白い薔薇
香椎がよゐこ堂に来なくなった。どうすべきか考えあぐね結局辞める勇気もなくこうして来ている俺と違って、スパッとライオビットとの関係を断ち切ったかのように来なくなってしまった。
「真志ちゃん最近来ないねぇ。ライオビット、何か知ってる?」
俺は店長の問いかけに緩く首を振った。知っているとも、知らないとも言えない。香椎の真意がわからないからだ。
ただこれだけはわかる。きっと香椎はもう…これ以上ここには来ない。
「ライオビット、真志ちゃんと喧嘩したんだろ!」
「え?でも二人って付き合ってるんじゃなかったの?」
「!?」
俺はガキどもの言葉にマスクの中で目を丸くした。喧嘩とかじゃないはずだし、何より付き合ってなんて断じてない。そもそもお前ら小学生が「付き合う」ということの意味をわかっているのか?男子は「付き合うってなんだー?」とアホ面下げて女子に聞いている。女子は頬を赤らめ「そんなことも知らないのぉ?」なんて挑発するように返している。
今のマセガキはどこまで知ってるのかわからんが、俺らくらいの年齢になるとな、お前らが考えてるような「きゃっ!ほっぺたにチューしちゃった!」なんて生温いことはしないんだぞ。もっとえげつないこともするんだぞ。男と女ってのはそういうもんだ。童貞の俺が言っても説得力はないが。
「え!ライオビット、そうなのかい?」
俺が一人悶々としているのも知らずに店長は俺と香椎の関係に興味津々だ。俺はさっきよりも全力で首を振った。
「でも真志ちゃんて、絶対ライオビットのこと好きよね~ライオビットはどうなの?」
マセガキA子が探るようにライオビットの黒目をじっと見つめる。視線がマスクを突き破って本当の顔がバレてしまうんじゃないかと一瞬思った。
俺は勿論答えずに、逃げるようにしてフラッと店内を回った。
「逃げるなんて怪しい!捕まえろ!」
ガキどもがこぞって俺の身体に群がってくる。狭い店内じゃ逃げ切れんし、下手に暴れてこいつらに怪我をさせるわけにもいかないので俺は身ぐるみはがされる勢いでやつらに揉みくちゃにされた。マスクだけは死守した。
「答えろライオビット!お前、真志ちゃんが好きなのか!?」
好奇に目をギラギラと光らせる小学生相手に、最早言い逃れはきかない。それでも俺は、口になんて出せなかった。お前らみたいに楽しいだけじゃ済まないんだ、俺らのする恋愛って言うのは。
もっと汚くて狡くて暗いんだ。俺がしている恋は、そういう恋だ。お前らが聞いて楽しいものじゃない。
「駄目だぞライオビット~ここは君と真志ちゃんの愛の巣じゃないんだぞ!」
だから違うんだって店長…。
今日は疲れた。子供らと店長のしつこい尋問から逃れることに。
俺はぐったりとしたまま着替えを済ませ、裏口から出た。もう今日は家に帰って寝たい。ベッドにダイブしたい。
「なぁ。お前」
不意に後ろから呼び掛けられ、俺は咄嗟に振り返った。
「あ…」
目の前の人物に目を疑った。それは相手も同じだったようで、互いに唖然とした表情で見つめ合う。
「川畑…」
部活帰りだろうか。ジャージ姿のままの川畑がそこにいた。俺がやつの名前を呟くと、川畑はちらりとよゐこ堂の裏口を見た。
「ここ…真志の行きつけの玩具屋だよな?何でお前がここから…」
俺は声を出すことができず、ただただ汗の吹き出る手でズボンを握りしめた。
どうして川畑が、ここにいるんだ?見たところ部活帰りだろうか、ジャージ姿のままだ。こいつって、この辺に住んでいたっけ。ああ待て、落ち着け。
この状況がピンチだということはわかる。だからこんなに足の震えが止まらないのだ。
そう、こいつにバレたら俺は終わりだ。香椎に隠し通すことができなくなってしまう。
