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空白の魔法  作者: 片岡 武路
一章
5/31

第四話 女神さまじゃない

 揺れる馬車の中は、陰鬱なオーラに侵食されているように思える。

 自らの行動がジェットコースターのうちはいいのだ。少女になってオオカミに襲われ、道化師の襲撃を受けてから豹変した村長と対峙しているうちは、その場のことしか考える余裕がない。だけど誰も声を掛けてくれなくなったら、誰も手を引いてくれなくなったら、深い思考に潜り込んでしまう。昨日アイナさんが去った部屋の中でも、そうなりかけていた。

 ゆっくりと周りを見回してから、塔の頂上にある本を一冊手に取る。表紙を優しく撫でてから物語の扉を開くと、文字の羅列が見えた。


「……読めん」


 重い口で呟くと、気分は更に落ち込んだ。

 この世界の人達との意思疎通に、今のところ不都合は無い。だからもしかしたら、文字も読めるのではないかと考えていた。だけどそんな希望も、ただ造形だけで文字を捉える頭の中からは消え失せてしまう。


「揺れるから気を付けろ」


 ため息を吐くと御者席の方から声が聞こえて、その瞬間に馬車が僅かに跳ねる。

 今この馬車が走っているところは、舗装とまでは行かなくとも、ある程度馬車が走れるように草の寝た一本道。だからたまに今みたいに揺れるのだ。そんな道がどうやらこの森を抜けるまで続いているらしい。そしてその先にあるのは。


「コニーさん、そういえば街道まではどのくらいなんですか?」

「さすがに日が暮れる前にとはいかないだろうが、正確にはわからん。実際にこの道を走らせるのは初めてだからな」


 御者席へと顔を出して問う。答えを聞いて空を見上げれば、赤みを失いつつある濃い紫。その色を受けた雲達が、どうも幻想的に見える。


「心配なのは分かるが、少し寝ておいたほうがいいぞ」

「私もそう思うんですけど、今日目を覚ましたのがどうやら昼過ぎらしくて」

「なるほど、そりゃ寝れないだろうな」


 コニーさんが笑うと、ひんやりと澄んだ空気に沈黙が流れる。


「それで? お嬢さんは話し相手が欲しいと?」


 静寂を破ったのは、そんな茶化したような台詞。図星だった。


「そうは言ってないんですけど」

「少しは素直になったらどうだ? 子供らしくな」


 また意地悪気な顔を向けられて、声が消える。馬車の車輪が転がる音と、バートの足音だけが響く。

 今度沈黙を破るのは、俺の台詞だ。


「……わかりました。話し相手になってください」

「まあ、いいだろう。俺も暇してたところだ。追っ手も今のところは来ないらしい」

「今のところ、ですか」

「ああ。だから緊張をほぐすのも大事だろ? 夜通し張り詰めてたんじゃあ、参っちまう」


 最初から話す気だったんじゃないかと思いながらも、それは黙っておく。


「だが話をする前に提案だ」


 手綱を振るった後に、コニーさんが少しだけ真剣な声で言う。

 俺は御者席と背中合わせになるよう、本の間に足を伸ばして座る。


「名前が無いと不便だ」

「名前って、私の名前ですか?」

「ああ、記憶が無いなら適当に考えてくれ」


 適当にと言われても、自らの名前を考える機会なんて普通の人なら生涯で一度も訪れないもの、そう簡単には決められない。ゲームの主人公に名前を付けるのとは違うのだ。まあ、俺は主人公に自分の名前を付けるタイプだったけれど。

 俺が頭を悩ませているのを感じたのか、コニーさんが言う。


「思いつかないなら、俺が付けるぞ。猫に付けようと思っていた奴でいいならな」

「はあ、猫ですか……。とりあえず言ってみてください」

「ノーラ、だ」


 コニーさんが口にした名前が、終わりかけの夕方に溶ける。それを捕まえて、鏡に映っていた自分の姿に貼り付けてみたら、案外悪くなかった。良くもないが悪くもない。だから安易に返事をした。


