↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
PR

モンスターシリーズ

首狩り騎士

作者: 天草一樹
掲載日:2026/10/31

前作「ハンマー男」と「吸血鬼」を読了後に読まれることを推奨します。

『首狩り騎士』の言い伝えをご存じだろうか。家族や友人に嘘を吐く、身勝手な理由で誰かを傷つける。要するに悪事を働くと、『首狩り騎士』が現れて首を刎ねられるというもの。

 悪戯をした子供達に対し、大人たちは言うのだ。

「そんな悪いことばかりしていると、首狩り騎士が現れて首を刎ねられてしまうよ」

 幼い彼らは、大人たちの言葉を信じ、悪事を働いた後は、布団にくるまりながら神に祈る。

「もうにどとわるいことはしません。だからクビをはねないで」

 数年経ち、子供から大人へと移ろいゆく中で、彼らは気づき始める。嘘をついても、誰かを殴っても、首狩り騎士は現れない。あれは物語で、事実ではないのだと。

 そしてさらに数年が経ち、大人になった彼らは子供たちに言うのだ。

「悪いことをしてはいけない。そんなことをしていると首狩り騎士に首を刎ねられるぞ」

 と。

 それはここ、有名な馬産地として知られる農村「カシェル」でも同じだった。

 今日までは。



  *  *  *


 穏やかな風が流れる草原を、一人の少年が駆けていく。

 自身の背丈よりも高い草花をかき分け、ひたすらに走る。

 少し肌寒い気温ながら、少年の額には大粒の汗がにじんでいる。首に巻いた緑のマフラーを鬱陶しそうに掴みながら、少年は一心不乱に足を動かす。

 目指すは村はずれの古民家。そこに、少年が求める人がいる。

 胸が苦しい、呼吸も辛い。

 それでも一切速度を緩めず、少年は古民家の前まで駆け抜けた。

 走ってきた勢いに任せ扉を開けようとして、少年はふと動きを止める。思い出されるは昨日の記憶。ノックもせずに家の中へ突撃した我が身に何が起きたのか。

 ぶるりと体を震わせ、少年は立ち止まる。深呼吸を繰り返し、熱くなっていた体と心が落ち着くのを待つ。まだ完全には落ち着かないけれど、それでも少しばかりの冷静さは取り戻した。今なら家主に怒られることもないはずだ。

 少年は三回扉をノックする。

 数秒待つが反応はない。

 反応がないということは、入っても大丈夫だということ。

 少年は鍵のかかっていない扉を開け、家主に呼びかけた。

「聞いてください! また首狩り騎士が現れたんです! 今回でもう四件目! 博士の予測通りこれはちんけな犯罪なんかじゃなく本物の――あだ!」

「朝からうるさいぞウォル。ノックをしたのは評価するが、入るなり一方的に話し出すなら何も変わらない」

「う、ごめんなさい博士。でもまた首狩り騎士が現れたんですよ! これは落ち着いてなんか――あいた!」

「君が焦ったところで何になるって言うんだ。それよりほら、そこに座りたまへ。誰がいつ、どこで殺されたか聞こうじゃないか」

 大量の本に複数の植物の葉、さらにカシェルのような田舎町では滅多に見ることのない、特殊な造形をしたガラス器具の数々。

 それら全ての品が足の踏み場もないほど雑多に置かれている中、少年ウォルは慣れた様子で僅かな隙間を歩き、椅子の前に移動する。

 その動きはウォルがいかにこの家に入り浸っているかを物語っていた。

 埃一つ巻き上げることなく席に着席したウォルを細目で眺めていた博士は、身にまとっている白衣を翻し、黒板の前に移動した。ただしこちらは、周囲の本を派手になぎ倒しながらであったが。

 黒板には既に三人の人物の写真が貼られ、横には彼らの名前や死因などが記されている。

 チョークを右手に持った博士は、「ではまず、誰が殺されたか聞かせてくれ」と尋ねた。

 ウォルは自らのこめかみを指でくるくるなぞりながら、

「今回殺されたのは神父のクラービィンさんです。今朝、教会の近くで、例の殺し方で亡くなっているのが見つかりました」

「例の、というとこれまでの三件と全く同じか」

「はい。首を切られた馬に、被害者自身もまた首を失った状態でまたがっているという、あの凄惨過ぎる殺し方です」

 思い出すだけで吐き気が込み上げてくる、醜悪な殺し方。ただ被害者の首を落とすだけでなく、首なしの馬にまたがらせるという、狂気の芸術性を感じさせる猟奇殺人。伝聞でなく、自らの目でしかと死体を確認していたウォルは、「あんなの、人間の所業じゃない」と呟いた。

「死体の主がクラービィンだとすぐにわかったということは、生首もまた無造作に転がっていたのか?」

 ウォルの心情に気づいていないのか、あえて無視をしているのか、博士は淡々と質問を続ける。

「そこも変わらずです。死体のすぐ近くに落ちていました。顔に外傷はほとんどなく、僕を含めた村民数名で確認しました。クラービィン本人で間違いありません」

「なんとも奇々怪々な話だな。首を切り落とすというのは生半可な作業じゃない。普通に考えたら怨恨か、もしくは入れ替わりだろうに。生首がすぐ近くに無傷で転がっているとなると、このどちらも当てはまらない」

 博士の嘆息に、ウォルは眉を下げて言う。

「博士は相変わらずおかしなことを考えますね。首を切り落としているから入れ替わりだとか、誰がそんなこと思いつくんですか。単に犯人が頭の狂った化け物ってだけですよ」

「ただ狂った頭の持ち主なら、とっくに犯人として処刑されている。だが現実には、四人を殺害してなお一切正体を掴ませていない。この殺人鬼は巧緻な思考と強靭な理性を持ち合わせているはずなんだ。にもかかわらず、一見意味のない首切りを行う。この不合理が気になって仕方がない」

 そんなことを呟きながら、博士は一人思考の渦に沈んでいく。

 博士の思考癖。見慣れた光景に溜息を吐くと、ウォルは聞き集めた情報を語りだした。

「博士に言われた通り駐在さんからも話を聞きましたよ。最初の事件前夜によそ者が盗みを犯して牢に入れられた以外、これといって怪しい人物の情報はないそうです。要するに、今のところ犯人については全く目星がついてないとのこと。それから四人ともに殺害時の目撃情報はなし。まあ夜間に出歩く人なんていませんから当然ですけど。あと馬もいつ盗まれたか分からないみたいです。基本放牧していますからこちらも仕方ありませんが。殺された四人の共通点も不明だそうです。皆さん誰かに恨みを買っているという話も聞きませんし、無差別殺人なんじゃないかと話していました。これ以上は放置しておけないし、中央に応援を要請するそうです。最短で明日の昼には来てもらえるとか」