「…お前なのか?あの気持ち悪ぃマスコットやってんの」
川畑の瞳は確信に満ちていた。その鋭い眼光から、逸らしたくても目を逸らせない。
「何の…話だよ…」
往生際悪くしらを切り通そうとする俺を嘲笑うかのように、川畑はにやりと口角を上げた。
「否定すんのは勝手だけど…俺も勝手に思っとくぜ?お前が真志の好きな店員の、正体だって」
川畑の揺さぶりに、俺は生唾を飲み込んだ。言い返せないということは、結果的に肯定しているということだ。既に俺には、逃げ道なんてなかったのだ。
「…言うのか?香椎に」
俺は震える声で川畑に問うた。やつの表情だけでわかった。俺が今、心底情けない男だと思われていることを。
「黙っとく。なんて…そんな義理があるか?俺とお前に」
「…っ」
何も言葉が出なかった。確かにその通りだからだ。正直誰よりも真意が見えないのは、この男だった。川畑が何を考え、しようとしているのか。まるでわからない。
それでもその瞳に少し怒りを孕んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
「…まぁそんな世界の終わりみたいな顔するなよ。今すぐにバラすなんてことはしねーよ」
「何で…だってお前、香椎が好きなんだろ…?」
「はぁ?」
川畑は俺の言葉に口許を引きつらせた。ひどく苛立っていることを証明するように、下瞼が痙攣している。
「はっきり言うけど、あいつは…俺が一番嫌いなタイプの女だよ」
「え?」
「殊更善くも悪くもない、中途半端な立ち位置で。それでも“自分は周りとは違う”とか腹ん中で思ってそうな顔して。正直ムカつくんだよ」
川畑の話を聞いていて、自然に握り拳に力が入っていくのを感じた。それでもその手を出せないのは、自分に人を殴れる資格はないと、痛いほど自覚しているからだ。
「俺があいつにコクったのだって、あいつ男にも女にもちやほやされてたし、株上がるかなって思ったから。そうじゃなかったらあんな面倒な女にちょっかい出さねぇよ」
「なら…もう関係ねぇだろ!香椎に気がないなら、俺らのことは放っといたって…」
「俺ら?…はは、いっちょまえに彼氏気取りかぁ?このオオウソツキ野郎」
川畑は互いの肩をぶつけながら俺の隣を横切った。「オオウソツキ」。この言葉が何度も何度も頭の中を旋回して消えない。
「お前がいつまでも本当のこと言わねーなら…俺から言う」
最後にそう言い残し、川畑は去っていった。臓物が冷えているような感覚さえするのに、背中は汗でじっとり濡れていた。
とうとうこの時が来てしまったのだ。もう俺一人が黙ってればいい話ではなくなった。いずれバレる。どちらから打ち明けることで、傷が浅く済むだろうか。
「どっちからって…誰の為に、だよ…」
久しぶりに浩二から連絡が来た。今度の日曜日、二人きりで出掛けたいと。
最初は断った。彼と今まで通り普通に遊べるような心持ちにはなれなかったし、できればもう関わりたくなかった。今さらどんなことされるのだろうと思うと、怖いのだ。あんなデマまで流されて。
『もうこれで、最後にする』
それでも浩二のそんな一言に、何か様子がおかしいと思わずにはいられず、私はついそれを確かめたくなってしまった。電話口の声が珍しく、悲しげに聞こえてきたから。
「おはよ、真志。ごめんな?急に誘ったりして」
「ううん…どうかしたの?」
「まぁ、まずはどっか遊んでいこうぜ」
いつものようにカラッと笑う浩二の真意が見えない。私は彼の一歩後ろを下がって歩いた。様子を窺うようにして、浩二の背中を見つめる。
「そういやさ、例の店員とは何か進展あった?」
「え?」
