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変な好きな人  作者: 相澤
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シチュエーションという名の魔物

私には、仲のいい友達には勿論、親にだって言えない秘密があった。


自宅から五分ほど歩いたところに、とある玩具屋さんがある。店の名前は「よゐこ堂」。クリーム色の外壁には無数のヒビが走っており、なかなかに年季の入った建物だ。私のお父さんが子供の頃からある玩具屋さんだから、仕様のないことなのかもしれない。


全く改装しようという気概が見られないところも気に入っているけれど、閉店してしまっていないだろうかと訪れる際にはいつも不安が付きまとう。


高校生になった今ではあまり行かなくなってしまったが、小さい頃はよく遊びにいっていた。店長さんも優しくて、奥さん手製のお菓子と紅茶をご馳走になったこともあった。そんな親しみやすさが大好きだったのだ。


さて。話は冒頭に戻るけれども、私の誰にも言えない秘密と言うのはこの玩具屋さんにあった。


店内に入れば、かなり昔に売られていたであろう物から最近子供たちの間で流行りの物までが無秩序に並べられている。


埃を被った玩具たちにはたきをかける、一人の人物。人物…と紹介するのも何だか釈然としない。彼、と呼ぶのも正しいのかどうか。


兎の耳の生えた、雌ライオンの頭部。勿論被り物で、ただしそれを被ってる当人はどう見ても男。細身で平均的な身長で、若干猫背だ。体の部分は何か着ぐるみを着ているわけでもなく、Tシャツにジーパンというラフな格好に、くたびれた当店オリジナルのエプロンをつけている。


彼の名前は「ライオビット」。非常に語呂の悪い、よゐこ堂の名物マスコットだ。正直あまり可愛いとは言えない。子供の頃は軽くトラウマだった。


…二回目のさて。そろそろ本題に戻ろうと思う。とどのつまり私の秘密と言うのは、この奇妙なキャラクターに、特別な思いを抱いていると言うこと。


恋を、していることである。




「まじダルいわー」


「ちょ、それヤバくね!?」


「超彼氏ほしい~」


友達との会話なんて「ダルい」「ヤバい」「彼氏ほしい」。この三つの言葉をひたすら繰り返すだけで成り立ってしまう。楽だけど中身のないスッカスカの会話。


私の周りにはそんな友達しかいない。適当に授業を受けたり、校則に背いて制服を着崩してみたり、毎晩夜遊びしたり。勿論私もそんな人間の一人だった。


「玩具屋のマスコットに恋してます」なんて、誰が打ち明けられようか。引かれるか冗談だと思われるか、そのどっちかだ。そもそも理解してくれる人なんて、どこを探してもいないだろうけれど。


「ねぇ真志。今日カラオケ行くでしょ?」


「もち!イツメン呼ぼ~」


つい反射的に、笑顔で誘いを受けてしまった。本当はカラオケなんて行きたくない。楽しくない訳じゃないけれど、早く家に帰ってゆっくりしたいというのが本音だった。連日放課後遊び歩いているせいで、お母さんの手料理も全然食べれていない。


でも付き合いが悪いと、いつハブられるかもわからない。そんな綱渡りみたいな交遊関係も、いい加減疲れ果てた。


「…し。ちょっと真志!聞いてる?」


「あ…う、うん。何?」


「駅前のとこでいいよね?今から予約しとくから」


「あーうん。よろしく~」


結局今日も断れなかった。最近の一日の摂取カロリーが、なかなかに洒落にならないことになっているに違いない。お腹まわりについた脂肪も、無視できないくらいに肥えてきているのだ。


今週の日曜日は、久しぶりによゐこ堂に行こうと思っている。ライオビットに会うのに、デブな自分なんて見せられない。


「てかお腹すいたー。学食行こうよ。真志は何食べる?」


「私、お弁当持ってきてるからそれ食べるね」


「最近何で弁当なの?しかも中身、野菜ばっかだし」


「ダイエットしてんのよ。あんたらが私を連れ回して、色々食べに行くから」


「うっそ~全然太ってないじゃん!ていうか真志がいないとつまんないし~」


「だよねー!」


友達の言葉に、私は思わず苦笑いを溢した。本当は私なんかいなくても、それなりに楽しく遊んでいるのはわかっている。この子達が私とつるみたがるのは、もれなく男がついてくるからだと思う。