「明日の昼に増援、か。いやそれより無差別殺人だと? ふん。これだから駐在はダメなんだ」

 大きく鼻を鳴らし、博士は黒板を強く叩いた。

「無差別なわけがないだろう。一人目の被害者ウィリアムは村唯一の医者。二人目の被害者ジャスティーヌは地主の母親。三人目の被害者ストラスヘイムはこの村の産業に欠かせない獣医。そして四人目のクラービィンは神父だ。ここまで言えば共通項なんて一目瞭然じゃないか」

「えーと、それぞれ全く違う職業の人たちとしか……」

「全員が村の運営に大きく関わる者たちということだ」

 呆れ果てた大仰な溜息と共に、博士は黒板に書かれた人物を矢印で繋ぎ合わせていく。

「今はまだ猟奇殺人という陰に隠れ顕在化していないが、ほどなく影響が出始める。犯人はこの村を根本から変えようとしているのだよ」



  *  *  *



 博士の家を出て、ウォルは再び村の中心部へと足を運んだ。

 犯人の目的と次なる標的。博士から聞いた推測をもとに、調査を再開する。

 また村の入り口付近も確認しておくよう頼まれていたため、真っ先にウォルはそちらへ移動。

 小さな石造りの徴収所の前に来ると、異様な雰囲気の二人の旅人が村に入ってくるところだった。

 徴税役人らがそわそわした視線を向ける中、それを一切気にかけず村に足を踏みいれたる二人の男女。

 一人は全身を黒服で包んだ大柄な男。寒いのかフードを目深にかぶり、素肌がほとんど外気に晒されていない。

 もう一人は大男とは別の意味でインパクトの強い老婆。透き通る銀髪に猛禽類を彷彿とさせる鋭い眼差し。鉄棒でも入っているのではないかと思わせるほど、まっすぐな、完璧な立ち姿で村を見回している。

 殺人鬼が跋扈する村に突如現れた異様な二人組。

 怪しいなんてレベルでなく、今すぐ犯人として捕らえるべきなんじゃという思考がよぎる。しかしウォルが行動に移すより早く、老婆の鋭い眼光がこちらを向き――にんまりとした気色の悪い笑みを浮かべた。

 全身に悪寒が走る。

 無意識にマフラーを強く掴み、数歩後ずさる。

 けれど蛇に睨まれた蛙のように体が硬直してしまい、それ以上一歩も動くことはできず。老婆の接近を許してしまった。

 先の薄気味悪い笑みは気のせいだったのか、表情筋一つ動かない完璧な無表情で老婆は声をかけてくる。

「坊や。少し質問してもいいかしら」

「……なんですか」

 固まった足に反し、口だけはしっかりと動く。

 老婆は村の方に目を向けながら、「チップを渡すから村を案内してくれないかしら」と依頼してきた。

「か、構わないですけど、どうして僕に?」

「特に理由はないわ。この村で最初に会ったのがあなただから、ではだめかしら」

「ダメじゃないですけど……。その、今この村を観光するのはやめた方がいいと思いますよ」

 彼らへの疑いは残ったままだが、本当にただの観光客や旅人の可能性もある。

 忠告はしておいて問題ないはずと、ウォルは村から出るよう促した。

「この村では今、猟奇殺人が起きてます。犯人も捕まっていませんし、動機もはっきりしていません。ここにいたらあなた達も被害に遭うかもしれませんから――」

「猟奇殺人、か。いったいどんな殺され方なんだ」

「わ!」

 不意に、これまで全く話に参加してこなかった黒服の大男が話しかけてくる。

 重低音でぼそぼそとした喋り方。

 何を言われたか理解できず目を白黒させていると、大男は再度口を開いた。

「猟奇殺人とは、具体的にどんな殺され方なんだ」

「こ、殺され方ですか?」

 一体なぜそんなことを聞きたがるのか。

 自分の殺し方を誇示しようとしている?

 警戒心が強く湧き上がる。

 その思いが表情にありありと出ていたのか、老婆が大男の前に割って入った。

「ごめんなさいね。彼、こんな不審な身なりだけど、誰よりも正義感が強い男なの。事件と聞いてじっとしていられなくなったみたいだわ」

「は、はあ」

「良ければ今この村で起きている殺人事件についても教えてくれないかしら。案内をするついでで構わないから。当然チップも上乗せさせてもらうわ」

「……分かりました」

 怪しい。めちゃくちゃ怪しい。

 しかしこれはチャンスかもしれない。

 博士がわざわざ村の入り口を確認するよう言ったのも、こうした来訪者を見越していたとも考えられる。だとすれば、彼らが今起きている猟奇殺人事件のカギを握っている可能性が高い。

 ウォルはマフラーを巻き直し気合を入れると、二人の不審者を連れ、殺人現場案内ツアーを開始した。



  *  *  *



「で、ここが一番新しい、第四の殺人現場です。被害者はクラービィンさん。この村唯一の神父で、人望も厚くとても慕われていました」

「医者、地主の母親、獣医、そして神父か。小さな村においては地位の高いものばかり。私怨による犯行というより、この村に対する反逆に思えるな」

 ぼそぼそと独り言ちる大男。彼の見解が博士と同じであったため、ウィルは驚きと共に彼を見つめた。

「あなたも博士と同じ考えなんですね。ただその場合、どうして犯人は被害者の首を切り落とし馬の上に乗せているんでしょうか?」

「ウォル自身が道中言っていただろう。彼らの死に様はまるで首狩り騎士に殺されたようだと。つまり犯人は、殺された連中は悪事を働いた死ぬべき罪人だと言いたいんじゃないか」