どうしていきなりその質問が来るのか、わからなかった。だけど浩二の雰囲気は他愛もない会話をするときのそれだ。曖昧に返事をするしかできなかった。
「いや、そんなことは…ていうか私、最近行ってないから…」
「興味なくなったの?」
「ん、うーん…そうなの、かな」
そんなわけがない。今だって好きで好きでたまらない、会いたい。
だけど同じ気持ちを二人の人間に抱いたまま、平然としているなんて無理だ。のうのうとライオビットに会いに行くことも、音無君を好きで居続けることも、辛い。
浩二の目は、何もかも見透かしているように見えた。
「俺のことは…やっぱり好きになれない?」
「へ?」
思わぬ質問に、言葉が詰まる。未だに私にそれを聞きたいのかと思うと、疑問だった。私はどこかで、浩二の私に対する好意は偽物だと感じていた。そしてこの前、それがほぼ確信に変わったのだ。
だけどどうして、そんな悲しそうな目をするの?浩二の考えていることが、わからない。
「…何てな。真志、どこ行きたい?また食べ歩きすっか」
「…う、うん。いいね」
浩二が自ら話題を逸らしてくれたことにホッとした。笑みは引きつってしまうけれど、私はなんとか彼と普通に話をすることに努めた。
不気味なほどに以前と変わらず、私たちは過ごしていた。私の食べたいものに浩二が付き合ってくれて、フラッとゲームセンターに寄ったりして。
日も暮れてそろそろ帰ろうかという雰囲気にもなってきた。だけど私は、このまま別れるのはどうしても嫌だった。気持ち悪いのだ。沢山の疑念を解消しないと、帰れない。前までの私だったら何もかもを曖昧にしたままだったけど、今は違うから。
「ねぇ…浩二。聞いてもいい?」
「何?」
「あんた…仲間に、私と身体の関係持ってるだなんて、言ったの?」
浩二は私の言葉に足を止めた。私の口から直球でそんな質問が出てきたことに、驚きを隠せないのだろう。彼にしては珍しく目を丸くして、動揺を隠せずにいるようだった。
「…俺は言ってないよ」
「でも、こないだあんたの仲間たちが…」
「詩子が言ったんだ。俺から聞いた、ってことにしてな」
「え…」
苦し紛れの言い訳という風にも見えなかった。それに詩子なら、そんなデマも流しかねない。
「俺もちゃんと否定しなかったから…ごめんな。もしかしてそのことで、からかわれたりしたか?」
「からかわれたっていうか…本当なのかなと思って」
「俺がそう言ったって、真志は思ったんだ?」
浩二の眼差しが怒っているような、責めているような気持ちを孕んでいるようにも見えて、私は思わず言葉を詰まらせた。
だけどここで怯んでいたら、また曖昧なままに終わってしまう。いい加減、カタをつけたかった。浩二との、この微妙な関係にも。
「…思った。だって、浩二は私のこと、きっと好きじゃないから」
そう言い放ったと同時に、心臓がドクドクとうるさく脈打った。恐怖を感じている証拠だ。肯定されるのが怖いんじゃない。冷たく淀んだ浩二の瞳に、えもいわれぬ圧迫感が生じた。自分より強い生き物と対峙したような、生理的な恐怖だった。
「へぇ。何だ、バレてたんだ」
浩二は瞳の色はそのままに、へらりと笑った。やがてつまらなそうにため息を吐くと、止めていた足をおもむろに動かした。
「ごめんなー真志。俺、お前のことが好きで告白したんじゃないんだ。寧ろ…嫌いだったよ、お前のこと」
「嫌いだ」とはっきり告げられて、ショックじゃないと言えば嘘になる。だけど偽りの想いを投げ掛け続けるよりは、ずっとすっきりした気がした。
「真志ってさ。俺らと一緒にいても、どっか心開いてないって言うか、高みから俺らのこと見下してただろ。心の奥ではさ」
「…っ」
