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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
8/31

第七話 糸口

「なんで……っていうのは言われなくてもわかりますけど、一応お願いします」


 俺は御者席のコニーさんの横に腰を下ろして、そんな言葉をかけた。あの村から戻ってきてから程なくして、小さな説教タイムが始まったのだ。だからその返答としての第一声。


「まああれだ、まずはあの鳥人間。あいつが生きているかもしれない以上、俺たちに危険が付きまとっていることは否定できないわけだ。脅すつもりじゃないがな」


 コニーさんはそう言うとバートを繰る手綱から片手を離し、子供に言い聞かせるように人差し指を立てる。


「だからあまり一人では行動するな。頼りないかもしれないが、二人でいたほうが安全だ。そのほうが上手くいく。あの時の連携は中々だっただろう?」

「ええ……まあ、そうですかね」


 少しだけ自らを卑下しているものの、言っていることは最もだった。あの時戦った鳥人間のこともあるし、恨みから新たな追っ手がやってくることだって、考えたくはないがあり得るのだ。

 未だに青い空の下でそんな風に納得してみるけれど、正直いって反省はしていないのかもしれない。あの村に戻らなかったら、きっと心がざわついたままの出発になっていたのだ。


「……アイナさんは変わりありませんでしたよ」

「ああ? お前やっぱりまたあの村に戻ってたのか……」


 だからあっけらかんとそう言ってみた。

 コニーさんは案の定、呆れた声で額を抑える。すると考えすぎかもしれないが、何だかバートも小さく鳴いたような気が。


「その報告はありがたいがな、お前だってあの道化師達と戦ったんだ。あいつらが村長の手先なら、目を付けられていてもおかしくはないんだぞ」

「すみませんでした。でも心残りは無くしておきたかったので」

「はあ、お前は旅に向いてないかもしれないな」


 コニーさんが澄んだ空気にため息を落とすと、進む馬車がそれを後方に流していく。旅に向いていない、その言葉はどういう意味なのだろう。確かに俺が旅慣れた人間ではないのは事実だ。けれど、心の整理とは重要なことだと思う。

 疑問を抱いた視線を彷徨わせると、辺りの景色には灰色が増え始めていた。小高い丘の周りに、ごつごつとした岩達が顔を覗かせている。


「まあとにかく安全に行こう。ついては、お前の魔法もこれからは原則使用禁止だ。もちろん万が一の場合は除くがな」


 しかし景色に向いていた視線も、そんな言葉によって手繰り寄せられる。それはどういうことか? もしやあの頭の痛みのせいなのかと聞くが、どうやら違うらしい。


「あの村は特別魔法嫌いが多かったが、他の場所にだってそういう奴がいないわけじゃない。だから目立たないに越したことはないだろ」


 俺は顎に手を当てて、目を閉じる。とはいっても魔法を使うわけじゃない。たったいま釘を刺されたばかりだし、それに対して納得もしたのだから。横を向いて首肯を見せれば、コニーさんもまた満足気に頷いた。


「じゃあ、頼んだぞ」


 その言葉を聞いてから後ろに背をもたれる。小さく息を吐き出すと沈黙が訪れ、耳に届くのは僅かな風の音と車輪の音、そしてバートの足音だけ。注意事項を言い渡された後のしばらくは、そんな風に過ぎていく。ある場所にたどり着くまでは、言葉が再び顔を出すことも無かった。

 やがて陽は薄い橙色へと変わり、馬車は低い山の麓を迂回するように進み始める。


「あの、これって人里から離れてませんか?」


 右を見れば上方に伸びる剥き出しの岩肌。左を見れば落ちていく土の急斜面。そんな景色の山道を目の前にして、疑問が湧くのは当然だろう。

 コニーさんは前を向いたまま、慎重にバートを繰る。


「これでも一応、向かってるのは人里なんだがな。……そういえば俺、お前に目的地を言ったか?」

「いや、まだ聞いてませんけど」

「ああ、やっぱり忘れてたか。じゃあ今言っておく、目的地はあそこだ」


 指された方向に身体を向けて座り直し、進行方向前方の崖の下を見る。そこにはひっそりと身を寄せ合う小さな集落があった。それほど時間も掛からず、陽が落ちる前に辿り着けそうな、そんな距離だ。

