜生。
「そんな、謝んなくていいよ」
俺に深々と頭を下げた香椎の肩を掴み、ゆっくりと上体を上げさせた。いつものくせでついつい気安く身体を触ってしまったことに気づき、俺は慌てて手を離した。
「俺もさ、そんな感じで言ってたから。あ、宮内には全部話した!あいつは多分、黙ってくれると思う」
「そ、そうなんだね…」
「うん…」
沈黙が流れる。気まずい。自然と歩幅が大きくなり、いつの間にか俺と香椎の距離は開いていた。
すぐに気づいて後ろを振り返ると、香椎が駆け足で俺に追い付こうとしていた。目が合った。香椎は照れ臭そうにはにかんだ。
「えへへ…歩くの遅くてごめんね」
「あ、いや…」
俺は視線を逸らし頭をボリボリ掻いた。早まる鼓動を誤魔化したかったのだ。
だってめちゃくちゃ可愛かったんだ。何だか本当に、香椎と付き合っているような気が一瞬した。
所謂「待ってよ~」「早く来ないと置いてくぞ」という会話からの、俺がさりげなく手を差し出し、香椎が恥ずかしがりながらも己のそれを重ねる。王道パターンなシチュエーションじゃあないか。
「音無君…どうかした?」
「へっ。な、何が?」
「いやその…心ここにあらずって感じに見えたから」
「い、いや…そんなことないよ…」
やべぇ、妄想に浸って薄ら笑いを浮かべていたのがバレてしまったろうか。まぁ思い切り見られたとは思うけれど。
しかし参ったな。この罰ゲーム、悪くないとか思い始めてる自分がいる。普段の香椎とよゐこ堂での香椎は別人だなどと豪語しておきながら、俺は舞い上がっている。隣に彼女がいることに。
「音無君も、お家この通りなんだね」
「え?」
不意に香椎にそんなことを言われ、俺ははたと気づいた。自分の家とは正反対の場所に続く道に、なぜか俺は無意識に歩を進めていた。
そうだ。ここはよゐこ堂に続く通りだ。香椎の家が店から近いと言うことを店長から聞いて、俺は何の疑問もなしに香椎の家まで行こうとしていたのだ。
「いやその…」
俺が香椎の住んでる地区を知ってるなんてバレたら、本当のストーカーだと勘違いされてしまう。かといって「俺もこの通り」なんて嘘を言ったら、万が一にも彼女が来るようなことがあったら、もう弁解のしようがないぞ。
「た…たまたま!本当は反対の方向なんだけどさ!香椎は、こっちなんだな!」
「うん、そうだけど…え、反対だったの!?ごめんね、私がこっちに進んじゃったから、つられたよね…」
「いやいや、全然いいよ。駅に向かうバスが走ってたら、帰れるし」
「私の家もうすぐなんだけど、近くにバス停があるよ」
お前の家がもうすぐなのは知ってる。だってよゐこ堂が見えてきたからな。店長や奥さんが今の俺らを見たらどう思うのだろうか。とりあえず出会してはいけないということだけはわかる。香椎が触れない限り、ここは素通りするのが得策だろう。
「あ、そこの赤い屋根の家なの」
「へぇ…」
香椎の家を初めて見たが、想像と大分違った。洋風のお洒落で明るい、大きな家に住んでいるかと思ったが、わりとこじんまりしていて、ところどころ塗装の剥げかけたトタン屋根が昭和のアニメに出てくる民家を想起させた。
「そんで、バス停はここ。ちょうど駅に向かうバスだよ」
「あ、ああ」
二人で時刻表を確認する。次のバスが来るまで一時間近くあった。ここいらで時間を潰せる場所といったら、俺にはよゐこ堂しかない。しかしこの現状でそれはさすがに危険すぎる。もうこれ歩いて帰った方が早いのかな。
「まだ来ないみたいだね…そうだ。私の家に上がる?」
「ふぇっ」
想定外の言葉に俺は間抜けな声を出してしまった。女に家に誘われるの、初めてだ。いや、わかってる。私の家で時間を潰していけという意味で、香椎には何ら他意のないことはわかっているんだ。
しっかしなんの躊躇もなく男を家に上げようとするんだな。恐ろしい女だ。こういうとこだと思うぜ、バカな男どもが香椎にひっかかるわけ。少しは自覚を持てよ、自分が異性にウケるタイプだということを。
「いやぁでも…」
「家にケーキがあるんだ。お詫びもかねて、ご馳走させてほしいな」
「う、うん」
