とある薬師の呟き
最近、ギルドに黒髪の人間が出入りし始めた。
彼らはやたらと強く、一般の冒険者たちの手に負えない魔物の素材を持ち込み、ギルド職員を驚かせている。
素材はギルド経由で流れるので、街の生産職の間から彼らは非常に好評だ。
かくいう俺も、薬作りに貴重な牙や角が手に入ってほくほくだ。
いくら製法を知っていて、精製する技術を持っていても、材料がなければ宝の持ち腐れである。
作業場で牙を小ぶりなハンマーで砕いて粉にしながらも、頬が弛む。
ずっと欲しかった狼型の魔獣グレイウルフは滅多に狩られることのない強い魔物だ。棲家も魔物しかいない危険な死の森の奥地だ。
ギルドに採取依頼を出しても金貨一枚は必要になる。それが大量に入荷したため、銀貨七十五枚まで値が下がったのだ。
グレイウルフは大きな二本の牙を生やしている肉食の魔物だ。この牙を粉にして薬草と混ぜ、精製水で濾過すれば、高価の高い薬液が出来る。
薬草もそこらの森にあるような薬草ではなく、水の綺麗な場所にしか生えない、ワビ草という薬草が必要だが、それも八割程の値で買えた。
「ふっふっふっ……これでこうして、じっくり濾過すれば……くくくくくっ」
久しぶりに骨のある精製が出来て、楽しさのあまり笑いが零れる。
温度管理の難しい薬を精製し終わり、ふと顔を上げるとこちらをじっと見つめる二つの青い眼があった。それは半目に細められ、呆れた表情を浮かべていた。
「こらっ、薬師ダング。その不気味な『くくく』笑いをしながら薬を調合するな。毒薬作ってるようにしか見えんぞ?」
目の前に立っていたのは、素肌の上にアマゾネスの鎧を纏った凹凸のはっきりした肢体の持ち主だ。顔つきもくっきりとした文句なしの金髪碧眼の派手な美人だ。
そして思わず見てしまうのは綺麗な曲線を描く胸の谷間だ。本人も見られても構わないと言っているので、じっと見ても怒られないのはいいのだが……。
「レイアっ! 久しぶりだ。相変わらずいい身体だなぁ。……ここで触ったら地獄を見るんだよなぁ。見るだけって結構な拷問なんだが……」
「相変わらずだな、ダング。見るだけが嫌なら、もうここには素材持って来ないぞ?」
「ささっ、美しいお嬢様。こちらへお座り下さい。お茶でもお入れいたしましょう」
作業場の隅に置いてあるテーブルセットの椅子を引いて、レイアを座らせると、棚から茶葉を取り出してお茶の用意を始めた。
この露出度の高い鎧を纏ったレイアの職業はギルド所属の冒険者だ。獲物は片手剣。
依頼の成功率が九割と高い、優秀な人物だ。いつもいつも俺の『ああ、あの素材さえ揃えば……』という切なる願いを叶えてくれる。
レイアは男兄弟の間に育ち、男女分け隔てなく教育を受けたため、中身は淑女とは言いがたい代物に成長してしまっている。態度も言葉遣いも、大変男らしい。
外見上は見事な肢体の美人だが、中身は武人だ。露出度の高い鎧も、動きやすさを重視しての選択だ。本人曰く、見られても減りはしないという理屈から、見るだけなら何も言わないが、外で気安く触ると鉄拳制裁が飛んでくる。
さすがに二度三度とやられれば、どれだけ美味しそうな身体でも考えを改めざるを得ない。
中身の方も男の間で揉まれた結果、女くささは微塵もなくさっぱりとして、親御さんからも『お前が男だったらてっぺんをとれるのに……』と言われるくらい腕も立ち、理性的なものの考え方をする男前な性格だ。
レイアは見た目だけは優雅に、カップを傾けて、入れた特性のお茶を口に含んだ。
「ん、美味い。やってることは怪しいくせに、お茶だけは一流だ」
「お褒めに預かり光栄です。お嬢様」
自分の分もしっかり入れて席に着くと、レイアが両手ほどの小ぶりな布袋を机の上に置いた。
「これは?」
「欲しがっていたカラ草だ。魔物討伐で森に行ったんだが、運よく群生地を見つけてな。採ってきた」
「おおおおおっ! さすが我が愛しのレイア! これでまた新たな調合が出来る……ふっふっふ」