「成る程……。でも、いくら何でも回りくどくないですか? こんな殺し方をするより、死体の横や村中に密告文でも回した方が余程効果的では?」

 大男は遠くで走り回っている子供に目を向け、ぼそぼそと言う。

「ウォルは違うようだが、この規模の村では文字を読める者の方が少ないだろう。まして密告文を書ける者はもっと少ないはずだ」

「それはそうかもしれませんけど……、だからって首狩り騎士の真似をしようなんて発想になりますか?」

「犯人が子供であれば、どうだ」

「どうだって……。確かに子供ならありえなくはないかもしれません。けど、子供に大人の首や馬の首を切り落とすなんて無理ですよ」

「……そうだな」

 本気で納得したか定かではないが、大男は口を噤む。

 沈黙が訪れたタイミングで、こちらに近づいてくる話し声が聞こえた。

 声につられウォルが顔を上げると、今朝も話をした駐在二人の姿があった。

 彼らはウォルの存在に気づくと笑顔で小さく手を上げかけ、隣にいる二人の不審者に気づき顔をしかめた。

「ウォル、なんだそいつらは。見たことない顔だが」

 どう説明したものか。一瞬迷ったものの、ウォルは素直に答えた。

「今日この村にやってきた観光客です。案内を頼まれたので、しばらく一緒に行動してます」

「この村に観光客?」

 駐在二人は驚いた様子で大男と老婆をしげしげ見つめた後、急に姿勢を正し軽く頭を下げた。

 老婆の気品ある姿から、カーストの高い人であると察したのだろうか。少し疑問に感じながら駐在と老婆を見回していると、老婆が口を開いた。

「駐在にしてはウォルと、村民と随分親し気ね。それで職務に影響はないのかしら?」

「ウ、ウォルは特別です。彼が懇意にしているフラン博士には我々も色々とお世話になっていますので」

 一般的に、国から派遣される駐在と村民が親しくなることはない。国家権力の象徴であり、公平さと中立性を求められる立場ゆえ、極力住民との交流は避けるべきとされているからだ。

 ただその点、ウォルの立ち位置は特殊だった。正確には、博士の立ち位置が、ではあるが。

「ふむ。ウォルの話から何度も出てきていたけれど、そのフラン博士というのはかなり面白い方のようね。ウォル、殺害現場はこれで全てなのよね。次はフラン博士の元に案内してもらえないかしら」

「えと、はい、分かりました」

 本音を言えば博士の元に連れて行くのは嫌だ。あの傍若無人な博士のこと。殺人犯疑惑もある不審者二人に対し何をしでかすか分からない。

 とはいえ連れて行かないという選択肢もない。彼らの申し出を断る権利がウォルにはなく、おそらく博士も二人の来訪を心待ちにしているはずだから。

 駐在二人に頭を下げ、ウォル達は村はずれの博士の家へと向かう。

 今後に対する緊張もありウォルが無言で歩いていると、不意に大男が口を開いた。

「なんだか、視線を感じるな」

「視線、ですか?」

 大男に言われるまま辺りを見回せば、頬が痩せこけた何人かの村民がこちらを鋭い目で睨んでいるのが見えた。

 殺人事件が続いている村で、見かけぬ旅人が闊歩しているのが気に入らないのか、不審に映っているのか。とても友好的とは思えない視線の数々。

 思わず身を震わせるウォルに対し、大男が聞いてきた。

「この村の治安はどうだったんだ。殺人事件が起きるまでは平和だったのか」

「そうですね。僕がここに来てから、これといった大きな事件は一度もありませんでしたし、平和だったと思います。ちょっとした暴力沙汰や窃盗事件とかはありましたけど、駐在さんを呼ぶ前に片が付くようなものばかりでしたし」

「あなたがここに来てから? ウォルはこの村の出身ではないの?」

 老婆が首を傾げつつ話に参加してくる。

 ウォルはマフラーを握り締めながら頷いた。

「はい。実は僕、記憶喪失なんです」

「記憶喪失?」

「今から一年前くらいでしょうか。気づいたらこの村の近くに倒れていて、それまでの記憶が全てなかったんです。持ち物もこのマフラーとぼろぼろの服くらいで。ウォルって名前も、マフラーにそう刺繍されていたから名乗ってるだけ。本当の名前かもわからないんです。ああでも、幸いにというべきか、言語や文字は覚えていたので、野垂れ死なずに済みました」

「それは……大変だったわね」

 憐みのこもった目を向けられるも、ウォルは静かに首を横に振った。

「大丈夫です。村の人は僕に親切にしてくれましたし、何より博士がいましたから。偏屈なところもあるけど意外と面倒見もよくて。今の生活には十分満足しています」

「そう……。それで彼はあなたを助手として雇っているのね……」

「あ、あそこの背の高い草原の先が博士の家です。歩き通しでお疲れだと思いますが、もうちょっとだけ頑張ってください」



  *  *  *



 生い茂る草花をかき分け、ウォルと二人の客人は博士の家に到着する。

 今朝の反省を生かし、ノックをしてから声を抑えて呼びかけた。

「ただ今戻りました。博士に会ってみたいという旅人がいましたので連れてきましたけど、入っても大丈夫ですか?」

「……入れ」

 嘆息した声と共に許可が下りる。

 扉を開け客人二人を招き入れるも、彼らは部屋の荒れ具合に驚いたのかしばし扉の前で足を止めた。

 ウォルは少しでも歩ける場所を作ろうと、積み置かれた本やガラスを崩さないよう慎重に脇へとよけていく。しかしそんな心遣いもむなしく、家の主はさらに部屋を荒らしながら入口までやってきた。

「全く、勝手に見知らぬ奴らを家に案内するとはな。危機感の欠如も甚だしいぞ。まあ、今回は大目に見るが」

 崩された本を必死にまとめるウォルを尻目に、博士はふてぶてしくお辞儀をした。

「やあ、招かれざる客人よ。ご機嫌は如何かな。この度は何の用があって我が家を訪れたのか、詳しく伺おうじゃないか」

「……聞いていた通り変わった男ね。まあいいわ」

 ウォルの必死の努力により歩くスペースが作られたため、二人の来訪者はようやく家の中に足を踏み入れる。

 ソファへと腰を下ろした彼らは、黒板に記された事件の記録を見て小さく息を吐いた。

「この村では連続猟奇殺人が起きているらしいわね。あなた――フラン博士は事件を解決しようとしているのかしら?」

 博士は黒板に肩を預け、大きく鼻を鳴らした。

「事件の解決? 残念ながら私にそんな正義感はない。ただ気になっているだけだ。これだけ完璧な殺人を犯す犯人が、わざわざ首切りなどという不合理な行動がをとる理由がね」

「不合理……。そうとは思えないが」

「ほう。君には犯人の思考が読めると?」

 ぼそりと呟いた大男に対し、博士は挑発的な視線を向ける。

 大男は見られることを嫌ってか、フードを深くかぶり直してから答えた。

「今日、ウォルに案内されこの村を回ったが、そこまで危機感を抱いている村人は多くないように見えた。親の監視もなく、子供だけで遊んでいる姿もあった」

「いずれの犯行も深夜に起きているからな。不用心だとは思うが、日中の警戒は緩いのだろう」

「確かにそれも理由の一つだろう。だがそれだけじゃない。人の首を切り、さらに馬の首を切るその所業は短時間では不可能で、人目に付くリスクが高い。加えて狙われるのは地位の高いものばかり。多くの村民にとって、今起きている事件は非現実的で、自分たちにかかわりがないと考えている。故に警戒心も低くなる」

