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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
6/31

第五話 戦いの午後

 頭の中では妙に速度を増した思考が回転し、そこから少し下がった心臓は痛いくらいに胸を叩いている。

 大丈夫、これは挑戦だ。上手くいかなくなったら、死にそうになったら、魔法を使って逃げればいい。そんな事態に陥るまでは、やれるとこまでやってみよう。

 木の影に身を隠して、数メートル先の馬車を見る。街道に向かい進んでいた草の道を逸れ、林の入り口に頭を突っ込んだ馬車。その前方には僅かに身を揺らす黒い影がある。恐らくバートだろう。だがそれを御するコニーさんの姿は見えない。

 音のない夜に耳を澄まし、木の幹に背中を預けると、嫌な記憶を掘り起こす鳥の羽音が聞こえた。

 あの鳥人間の姿を描きながら、上空を見上げる。木が四方に伸ばした枝葉の切れ目に蠢く影は、月明かりを受けて旋回し、ある一点を見つけて加速を始める。その姿を目線で追って行った終着点に、二つの人影が見えた。

 草の道などとうに離れた、林の入り口のそのまた先。太い幹を持つ木々に囲まれて、二つの影は相対している。

 息を飲むと、雲が動いて月明かりが射す。


「コニーさんと……」


 道化師だった。

 予想はしていたし、馬車の中で煙幕を巻き起こしたのもこいつだろうとは踏んでいた。だけど実際にまた姿を見ると、身体は鎖を巻かれたように硬直してしまう。

 そして道化師の隣に、大きな鳥が舞い降りる。


「……随分と気味の悪い鳥を飼ってるんだな」


 コニーさんが忌々しげに吐き捨てる。静かな森の中に、声はよく通った。


「あなたのお馬さんの方が、私にとっては気味が悪いですがね」

「どういう意味だ?」

「……さあ?」


 道化師が腕を振るうと、鳥人間が動き出す。吹き始めた黒い風に乗って、大鷹がコニーさんへ突進する。くちばし代わりのナイフを突き出したその攻撃は、剣によって受け止められる。より一層吹き荒んだ突風の中で、コニーさんは顔を歪めた。

 風は、あの鳥人間を囲うように吹いているように思えた。


「さあ、石を渡す気にはなりましたか?」


 道化師が笑いながら言う言葉。奴の目的が垣間見える。

 返事の代わりに、コニーさんは鳥人間の腹を蹴り上げた。僅かにせり上げられた大鷹の身体から、甲高い悲鳴と汚らしい涎が漏れる。


「石? なんのことだか」

「……そうですか。ではもう少し相手をしてもらうとしましょう」


 本当に知らないのか、それとも敵に対する挑発か。どちらとも取れるコニーさんの声を聞いてから、俺は木の影に背中を預けて戦いから視線を逸らす。そして後ろ手に持ったナイフで幹にバツ印を付けた。もしもの場面での逃走時、瞬間移動の助けになるかもしれない。

 そうしたら、いよいよだ。


「……頼むぞ、俺だって今は魔法使いだ」


 震える膝を叩いて深呼吸。大丈夫、いざとなったら逃げればいい。何度も何度も言い聞かせてから、俺は別の木の影へと素早く移る。

 瞬間移動の魔法は逃走にうってつけだが、戦いにおいても大きなアドバンテージだ。敵の不意を瞬時につけるのはでかい。だからこそ最初の一撃が肝心。だからこそ慎重に動く。

 俺は木の影を伝いながら、背後へと回り込んだ。ちらりと覗き見れば無防備にもこちらに背を向ける道化師と、その向こうで剣を振るうコニーさん、そして上空から攻撃を仕掛ける鳥人間。

 自らは戦いに参加せず、傍観を決め込んでいる道化師の姿は、確実なチャンスを俺に感じさせる。だけどここで飛び出すか? もう少し待ったほうがいいんじゃないか? 恐怖に引きずられ、結論は歪みはじめる。そしてその瞬間。