頭の中にカラ草を使った調合が次々と浮かぶ。眠さをぶっとばす目覚まし用の薬や、料理のスパイスとしても加工できる。需要としてはスパイス加工が金になるが、調合の難易度としては目覚まし効果の方が難しく、やっていて楽しい。
布袋を掴んだまま妄想していると、レイアが呆れかえっていた。
「本当に、最近のダングは怪しさ満点だな。前は素材がなかなか手に入らず、常に苦悩に満ちた顔だった。今の不気味な微笑みより、その方がまだマシだったんじゃないか?」
「何を言うかっ。レイアや黒の一族のお陰でここのところ素材がすぐに手に入る。薬師の手に素材が渡るということは、今まで作りたくても作れなかった高効能の薬が精製できるんだぞっ! ああ、ありがたやありがたや……ああ、ところで。これの対価は相場どおりでいいのか?」
尋ねると当然とばかりにレイアが頷き、俺は作業場の棚に布袋をしまい、引き出しから金を出してレイアに渡した。
「ん。確かに代金は戴いた」
「また珍しい素材があったら、直接頼む。黒の一族のお陰で値が下がっているとはいえ、やはりレイアから直接仕入れた方が安いからな」
「黒の一族、か……」
レイアは独り言のように呟いて、視線を落とした。
黒髪の彼らはレイアと同じくギルドに登録して、討伐や採集を行っている。その強さや達成率の高さから、まとめて『黒の一族』と呼ばれている。
レイアからすれば商売敵にもなるのだ。
最近、顔見知りからの護衛指名も黒の一族に移ってしまったと言っていたし……。
魔物が活性化していることを踏まえれば、強い彼らがいることは頼もしいが、心中は複雑だろう。
「彼らが増え始めて、ダイグは喜んでいるがな、由々しき問題もあるのを忘れたのか?」
「問題? 俺たちのことは『えぬぴいしい』と言って、あまり親しく話しかけたりはしてこないが、結構礼儀正しい奴らが多いぞ」
「違う、そうではない。黒の一族が出現したということは、奴が復活する日もそう遠くないということだぞ」
レイアの言いたいことが分かって、俺も口をつぐんだ。
貴重な素材の確保で浮かれていたが、確かにレイアの懸念は当たっているだろう。
ここ数年、魔物の増加や今までにいなかった強い固体が各地で出現し始めている。そして、黒髪の人間がギルドに出入りし始める。
それは、魔王復活が近いことを意味している。
昔から、この世界は周期的に魔王が出現する。倒しても倒しても時が経てば再び魔王は現われ、配下の魔物を従えて人間を襲う。
それを救うのはいつも、遠い地からやってきた黒髪の勇者――黒の一族だ。
彼らは魔王復活前になると姿を現し、魔王を倒すと同時に故郷へと帰っていく。
さまざまな魔王討伐譚でそれは語り継がれている。
「魔王、か。復活したら討伐譚で言われているように、天が黒雲で覆われるのかな?」
その上、稲妻も一日中降り注ぐらしい。素材は嬉しいが、魔王復活の時代が来るというのは嬉しくないものだ。
俺ののん気な思考を感じ取ったのか、レイアは呆れ顔だ。
「ダング……お前に危機感はないのか? 黒の一族が必ず魔王を倒すという保証はないのだぞ?」
真面目なレイアには悪いが、魔王が復活しようとしまいと、薬師である俺が出来ることは薬を作ることだけだ。
魔王討伐は、伝承通りであれば黒の一族が倒すだろうし、もし他の人間が出てきても、俺の生活になんら支障はない。
それに、黒髪の彼らの方が切羽詰った事情があるのだ。
「大丈夫だよ、レイア。彼らにも、我々と同様、魔王を倒さなければならない深刻な事情があるんだ」
レイアは何度も瞬きを繰り返し、俺の顔を凝視してきた。
「ダング、何故彼らの深刻な事情を君が知っているんだ?」
「ああ、ちょっと前にギルドに依頼に行った時に黒の一族の子と話す機会があってな……」
言葉を濁すとレイアは俺をジト目で睨みつけてきた。
「わかったぞ、ダング。その子……小動物のように可愛かったんだろう?」
図星を突かれて、俺はうろたえて視線を泳がせた。