それでも香椎の無垢な笑みに断ることができない自分は、そのバカの内の一人と言えよう。
「汚いけど、どうぞ」
玄関に入ると、香椎は並べられてる靴を邪険に足で寄せて場所を作った。まずそこにびっくりした。自分ん家についた途端、随分とがさつなこと。何だかよゐこ堂で見る香椎と今の香椎がちょっと近しくなってきた。
俺にこういうところを見られても平気なんだろうな。ほぼ無意識って感じだもんな。何とも思われていないこと確実だ。
俺は適当に脱ぎ捨てられた香椎のローファーの横に、丁寧に自分の靴を並べた。ついでに香椎のも綺麗に直してやった。
「座って座って」
居間に通され、俺は言われるがままテーブルの前に座った。失礼だと思いながらも室内を見渡した。おばあちゃんの家に来たみたいな感覚だ。そんなに広くなく、ほんのりと線香の香りが漂う。障子の開かれた先に見えるのは、小さな池(水は張られていない)と木々の緑だった。
女の子に招かれたという緊張感はあるものの、家自体は何だかすごく落ち着く雰囲気を醸し出していた。
「ごめんね。超ボロいよね、うち」
「いやいや。何か初めて来た感覚がしないと言いますか」
「本当?よく親戚ん家ぽいとは言われるけどね」
香椎は少し大きめの皿に二つのケーキを乗せて、俺の真向かいに腰を下ろした。テーブルに置かれたケーキは、真っ白なホイップクリームに包まれたショートケーキだった。いや、苺だけでなく桃やらパインが乗っているので、フルーツケーキと言った方が正しいか。
「食べてみて!すっごく美味しいから」
「うん、ありがとう。いただきます」
香椎からフォークを受け取り、中央に置かれた皿に手を伸ばした。少しきつい体勢ではあるが何とかケーキにフォークを差し込み、口に運んだ。
「あ…」
一口食べただけでピンときた。この味はひょっとして。
「これ、手作り?」
「そうなの。途中で、古い玩具屋さん見なかった?夫婦で経営してるお店なんだけどね、そこの奥さんの作るお菓子がめちゃくちゃ美味しくて。お裾分けしてもらってるんだ」
やっぱり。これは奥さんの味だ。わざと甘さ控えめにしてあるクリームに、少し歯応えのあるスポンジ。中には潰したクルミが入っており、食感も楽しめるようになっている。
「そうなんだ。スゲー美味いよ」
「でしょ!」
香椎は嬉しそうに笑った。俺もつられて笑んだ。俺の顔を見た途端、なぜか香椎は少し表情を固くした。
どうしたのだろうか。俺の笑顔がキモすぎて引いてしまったろうか。
「何か…変な感じだね」
「え?」
「だって音無君とほとんど話すことなかったのに、付き合うことになって一緒にケーキまで食べてる。しかも私の家で」
「あ…だよね」
俺は苦笑いを溢した。付き合ってるのはまぁ形だけだからアレだが、俺たちは結構頻繁に会ってるんだぜ香椎。
改めて自分が気持ち悪いよ。何も知らないで笑ってる香椎に胸が痛む。全てを知られたとき、俺は彼女にどんな目を向けられるのだろう。怖くて仕方がない。
「それにね!私、高校の人家に上げるの初めてなの」
「そ、そうなんだ。宮内とかは?」
「あいつは…小学校の時とかは無理やり上がり込んでたけどね」
宮内は昔から宮内だったようだ。やれやれ、と言いたげな顔だが、香椎は懐かしんでいるようにも見えた。
「やっぱ昔から、仲良かったんだな」
他に話す話題もないのでとりあえず宮内の話題で引っ張ろうとした。しかし香椎の表情は翳りを帯びだした。
「…私ね。小学校の時、友達いなかったの。すごい暗い子だったから」
「えっ」
俺は香椎の言葉に目を丸くし、驚いて見せた。こんな態度をとってはみたが、実はそこまで意外な事実でもなかった。だって、香椎は今つるんでる連中に無理に合わせてるってわかってるから。
「光だけが声をかけてくれた。中学に上がって頑張って派手な格好したら、おんなじような格好の友達ができた。合わせるのは疲れるけど、友達がいないよりはマシだと思ったの」
「うん…」
「光はずっと心配してくれた。私のこと一番知ってるの、あいつだけだったから」
宮内の一途さが、少し胸に刺さった。それでもあいつの想いは決して空回りなんかじゃない。きちんと香椎にも届いているのだ。