きっぱりと否定することはできなかった。認めたくはないけれど、反論の余地がなかった。だってその通りだからだ。私は自分から関係を断ち切るなんてまねはできなかったくせに、「自分はここにいる人間とは違う」と、仲間を蔑んでいた。
腰巾着でいるしかなかった、自分が一番卑しい人間であるにも関わらず。
「だから嫌いだった。だってお前を見てると、何だか自分を見てるみたいで、苛々して仕方なかった」
「え…」
振り向いた浩二の顔は、苦しそうに歪んでいた。初めて見る顔だった。飄々としていて、かと思えば人の心を見透かすような鋭い目付きをしたりもする。そんな、怖いばかりの浩二が、こんな言い方するのはどうかと思うけれど、“普通の人間らしく”見えた。
「真志にとったら心外かもしれないけど、俺らって似てんだよ。俺も、周りの人間を見下してる。心を開いてやるつもりもない。上っ面だけよく見せて、心の中で他のやつらを馬鹿だって笑ってた」
私と浩二が、似ている。彼からそんな言葉が出てくるのは意外だった。つまりは浩二は、私を鏡に写した自分として、見ていたのだろうか。だとしたら、そんな表情をするのは、もしかして。
「浩二も、嫌いなの…?自分のことが…」
私が問うと、浩二は一瞬大きく目を見開いた。
漸く浩二の、本当の心を見れた気がした。もっと早く気づいていれば、私たちはちゃんとした友達になれたのかな?
「…俺、お前を好きだと思ったことがないよ。だけど…一緒に変われたらどれだけいいかって思えたのは、真志…お前だけだ」
「…浩二…っ」
私が彼の名前を読んだ瞬間、視界が暗くなった。
浩二にキスされてるのだと数秒経ってやっと理解した瞬間、頬に滴が落ちた。その生温さを肌で感じてしまった私には、彼を突き飛ばすことはできなかった。
浩二は私を愛したかったんじゃない。自分自身を、愛したかったんだ。
川畑に正体がバレてから半月は経とうとしているが、香椎に伝わってる様子は見受けられなかった。
一日一日、神経をすり減らしているような気分だ。心が削れていっている気がする。このままいくといつか俺の心臓は消えてなくなってしまうのではないか。
「は~やっと今日が終わった。授業長いよねぇ」
香椎が机にドサッと置いた鞄には、もうライオビットのマスコットはついていなかった。複雑な思いで殺風景な鞄を見つめる。
「音無君、どうかした?」
「あ、い、いや!何でもない、ごめん…」
香椎は小さく笑って鞄に教科書を詰めていった。俺は熱くなった頬に手を当て熱を冷まそうと試みた。駄目だ、手まで熱くて何の意味もない。
「じゃ、皆。また明日ね」
「バイバイ真志~後でメールするね~!」
宮内が大きく香椎の背中に手を振る。香椎は軽く手を上げそれに答えた。宮内は「クール!かっこいい!」とアイドルにときめく女子みたいに身体をくねらせていた。
「はーあ…」
「どしたの勉ちゃん。あからさまにため息ついちゃって」
「構ってほしい年頃なんだろ。面倒くさいから放っとけ」
「そだねー。帰ろっか丸山くん」
「待て待て待て。正直に言います構ってほしいです」
どうせろくに話を聞いてもらえないだろうとはわかっていても、誰かに話さずにはいられないのだ。俺は颯爽と帰ろうとする宮内と丸山くんの腰にがっちりすがりついた。
「どうせ香椎のことなんだろ?俺は恋愛話はわからん」
「まぁそうなんだけど…てか聞いて。川畑に…バレた」
「え、何が?」
「だから…俺が、ライオビットだってこと」
「はぁ!!?」
宮内がものすごい剣幕で俺の両肩を鷲掴んだ。一方丸山くんは状況についていけてないのか、ポカンとした顔で俺と宮内をひたすら交互に見ていた。
「ちょ、それいつの話?」
「半月くらい前…」
「奴は香椎にバラしたのか?」
「してないと…思う。多分…」