彼らの故郷がどこにあるのかは、未だ解明されていない。その強さを知るため、黒の一族を研究する学者もいると聞くが、彼らはあまり我々と親しくなろうとしないし、積極的に話しかけてはこない。学者に協力する者がいても見返りを求めるらしい。タダでは動かない一族なのだ。
そんな黒の一族の一人と俺は、ちょっとしたことから交流を持つようになった。
レイアの指摘通り、好みのど真ん中だったその子は、この街が初めてなのか、キョロキョロとしながら何かを探しながら歩いていた。
黒の一族はあまり街の人間と馴染まないと言われていたが、思わず声をかけていた。
「あの、何か探しておられるのですか?」
背はあまり高くなく、背中まで伸ばされた黒髪は一つに結われ、真っ直ぐでつややかで美しい。
小柄な彼女は革の軽鎧に身を包んで、白いマントを纏っていた。
黒い目はくりっと大きく、小動物的可愛らしさだ。彼女は振替って小首を傾げた。
小動物が大好きな俺としてはこの上なくツボだった。断じて幼女趣味ではない。生まれ故郷にいる年の離れた妹を思い出して構いたくなるのである。
「えっと、クエストフラグなのかな? この街に入っていきなりクエストがあるって情報は聞いたことないけど、レアクエストなのかなぁ? まぁ、いっかぁ」
彼女は小声で言った大半は謎の言葉で彩られていた。俺が怪訝な顔をすると、慌てて取り繕った。
「えと、この街のギルドに行きたいんですけど……」
彼女の希望は冒険者たちが真っ先に向かう先だった。だが、この街のギルドは街の入り口を入ってすぐのところにある。通り過ぎることはないはずなのだが……。
「ギルドは南門を入ってすぐのところにありますが?」
その子が歩いてきた道を戻れば、ギルドの派手な赤い旗がたなびいている。
「あちゃーっ、また迷子かぁ。何でこっちでも方向音痴なのかなぁ? 補正かかればいいのに……」
ブツブツと独り言に近い言葉を呟きつつ、片手で頭をかいていた。
「良かったら、ギルドまでお送りしましょうか?」
もと来た道を戻るだけなので迷うことはないだろうが、呟きにより不安になった。何より、妹を髣髴とさせる可愛い子に構えるまたとない機会だと、にっこり笑いかけた。
「うわぁ、美形NPCの微笑み、ハンパない破壊力だね。かっこいいー」
どうやらこの子は、考えていることをうっかり口に乗せてしまう性質があるらしい。
褒められているのか感心されているだけなのか、微妙なので聞かなかったことにしてギルドに向かって歩き始めると、彼女はこちらに色々質問をぶつけてきた。
街の治安はどうかとか、この街のギルドの状況はどうかとか、ここのギルドのトップは誰なのか、等々。
黒の一族は総じて有難い存在なので、分かる範囲で丁寧に答えていくと、彼女は満足げに頷いた。
「一人だけに聞いて情報収集が出来るってのは、中々いいね。で、お兄さんは何をくれる人なの?」
「は?」
「あれ? 案内クエストじゃなかったのかな? まぁ、何ももらえなくても問題ないか……」
彼女とは短い距離しか共に歩いていないが、どうにも会話が噛みあってない気がしてならない。
だが、黒の一族には頑張って魔王を討伐していただきたい。こんな小さな少女にそんな大仕事を託すのは心苦しいが、黒の一族は見た目で判断出来ない強さを持っている。
薬の一つや二つ、渡して頑張ってくれるのなら嫌はない。
ギルドの前に辿り着き、俺は彼女の名前を聞いた。
「ここですよ。……あの、貴女のお名前は?」
「カナっていいますけど?」
「カナ……魔王討伐、頑張って下さい」
そう言いながら懐に入れていた回復薬を数個、彼女の手に渡した。
「きたきたきたーっ、アイテムゲットー。ありがとう!」
飛び跳ねながらお礼を述べる彼女は、全開の笑顔でめちゃくちゃ可愛かった。
ああ、癒されるなぁと思いつつ、ギルドの建物に入っていく彼女に手をふった。
その後、彼女とは外に出かけたときに何度か会った。会うたびに色々話を聞かせて欲しいと強請られ快く承諾したり、こちらからも黒の一族のことを少々聞いたりしていた。
噂どおり黒の一族はタダでは教えてくれなかったが、物を渡せばあっさりと話してくれた。