「光には感謝してる。だけど…ひどいこと言っちゃったんだ」
宮内は、香椎にこっぴどく振られたと俺に泣きついていた。「勉ちゃ~ん。聞いてよ~」なんてどっかの頼りない主人公みたいに腰に抱きついてきたので、俺も適当にあしらっていたが香椎の反応を見る限り、あいつの心には深い傷がついていたのかもしれない。わざと大袈裟に振る舞っていたんだ。
「宮内と付き合う気は、ないんだ?」
「…あいつは大事な友達。それ以上に見れない」
香椎は頑なだった。お情けで宮内の気持ちに応える気は毛頭ないらしい。そんなことしたら、余計に相手の心を踏みにじってしまうと彼女自身わかっているのだろう。
「…えへ、何音無君に人生相談みたいなことしてんだろ!ごめんね」
「いや。俺なんかでよかったら、全然」
親しくない相手だからこそ、深いところまで話せるということはあるはずだ。それに香椎のことをちょっと知ることができた気がした。俺にも収穫はあった。
「音無君はいい人だなぁ。本当に」
「そんなこと…」
「だって私なんかのために罰ゲームに付き合ってくれたし、私事を相談しても親身になって聞いてくれてる」
「…単にお節介なだけだよ。それにお礼だからいいんだって」
「たいしたことしてないじゃん…私」
「嘘でもラッキーだよ。高校時代に彼女ができて」
冗談で言ったつもりだったが、俺が言うと何だか切実だな。香椎に余計な気を遣わせてしまうだろうか。もしくは気持ち悪がられるだろうか。
「うわー…何か、ヤバイかも」
香椎はそう言って顔を伏せた。どうやら後者の方だったようだ。俺の冷や汗のがヤバい状況なんだが。
「ファンになっちゃいそう。音無君の」
パッと上げられた香椎の顔は、ほんの少し赤らんでいた。それを見た瞬間、俺の心に花が咲いた。咲き乱れた。なるほどね。恋ってこういう風に落ちるもんなんだ。
「あ…そろそろ時間だね」
立ち上がる香椎を、俺はボーッと目で追っていた。俺の視線に気づいた香椎は、不思議そうに首を傾げた。我に返り、慌てて腰を上げる。
「いやーお邪魔しました!すんませんねお菓子までいただいちゃって」
「ふふ、何その喋り方。へん」
香椎が初めて俺に「砕けた笑顔」を向けた。少し眉を下げて、くしゃっと目を潰すのだ。みっともない話、嬉しくて目眩がしそうだった。
「…まだ先は長いけど、頑張りましょう」
「あ、はい…これからも、恋人っぽいこと強要しちゃうかもだけど…どうぞよろしくです」
ぺこりと頭を下げる香椎に対し、俺はこのやり取りが気恥ずかしくなり頭を乱暴に掻いた。
ああもう、雰囲気に流されるなって。俺ら付き合ってないんだから。己自身を叱咤するものの、表情筋がどうしても緩む。
「ねぇライオビット。私ね、彼氏ができたんだ」
俺の後ろを着いてきながら、香椎がそう切り出した。俺は平常心を装いながらモップとバケツを持ち上げた。
「でもその彼氏ってゆうのが、偽物で。話すと長くなるんだけど…ゲームなんだ。簡単に言ったら」
ようくわかってるから説明は不要だ。何てったって当事者だからな。
「あっちはちゃんと、わかってくれてるの。見せかけのお付き合いに、無理いって付き合ってもらってる」
香椎はきっと、こいつの気を引きたいのだろう。駆け引きをしかけているつもりなのだ。嫉妬もくそもない。だって同一人物なんだもの。
どちらにせよここはノーリアクションが正解だ。香椎には悪いが、掃除に没頭させてもらおう。
「優しいよね、その人。…もう。聞いてる?」
俺は尚も香椎に背を向ける。あんまり無視をしすぎると泣かれるかもしれないので、とりあえず一回頷いてみせた。
「あんたって本当に恋愛系の話苦手よね」
そりゃそうだ。経験がないのだから。所謂恋バナってやつが嫌いだ。丸山くんともできそうにない話題だし。おまけにお前が今話してるのは嘘の恋愛じゃないか。
「ねぇ…ちょっと聞きたいんだけどさ」
俺は手を止め振り向いた。香椎がもじもじと腹の前で両の指を弄っていた。顔もほんのり赤く染まり、何かを恥ずかしがっているようだ。
いったい何だろう。若干嫌な予感もするが、俺は香椎の次の言葉を待った。