私は男友達が多かった。地が男勝りな性格だからだろう。 お人形遊びやおままごとよりも、ラジコンとかちゃんばらごっこの方が好きだった。だから女子特有のキャピキャピ感というか、上っ面だけのテンションが正直性に合わない。高校でも男子とばかり気が合い、いつも私が声をかける役目を任される。


本日も心身共に疲れ果ててしまうのだろう。癒されたい。真っ先に思い浮かぶのは、ライオビットの姿だった。しかし何故、マスコットなんかに恋心を抱いたのか。それは半年前に遡る。


家族ぐるみで仲のいいご近所さんに、女の子が産まれた。一人っ子の私にとっては、妹ができたようで嬉しかった。ご夫婦の提案で、なんと私が名付け親になることになった。すごくプレッシャーだったけれど、自分にもし子供ができたら絶対につけてあげたいと思っていた名前がある。「薫子(カオルコ)」だ。意外に古風な名前をつけたね、なんてからかわれたけれど、ご夫婦はその名前を非常に気に入ってくれた。


そんなわけで、余計に薫子ちゃんに情が湧いてしまった私は、乳幼児にさえ呆れられそうなほどに玩具を買い与えていた。一ヶ月分のバイト代を全額つぎ込んでも構わないと思うくらいには、薫子ちゃんにベタ惚れだった。


店内に入ると、入り口のすぐそばにライオビットがいた。モップでのんびりと床掃除をしている。一体彼で何代目なのだろうとぼんやり考えながら、私は玩具を見て回った。


「あっは、懐かしい」


私が小学生くらいのときに売られていた木偶の坊が、未だに置いてある。こんなもん今更誰が買うかよ、と突っ込みたくなるものが、ここには結構あるのだ。他の店では得られない生々しい懐かしさが得られるのも、よゐこ堂の醍醐味とも言えるけれど。


「女の子なんだから、やっぱ着せ替え人形かな」


一人でぶつぶつ喋りながら、ずらりと並んだ着せ替え人形をじっくり品定めしていく。一番上の棚に置いてある物も見たくて、身長が足りないので近くにあった木製の椅子に、靴を脱いで上がった。


その木製の椅子と言うのも明らかに幼児専用のもので、おまけに腐りかけて柔らかくなっているところもあったようで。私は何とも思わずに己の全体重をかけてしまったわけだけれども、その椅子が長時間私の身体を支え続けてくれる保証などどこにもなかったのだ。


バキッという音が耳に届いたときには、もう遅かった。玩具が遠退いていく。現に遠退いているのは、後方に倒れ行く自分の方だった。


終わったな。何かを覚悟した私は、ぎゅっと目を瞑った。


「…?」


くっつきそうなほど合わせていた瞼を、私はゆっくりと開いた。きっと今頃後頭部には強い衝撃が来ているはずなのだけれど、寧ろふわりと宙に浮かんでいるようだ。


「え…」


足元に目をやる。事実、私の身体は宙に浮いていた。だって両足をぶらぶらさせることができる。よくよく見れば、お腹に誰かの手が巻き付いているのに気づいた。


薄汚れていて糸が解れまくっている軍手。見覚えがある。


「ラ、ライオビット…?」


後ろを振り返ると、相変わらずの奇妙な頭部がアップで私の視界に入り込んだ。私は彼に抱き上げられていた。どうやら落ちそうになったところを、助けてもらったようだ。


優しく私を降ろし、ライオビットは何事もなかったようにまた店の掃除に戻った。


少女漫画なんかで、よくありそうなシーンだ。恋が芽生える瞬間の、王道とも言えるだろう。


いやでもそれは、王子様のような美男子が相手だから成り立つわけで。あんな変な生き物に扮した人物に、ときめくはずなんてないのだ。


「…っ」


それでもシチュエーションという名の魔物は、あっさりと私の心臓を支配してしまった。




薫子ちゃんにあげた着せ替え人形の新しいお洋服を買うため、私はよゐこ堂に訪れた。店内に入る前に、少し髪型を整える。服選びにだって随分時間をかけた。デートに行くわけでも何でもないのに、下ろし立てのワンピースを着て、髪だって巻いてきた。