「これはこれは、もうお終いですかね。ウインダル、死なない程度にお願いします」


 強く吹いた突風に揺らいだ身体。そこに迫る鳥人間、ウインダルのナイフがコニーさんの手に握られた剣を弾き飛ばす。探るように滞空した大鷹がもう一度、身を細めて風に乗る。

 俺は目を閉じていた。無意識の、そして本心からの行動だった。

 次の瞬間、開かれるまぶた。解放された眼球を風が撫でると、そこには黒い鳥が間近に映り込む。身体全体を支配した浮遊感を飲み込んで、俺はウインダルへとナイフを向けた。目を見開き、歯を食いしばり、大きな鷹へと落下する。

 のしかかるように、俺とウインダルは地に落ちた。気色の悪い肉の感触と共に。


「ノーラ! お前今……」

「これは驚きましたね」


 俺はクッションとなったウインダルからナイフを引き抜いて、後ずさりながら自らの手を見つめる。月明りに照らされた赤黒い血が光り、心臓がどくりと跳ねる。


「コ、コニーさん無事ですか!」


 その輝きから目を逸らすように、顔を背けて叫んだ。頭は興奮状態でぐるぐると回っていく。

 駆け寄ったコニーさんは、疲弊した顔で目を丸めた。


「どこに行ってたんだ!」

「コニーさん、そんなことよりこれを!」


 俺はすぐに瞬間移動をして、地面に突き刺さったコニーさんの剣を回収し、差し出した。


「お前、その魔法はどうした?」

「後で説明しますから! とりあえず今は……」

「そうですよ、こちらにも気を払ってもらいたいですね」


 道化師の声と共に爆発が起こる。身体はびくりと震えるが、だけど心配は無い。


「うるさいぞ、こっちは話し中だ」


 庇うように前へ出たコニーさんの風が、爆炎を切り裂く。そして揺らめく煙が後方に流れた。

 俺はもう一度ナイフをしっかりと握り締めて考える。瞬間移動の魔法という手札を晒してしまったが、コニーさんの危機は救えたはずだ。そしてあの鳥も、地面にうずくまったまま動かない。一対二だ。


「そうでした、あなたにはこれが効かないのでしたね。では……」


 道化師は楽しそうに笑うと、ゆっくりとウインダルの元へと近付く。

 仲間なのか、それとも本当にペットなのか、二人の関係性は不明だ。だが道化師の次の行動で、すぐにその答えはわかった。

 横たわるウインダルの顔を無理矢理に持ち上げると、縫われた口に固定されたナイフが引き抜かれる。月の夜の下、傷口から血が滴り落ちる。ぞんざいな手際は、仲間に対するものじゃない。


「今回の活躍は殆ど無しでしたね、あなたは。もう帰っても良いですよ」


 道化師に蹴飛ばされたウインダルが、苦しそうな声を上げて起き上がる。死んではいなかったのだ。地に足をつけたまま広げる黒い翼からは、無数の羽が舞い踊る。茶色い瞳がこちらを一瞥すると、大鷹はふらつきながらも飛び立って行った。


「さて、お嬢さん……いや、ノーラさんでしたか? ウインダルを退けたことは賞賛しましょう。でもその魔法をここで披露したのは、失敗だったかもしれませんよ?」


 道化師が手を振るうが、今度は無音。だけど見えた。馬車の中で見たものと同じ、宙を這う灰色の煙の糸が。

 また煙幕が放たれる。コニーさんに警告の声を上げようとするが、それは別の言葉に遮られる。


「ノーラ、今使えるのはあの魔法だけだよな?」

「え? ああ、はい。多分そうだと思います」


 コニーさんが前を向いたまま、小さく呟く。そして俺の返答を聞いた後に差し出される手。


「俺も一緒に移動できるのか、試してくれ」


 提案を理解した瞬間に、視界が煙に巻かれる。だがその煙もすぐに風が拭い去り、晴れた視界の前方から、走り来る道化師の姿が見えた。

 俺はその光景に焦りと恐怖を感じたまま、コニーさんの手を握って目を閉じる。瞬時に想像するのは印を付けた木の幹、その周りの光景。

 目を開ける。手に感じていた温もりは消えていた。


「くそっ! 駄目なのか……?」


 幹の印に手を当てて拳を握ると、聞こえたのは金属のぶつかり合う音だった。

 木の影から顔を覗かせれば、斬り合う二人の姿。短いナイフと長い片手剣の勝負は、一進一退の拮抗で進む。だが俺がそこに加勢すれば、可能性はある。

 血に濡れたナイフの柄を握り直して、俺はまぶたを下ろした。そしてすぐに目を開き、自らの身を投じるのは剣戟の嵐の中、二人の勝負のその上空。逆手に下を向いたナイフの切っ先が落下していくのは、派手で悪趣味な道化師の元。

