❖始まりは忘れ物
すっげぇ~短いですけど。
「ごめん、小蘭」
そうにっこりと笑って、私に謝ったのは、我が家の当主でもあり、私の父様でもある 奏 玲叔、36歳の吏部の下級官吏。
私の父は極度のお人好しと言うか善人で、それでいて、常日頃から忘れ物が多い。
「謝るなら母様に謝って。母様、泣いて、拗ねて、宥めるの大変だったんだからね?」
いつもは気位の高い母様は、父様の事となると、聞き分けのない子供みたいになる。
そんな母様を宥め、父様と仲直りさせるのは私の大事な仕事。
でも、たまには勘弁してくれとも思うのも正直なところ。
だから、今日こそはと思って先手を打とうとした矢先。
「うん、だからごめんね?小蘭」
にっこりと微笑まれ、そう言われてしまえば、私が断れないのを知っていての父様の言動。
(ズッルイ!!)
海千山千と言われ、呼ばれている老臣達よりも遥かに腹黒な父様。
こうでもなければ、この宮廷では生き抜いて行けないとは知ってはいるけれど。
それでも納得いかない。
その腹いせに、私は父様譲りの顔でにっこりと微笑んだ。
「明々采館の点心で手を打ってあげる」
「ありがとう、小蘭。いい子だね」
そう言って頭を撫でてくれた父様は、銀を一枚袂から探り出し、手に乗せてくれた。
この銀一枚で一般庶民ならば、半月は楽に暮らせる。
食事はおろか、衣服や住居も楽で、より良い所で。
でも。
「彩王母様のお恵みだよ。朝たまたま道端で拾ったんだ。これで蘭菊に紅でも買ってあげて?」
中々受け取ろうとしない私に、父様は更に笑みを深め、私の手に銀を握らせ、お弁当を受け取り、ゆっくりとした足取りで吏部の方へと消えていった。
後に残されたのはとても14歳とは思えない黒髪黒眼の小さな私と、銀一枚。
「全く、甘いんだから父様ってば」
父様は彩王母様の事なんて信じてない。
だけどこうして小さな嘘を吐くのは、私と母様との幸せで温かな三人での生活を守る為。
(仕方ない、騙されてあげましょう。)
自然と綻ぶ唇を意識しながら、私は家に帰るべく元気良く駆けだした。
奏 花蘭、14歳。
この時の私は、恋も知らない、本当に小さな存在でした。
相手はまだ出てきません。