 あそこに一体どんな用で? そう聞こうと思った瞬間に、馬車が大きく揺れた。驚いたバートが歩速を緩め、車体が減速を始める。


「なんだ?」

「後ろからです」


 また追っ手がやって来た。そんな想像が頭をよぎり、身体は素早く後ろを向く。すると幌の内側に積まれた本達が、相も変わらず薄い光の中に佇んでいる。何も変なところはない。だけどどこからか、何者かの気配が。

 視界が、上方から差すほのかな暗がりに落ちる。


「あれー、もしかして人違い?」


 女性の声が聞こえた。降り注ぐ日光を遮ったであろう、その声の主を見上げる。そいつは幌の上からこちらを見下ろしていた。

 骨組みに器用に足を掛けて、腹這いの体勢で覗かせる顔。そこにはまず、眼球が二つあった。人間と同じ形状で人間と同じ数だけ存在する眼光は、確かな黒色を称えている。だがそれとは別に、黒曜石のような丸がぬらりと光る。縦に二つ並んだ正円の目玉が二対、人間の瞳を挟むように張り付いていた。


「どこからどう見ても合わないんだよなー。ねえ、あんたどんな服が趣味? 改造とか得意?」


 六つの視線を受けて行き場を無くした息が胸に詰まるが、謎の人物はお構いなしにわけのわからない言葉を紡いでくる。そして奪われた視線から入る情報が、目の前の生き物の正体を決めあぐねていた。

 口は人間のものだ。女性的とも見える血色の良い唇と、それを支える薄褐色の肌。そしてそこを縦断するように垂れ下がる、長く黒い髪。人間とも思える要素が確かにある。


「バート、行け!」


 コニーさんの声と共に、手綱の振るわれる音が響く。名前を呼ばれた黒馬が再びの加速を始めると、幌の上の人物は僅かに体勢を崩した。そうしたら見えたのだ。先程から幌に透けていた影で、違和感を持っていた部位、虫のようにうごめく複数の足が。

 選択肢が再び消える。


「コニーさん! あ、あいつ……」


 人間じゃない。どことなくあの鳥人間を想起させる、人間と動物の混ざり合いを起こした生物。岩肌の道を急ぐ馬車の揺れに、その生物は未だしっかりとしがみついてくる。そして揺らいだ姿勢を複数の足で制御すると、幌の上で大きく立ち上がった。


「鳥人間の次は蜘蛛女か? 掴まってろ!」


 その姿を一瞥したコニーさんが言った。そうだ蜘蛛だ、この人物は蜘蛛に似ている。

 吹き始めた風が馬車の車体を押し進め、前方から道をまたぐ短い岩肌のトンネルが迫る。段々と距離が近付くそれを見つめながらも、交互に背後にも気を配る。一度、二度、三度目に蜘蛛女のほうを向いた時、そこに奴の姿はなかった。

 反響する風の音とと共に、馬車はトンネルを抜けた。


「……どこにいったんでしょう?」

「ちっ! ノーラ、あそこだ」


 姿の無い蜘蛛は木の上にいた。道の左側に落ちる急斜面、そこに生えた背の高い木々の間を飛び渡り、馬車に並走する影。

 空中で放射状に開く足の数は分からない。だが蜘蛛であるなら八本だ。そして時折飛び出す白い線はきっと糸。勢い良く射出された糸の先端が道の先に落ちた。

 コニーさんが手綱を引くと、馬車は急激に速度を落とす。


「ちょっとさあ、話ぐらい聞いてくれてもいいんじゃない?」


 馬車の前方に降り立った蜘蛛女は、自らの細い腕を腰に当てる威圧的なポーズで言った。だけど口振りは比較的穏やかだ。敵意は無い……のか?