「じゃあそれにします。ノーラ」

「……そうか、わかった。改めてよろしくな、ノーラ」

「はい、よろしくお願いします」


 俺はノーラという名前を得た。感慨深いのかどうかはわからない。噛み締めてみても、すとんと腑に落ちる名前でもない。だけど良いのだ。これは上書き保存なのではなく、別の名前。俺の本来の名前は、変わらず柏木正一なのだ。

 僅かに苦笑いを浮かべて、俯く。じゃあそろそろ話を始めようか、何を話そうか。そう考えようとした時に、馬車が僅かに減速を始めた。

 身体がびくりと震える。


「ど、どうかしましたか……?」

「馬だ」


 耳をすませば足音が聞こえた。柔らかな地面を蹴る馬の足音だ。


「バートの……じゃあ無いですよね?」

「ああ。ただの野馬かもしれんが、一応隠れてろ」


 縮こまった身体を更に縮めて、本の壁を盾にする。

 村の人間が追い掛けてきたのか? それでも十分まずいが、一番最悪なのは……。辿った想定の終着点、白塗りの顔が頭に浮かんだ瞬間、焦げ臭さが鼻をくすぐった。

 顔をしかめて辺りを見回せば、糸のように空中を這う灰色の糸。馬車の後部から入り込んだそれは、じりじりとその身をこちらに伸ばしている。嫌な予感が全身を駆け巡った。


「ノーラ! 速度を上げるぞ!」


 何かに焦ったコニーさんの声と共に手綱を振るう音が聞こえ、馬車は再び加速を始める。バートのいななきが響くと荷台の振動が増す。だけど奇妙なことに、煙の線が後方に追いやられることはない。

 まずい。そう思って振り返ろうとした時には遅かった。爆発は起こった。


「ノーラ!」


 もう一度名前を呼ばれ、その音を聞き、俺は生きていることを確認する。

 視界は一面の灰色に侵され、近くにあるはずの本も見えない。だけど爆発に火は無かった。煙だけが充満し、広がる煙幕が眼球を撫でる。そしてやっと見えた煙以外の物は、一枚の黒い鳥の羽。そしてその瞬間に、何者かに服の首元を掴まれる。

 煙の中を突っ切るように、身体が引きずられていく。積まれた本が崩れ落ち、俺はやがて馬車を抜け出す。後部の幕を押し上げて、引きずり出される。

 理解の出来ない状況に、叫び声だけが漏れた。


「どうした!」


 夜に染まった空を吹き荒ぶ風の向こうに、コニーさんの声は聞こえた。だけど返事はできない。馬車は俺の眼下、カーブを描くように道を逸れていて、相当の叫びでなくてはもう届かないだろうから。そして上空から見下ろして分かった。減速し停車した馬車へと迫る、一頭の馬がいることに。

 まずい、コニーさんが危ない。そんな考えを抱くが、視線と思考は自らの首元を掴む生き物に一瞬にして奪われる。


「と、鳥⁉」


 服に食い込むのは細い四叉の足、縞の入った鳥の足。俺を空中にぶらりと吊るすのは、人より大きくはためく黒い大鷹だった。


「んー、んっーんー!」


 甲高く気味の悪い唸り声が、鷹の口から零れ出る。

 まるで人間のような声だと思った。だけどこいつが人間のようなのは声だけではない。ビー玉のような茶色い目は鷹のものだが、その下にある鼻と口が人間のものなのだ。そして本来あるべきくちばしは無く、代わりにあるのは一振りのナイフ。閉じた状態で縫い付けられ、酷く腫れた唇に挟まれるようにして、ナイフが固定されている。

 たった一言、おぞましいと形容できる姿だった。


「な、なんだよお前! 離せっ!」


 声を荒げて身を捩るが、がっちり服を貫いた拘束が解けることはない。逃げ場の無い恐ろしさで、俺は破れかけの布に手を掛けて全身を揺さぶる。

 白のローブは僅かな欠片を奴の足に残して、音と共に破れた。拘束は解かれたのだ。だけどそこから、地上数メートルの自由落下が始まる。一時の恐怖に堕して、自らを死の道に叩き落とす。そんな判断を俺は下してしまった。