 もう少しで、もうすぐで刃が深く食い込む。しかし、その瞬間にかち合った道化師の瞳に、俺は反射で目をつぶっていた。

 瞬きのように目を開けば、まるで少し前の出来事が嘘であったかのように、目の前にあるバツ印。ずきりと痛んだ頭を抑えて、俺は木にもたれかかった。変わらずのバックミュージックは、火花の散る金属音だ。

 俺は怯えた。道化師の視線に気圧されて逃げ出した。だけどそんな自分を責める気は無い。問題なのはこの頭の痛みだ。

 さっき自分の意思で始めての移動をした後も、確かに頭痛はした。だがこれは先程よりも強い、警告とも取れる響きだ。


「なんだよ、これ……」


 木に手を付いて息苦しい吐息を吐き出せば、幾らか痛みが楽になるが、これ以上の回復を計る時間はないだろう。そしてあいつの視線の恐怖に耐えて攻撃を仕掛ける自信もない。ならばサポートだ。俺が止めを刺す必要は無い。頼れる仲間がいるのだから、ここは任せよう。

 ナイフが地面に落ちる。今更に気付いた。血濡れの手ががたがたと震えていることに。


「だ、大丈夫……大丈夫」


 頭の痛みをかばいながらナイフを拾い直し、戦況を覗き見ると、道化師が煙幕を繰り出す瞬間だった。

 行くべきか? 俺は今参戦するべきか? きっとそうだ。今が好機だ。震えるまぶたを下ろし、描くのは道化師の背後。視線を受けない、奴の後ろへ。


「おい! こっちだぞ、悪趣味野郎!」


 目を開くか開かないか、そんなタイミングで声を上げる。慣れない調子っぱずれの挑発でも、道化師はこちらへと振り返った。

 俺は奴の視線に磔にされる前に、姿勢を低くして地面の草土を握り取る。そして気色の悪い化粧の施された顔面に、それを思いっきり投げ付けた。


「いいぞ、ノーラ!」


 道化師の向こうのコニーさんが剣を構える。

 これで挟み撃ち、二人で一人を相手にするならば、きっと一番良いやり方だ。俺もまた、血で滑るナイフを強く握る。

 コニーさんの持つ剣の切っ先が、横一線に振るわれる。だが道化師は、汚された視界でも器用にその太刀筋を受け止めた。ぶつかり合った剣とナイフは、両者とも小刻みに震える。

 俺は痛む頭を振り切るように、道化師へと一歩を踏み出す。

 サポートは失敗し、コニーさんの攻撃は受け止められた。それなら次に手を出すべきは俺か? だけどこびりついた血が嫌な感触を思い起こさせて、俺の足を掴むのだ。

 心臓のように鼓動する頭痛の中で俺は考えた。今は刺したくない、その感触を感じたくないと。だから。


「コニーさん! やっぱり手柄は譲ります!」


 腕を振るって手にしたナイフを放り投げる。

 道化師は剣を受け止めている方とは逆の手で、俺の攻撃を弾き飛ばした。奴の手には僅かな裂傷のみ。だけど想定していたことだ。

 目を閉じて、すぐに開く。奴の足元で、床に落ちた紙切れの如く身を屈める。そして手を伸ばすのは、奴の右足首。思い切り掴んで、引っ張ってすくい上げる。


「了解、引き受けた」


 その瞬間、コニーさんの声を合図に吹き出した風が、ぐらついた道化師の身体を押し倒す。気色の悪い悪趣味野郎は、後頭部から地面に吸い込まれていく。そして空を向いた胸が、鋼鉄の剣で串刺しにされる。