「非現実性創出のための首切りか。ウォルはどう思う?」

「え、僕ですか!」

 急に話を振られ、床を片付けていたウォルは驚いて顔を上げた。

 全員の視線が自分に集まっていることを察すると、必死に頭をひねり考えを口に出す。

「えと、その可能性は十分にあると思います。正直僕自身、自分が襲われるなんて考えもしませんでした。被害者が普通に心臓を刺されて殺されていた、とかだったらもっと不安に駆られていたと思います」

「つまりウォルもその男と同じ考えということだな」

「そうですね。ただ、そうする理由はよくわかりません」

 ウォルはちらりと大男を見てから言う。

「僕たち村民の警戒心が薄れたところで犯人にメリットがあるとは思えません。犯行は常に深夜で、日中の村人の警戒心は関係ありませんから」

「本当にそうか」

 大男が、ぼそぼそとした声ですぐさま反論する。

「村の中には、今の事態を歓迎している者もいるかもしれない」

「殺人を歓迎? いくら何でもそんなことあり得ませんよ」

「殺された者は皆カースト上位の人物だ。日頃友好的に接していても、内心で恨みや嫉妬を抱いている者がいても不思議ではない」

「それと猟奇的な殺し方とがどう繋がるんですか?」

「これがただの殺人でなく、カースト上位の者に対する制裁であるという印象を与えられる。彼らに鬱憤をためている者の中には、犯人を庇ったり援助しようと考える者が現れるかもしれない」

「……」

 想像もしていなかった大男の発言に、ウォルは唖然として固まる。それからゆるゆると首を振った。

「申し訳ないですけど、それはこの村での生活を知らないから出る妄言です。そんな不審な動きを村人がしていれば、絶対に周りの人が感づいて村八分にされます。カシェルのような小規模の農村では、悪意を持った行動なんてそうそうとれないんです」

「だが実際に殺人事件が起き、犯人に全く目星がついていないのだろう」

「ええ、だから奇怪なんです。急に村にやってきた観光客に疑惑を向けたくなるほどに」

 怒りがにじみ出たウォルの一言に、大男はうつむいて口を噤む。

 一触即発の雰囲気。

 ピリピリとした肌が痛くなるような空気に辟易したのか、老婆が割って入った。

「まあ所詮は推測よ。彼も本気で言ってるわけじゃないからあまり気にしすぎないでくれると嬉しいわ」

「……そうですね」

 老婆のとりなしに応じ、ウォルは小さく頷きながら立ち上がる。そしてそのまま玄関へと歩き出した。

「すいません博士、僕はまた村を回ってきますね。いずれにしろこの村に恐ろしい殺人鬼がいることは間違いありませんし。明日駐在さんの呼んだ応援が来るまで、やれることをやってきます」

「無理はするなよ」

 不安そうな表情は見せず、博士は淡々とウォルを見送る。

 しかしウォルが扉を開けた直後、

「ところでウォル。昨日の夜はどこにいたんだ。さっきここを訪ねてきた男が、君を村はずれで見かけたと言っているんだが、本当か?」

 不意にそんな問いを浴びせてきた。

 ウォルは数秒の沈黙の後、くるりと振り返り、

「覚えてません」

 笑顔でそう答えた。



  *  *  *



 草木も眠る丑三つ時。

 明かりも消え、住民がぐっすりと眠りについた小屋――から少し離れた森の中。

 ともすれば風の音と間違えてしまいそうな、そんな些細な音が、二つ。

 偶然か必然か、二つの音はお互いに距離を縮めていき、顔を合わせた。

「……」

「……」

 深い闇世の中。布で光を抑えたライトを手にしたウォルとフラン博士は、驚愕と共に互いの顔を見つめ合った。

 驚きが抜けきらず、どちらもすぐには声を出せず硬直する。

 先に我に返ったウォルが、「は、博士……。どうしてここに?」と呟く。

 博士も姿勢を正し、「それはこちらのセリフだよウォル。君がどうしてここにいる?」と問い返した。

「僕は、見張ってました。ここに殺人鬼が来るんじゃないかって」

「ほう。厩舎のある小屋の近くでか。ここにはこれまで殺されたような富裕層はいないはずだが」

「博士が言ったじゃないですか。犯人の目的は村を根本から変えることだって。だからこの村の主要産業である馬の管理をしている、この厩舎を狙うと思ったんです」

「だがここにいるのは下働きの労働者だけだ。これまでの者たちとは違い、殺したとて変わりはいくらでもいるぞ」

「……なら、博士はどうしてここに来たのですか? 僕と同じ推理をしたからではないのですか?」

 少しだけ博士から距離を取り、ウォルは背後に手を回す。

 博士も白衣を正すと、数歩後ろに退いた。

 ウォルの目に宿る警戒の色からすぐに説得するのは無理と判断したのか、「もしもの話をしようか、ウォル」と切り出した。

「もしもの話、ですか?」

「ああ。もしも私が一連の事件の犯人だとしよう。その場合、私の目的はいったいなんだ? 私の言葉を受け、君は殺人犯が村を変えるために一連の事件を起こしていると考えた。それで、その犯人――私は何のために村を変えようとした?」

「……都合が悪いからです。今のままだと」

 何かを待つように時折視線を別方向に飛ばしつつ、ウォルは言う。

「博士はいろいろ言っていましたけど、人が人を殺す最もシンプルな理由は、自分にメリットがあるからです。相手を殺すことで、本来なら等分されるはずのお金を全額得られるとか、自分の都合のいいように物事を進められるようになるとか」