「お、真志ちゃん今日もお洒落だね~」


「こんにちは店長さん。お洒落なんかじゃないよー」


「薫子ちゃんへのプレゼントかい?」


「う、うん。そうなの」


勿論、薫子ちゃんに何かを買ってあげたいという気持ちは嘘じゃない。でも、ここに来る度にドキドキ鼓動がうるさくなるのは、やっぱり彼に会いたいという思いもあるから。


よゐこ堂オリジナルのマスコットは、引っ付いてくる子供たちを軽くいなすようにポンポンと頭を叩いたりしていた。「仕事させてくれ」と言わんばかりの態度だ。思わず頬が緩む。


私は駆け足でライオビットのもとへ行き、情けなく丸まった背中を少し強めに叩いた。


「よ!相変わらずやる気ないわね」


ライオビットがよろけた隙に、子供たちは一斉に彼に飛び付いていった。キャパオーバーになった背中から、はしゃぐチビッ子たちが滑り落ちていく。


「ライオビットの滑り台だ~」


振り向いたライオビットは、恨めしげに私を見ているように思えた。この状況、どう収拾してくれるんだと言いたげな眼差しだ。私は悪戯っぽく舌を出して見せた。


店長さんが子供たちの相手をしてくれたお陰で、漸くライオビットは解放された。店の奥に設けられた楕円形のテーブルについたチビたちに、ウエハースつきのアイスクリームを振る舞っている。店長さんはよくわかっているのだ。おやつの時間が、子供たちを落ち着かせるには一番効果的であると言うことを。実際私も、そんな店長さんの思惑にあっさり引っ掛かってしまったものだ。


「ねぇ。ライオビットはどれがいいと思う?」


黄色いドレスとチェックのジャンパースカートを手に取り、私はライオビットに意見を求めた。ライオビットは考えるそぶりも見せず両手をあげた。「知ったこっちゃない」。つれない反応に口を尖らせ、私は肘で彼の脇腹を小突いた。


思いの外痛かったのか、さっきのお返しも兼ねてなのか、ぐしゃぐしゃとせっかく整えてきた髪を掻き乱された。


「ちょっと、やめてよ!」


急いで手櫛を入れる私に、また妨害の手が延びる。誰の為にこんな気合い入れた髪型にしてきたと思ってるのよ。


「ライオビットと真志ちゃん、またイチャイチャしてる~」


「ほんとだー!」


口をアイスクリームで汚しながら囃し立てる子供たちに、ライオビットは勢いよく首を横に振った。そんなに全力で否定されると、いくら好きだからって殺意が湧いても仕方がないことだと思う。


またわらわらと集まってくる子供たちの汚れた口を、ライオビットは首に巻いていたタオルで順番に拭いてあげ、店長さんに指を差しながらペコリと頭を下げた。それに倣い、子供たちも「店長さんありがとー!!」と元気よくお礼を言ってお辞儀をした。


何だかんだで、やっぱり面倒見がいいと思う。普段は疎ましそうにしていても、ちゃんと気を配っているのだって知っている。子供たちが怪我などをしないように。事実、私を助けてくれたあの時だって、きっと気にかけていてくれたのだろう。


そういうところが、いちいちツボなのだ。全身の血管がビリビリするくらい、胸キュンものなのだ。


「…ん?何?」


私のところに戻ってきたライオビットは、首を傾げながら何かを結ぶような仕草をした。多分「プレゼントを買いに来たのか」と言いたいのだろう。プレゼント用に包装するときによく目にする赤いリボンが、私の頭の中に浮かんだ。彼は決して声を出さない。ジェスチャーで伝えきれない部分は、エプロンのポケットに常備してあるペンとメモ帳を使って筆談している。無駄にプロ意識が高い。


たまに店長に、「よくライオビットとスムーズに会話できるね」と感心されることがある。店長は勿論、普通に彼と肉声で会話をしているんだろうけれど、ジェスチャーだけでライオビットの気持ちを読み取れるのは私くらいだと言う。ちょっと、というか、私にとってはかなり誇らしい。