 重力に押された身の皮が、留まろうとする臓器を地面へと運んでいく。もう駄目だと、今度ばかりは助からないと、そう思って目を閉じた。この世界に来たばかりのあの事件を強く思い浮かべるが、その時のようなアイナさんの助けも、こんな空中じゃあ期待できまい。

 暖かい雫が頬を伝った瞬間に、身を包む浮遊感は消えた。痛みは無かった。






 目覚めは思いの外早かった。身体を起こしてみれば、ここが俺の来世かなんて冗談をいうこともできないくらいに変わらぬ肉体。変わった後の少女の身体だった。だけどそれとは別に、変化した事が一つ。周りの景色が一変していた。

 暗がりを月明かりだけがこじ開けている森。僅かに苔のむした岩に見覚えがあるこの場所は、アイナさんと始めて出会ったあの場所。オオカミに襲われたあの森だった。鳥人間はいない。俺はそこに立っていた。


「何だよこれ、おかしいだろ」


 枝葉をすり抜けた月明かりに照らされて、少女の声を漏らす。

 夢か幻か、はたまた俺が瞬時に場所を移動したのか。後者はどう考えても不可能な……。


「……魔法」


 そこまで考えて頭に浮かんだのは、その言葉だった。

 この世界に存在する、不可能を可能にするもの。治療の魔法に爆発の魔法、風の魔法、どれも俺がいた世界では見たことのないもので、どれも強力なものだった。

 そしてもう一つ想起されるのは、いつか耳にした俺が魔法を使ったという言葉だ。

 冷静になるようため息を吐いてから、思考を巡らせる。落下した俺が生きているだけではなく場所を移動しているという事実に、魔法の関与は否定できない。そしてそれが俺の魔法だとしたら、一体何を使った?

 俺が魔法を使ったと思われるタイミングは二つだ。今と、そしてオオカミに襲われた時。今回の魔法の結果は場所の移動、前回の魔法の結果は不明。だけど気付いた。確かに、その二つに共通点はあったのだ。