 死を確信させる姿だった。拍子抜けするほどの結末だった。奴の言動を顧みれば、笑えるほどの終末。俺はそれを、うつ伏せに倒れ込みながら見ていた。

 一転した静けさが夜の林に広がるが、それとは反対に、俺の頭を叩き壊そうとするのは内側からの痛み。意識がゆっくりと薄れていく。

 呆気なく横たわる道化師と、その身体から染み出した血の赤。そしてそれを舐めとっている小さなネズミ。俺が見る光景は、そこで途切れた。






 どれくらいの時間が経ったのかはわからない。

 目を開くと、太陽の光を僅かに透かす幌が見える。がたがたと馬車が揺れていて、俺はきっとその荷台に横たわっているのだろう。身を起こせば、どこか懐かしい埃っぽさが鼻につく。俺はあくびを一つしてから立ち上がり、御者席で手綱を握るコニーさんの横に腰を掛けた。

 前方には草の生えていない土の道、横を見れば広がる草原と、その向こうに見える森、広がる青い空。そんな景色を眺めながら、しばらくの間二人ともが口を閉ざしていた。


「大丈夫か?」


 やっとのこと、視線はそのままでコニーさんが問う。


「はい、恐らくは。……魔法の使いすぎ、ですかね?」

「だろうな。まあ、今気分が悪くないのなら問題ないだろう」


 どうやら魔法という大きな力の副作用は、精神の摩耗らしい。これからまた使うことがあっても、ペース配分を考えなくてはならない。感覚が麻痺しているが、気絶だって大したことなのだから。


「それで、道化師はどうなりました?」

「死んだよ。もう俺達の前に現れることもないだろう」

「でも、あの鳥人間は生きています」

「ああ」


 がらがらと車輪が転がる。沈黙が再び訪れる。だけどそれも。


「すまん、悪かった」


 謝罪の言葉が漏れ出るまでの間だった。


「どうして謝るんですか?」

「……正直俺は、自分を過大評価してたんだ。追っ手がやってきても、一人で追い払えると思ってた。お前を守りつつだとしてもな。だけど実際は違っただろう? だからその謝罪だ」


 コニーさんはちらりとこちらを見た。酷く申し訳なさげな瞳でだ。


「いや、対等ということにしましょうよ」


 ぴしゃりと手綱が振るわれる。

 天高く上った太陽が、妙に眩しく俺達を包む。


「私もコニーさんに助けられましたから。先の戦いでその恩を返した、それでどうですか?」

「ちゃらってことか?」

「はい、もちろん」

「……ありがとな。お前が懐の深いお嬢さんで良かったよ」


 俺の方が借りが多い、そう言おうとも思ったが止めておいた。コニーさんはきっと良い人で、堂々巡りの押し問答になりそうだったから。

 コニーさんはゆっくりと息を吐き、真っ直ぐにこちらを見る。


「じゃあ許しも得たことだ、もう少ししたら昼飯にして、これからのことを話し合おう」

「あれ、もう昼なんですか? 朝じゃなく?」

「空を見てみろ。朝に思えるか?」


 笑いながら指を差すコニーさん。言われて空を見上げれば、やっぱり天高い太陽の姿が見える。


「思えませんね……」

「だろ? もうみんな働いてる時間さ」


 夜は明けているのだ。朝は過ぎ去ってしまったが、ここには昨日のように凄惨な戦いの夜は無い。

 背もたれに身体を預け、自らの手のひらを見つめる。コニーさんが拭き取ってくれたのか、乾いた血の跡もない。震えてもいない。あるのは白く幼い少女の肌だけ。

 それじゃあ昼の話し合いの中で、自分の素性、コニーさんには話してしまおうか。それが良いのだろうか。わからない。ああそういえば、アイナさんからの伝言はしっかり伝えなきゃいけないな。

 そんな事を考えるけど、まあでもとりあえず、もう少しだけこの馬車のリズムに身を任せていよう。バートの背中を見つめて、コニーさんの横で。

 俺はゆっくりと息を吸って、昼下がりの午後に深呼吸をした。

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