「話を聞いて欲しいんなら、馬車に飛び乗る癖は直したほうがいいぞ」


 完全に停車した馬車から降りて、コニーさんは剣を手に取る。俺も御者席を抜け出して、固い地面に立つ。警戒の色を惜しげも無く表す俺達を見ると、蜘蛛女は僅かに身体を強張らせた。


「ああ、そりゃあそうだよね。ごめんごめん」

「なんだ? 随分と素直じゃないか」


 そして両手を上げ、降参の意を示す。声色も明るく、口元に浮かんでいるのは苦笑いだ。身体の部分部分に目をつぶれば、その姿は二十を過ぎた程の女性に見えた。だがしかし、安易な歩み寄りを躊躇させるだけの材料を、彼女はその身に持っている。


「も、目的はなんでしょうか?」


 だから失礼だとは思いながらも、俺は異形の身体を観察しながら言った。

 片方の肩口で結ばれただけの長い布を纏い、腰のあたりを紐で縛っただけの服装。露出した薄褐色の肌にところどころある濃い褐色のまだら模様は、刺青なのか。砕けた口調とも相まって、活発で野性味のある印象を与える。そして、何より目が行くのが。


「大丈夫大丈夫、あんた達に危害を加える気はないからさ」

「おい、動くな。その場で話せ」


 こちらへと一歩を踏み出した脚だった。スカートのように垂れた布のおかげで付け根までは分からない。だが円を描くよう四方に伸び、地面に針のように突き立つその細い足先を見れば、やはり人間のものでは無いことは明白。数も八本あるのだから。

 進むのを止めて、蜘蛛女は笑う。


「そんなに警戒しないでよー。少し話を聞くだけ……」

「だから言ったろう? その場で話せ」

「わかった、わかったって」


 コニーさんが厳しい口調で言うと、彼女はより一層の苦笑いで手を振るう。そして深々と頭を下げてから、顔を上げて真っ直ぐにこちらを見つめた。


「さっきはごめんなさい。あたしはイルネア」


 実直にやってきたのは、澄んだ声の謝罪と自己紹介だった。送られる視線の源は、中央に二つ存在する人間の瞳。だがその周りにある四つの眼球もまた、しっかりとこちらを見つめているように思えた。

 再び開くイルネアの口を見ながら、俺は小さく息を呑む。


「実は人を探していてね、あんた達からその人の匂いがしたから……つい」


 イルネアはばつが悪そうに笑った。匂いで探し人がわかるというのも、あまり人間らしくはない。蜘蛛らしいかと問われても微妙だけれど。

 彼女の言葉を聞いて思うところがあったのか、コニーさんも眉をひそめて両手を広げる。


「それでどうだ? 俺達はお前の探してる奴か?」

「……多分、違う」


 鼻をひくひくと揺らしながら、イルネアは答えた。


「なら、もう用は無いか?」

「無い……のかな?」

「じゃあそこをどいてくれ」

「……わかった」


 予想外に素直な言葉を吐き出してから、器用に複数の足を動かして道を譲るイルネア。コニーさんはその姿を見てから、剣を下げて御者席へと乗り込む。一応は敵意が無い、そういう判断なのだろう。俺もまた、彼の視線を受けてから隣に座る。

 手綱が振るわれると馬車は思い出したかのように前進を始めた。

 多少のトラブルもあったが、これで問題無く集落に向かえるのだろうか。赤みを帯び始めた夕暮れの空を見上げてから、道の端、岩の崖に背中を預けたイルネアを見る。バートの歩幅に合わせ、その姿が少しずつ後方に引きずられて行く。だがしかし、口を真一文字につぐんだその顔はもう一度こちらを向いた。


「ちょ、ちょっと待った!」


 次に浴びせられたのは、そんな慌てた声だった。もう一度道の真ん中に立ち塞がられ、未だスピードに乗り切れていなかった馬車は止まる。


「なんだ?」

「中、詳しく調べさせてもらってもいい?」


 再び剣に手をかけたコニーさんに向かってイルネアは言った。指すのは俺達の後方、馬車の幌の中。そこには探し人はおろか人っ子一人居ないというのに、彼女は何かを感じ取ったかのように鼻をひくつかせている。ならばもう、その意向に沿った方が話は早いのではないか。