 もしかしたら、そう思い俺はゆっくりと目を閉じる。二つの時にした行動を再現する。そのための想像を頭の中に色濃く焼き付け始める。

 戦場に戻るのはまだ早い。俺に魔法が使えるのならば、まずは準備を始めよう。そのための景色が最適だ。

 まるで逆再生のように、今度は目を開ける。ぴりりとした肌の感触と共に、暗闇の緞帳が上がる。


「……本当に使えたよ、魔法」


 苦笑いで呟く声が漂うのは、既に森の景色の中では無い。身を寄せ合った木壁の住居が並ぶ、小さな大通り。またもや見覚えのある場所、そこはあの村長がいる村だった。

 くるりと身体を回して辺りを見ても、人の姿は無い。淡い灯りが漏れ出た民家と、夜に呑まれて静まり返る民家、その二種類が俺を挟むように建ち並ぶのみ。

 息を飲むと誰かの声が聞こえた。


「しかしよう、ベント。お前もこれで邪魔者がいなくなったっていうことだな」

「あのじじいのことか?」

「そりゃもちろん。俺はあいつが来た時から思ってたんだぜ? こんな辺鄙な村に魔法使いなんざ必要ないってね」


 少しだけ痛む頭を抑え、建物の影に身を潜めれば、ランタンの灯りと共に道を進み来る二つの影が見える。酒に焼けた声で笑う男と、そしてもう一人はベントさんだ。


「そしたら見てみろよ。終いにゃ人殺しだぜ? まあヴィダルもあんな奴とつるんでたのが間違いだったな」

「ああ、やっぱり魔法使いにはろくな奴がいないってことだ」

「だな。そんでベント、逃げちまったあいつを村長はどうするって? 今更だがお前は追いかけなくていいのか?」


 ここから数メートルのところで、二人の足音が止まる。


「村長が追っ手を出すらしいが、自警団の連中に声は掛かってない。あの人には何か考えがあるんだろう」

「はー、そんなもんか。……ま、なら俺はそろそろ帰るぜ。お前もこんなところ巡回してないで、アイナちゃんのところでも行くんだな」

「ほっとけ」


 だらしない笑い声を撒き散らしながら、男はベントさんと別れた。

 二人の話していた内容には聞き覚えのある名前も多く、そして収穫もあった。少なくとも村の人間の追っ手は迫っていないということだ。ということはあの爆発と鳥人間は一体。

 道化師と村長の関係性がより色濃くなった。


「……よし、行くか」


 痛みの引いた頭を振るい、俺は自らを鼓舞するように呟く。足は重いが、コニーさんの身が危ない以上、そんなにのんびりとはしていられない。

 ゆっくりと目を閉じてから、脳内に描くのは村長の家の一角。あそこには確か幾つかのナイフがあった。武器になるだろう。敵ともいえる者の本拠地に乗り込むのは危険だが、他の民家を探るよりは時間が掛からない。すぐに調達して、すぐに脱出すればいい。

 高まる心臓に手を当てて目を開けば、淡い灯りと金色の髪が見えた。


「あなたは……」


 大きな瞳を丸く見開き、鈴の音のような声を出すのはアイナさんだった。部屋の中央、椅子に座って机に向かい、手には一冊の本。村長の姿は無い。

 早鐘を打つ心臓の鼓動が、ひときわ大きく跳ねる。


「ア、アイナさん……」

「やっぱりあなた、魔法使いだったじゃない」


 悲しげに笑って、アイナさんは席を立つ。ゆっくりとこちらに近付く。そして細く白い指を伸ばして、俺の頬を撫でる。

 淡いランプの灯りが満ちた部屋の中には、妙に暖かい空気が流れているように感じられた。心地良く眠ってしまいそうな、そんな雰囲気。

 唾を飲み込む音が、自分の身体の中から聞こえた。


「またオオカミに追いかけられた?」


 裂けて緩んだローブの首元を持ち上げて、アイナさんは笑う。俺は自らの衣服を見下ろし、本来の目的を噛み締める。


「すみません、その……急いでるので」


 つかつかと目的の一角に歩み寄って、ナイフを掴み取る。鞘の無い剥き出しの刀身、僅かに錆びたそれを見つめてから、ゆっくりと目を閉じようとする。もう一度コニーさんの所へと。


「待って」


 だけど閉じかけた瞼は、アイナさんの声にこじ開けられる。


「あなた、師匠に会ったんでしょう?」

「……師匠?」

「ああ、ごめんなさい。ブラントさんのことよ」


 ブラント。一瞬頭を捻るが、それがコニーさんのことだと理解する。


「コニーさんのことですか?」

「……もうそんなに仲良くなったのね」


 アイナさんは楽しそうに笑った。

 俺は振り返って、目の前の瞳をじっと見つめた。


「あの人は私の魔法の師匠なの。皆には内緒だけれどね。でも村の人達は今、彼を人殺しだって思ってる」


 小さな村だ、情報の伝達は早いのだろう。そしてコニーさんがアイナさんの師匠、少し驚きだ。だけど今、その話を掘り下げている時間はない。


「すみません、アイナさん。私はその師匠を助けにいかなくちゃならないので。村の人があの人を人殺しと思っているなら、尚更です」

「あなたは違うと思うの?」

「……わかりません。でも多分違うんだと思います。それにどっちにしても、恩は返さないと」


 爆発から助けられたこと、命を救われたこと。確かに恩はある。だけど俺は別にそこまで義理に厚い人間では無く、きっと我が身可愛さに負けてしまうような男だ。だから戦いに向かう本当の理由は違う。

 大義名分を掲げて手近な目標に向かえば、その間悩まなくてすむから。そしてあやふやではあるものの、戦うための……いや、いつでも逃げることのできる術を手にいれたから。だから行く。

 目を閉じた時、もう一度アイナさんの声が聞こえた。


「できれば師匠に伝えて。気付いてたのにごめんなさい、って」


 目を開けばそこは森の道だった。

 夜空に上る灰色の煙と、停車する馬車。その姿を遠くに捉えて、俺は深く息を吐く。


「そういう意味深なこと、今は言わないで欲しかったな……」


 姿の無いアイナさんへの返事が、ひんやりとした夜の空気に流れる。

 俺は手にしたナイフを振るってから、草の地面へと一歩を踏み出した。

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