「あんたさ。私が友達いっぱい連れてきたとき、その…後ろから、私にだ、抱きついたじゃない…?」
「…っ」
思わず息を飲んでしまった。ごくりと鳴った喉の音が、香椎に届いていなければいいが。
そう、川畑たちをギャフンと言わしめるため俺はそんな大胆な行動に出てしまったのだ。今の今まで触れられなかったから、香椎はもう忘れてんのかと思っていた。完全に油断していた。
「わ、わかってるよ!変な意味じゃないんだよねきっと。その、浩二たち…来てた男子ね。あいつらにムカついたんでしょ?」
物わかりがいいのは助かるが、香椎の目は確実に期待を孕んでいた。こいつがもっと深い意味を込めて、香椎を抱き締めたのだと思いたいのだ。
はっきり言って、あの時は本当に下心などなかった。ただ腸が煮えくり返っていた。それだけだった。だから貴重な香椎の身体の感触さえも、覚えていないのだ。
俺は謝罪の気持ちを込めて頭を下げた。香椎は慌てた様子で俺の肩を掴んだ。
「違うよ!謝ってほしかったわけじゃない」
香椎の手にぎゅっと力が込められる。マスク越しに見えた顔は、怒っているような、今にも泣きそうな表情だった。
「そうじゃなくて…私…」
ヤバイなこの雰囲気。下手したら香椎、勢いに任せて告白とかしちゃいそうだ。
俺は辺りを見回した。ガキどもがレジで、店長と楽しそうに話している。俺はちょうど死角になるところまで、俺にしがみついたままの香椎を連れていった。
「…ライオビット?」
混乱してるのか、香椎は目を丸くして俺を見上げていた。その顔があんまりあどけなくて、俺はこっそり口元にだけ笑みを浮かべた。
ああ、可愛いなぁ。心から思う。俺は香椎を抱き締めた。今度は感情に任せてじゃない。俺がそうしたいと思ったのだ。
最低なことをしている自覚もある。だって、香椎に喜んでもらいたいとかそれ以上に、下心のが大きい。好きなんだ。香椎に触れたい。
俺のものになんねーかな。こんなに近くて求めてもらってんのに、香椎が好きなのは俺じゃない。このヘンテコな生き物なんだ。
「く…苦しいよ。ライオビット」
香椎がポンポンと俺の背中を叩いた。俺は少し力を緩めた。それでも、お互いに背に腕は回したままだった。
「え、へへ…立ってらんない」
スカートから伸びた香椎の足が、緊張で震えていた。恥ずかしさを誤魔化すために「ダサいね、私」何て言って無理に笑っている。可愛い、お前が可愛くて仕方ないよ香椎。できることならもっと恥ずかしがらせたいなんて、ちょっとスケベなことを考えつつも俺は身体を離した。名残惜しそうに香椎の手も離れる。
「…じゃあ、そろそろ帰るね。宿題あるし」
俺はメモ帳に“がんば”と汚い字で書いて見せた。香椎はぷっと吹き出し「あんたもね」と言って、手を振った。
「~~っ」
あいつを見送った後で、俺はその場にしゃがみこみ頭を抱えた。いいんだ、後々後悔するであろうことも承知済みだった。でもちょっと早すぎないか。せめて家帰った後とかさ。
「どうしたんだい?ライオビット」
店長が心配そうに俺を覗き込んだ。その後ろにガキどもが好奇に目を光らせている。何でそんな嬉しそうな顔をしているんだ。
「俺知ってる!さっき、ライオビット、陰に真志ちゃんつれこんで、なんかしてた!」
「それって、あいびきってゆうのよね!確か!」
なんちゅう言葉を使ってやがるんだマセガキ。ていうかそんなんじゃないから。そりゃまぁ確かに、玩具屋でわざわざやるようなことではなかったが、そこまで淫らなことでもない。別に誰も「淫らなことをしてたのだろう」とは言ってないけれども。
「こらこらライオビット。僕は君を、そんな破廉恥な子に育てた覚えはないぞ?」
店長も乗っからないでください。そしてあんたに育てられた覚えは全くない。
それにしても…自分で自分が恐ろしいよ。俺って恋をしたら、こんな感じになるんだな。顔を隠してるとは言え、いきなり抱き締めたりしないだろう。今まで経験がなかったから、イメージもできなかった。なんつうか…狡くてセコい。ろくなもんじゃないな。もっと楽しいもんじゃないのか恋って。
自己嫌悪の嵐だ。嫉妬するばかりだったライオビットに、俺は罪悪感すら覚え始めていた。