彼らは故郷を遠く離れ、魔王を倒す日までそこへ戻ることは出来ない。
その為の『ちーと』と呼ばれる特殊な力を与えられてもいるらしいが、中々大変らしい。
黒の一族の中でも『ぱーてぃ』や『ぎるど』と言った組み分けがあるようで、誰が魔王を倒すか競争しているというのだ。
魔王を倒すのに競争するだけの余力がある黒の一族の強さに衝撃を受けたが、何とか平静を保って、黒の一族が強力な魔物を倒してくれたり、貴重な素材を採って来てくれたりしていることに感謝していると言うと、彼女は破顔した。
「本当? ずっと討伐とか採取とかやってると『作業』になっちゃって、楽しくないんだけど、やっぱそう言ってもらえると嬉しいなぁ」
眩しい笑顔を向けられて、思わず顔が崩れた。
レイアは黒の一族のことに関しては非常に興味深そうに、また俺が彼女に回復薬を提供したくだりではため息を吐き出しながら、俺の話を聞いていた。
「色々と言いたいこともあるが、ダング。お前、その子に体良く利用されてないか? 会うたびに回復薬を渡すこともないだろう?」
「いやー。あの黒いくりくりとした期待の眼差しで見つめられると、渡したくなるんだよね……。それに、こっちも貴重な情報を貰っているから、いいかなーっと」
「確かに、黒の一族の研究者が聞いたら絶叫しそうな内容だな」
「そうだな……黒の一族も色々いて、大変らしい。ま、組織に属していたらどこも似たようなものだが……。カナちゃんは見た目どおり子供っぽいな。心の中で呟くようなことが全部口に出るし、聞いてて面白いぞ?」
「ダング、念のために言っておく。黒の一族と友人関係を築くのはいいが……そんな年下の少女に手は出すなよ。もし、そんなことになったらどうなるか、分かっているよな?」
俺が彼女の容姿を褒めちぎったせいか、レイアが釘を刺し……もとい脅してきた。
俺は慌てて首を横に振って否定した。
「ないない。単なる癒しだ。なんというか……あの子と話していると、故郷の妹に『お兄ちゃん嫌い』って言われた傷が癒えていくんだな。うん」
遠い目をして言うと、途端にレイアの視線が可哀想な子を見る目に変った。
「今度は何をやった?」
「…………いや、その、この間実家に帰ったとき薬作成を頼まれて、材料の黒昆虫の腑分けをしている時に部屋に踏み込まれて、大絶叫……」
「鍵をかけていれば、ふせげたものを……」
「そう、うっかり掛け忘れていた」
思い出して悲しくなり泣きまねをすると、レイアが優しい微笑みを浮かべて両肩をぽんぽんと叩いた。
「仕方ない。慰めてやるから、今日は早くに帰ってろ」
「レイアーっ!」
久しぶりのお誘いが嬉しくて、うっかり抱きついてしまい、久々に投げ飛ばされてしまった。
レイアの照れ屋なのは基本、可愛いからいいのだが、外で触ると容赦なく剥がされるのが問題だ。
「外では触るなと言っているだろう!」
「ここは一応、俺の仕事場で室内ってことでいいじゃねーか……」
打ち付けた腕をさすりながら言うと、レイアは真っ赤になって叫んだ。
「人目があるところでは、嫌だっ」
そのまま、部屋から出て行こうと背中を向けるレイアに、声をかける。
「レイア、愛してるぞっ」
「叫ぶな、馬鹿者!」
「美味い飯作って待ってるからな」
「……楽しみにしてる」
振り返ったレイアは仏頂面のまま、ぼそりと告げて去っていった。
レイアのお陰で手に入ったカラ草の下処理をした後、店舗の扉を閉めて市場に向かう。
最近では黒の一族により伝えられた新たな調理法による料理が出回っていて、屋台街が活気付いている。
串に刺し、衣をつけて脂で揚げた肉や、卵に包まれた、東国のコメに味をつけたものなど、今までなかった料理が人気だ。
仕事の合間に食べ歩いて、味を覚えたので、レイアにはそれを何か作ってやろうと、食材を調達する。
一度街を出るとなかなか帰ってこない恋人をつなぎとめておくために、いつの間にか料理の腕も上がった。
久しぶりに一緒に過ごせる嬉しさで、近いうちに復活するであろう魔王のこともしばし忘れて、レイアが帰ってくるのを待ちわびた。