俺よりもこの世の終わりみたいな顔して、宮内は無言で口をハクハク閉開させていた。一方で丸山くんは興味なさそうに「それヤバ~い」と腹立つギャル口調で吐き捨てた。君のそんな喋り方初めて聞いたよ。
「ばっかじゃねーのお前!?何でもっと早く言わねんだよ!!」
「だって…言ったらお前に怒られると思って…」
「当たり前だろが!ぶち殴りてー気分だわ」
そう言って胸ぐらを掴んでくる宮内だったが、拳が飛んでくることはなかった。怒りを必死に我慢しているのか身体が震えている。
俺が二人に言わなかったのは、言ったところでどうしようもないとわかっていたからだ。俺のそんな気持ちが察されたのかどうかはわからないが、宮内は少し泣きそうな顔をしていた。瞳がいつもより僅かに潤んでいた。
宮内と丸山くんが頼りない、などと思っているわけでは断じてない。そもそも俺は最初から、助けを求めようなどと考えてはいなかった。自分が蒔いた種なのだから、俺が一人で解決すべきなのだ。
「言うべきときが、来たんだなって感じだよ。いい加減俺はバチを食らうべきだ」
「何カッコつけてんだよ…」
「何で宮内が泣きそうなってんのさ」
「だって…ここまで来たらもう、お前らにくっついてほしいんだよ。ムカつくんだよ、好きあってるくせにモタモタモタモタ…」
宮内の口から出たのは意外な言葉だった。香椎が俺のことを好きかもしれないということ、寧ろそれが大前提というか断言して話していること。そして俺らにくっついてほしいと思っていることだ。
「俺はこんなに真志のこと好きなのに、男として見てもらえない。俺からしたらお前も真志も、ひでーよ。何か余計報われないじゃん、惨めじゃん…」
宮内の気持ちも痛いほどにわかる。心底申し訳ないとも思う。
だけど宮内を理由に香椎に想いを告げる。それは違うことだ。今の俺は確実に、「宮内のためだから」なんて思ってもない言い訳をしてしまうだろう。
でもせめて。たったひとつ、通したいエゴがあるのだ。
香椎の久しぶりの訪問に、店長もチビたちも大喜びだった。奥さん新作のお菓子を食べてほしいと、店長が香椎に連絡をしてくれたのだ。
香椎はライオビットと目が合うと、少し微笑んだ。俺は軽く手を上げた。
「じゃあ真志ちゃん。今から持ってくるから、子供たちと一緒にいつものとこに座っててね」
「はーい。ありがとう店長さん」
俺は店長と一緒にバックヤードに引っ込んだ。俺はすぐさまマスクを外した。
「店長…本当にいいんですか?お借りして」
「いいのいいの。知人の結婚式以来、使ってなかったからね。サイズが合えばいいけど…」
そう言って店長が俺に渡したのは、ピシッと光沢のある燕尾服だった。客間に渡された燕尾服を持っていき、さっそく着替えを始めた。
燕尾服なんて初めて着るな。スーツだって着たことないんだ。何だかやけに緊張してきた。幸いサイズもぴったりだ。店長さんには感謝しかない。こんな突飛なお願いを快く聞き入れてくれて。
着替えを終わらせ、最後にマスクを被る。鏡で自分の姿を確認する。ちょっと笑ってしまった。可笑しかったからじゃない。馬子にも衣装と言ったところか。ライオビットなんかでも、こうしているとさながらお伽の国の登場人物のようだった。
「かっこいいよライオビット!夢の国の王子様みたいだ!」
「まぁ、本当ねぇ」
店長と奥さんはちょっと過大評価しすぎだがな。俺は二人にペコリと頭を下げ、俺は暖簾の隙間から香椎の様子を窺った。久しぶりに会ったチビたちと楽しそうに談笑している。
その中の一人が俺に気づき、小さく俺に向かって親指を立てると隣のやつにこっそり耳打ちした。
「あ、私たちこれから行かなきゃいけないところがあるんだ!ごめんね真志ちゃん」
