あなたへ
描写ではありませんが、文章としてちょっと不愉快かもしれません。
お気に召さない方はいますぐお戻りください。
『お父様、お母様。あなた方がこの手紙を開き、読み進めるころ、私は生きてはいないでしょう。』
そう書かれた冒頭の筆跡は、几帳面な彼女そのもののようにきれいな文字だった。
『お父様、私の所為で言われも無い嘲笑を受けておられることでしょう。お母様、身勝手に縁を切り、家を飛び出した挙句の愚行、どのように罵られても言い返す言葉はございません。』
淡々とした言の葉たちはいっそやわらかいと思えるようなそればかりで、そこに至るまでの彼女の苦悩を悲しみを絶望を思わせるには足らなかった。
『きっと私はこの国の最大の汚点となりましょう。恋に狂ったあげく裏切り殺された悪女と呼ばれ、けっして忘れられることは無いでしょう。』
たまに見せる優しい笑みが脳裏に浮かぶ。その微笑が翳り始めたのは、いつのことだったろう。
『それでも、それでもお父様、お母様。私はけっしてそのことを後悔しておりません。』
彼女が姿を消す前日の夜、彼女が別れを告げた瞳には、まばゆいほどに強い意志があったことを、覚えている。
忘れられないほどに、哀しい色。
『時が戻せようと、出会いが違えようと、私は同じ判断を幾度でも選んだでしょう。』
『それが、私が自らの手で選んだ、『あの方に覚えてもらう方法』だったのですから』
再会したとき、彼女はすでに堕ちていた。
彼女をこの手でかけなければならぬほどに深く強い闇に染まっていた。
『あの方には私以外にも多くの魅力的な女性達が惹かれ、あの方の寵を得ようと、私を含めて必死でした。』
『あの方がいずれ使命を果たし、元の世界へ戻られるだろう未来を受け入れられず、あの方をこちらにとどめようと、あの方の思いも知らず、身勝手に振舞っておりました。』
『それをあの夜、私はわかってしまったのです。目を耳を口を背け続け、こちらの都合を押し付け、あの暖かな手を血にまみれさせ、あのやさしい眼差しに血と死体の海を見せつけ、あのやわらかい耳に絶望と苦痛と悲鳴を注ぎ、形のよい鼻に鉄錆と腐臭を塗りつけ、穏やかな笑みを浮かべていた唇から怒りと苦痛の声を上げさせて、計算しつくしたタイミングであの方の疲れきった心に情を持って漬け込む……。』
『そのような醜い様を私たちは……いいえ、この世界が、使命という耳障りの良い、実質は強制的にたった一人に背負わせて、私たちはのうのうと暮らしていたのだと。』
時折滲んでいる文章はすこし乱れていて、彼女の心を幾ばくか晒していた。
そんな彼女は、誰よりも僕のことを思ってくれていたのだと、過ぎるほど今更に、気づく。
そうそれは、その吐息が、その命が消える最後の瞬間まで。
『そのようなことが、許されるでしょうか。これからも都合が悪ければ目を背け続け、何も知らぬ彼らに犠牲を強いることなど……私には、どうしても、できなかった。』
『お父様、お母様。同封した資料にはあの方から習った、あの方と私しか知らない『ニホンゴ』で書かれたものです。解読書も同封してありますので、それを解読し、至急裁判所へお送りください。これまでであった領主や長たちの悪行とその証拠品を隠した場所が書いてあります。隠した場所はいずれも人のいない、元魔族の領地なので人はいないでしょうし、獣達も寄り付かないのでしばらくは大丈夫でしょう。』
『お父様、お母様、これまで育ててくださった恩は決して返しきれませんが、これらを持って、少しでもカリフデラ家の再興にお役立てたら幸いです。跡継ぎは弟に任せます。お母様に似て聡明な子です。必ずや資料を役立ててくれるでしょう。』
『お母様、せっかく用意してくださった縁談のお話、お受けすることができなくなって申し訳在りません。お父様、女だからと価値観を押し付けず、本や剣を習わせて下さってありがとうございます。おかげで、最後の最後はあの方の記憶に少しでも面影を残せたことだと思います。ファレ、こんな馬鹿な姉を早く忘れて、きれいでかわいいお嫁さんをもらって、しあわせにくらしなさいね。』
『さよなら』
ぱた
ぱた た
「……僕、だって……僕だって、君が………〔 〕が………」
最後の最後、日本語で書かれたたどたどしい、歪んだ文字は、きっと僕の、
『あいしてる。あいしてる。あいしてる。だいすき。ずっとずっと、このいのちがおわっても、くるっても、きっとあなたがわたしをわすれても、あいしてる。〔 さま〕へ』
初恋の終わりを告げる、『 』だったんだ。
昔、まだ勇者召喚の儀式が行われていたころ、一人の女性がその愚かさに絶望し闇に落ちたという。
当時世界一の賢者と呼ばれるほどに優れた彼女は闇に堕ちながらも唯一知性を持ち、相対した魔王が二度と復活しない術を、文字通り命かけて勇者に授けたのだという。
勇者は魔王を倒して後、元の世界へ還り、同時に勇者召喚の陣は資料を含めてあますことなく炎の中に消え、闇に堕ちた彼女の名も姿も伝えられることは無く、存在したのかすらあやふやではあるが、『勇者記念美術館』の片隅に残された古代語の手紙だけが残っている。
それは彼女の最後の恋文であり、当時を知ることができる貴重な資料であるため、封をされたまま、静かにそこに飾られている。
END
燃え上がるような恋だった。
幼い子供のような恋だった。
それでも、後悔だけはしなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。
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