「そうなの。ほら、半年前に産まれたご近所の赤ちゃんに」


ライオビットは両手を叩いてふむふむと頷いた。彼にも薫子ちゃんのことは、一度話していた。私の話を覚えていてくれたことが、大分嬉しい。


「自分の服よりも、薫子ちゃんのお人形の服ばっかり買ってるんだ。最近」


ライオビットは人差し指で私の頭を二回つついた。「馬鹿だな」と言いたいのだろう。助けてくれたときは、それこそ王子様に思えたけれど、意外に彼は意地悪なのだ。


惚れた弱味とはこのことか。そんな性格でさえも、好きで好きでたまらない。重症だ…。


「あんたも選んでよ!お客さんを手伝うのだって、仕事なはずよ」


そう言うと、ライオビットは面倒臭そうに着せ替え人形の服を手に取った。傾向としては、フリルのついたものが好きらしい。案外乙女趣味なのかしら。


と思ったら、今度は真逆の趣向とも言えるライダースーツを手に取った。


「てか、こんなものまであるのね…」


ライダースーツだけで結構種類があるものだ。様々な色、形もそれぞれ微妙に違う。だけど、とても小さな女の子が好みそうなものとは思えない。


「…すけべ」


低い声で呟くと、ライオビットはギクッと肩を揺らした。スリットの入ったチャイナドレスに手をかけた時点で、こいつの考えてることがようくわかってしまった。無機質な笑顔を浮かべるマスクも、鼻の下が伸びきっているように見えた。


「雄だか雌だかわかんないキャラしといて!」


一喝すると、ライオビットはがっくりと肩を落とした。思わず漏れ出た己の欲に、恥ずかしくなってしまったのだろう。渋々棚に服を戻していく。


「まぁでも、チャイナドレスは可愛いかも」


小刻みに首を振るライオビットの調子のよさに、毒気を抜かれてしまった。私は思わず吹き出した。自分で選んだチャイナドレスを、ライオビットは今までで一番丁寧にラッピングしていた。




くっそつまんない。そう叫んで今すぐこの部屋を出ていきたい気分だ。


「真志、全然歌ってないじゃん!」


「ノリ悪いぞお前~」


「ああ…ごめん」


こいつらが行きたいところといったら、カラオケしかないのだろうか。よくもまぁ飽きもせずに通うことができるものだ。男たちの調子こいたラップも、女たちのあざといラブソングもいい加減うんざりだ。


昨日は幸せな日曜日だった。よゐこ堂でいっぱいライオビットと話ができた。プレゼント選びにもつきあってくれた。


こうやって学校の友達と遊んでいると、ライオビットとの時間が夢だったんじゃないかとさえ思える。こんな柄にもないファンシーなことを言いたくはないけれど、本当に魔法にかけられているような気持ちになるのだ。彼と過ごしている間だけは。


「なぁ真志。俺、お前の“twilight”聞きたい」


「え~。キー高いから辛いんだよね、それ」


私に歌をリクエストしてきたのは、川畑浩二という男だった。他クラスだけど男友達の伝もあって知り合った。何故か周りの人間は、私たちが付き合っているものだと思い込んでいる。私は浩二を仲のいい友達としか見ていない。勿論浩二だって同じ気持ちだろうと思っていた。


だけどこの間、仲間も交えて遊んだあとに、家まで送ってもらったときのことだ。なんの脈絡もなしに、浩二は私にキスをしようとしてきた。それもよゐこ堂の前でだ。深夜だったから当然店は閉まっていたけれど、強烈な後ろめたさに襲われた私は浩二の体を突き飛ばした。


何するの、と震える声で問うと、浩二は言った。「お前のことが好きだ」と。


突然口づけされそうになった瞬間は相当動揺したけれど、告白については驚くほどに何の感情も湧かなかった。きっと他の人をそういう目で見れないほどに、ライオビットのことが好きだったからなのだと、その時は思った。


その場で浩二を振ることだってできたのだけれど、結局曖昧な態度しか見せることができずに、私たちは今でも一緒にいる。


できることなら、このまま浩二の告白がなかったことになればいい。何事もなかったように接すれば、ずっと友達でいられる。そう思うのは、単純に今の関係を壊したくないという理由だけでなく、ふとこんな考え方も過ったからだ。


浩二に「好きだ」と告げられたあの日、私が何も思わなかったのは、浩二自身に感情がなかったからではないか。抱き合ってキスをしてセックスをする。私ではなくそういう人間を求めているだけなのではないかと、そう思うのだ。


怒りなどは湧かない。寧ろ今時の男子が、一途に一人の女を想うことの方が疑わしい。だけど虚しかった。期待はしていなくても、やはり心が欲しかった。応える気もないくせに、贅沢な女だと自分を笑いたくなる。