「……見てもらったらいいんじゃないですか? 人は乗っていないんですし」


 小声でコニーさんに呼びかけてみても、返ってくるのは沈黙だ。

 崖際に吹く風は僅かに冷たく、そしてそれが耳に届く音の全てになる。瞬き一回分の間が空いて、そこに声が加わった。


「もう一度聞くが、お前の目的は俺達に危害を加えることじゃあないんだな?」


 御者席から飛び降りたコニーさんの手に剣は無い。


「もちろん。そんなことしたってあたしは得しないしね。それにはなから攻撃するつもりならもうしてるって」

「……それもそう、かもな」


 ゆっくりとイルネアに近付いて、コニーさんは頭を掻いた。俺ももう一度地面に降り立ち、恐る恐ると足を動かす。するとそんな姿に呆れたのか、今度はこちらにイルネアの声が飛んだ。


「ほら、大丈夫だって。おいで」


 それは何だか犬や子供に対するような言葉だった。まあ現在の容姿から言って仕方ないといえば仕方ないのだけれど。

 俺はコニーさんの頷く顔を見てから、その横に並んでイルネアと相対する。


「交換条件だ」


 少しだけ緩んだ空気を引き締めるように、コニーさんがはっきりと言った。それを受けたイルネアの顔が僅かに強張る。

 馬車の中を見せる代わりに何かを要求するということなのだろうが、コニーさんがこの人物から得たいものとはなんだ。


「つまり、どういうこと?」

「こっちに来い」


 その問いを無視して、コニーさんの足は馬車の後方へと向かう。それに俺が続くと、イルネアもまた八本の足を動かした。全員が馬車の後ろに周り、目の前には幌の中と外を隔てる一枚の幕。だがそれは直ぐに捲り上げられる。


「どうだ、よく見ろ。人は乗っちゃいない」


 確かにそこには人は居ない。旅には似合わない数の本と、そのほか雑多な物達が置かれているだけ。イルネアも半身を乗り出しながら中を見て、鼻をきかせながら頷いた。


「……確かに人は居ないね。でもさ、これをあたしに見せて良いわけ? さっき交換条件って言わなかった?」

「ああ、言ったさ」

「だよね。だったらあんた、もしかして相当なお馬鹿さん?」


 イルネアは楽しそうに笑う。そんな彼女の言葉は至って普通のものだ。コニーさんは自ら持ちかけた交換の材料を早々に使ってしまったのだから。だが当の本人はさして気にした風も無く、まあ何かの考えあってのことなのだろう、ゆっくりと口を開く。


「俺達はお前の探している人間じゃない。だが匂いはした、そうだろう?」

「うん。微かにだけど確かだよ。特にこの馬車の中からね」

「その理由を教えてやる」


 イルネアはその言葉に押し黙った。感慨深そうに俯いた顔が、夕焼けに染まる。だがそれもほんの少しの間だけで、彼女は直ぐに顔を上げて笑った。


「わかった。あたしもあんたの質問に答えるよ。答えられるものならね」

「決まりだな」


 俺はそんな二人のやり取りを横目に、もやもやとした気持ちで暗い地面を見つめた。

 イルネアとコニーさん、二人はどう見ても知り合いではないだろう。きっと過去に出会ったこともないはずだ。それならば、コニーさんが彼女の探している人を知っているとも思えない。だから今、理由を教えてやると言い切ったコニーさんを見て、彼は確証のない材料で交渉をしようとしているのかもしれないと、そんな考えが浮かぶ。いやむしろ、それでもいいから情報が欲しいということなのかもしれない。でもだとしたら、馬車の中を簡単に見せたことがわからない。

 あの鳥人間ウインダルと蜘蛛女イルネアの共通点、その来襲の早さ、俺達からするという匂い。俺だって馬鹿じゃない、その情報から何度も連想をした人物がいる。コニーさんがイルネアから何を知りたいのかも、そこから垣間見える。


「……それじゃあ移動しようか。こんなところで長々と話すのもあれだし、私の家に招待するよ。もうすぐ陽も落ちるしね」


 思案にふけっていると、イルネアがそう言ってもう一度笑った。

 彼女は悪い人物ではない、そう思いかけてはいるものの、危険な誘いだとも考えられた。だから俺は夕日に照らされたコニーさんの横顔を見上げる。鳥人間と蜘蛛女、そして村長と道化師、やはりそれらの情報をコニーさんは欲しているように思えた。

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