「え?どうしたの急に。お菓子食べてかないの?」
「真志ちゃん全部食べていいよ!それじゃーね!」
「あ、皆!」
混乱する香椎を一人残して、チビたちは風のように去っていった。やはり若干の猿芝居感は拭えないが、何とか香椎を店内に一人残すことに成功した。ありがとうなお前らも。今度飴っこ買ってやる。
「よし。それじゃライオビット、行ってきなさい」
「頑張ってね!」
俺は二人に向かって力強く頷き、でかい頭で暖簾をくぐり香椎のもとへ歩いていった。とあるものを後ろ手に隠したまま。
「何なんだろ…」
行きなりの状況に頭が追い付かず、香椎は出入り口を見つめたまま大きくため息をついた。そんな彼女の背後にまでやってくると、俺は音を立てないよう深呼吸し、そっと香椎の肩に手を置いた。
「きゃっ!…ら、ライオビット!!?」
咄嗟に振り向いた香椎は俺を見るなり目を丸くし、呆気にとられた表情をした。しばらくその状態のまま俺を見つめ、やがては腹が捩れるくらいに爆笑しだしたのだ。
「あははははは!!何そのかっこ!!」
目に涙をためて、腹を抱えながら半ば苦しそうに香椎は笑っていた。呼吸ができなくて辛いのか、バタバタと足を動かしている。
別に笑かすつもりで着ているわけじゃないぞ。一発芸でも何でもないんだからな。
ちょっとムカつくが、それでも香椎のこれほどまでの笑顔は久しぶりに見た。それだけでも、もう胸がいっぱいだ。
「もー、可愛すぎるんだけど。どうしたの?今日何かのイベントだっけ?」
やっと落ち着きを取り戻してきた香椎は、涙で濡れた目をごしごし擦って俺を見上げた。俺はふるふると首を横に振り、香椎にそっと手を差し出した。
「…?」
戸惑いながらも香椎は俺の手を取った。ゆっくりとその手を引き、香椎を椅子から立たせるよう促す。
近くなった香椎の目の前に、俺は後ろに隠していたものをパッと出してみせた。
「え…!」
折り紙で作った、薔薇の花束だ。
チビたちに折方を教えてもらい、茎や葉っぱまで全て手作りした。ざっと5~60本はあるだろう。勉強もしないで睡眠時間も削ってやっと作り上げたのだ。
香椎は手を伸ばし、遠慮がちに花束を受け取った。「これはどういうことだ」と、俺を見るその瞳が訴えている。
「あれ?これ、色が…」
真っ赤な薔薇に混じって一つだけ、白い薔薇があった。それを見つけた香椎に、俺は取り出したメモ帳に「とって花を開いてみて」と書いて見せた。
言われた通りに香椎は白い薔薇を取り、折り紙を破かないようゆっくり優しく花を開いた。
「…っ」
“マシちゃん、大好き”
メモ帳よりは幾分か読みやすいだろう。これでも何度も書き直した方なのだ。店長にもチビにもあまり変わらないと言われたが。
「…うっ…うぅ~…!!」
メッセージを見るなり、香椎は嗚咽しながらその場に踞ってしまった。俺は慌ててしゃがみこみ、香椎の背中を擦ってやった。
「何よこれぇ…ヒック、うぅぅ…嬉しいよぉ…」
今度は泣きすぎで呼吸困難を起こしてしまいそうだ。大粒の涙が地面にボタボタと落ちていく。俺は香椎の頬を包み込み、顔を上げさせた。
正直ひっどい顔だ。涙と鼻水でぐちゃぐちゃだし、目は腫れまくって鼻は真っ赤。こんなにブスな香椎は見たことない。
だけど、これまでで一番、香椎が可愛いと思った瞬間だった。
「私も大好き…ライオビット…っありがとう…」
香椎はライオビットの口に自分の額をくっつけた。どちらともなく手を握り、互いの体温を確かめ合った。
ライオビット。お前にも、ありがとうな。俺の勝手なエゴで、お前と香椎の恋を終わらせてしまってごめん。
それでも俺、お前になれてよかった。こんなに好きな、大切な女の子に出会えたんだから。