「それは間違いないな。しかしこの村で誰よりも自由に振舞っていたのは私だ。人を殺す理由はない」

「……じゃあ、どうしてここに来たのですか。それに、白衣の裏に隠した骨鋸は何のために持ってきたんですか」

「……」

 博士は緩慢な動作で自身の服を見下ろす。

 ゆったりとした白衣でごまかしてはいるが、よく見れば右側の懐が不自然に膨らみ張っている。

 普通の人ならまず気付かないレベルの違和感。しかし一年以上博士と共に過ごしてきたウォルの目はその違和感を見逃さなかった。

 しばらく無言でいた博士は、不意に笑顔を浮かべた。

「骨鋸? 何のことだ? 護身用にステッキを持ってきただけだ。それにそれを言うならウォル。君こそ後ろ手に持っているものはなんだ? ナイフじゃないのか?」

「……僕のはカメラです。他でもない、博士が貸してくれたものですよ」

「ほう。ならどうして隠した。カメラなら後ろ手に隠す必要もないだろ」

 ウォルは唇を噛みしめ、首を大きく横に振った。

「博士。このまま家に帰ってください。僕は、あなたを殺したくありません」

「随分と物騒なことを言うんだな。そして傲慢な言葉だ。まるで私を殺すのはたやすいと言っているように聞こえる」

「……はい。僕らなら、博士を殺すのはたやすいです」

「僕ら、か。いったい誰を当てにしているのか。まあ一つ言っておこう。それは期待するだけ無駄だとな」



  *  *  *



 カシェルの中では大きめの石造りの建物。

 村唯一の駐在所兼牢屋。

 深夜にもかかわらず明かりのついたその建物では、濃紺の制服を着た一人の男が、軍用ライフルを手で弄びながら椅子に深く腰かけていた。

 暇なのか、適当にライフルを構えては、飽きて脱力する。そんな意味のない動作を繰り返している。

 しばらくして、ふと立ち上がった男は、「そろそろ行くかあ」と大きく伸びをした。

 その直後、扉をノックする音が聞こえてきた。

 男は机に置いてあった帽子を目深にかぶると、ライフルを持ったまま「はいはい、今出ます」と陽気な声で応じた。

 扉を開けると、そこには異様な二人組がいた。

 一人は全身を黒服で包んだ大柄な男。もう一人は透き通る銀髪に猛禽類を彷彿とさせる鋭い眼差しをした老婆。

 圧倒的な怪しさを放つ二人を前にしながら、男は笑顔を絶やさず「何か御用ですか?」と尋ねた。

「ええ、少し道に迷ってしまって。明かりがついている建物がここだけだったから寄らせてもらったの」

 銀髪の老婆はそう言いながら、男の肩越しに部屋の中を覗き見る。

 中に男以外の姿が見えなかったからか、「お昼にあった駐在さんはどこかしら? 二階で寝ているの?」と尋ねてきた。

 制服を着た男は、大げさな仕草で何度もうなずく。

「ええ。もう夜も遅いですからね、今起きてるのは僕だけで、他は全員ぐっすりです。それで、道に迷ったって言ってましたけど、こんな夜更けにどこにご用事で? 僕もちょうど見回りに行こうと思ってたので、良ければ案内しますよ」

「そう。それじゃあお願いしようかしら。場所なのだけれど――」

 老婆がそう言って背後を向いた直後、男は無造作に腕を持ち上げライフルの引き金を引いた。

 しかし、老婆に銃弾が当たることはなかった。

 制服を着た男の首は百八十度反転しており、まるで狙いが定まっていなかったから。

 男は何が起きたか分からない様子で目を白黒させると、背中から、いや、顔から床に崩れ落ちた。

 ピクリとも動かなくなった男を一顧だにせず、老婆は「あら、もう殺しちゃうの」と大男に呼びかける。大男は「こいつは俺たちを殺そうとした」とだけ呟き返す。

 老婆は肩をすくめると、「なら仕方ないわね」と頷き、大男に命令した。

「皆殺しよ。中にいる者、一人残らず殺しなさい」



  *  *  *



 二人だけの睨み合い。

 きつく絡み合った彼らの視線は、近づいてくる草を踏む音によってほどかれた。

 互いに相手への警戒は残したまま、音のする方に顔を向ける。

 ぼんやりとしたライトの明かりと共に二人の前に現れたのは――

「これが現実だよ、ウォル」

 フランは勝ち誇った笑みを浮かべ、両腕を広げた。

 暗い森の中から姿を現したのは、二人の男女。

 ウォルが昼に村を案内した、銀髪の老婆と黒フードの大男。

 愕然とした表情で固まるウォルを前に、フランは優雅に手を叩き始めた。

「ウォル、君は私が思っているよりずっと優秀な人間だったようだ。記憶喪失の君を拾ってからというもの、便利な小間使いとして飼いならしてきたが、まさか掃除の才能だけでなく探偵の才能もあったとはな。どうだ、ナイフを捨てて正式に私たちの仲間にならないか」

「……その二人が、どうしてここに」

 フランの言葉を無視し、ウォルは二人を強く睨みつける。

 一方老婆も、ウォルの言葉を無視してフランに声をかけた。

「フラン博士。少し面倒な事態になったかもしれないわ」

「面倒な事態?」

「ええ。さっき予定通り駐在所を訪れたのだけど、中には駐在一人しかいなかったの。家中、牢も含めて探したけれど姿は無し。あなたの計画がばれて、近くの町まで逃げたんじゃないかしら?」

「逃げる? そんなこと、万一にもないと思うが」

 笑みを消し、フランは険しい表情で考え込む。

 自分を無視して行われるやり取りに苛立ちを覚えたウォルが、隠していたナイフを突き出し再度問いかけた。

「お前ら二人がどうしてここにいる。博士と一体どんな関係なんだ。それに駐在所には一人しかいなかったって、その人はどうした!」

「殺した」

 ぼそりと、ここまで黙っていた黒フードの男が呟く。

 ここまでの流れから予想はついていたことだが、堂々と宣言され体が硬直する。

 ナイフを向けたまま固まってしまったウォルを哀れに思ったのか、老婆が柔らかい声音で謝罪した。

「悪いわね、ウォル。私たちは最初からフラン博士に用事があってここに来たの。彼が栽培している植物が順調に育っているかの確認にね」

「……言ってる意味が分からない。それでどうして、駐在さんを殺すことになるんですか。いや、その前に博士。本当に、あなたがこの村で起きた連続猟奇殺人事件の犯人で、間違いないんですか?」

 仮定の話でなく事実としてどうなのか、ウォルはまっすぐ疑問を投げかける。

 いまだ老婆の言葉を咀嚼していたフランは、思い出したようにウォルを見つめ、至極あっさりと首肯した。

「ああ、私が四人を殺した『首狩り騎士』で間違いないぞ。私はこの村で植物、もとい気分が高揚する薬物の開発を行っていたんだ。こうした田舎の農村では流通することのない、違法で高価な薬のね」

「薬を作るだけなら別に村人を殺す必要なんて――」

「薬を作るにあたってある程度自由に使える土地と立場が欲しかったんだ。だから村の有力者にはお近づきのしるしに薬のサンプルを渡していたんだよ。ただ、生活に影響が出ない程度に効果を抑えたものを渡していたつもりだったんだが、最近は早く寄越せ、もっと寄越せと要求がひどくてな。鬱陶しいから見せしめも兼ねて殺したんだ。ああ因みに、今日この厩舎を襲おうと思った理由だが、単純に証拠隠滅のためだ。死体に添える馬は、盗みに行くのはリスクが高いから下働きに金を渡して横流ししてもらっていたんだが、明日には駐在の応援が来るとのことだったからな。口封じをしようとした、というわけだ」