ああ、会いたいな。胸の中にぽっかりと空いた穴を、今すぐにでも埋めてほしい。個室は音楽と歌声で騒がしいはずなのに、何も聞こえない。


「おーい真志。どした?」


黙りこんだ私を怪訝に思った浩二が、目の前でヒラヒラと手を振った。


「…ごめん、私…帰るね」


考えるより先に身体が動いた。私は鞄を引っ掴み、制止の声も聞かずに部屋を跡にした。よゐこ堂は五時で閉まってしまう。時刻は四時半。たとえ間に合ったとしても、ライオビットはいないだろう。土日以外で彼の姿を見たことがない。


それでも私は走った。会いたい。それしか考えられなかった。




「お、真志ちゃん。そんなに息切らしてどうしたの?」


「店長さん…」


閉店まで五分前のところで、私はよゐこ堂の門を開けた。店長さんは店を閉める準備にとりかかっていた。いつもと様子の違う私を、店長さんは心配そうな目で見ていた。


呼吸を整えるのに必死だった私は、咳き込むことしかできなかった。店長さんに迷惑になってしまうから早く帰らなきゃ。頭ではわかっているのだけれど、なかなか身体が言うことを聞いてくれない。久しぶりにあんなに走ったのだ。駅からよゐこ堂まで、ほとんどノンストップだった。内臓が口から出てきそうだ。


「ごめ、なさい…」


やっとのことで声を絞り出し、店長さんに頭を下げる。やはりライオビットはいなかった。期待は薄かったけれど、いざ現実を前にすると激しい虚無感に支配された。


「何か買っていきたいものでもあった?」


「ううん…こんな時間にごめんね。また来ます」


店長さんはそれ以上何も聞かずに、穏やかな表情で頷いてくれた。私も少しだけ口の端を持ち上げ、笑顔を見せた。自分でも随分取り繕った表情だったと思う。


「そうだ、ライオビット。お見送りしてあげなさい」


店長さんの一言に、私は足を止めた。心臓が一度大きく脈打った。


自分の耳を疑いながらも、バックヤードからのっそりと顔を出すその人に、私の目は釘付けになっていた。


「何で…いるのよ…」


私の問いにライオビットは間抜けた頭を傾げ、徐にメモ帳を取り出すと何かを書き出した。


“シフトが入った”。あんまりにも簡潔なその文章に、何故か無性に腹が立った。初めて知った。嬉しさを通り越したその先には、全く正反対の感情が待っているのだということを。


「そんなこと聞いてんじゃないわよ!!」


振り回した手提げがライオビットの腹に命中した。そこまで的確に狙ったつもりはないが、どうやら鳩尾にドンピシャだったようでライオビットは膝から崩れ落ち悶えた。


「ま、真志ちゃん!?」


肩で息をする私とライオビットを交互に見ながら、店長さんは慌てふためいた。蛍光灯に照らされた瞳が、殺気を燃やしながら私を見上げた。後に店長さんは語る。見つめ合っていた二人の視線の間に、心なしか火花が散るのが見えたと。




俺の名前は音無勉。極度の人見知りということ以外は、至って普通の高校生だ。


ところで俺はバイトをしている。とある玩具屋の、オリジナルマスコットの中の人である。人前に出るのが苦手な俺にとっては、まさに天職と言える。被り物をするので顔を晒す必要もないし、喋らなくたっていい。寧ろ声を出すことは契約違反に該当する。


品出しして掃除をして、適当に子供の相手をするだけで金がもらえる。何て素晴らしいんだろう。俺はこのバイトを、かなり気に入っていた。当のマスコットが奇妙なビジュアルすぎて慣れないということ以外は、実に恵まれた環境だ。


しかし俺のそんな平穏なワークライフは、一人の人物によって崩れ始めた。


「おはよ、ライオビット」


香椎真志。最近よく当店「よゐこ堂」に訪れる彼女は、 実は俺の同級生だった。


勿論香椎は俺が誰だかわからないはずだ。そうであることを願いたい。そもそも香椎は同級生である俺のことを覚えているのだろうか。素顔を見せたところで、「誰だっけこいつ。何かぼんやり見覚えあるわ」くらいにしか思われないのではないか。


というのも、俺は香椎と未だかつて話したことがない。高校に上がって半年強が経つが、まず女子と言葉を交わしたことがない。高校の女子は皆、中学とは勝手が違う。「女らしさ」の部分が露骨に、顕著に現れているためか、根暗な性格も手伝って非常に接触しにくい。とどのつまり、何を話せばいいのかさっぱりわからんのだ。


初めて香椎をよゐこ堂で見たときには、心底動揺した。店長は香椎と随分親しげだった。聞けば、 香椎は幼少期からこの店をよく利用していたそうだ。店長にとっては孫の内の一人みたいな感覚らしい。


俺は店長が余計なことを言わないうちにすぐさまバックヤードに連れ込み事情を話した。店長は俺が香椎の同級生であることを、本人には黙っておくと約束してくれた。


それからは多少ヒヤヒヤしながらも、香椎が来店しても平静を装い職務を全うするよう努めている。


「…あのさ。こないだ、ごめんね」


俺の目の前に立った香椎は、視線を泳がせながら謝罪の言葉を発した。何に対して謝っているのか、すぐに理解した。こいつはこの間何を思ったか、閉店間際のよゐこ堂に訪れ俺の腹を自分の鞄で殴るという暴挙を働いたのだ。


店長に発注を手伝ってほしいと頼まれ、学校が終わってすぐによゐこ堂に向かった。慣れない仕事を終えてやっと帰れると思った矢先にあの仕打ちだ。最近の女子高生って怖い。痛感した。


「あんたがいると思わなくて、パニクっちゃって。どうかしてた」


全くだ。俺は品出しの手は休めずに香椎の話を聞いていた。


「その…学校でね、嫌なことがあって。あんたに無性に、会いたくなったというか…」


引っ掛からなければいけない部分はきっと後半の言葉の方なのだろうけど、「学校で嫌なことがあった」という台詞が香椎の口から出たのが意外だった。


香椎は、クラス内でも中心メンバーに属するタイプの人間だ。俺みたいな発言力のない人間ならともかく、香椎なら自由に立ち回れるのではないかと思う。しかし、そっちの世界はそっちの世界で、色々と気苦労があるのだろう。俺の知ったことではないが。


「あ、あんたの間抜けな顔見てると、元気が出んのよね!細かいこととかどうでもよくなるって言うか…」


結局悪口か。まぁ間抜けな顔と言うのは否定しない。マイナスな方面に形容しやすい面だろうなこのマスコットは。以前店長に「勉くんはライオビットに似てるね」なんて言われたことがある。勿論腑に落ちなかったが、厄介なことに店長はライオビットを愛らしいキャラクターと思い込んでいるらしい(発案者なので当たり前と言えば当たり前だ)。喜ぶこともできなかったが店長を傷つけることも忍ばれたので、とりあえず苦笑いで誤魔化しておいた。


「だからその…舞い上がっちゃったんだと思う。いないと思って諦めてたから…嬉しかった」


俺は一旦手を止め、顔だけを香椎の方に向けた。上目遣いの香椎と目が合った。何とか俺の、もといライオビットの表情を探ろうとしているようだ。顔を赤くし、説教を受けている子供のように縮こまっている。


俺は喋ることができない。だから身振り手振りで気持ちを伝える他ない。俺は汚れた軍手を被った手を、香椎の頭に乗せた。学校での俺と香椎じゃ、絶対に拝めない光景だ。実際やってみたらどうなのだろう。恐ろしくて想像すらできない。


よゐこ堂で会う香椎は、学校にいるときとは比べ物にならないくらい取っつきやすい。環境にもよるのだろうが、ここでの香椎は実に普通で素朴な女の子だ。教室での威圧感と言うかボス感というか、そういうのが全く削がれている。まるで俺らが幼なじみ同士なんじゃないかという錯覚に陥るほどだ。俺も被り物なんかして気が大きくなっているのだろうか。


「ゆ、許してくれるの?」


尚も不安そうに俺を見上げる香椎の眉間に、デコピンを食らわしてやった。額にやられるよりも強烈だと思う。人の痛みを身をもって思い知れ。


「いったぁ…!」


さっきのしおらしい態度はどこにいったのやら、三蔵法師みたいにぽつんと赤くなった眉間を擦りながら香椎は涙目で俺を睨み付けた。


「女子の顔に攻撃するとかあり得ないから!!」


その時の香椎の渾身のボディブローは、冗談抜きに世界を狙えるのではないかと思った。同時に、呻き声ひとつ出さずに堪えきった自分を誰かに称賛してほしかった。

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