「本当に……」

 今聞いたことを信じたくないというように、ウォルは悲しげな表情で首を横に振る。

 そんなウォルとは対照的に、フランは笑みを浮かべて再度彼を誘った。

「ウォル、もう一度だけ言うが、私たちの仲間にならないか? 駐在所に一人しかいなかったのは、きっと君の仕掛けだろう? 首狩り騎士を捕らえるために、君は彼らに助けを求めていた。もしかしたら厩舎の中で待機させているとか? いずれにしても、行動力・判断力共に仲間にするのに申し分ない。これからもぜひ、私の助手として働いてもらえないか?」

「無理に決まってるでしょー」

「!!?」

 唐突に、暗闇の中から声が聞こえる。

 緊迫感に満ちたこの場では、明らかに場違いで陽気な声。

 それぞれのライトが声の方に向けられる中、いち早く大男が戦う姿勢をとる――が、視界に映った人物を見てさすがに驚いたのか、体を硬直させていた。

 いや、大男だけではない。この場にいる全員が、闇夜から現れた人物に、呆気に取られていた。

「いやあまさか一瞬で首の骨を折られるとは思ってなかったよ。君かなり強いねえ。あの躊躇いのなさといい殺し屋か何か?」

 首を百八十度回転させた、明らかに首の骨が折れた状態で歩き、話す、制服姿の男。先ほど間違いなく殺したはずの男の登場に、さしもの老婆ですら鉄仮面が剥がれ、恐怖の色をのぞかせる。

 彼らの表情を訝しげな目で見ていた制服姿の男は、はっと気付いた様子で手を打つと、両手で頭を挟み、「ゴリッ」という不快な音を奏でながら首をもとの位置に戻した。

「やあすいません。意外と不自由がなかったもので、首戻すの忘れてました。それよりフラン博士でしたっけ? しかと連続殺人事件の自白の言葉聞かせてもらいましたよ。まさか今更撤回なんてしませんね?」

「お、お前はなんだ……」

 フランは震える手で制服男を指さす。

 制服男は優雅に一礼した。

「冥土の土産にお答えしましょう。僕は吸血鬼。君たちのような私利私欲にまみれた似非モンスターを退治する、真のモンスターにして高貴なる正義の使徒。さて、自己紹介も済んだことですし、早速――」

 意気揚々と話していた吸血鬼の顔面に銃弾が突き刺さる。

 どこから取り出したのか、老婆の手には軍用ライフルが握られていた。

 老婆は銃の反動を苦にすることなく、続けざまに充填されている銃弾全てを吸血鬼に撃ち込んだ。

 その全てを避けることなく全身に受けた吸血鬼は、倒れこそしないまでも大きくよろめく。そしてその隙を逃さず、大男が彼の懐に入り込んでいた。

「折るだけで無理なら、引きちぎる」

 ぼそりと物騒なことを呟き、大男は目にもとまらぬ速さで吸血鬼を蹴倒し、顎と頭に手を添える。

 両の手に渾身の力を込めてねじ切ろうと腕を回す――直前、大男はわき腹を強く蹴られ遠くに飛ばされた。鞠のように何度も地面をバウンドし、木にぶつかってようやく動きが止まる。

 口から派手に血をまき散らしながら、大男はキッと自分を蹴り飛ばした者を睨みつけた。

「俺に気づかれずに接近するだと。いやそれ以上に、この俺を蹴り飛ばすほどの力――貴様、いったい」

「自分、オオカミ男なもんで」

 大男に勝るとも劣らない体格の、自称オオカミ男。オオカミ男を名乗るだけあり、男の耳には狼と思われる耳が生えている。またその耳は、飾り物でないことを示すように、時折ぴくぴく震えていた。

 突如現れた異形の怪物二匹。

 フランは苛立ちを隠そうともしない舌打ちをすると、単身森の奥深くへと逃げだした。

「待ってください!」

 半歩遅れて、ウォルもフランの後を追って森の奥に入っていく。

 残された二人と二匹は一瞬彼らに視線を飛ばすが、すぐに標的へと体を向けた。

「これは相談なんだけど、手早く終わらせない? あっちの様子気になるからさ」

 吸血鬼が親しみを込めた笑みと共に言う。

「あら素敵な提案ね。すぐに殺されてくれるなんて助かるわ」

 老婆が弾丸を装填しながら無表情で頷く。

「本物の化け物と殺し合いができるとは、人生どこに幸運が転がっているか分からないな」

 フードを外し、傷だらけの凶暴な顔を晒しながら大男が嗤う。

「……」

 気の利いた言葉が思い浮かばなかったオオカミ男は、口を噤んで俯いた。



  *  *  *



「博士! 止まってください!」

 極度の興奮状態だったこともあり、常より早く息が上がる。

 これ以上は追いかけるのが苦しいと感じ、無理を承知でウォルは呼びかけた。しかし意外にも、フランは歩を緩めて振り返った。

「ウォル。あの化け物たちもお前の仕込みか?」

 走るのに邪魔でライトは手放してしまっていた。今夜は満月で平時より明るいとはいえ、離れているフランの表情ははっきりと見えない。また声に感情の色がなく、怒りも怯えも感じ取れなかった。

 ウォルは息を整えながら、「そうだとしたら、どうするんですか」と尋ね返した。

「どうするということはない。ただ、興味が湧いただけだ、ウォルを名乗る、記憶喪失の少年とはいったい何者かとね」

「……僕は僕ですよ、博士。この村においては、あなたの助手で、あなたを慕っている一人の人間です」

「そうか、それは残念だよ」

 フランに近づこうとしていたウォルの歩みが止まる。

 満月と星に照らされたフランの手には、直径三十センチの骨鋸が握られていた。

 表情は、見えない。ただ彼が、自分を殺そうとしていることだけは、嫌でも伝わってきた。

 ウォルは目に涙を浮かべ、フランに向かって叫んだ。

「博士、もうやめましょうよ。あの怪物たちが来た以上、博士がこれ以上人を殺すことはできません。もう、終わりなんです。無駄な抵抗をやめて自首してください。そうすれば、僕だって最後まで」

「うるさい」

 叫ぶウォルの首に、骨鋸が容赦なく振り下ろされる。

 緑のマフラーと、ボルトが宙を舞った。



  *  *  *



 四肢が吹き飛ばされ、芋虫のように地面に転がされた吸血鬼は、それでもなお悠然とした態度で、老婆を見上げていた。

「凄いね君。人間相手にこれだけ苦戦するのは数十年ぶりだよ」

「お褒めいただけて光栄だわ。ただ少し残念ね。声と表情が絶望していればより完璧だったのだけれど」

 身に浴びたるは返り血のみ。

 いまだ汗一つ流さず銃を構えた老婆は、鷹のように鋭い目で吸血鬼を見据えた。

「不死の怪物。このまま殺してしまうのは勿体ないわね。実験材料として是非活用したいところだわ」

「商品じゃなく、実験材料ねえ。君たちの正体が気になってきたんだけど、教えてくれたりしないかな?」

「いいわよ。これで伝わるかしら」

 ダメ元での質問に、意外にも了承の返事が返ってくる。

 老婆は懐から模様の刻まれたメダルを取り出すと、月光でメダルを照らした。

 吸血鬼は細目でそれを見た後、小さくため息を吐いた。

「プロビデンスの目、か。なるほどねえ。彼がわざわざ僕らを頼るわけだ」

「これの意味が分かるなら、今度こそ諦めがついたのじゃなくて? 大人しく、このまま拘束されてもらえると嬉しいわ」

「残念だけど、それはできない」

 うすい靄がかかるようにして、吸血鬼の体が再生し始める。

 老婆はそれを阻止しようと引き金に力を籠め――気づけば地面に倒れこんでいた。

 自身の体の制御が利かなくなっていることに気づき、初めて老婆の目に焦りが宿る。老婆が現状を正しく把握するより早く、全快した吸血鬼は攻守交替とばかりに、彼女の上に覆いかぶさった。

「僕が君の弾丸を受け続けたのにはね、立派な意味があるんだよ。僕ら吸血鬼の血は人間には猛毒。同じ空間に五分といれば体の制御権を奪うなんてわけないんだ」

「あ……が……」

 老婆は残っている全ての力を指先に集める。しかしそれでもなお、引き金を引くほどの力には達しない。やがて、吸血鬼の鋭い牙が首元に突き立てられた。



  *  *  *



 腹に一撃。繰り出される右足を避け、頬に二撃。

 戦闘が始まってからまだ一分。その間の戦いは、まさしく一方的であった。

「しっ」

 顎に一撃。

 これまで幾度殴られようとも微動だにしなかったオオカミ男が、初めてよろめく。

 大男は凶暴な笑みを深めると、これまでのぼそぼそとした話声でなく、大きなダミ声で呼びかけてきた。

「弱った姿が見れて安心するぜ。化け物相手でも俺の拳は通用するんだってな」

「……」

 オオカミ男は無言で拳を振り上げ、大男に殴り掛かる。だがその拳はまたも大男に届くことなくそらされた。そして見舞いの拳がみぞおちを襲う。

 オオカミ男が再びよろめくと、大男は楽し気な嗤い声を上げた。

「力は俺以上。加えてその巨体にも関わらず移動に音がなく、動作全てが俊敏。間違いなく俺史上過去最強の敵だ。だが、直線的で単純なのが残念だ。まあそれだけの力とタフネスがあれば武術なんざ習わずとも敵はいなかっただろうからな。仕方ないっちゃあ仕方ないが、それじゃあ俺には勝てねえよ」

「……急に、随分と饒舌だな」

 大男の挑発につられたのか、ようやくオオカミ男も口を開いた。

 その問いかけを待ち望んでいたように、大男はより大きな声で答えた。

「俺はもとからお喋りなのよ。こうした暴力も大好きだが、思考するのも人と話すのも大好きだ。だが俺の声は特徴的でしかもでけえ。だから基本は声を抑えて喋るようばあさんに止められてんのさ。好きに話していいのは、仲間内か、今みたいに殺す相手に対してだけだ」

「俺を殺すのは、いい。だが、どうして罪のない人を殺そうとする。それだけ強ければ、わざわざ弱者を殺す必要もないだろう」

「別に俺だって好きで弱い奴らを殺してるわけじゃない。仕事だから殺してるだけだ。むしろ俺は、この村でウォルから猟奇殺人の話を聞いてワクワクしてたんだ。賢く強い殺人鬼と戦えるかもってな。まあ残念ながら、その殺人鬼は俺たちの取引相手だったわけだが」

「……仕事なら、対象が無辜の民でも殺すのか」

「殺すさ。仕事なんだから」

「……分かった」

 会話を切り上げ、オオカミ男は腰を僅かに落とし、駆け出す姿勢をとる。

 大男も笑みを収め、真剣な表情で迎撃の構えをとる。

 数瞬の静寂

 遠くから聞こえた銃声を合図に、二人は同時に駆け出した。

 これまでと全く同じ、素早くも、直線的な正拳突きをオオカミ男は繰り出す。大男はそれを掌で受け流そうとし――心臓をまっすぐ貫かれた。

 目を見開き口から大量の血を吐き出す。ゆっくりと視線を下におろし、自身を貫く、長く尖った銀色の爪を見つめた。

「……こんな切り札隠してたとは、な。人間相手の武術で挑んだ俺が、馬鹿、だった、か」

「自分、オオカミ男なもんで」



  *  *  *



 フランは、目の前の光景をただ唖然と眺めていた。いや、眺めるしかなかった、

 自らの手で振り下ろした、殺意のこもった一撃は、狙い通りウォルの首を切り裂いた――はずだった。しかしどういうわけか、飛び散ったのは赤い血でなく、どこにでもある、部品と部品を締めつけて固定するためのボルト。

 なぜそんなものが、などと考える余裕はなかった。

 そんな余計な思考を薙ぎ払うかのような、目に見える異変、異常。

 目の前の、ウォルと呼んでいた少年の、顔に、腕に、足に――体中のいたるところに、亀裂が走る。

 亀裂と亀裂は繋がりあい、古い皮膚が腐り落ちるかの如く、ぽろぽろと体から剥離していく。剥離した皮膚の内側に見えたのは、およそ自然のものとは思えない、緑色の醜悪なツギハギ。

 古い皮膚がなくなり、押さえつけられていた内側の肉が膨張を始めたのか、剥離が起きた部位は、これまでより一回りも二回りも巨大になる。

 十秒とかからず、フランの目の前には、全身緑色のツギハギで構成された、2メートルを優に超える巨躯の化け物が出現した。

 数秒前までウォルだった化け物は、剥がれ落ちた自分の皮膚を見下ろしながら、野太い、見た目通り怪物じみた声で、「ああ、結局こうなったか」と頭を掻いた。

「心臓や脳天を狙ってくれれば別だったんだがな。首を狙うとは運がない」

「は、ははは。なんだ、お前も奴らと同じ化け物だったわけか。最初から記憶喪失だと騙して近付いてきたわけだ。何が慕ってるだ。ふざけやがって」

 怯えと怒りが混じった視線で、フランは化け物を睨みつける。

 化け物は地面に落ちた自分の皮膚だったものを拾い上げながら言った。

「弁解する意味もないが、嘘はついていないぞ。この皮膚を被っている間は、精神性もその姿に引っ張られるからな。さっきまでの俺、ウォルはお前のことを慕い助けたいと思っていた」

「は、信じられるか。なんだ、何が目的だ。人を騙して弄び殺すのが目的か?」

「残念ながら俺にそんな趣味はない。俺の目的は最初から一つだ」

 そう言うと、化け物はツギハギの一部を裂き一枚の紙を取り出した。

 そこに書かれたマークを見て、フランは目を見開いた。

「プロビデンスの目……」

「都市伝説として各地で伝えられる秘密結社のマークだが、博士はこれがただの都市伝説でないことはご存じだろう。奴らに取り入るために、こんな辺鄙な田舎で薬物の栽培をせっせと行っていたんだからな」

「……お前は、いったい何者だ」

 今までとは違う、純粋な疑念からくる問いかけ。

 化け物は自身の皮膚を放り捨て、淡々と答えた。

「名前はない。製造元の名を借りるならフランケンシュタイン。女王の命で、この国を腐敗させる組織を潰している」

「女王? 一体どこの馬鹿だそいつは。こんな化け物を使役するなんてな」

「さてな。それより、最後に何か言い残すことはあるか?」

 フランは怯えたような表情を一瞬浮かべた後、化け物を見上げ息を飲む。それから小さく息を吐きだすと、侮蔑的な目を向けた。

「涙なんて流して、心があるつもりか? さっさと地獄に落ちろ、化け物が」

「ああ、次は地獄で会おう、フラン博士」



  *  *  *


  後日談



「いやあ、今回も大変だったねえ。短時間とはいえ牢屋にぶち込まれるわ、銃で四肢を吹き飛ばされるわ。フランケンシュタイン君もあの組織が絡んでるって知ってたなら最初から話してよ」

「話したら嫌がるだろ。奴らは吸血鬼にも興味津々だからな」

「ほんとねえ。僕の高貴な血を欲しがるのは仕方ないけど、彼らはちょっとやり方が卑劣でしつこいからねえ」

「俺は殺人鬼を捕らえられて満足だ」

「まあオオカミ男君はそうだろうけどねえ。全く、君たちといると調子が狂うよ」

『カシェル』から少し離れた山の中。

 月が沈み、太陽が顔をのぞかせる準備を始める中、三匹のモンスターはゆったりとその歩みを進めていた。

 三匹のうち一匹はとても陽気に、もう一匹は陰気な表情で、最後の一匹は無表情で会話を続ける。

「それにしても結局どういうことだったの? 僕たちが『首狩り騎士』の痕跡をたどってカシェルに着いたすぐ後、君が来てひとまず牢屋に捕まっててくれなんて言うからその通りにしたけど。あの村での事件は結局、首狩り騎士が起こしたものではなかったんだよね?」

「ああ。あれはフラン博士――俺が一年前から助手として潜入していた男の犯行だ」

「ふーん、でもなんでフラン博士とやらは首狩り騎士の真似をしてたわけ? それに君に事件の情報を集めるように指示してたんでしょ? なんでそんな自分の首を絞めるようなことをしてたわけ?」

「首狩り騎士の真似をしていた理由はオオカミ男が倒した大男が語っていた通りなんだが、説明するのは面倒だな。情報を集めさせたのは単に博士が自己顕示欲の高い人だったからだ。俺のことを馬鹿だと侮っていたのもあるが、自分の犯行がいかに考えられたものか説明する相手が欲しかっただけのこと。まあ他にも、駐在の情報を聞き出して応援が来るタイミングを知るためというのもあっただろうが」

「そうそう、あの駐在についても聞きたかったんだよね。フランケンシュタイン君の言う通り牢を破って駐在君たちを眠らせた後、家の中を調べたら件の薬物がでてきたんだよ。つまり彼らもフラン博士の仲間だったってことだろ。なのにどうしてフラン博士はあの老婆と男を使って彼らを殺させようとしたんだい?」

「博士にとって彼らは仲間じゃない。ただの顧客だ。だからある程度の融通、具体的には応援を呼ぶまでの時間を延ばしてもらうことはできても、応援を呼ぶことを止めることはできない。そして呼ばれてしまえば、来るのは一切言い訳の利かない国の使徒。だから口封じのために殺そうとしたんだ」

「あの二人は結局何だったんだ。その秘密結社とやらの幹部か」

 オオカミ男がぼそりと尋ねる。フランケンシュタインは肩に担いでいる麻袋を軽く揺らしてから首を横に振った。

「まず間違いなく幹部ではないな。幹部ならお前達でも殺すのにもっと苦労したはずだ。下っ端の使い捨て構成員だろう」

「あれで下っ端か」

「そう言えばオオカミ男君は彼らと会うのは初めてか。上の方になると僕らみたいなモンスターの力を宿した人がごろごろいるよ。まあ僕もここ百年はまともに接触してないから、今どうなってるかは知らないけどね」

「奴らは間違いなく力をつけている」

 三匹の足が同時に止まる。

 理由は明白。目のまえに広がる荒れ果てた光景に目を奪われたから。

 まるでそこだけ隕石でも落ちたかのように、あるところを境に山の一部がえぐれ木も花も枯れ果てた荒野へと変わっている。そしてその中央には、首のない馬と、中身の抜け落ちた黒い鎧だけが転がっていた。

 三匹揃って荒野に立ち入り、落ちている鎧を確認する。

 吸血鬼が呆れた様子で肩をすくめた。

「まさか僕らが偽物の首狩り騎士と戦ってる間に、本物が討ち取られちゃうなんてねえ。これってもしかして、いやもしかしなくても奴らの仕業?」

「ああ、間違いなくな」

「だよねー。うーん、僕としてはこれ以上関わりたくないんだけど」

 吸血鬼が横目で二匹を見る。

 二匹は躊躇うことなく顔を上げ、

「やることは」

「決まっている」

 そう言って、迷いなく歩みを再開した。

途中で何度も展開を変更した結果、本作だけでは全く意味の分からない微妙な作品となってしまいました。推理要素も雑、というか首狩り騎士要素ほぼ皆無……猛省しております。

しかしこれにてモンスターシリーズも三作目まで執筆完了。主要モンスター三匹を無事に登場させられたので、次回は長編を書きたい所存。結果としてですが、五年おきに執筆しているので次回作はおそらく2031年。それまで本作を覚えている方がいらっしゃいましたら、またお会いしましょう。

お読みいただき有難うございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。